オッパイを飲まなくなった・卒乳・断乳

「子どもと真剣に向き合って」
【断乳しようかな】
【出す(表出)と入れる(飲む)】
【まぎらしのおっぱい】
【おっぱいを片時も離さない】
【断乳の頃の思い】

「育児の方向転換」
「私の断乳挫折」
「断乳2日目の夜に」
「断乳をしました」
「哺乳瓶にちゃんとさよなら」
「母子でやり抜いた卒乳」
「Rとおっぱいの741日」
「おっぱいが病気で痛い」
「おっぱいやめれば何とかなる!?…
「娘の断乳」
「お姉ちゃんらしくなりました」

「子どもと真剣に向き合って」

 前略、台風一過と共に連日暑い日が続いておりますが、阿部先生を始めスタッフの皆様一同お変りありませんか? その節はいろいろお世話になりました。先日は『和く輪くだより』をご送付頂き有難うございました。本来なら、こちらから先に礼状を出すべき所を大変恐縮しております。事後報告を兼ね、一度手紙を書こうとは思っていたのですが、忙しさに取り紛れてしまい大変失礼致しました。  1歳1か月の息子が、母乳を突然飲まなくなって、思い当たる原因もなく、おっぱいのケアをしても何をしても、口にさえ入れてくれなくなって、必死な思いで相談室を訪ねてから2か月経ちました。お陰様で、その後息子は順調に母乳を飲んでくれています。何度かハンストを繰り返す場面もありましたが、その都度教えて頂いた<抱っこ法>を試みて何とか凌いでいます。息子が突然反り返って母乳を飲まなくなる度に、つい受話器に手が伸びるのですが、その都度「母親としての感性を大切に」という先生の言葉を思い出し、人を頼ってばかりでは母親としての感性は育たないんだと自分を励まし、自己流ですが自分なりの<抱っこ法>を実践しています。毎日試行錯誤の連続ですが、最近では息子のぐずりが生理的なものなのか、癒しを求めてのものなのか、大体判別がつく様になって来ました。以前とは比べものにならない位、息子といい関係が築けていると思います。  思うに今回のことは、密室育児の閉塞感から子育てに後ろ向きになっていた私に、神様が子どもと真剣に向き合う機会を授けてくれたんだと、今では感謝しています。いくら母乳育児を形の上で実践したとしても、そこに<心>がなければ子どもには伝わらないんだと痛感しました。まだ何も分からない幼児だと思って、侮っていた自分が恥ずかしいです。  芳子先生と伴に闘っていた嵐の様な1週間を経て、以前では考えられなかった位ゆったりした時間を息子と過ごせるようになりました。日に日に息子がいとおしくなっていきます。こんな短期間に心境が劇的に変化するなんて自分でも不思議ですが、出産当時の敬虔な気持ちが蘇って来た感じです。それまでの私は本当に毎日が辛くて、抱いてほしくて膝にまとわりついて来る息子を本気で煩わしいと思い、時にはどんなに抱いてあやしてもぐずり続ける息子にに腹を立て、このまま床に叩き付けてしまいたい程の激しい衝動に駆られる事がありました。我子に対してそんな気持ちを抱くなんて、私は母親失格なんだと自己嫌悪に陥る毎日でした。そんな私に息子が懐かないのも当然で、息子がおっぱいを飲まなくなった時、本気でそれまでの自分を反省し後悔しました。でも当初、私は息子は私に対する報復として頑なに飲んでくれないのだと思っていたので、「子どもが母親を嫌うなんてあり得ない」と言う先生の言葉には何だか救われた思いがしました。  <抱っこ法>を実践する様になってから、ずっと楽に息子の前で笑えるようになりました。私が笑顔を返す度に手足をばたつかせて喜ぶ息子の姿を見るにつけ、どうして今までこんな簡単な事が出来なかったのかと不思議になります。秀雄先生の著書に「お母さんが自分の気持ちと向き合い始めると、母と子の間で不思議な程の感情の交流が深まることがよくある」とありましたが、身をもって実感しました。  先生のおっしゃる通り、子どもは母親が暗い顔をしていると、全部自分のせいだと思ってしまうものなのですね。腱鞘炎の話が出た時、ひときわ泣き声が大きくなったのも、息子は息子なりに私の体を気遣って色々我慢していたんだと思います。「親の心子知らず」ではなく「子の心親知らず」でした。  思い返すと、出産後、半年過ぎた頃から、社会から隔離されてしまった様な訳もない孤独感や焦燥感に駆られる様になりました。この頃から息子の前でめっきり笑顔が減っていった様に思います。でも、笑わなかったのではなく、笑えなかったのです。元々愛想のある方ではありません。一日中誰とも口をきかず、笑い合う事のない暮らしの中で、いつしか表情も強張っていきました。時々息子が私のほうを見て気遣わしげな表情をすることがありましたが、今思えばこんな小さな子どもに、遠慮や我慢を覚えさせる程心配を掛けていたんだと思うと、心から申し訳なく思います。  私の母は、どうして子育てにストレスを感じるのか分からないと言います。私自身、母親として生きる覚悟の定まらない自分自身を責めてばかりいました。そんな時、子育てに悩む私の姿を見かねて父が一冊の本を勧めてくれました。ご存知かもしれませんが、大日向雅美さんの『子育てに出会うとき』(NHKブックス)という本です。大日向さんによると、子育てや女性の生き方は社会的・経済的な影響を受けて変化するものだそうです。私を始め、今の母親達がなぜそれ程までに子育てに悩み苦しむのか、その原因について時代背景を交え客観的に述べられており、私自身説明のつかなかったイライラに解を得た様で、まさに目から鱗が落ちる思いでした。そして、少なくともこの本の著者は、私の苦しみを理解し肯定的に受けとめてくれるんだと思ったら、読んでいて涙が止まりませんでした。現役の母親の約8割以上が、「我が子をかわいく思えない時がある」との問いに「YES」と答えていると聞き、私だけじゃないんだと少しほっとする反面、出産以来、母親として常に完璧であらねばと肩肘を張っていた自分に気付きました。  今回指導していただいた中で一番印象に残った事は、子どもには<共感>しその思いに寄り添ってやる事が大切なんだという事です。そして私が今回急速に元気になれたのも、先生やスタッフの方に私の悩みに共感し、苦しみを理解してもらえたからに他なりません。私の苦しみの大半は、本当に理解してほしい人に理解されない虚しさであった様に思います。これまでどんな時にも一番の理解者であった母に、私の気持ちを全く理解してもらえず、半ば自暴自棄になっていました。本当は、私は母に私の立場を理解し、共感し、慰めてもらいたかったんです。  甘えたいのに甘えられない。一方、無条件にかわいがられている息子がいて、自分が受け入れてもらえない悔しさから、いつしか我が子に嫉妬に近い屈折した感情を持つ様になってました。そんな私に、息子の甘えを受け入れるだけの心の余裕がなかったのは、今思えば当然の事でした。35歳にもなって、まだ親に甘えたいだなんて笑われるかもしれませんが、今回気付いたのは私のそんな複雑な思いでした。そして、本来甘えるべき対象は母ではなく、生涯の伴侶である夫であるべきだと言う事にも気が付きました。  そういった意味で、今回の事は夫婦の関係を見直すきっかけにもなりました。率直に私の悩みと気持ちを打ち明けた所、夫はそこまで私が思いつめているとは全く思っていなかったらしく、これからは育児にもっと積極的に参加してくれると約束してくれて、今の所可能な範囲で実行してくれています。  例え夫婦でもちゃんと言葉にして伝えることの大切さを知りました。「言わなくても分かっているはず」「ちゃんと分かっているつもり」<信頼>と<思い込み>はとてもよく似ています。だからこそ、時々言葉にして確認する必要があるんですね。生まれも育ちも違う二人の人間が、長い間一緒に暮らしていくにはそれなりの原動力が必要だと思います。それは、愛し愛された昔の思い出や子どもであったり、人それぞれだと思いますが、<一つの思い>を共有する事で末永く仲良く暮らしていけたらいいなと思っています。  働きに出る事を考えた時期もありますが、その気になれば働く事はいつでもできるので、今は二度とない子どもとの貴重な時間を一緒に過ごしていこうと思っています。それに今まで自分本位に生きてきた人間にとって、世の中で一番思い通りにならない子どもと言う生き物と対峙し続ける生活は、とてもいい精神修行の場でもあると思います。よく「子育ては、自分育て」と言いますが、子どもと一緒に成長出来たらそれはとても素敵な事ですよね。  お礼の手紙が何だか取り留めのない内容になってしまいましたが、癒しの子育てネットワークの活動が広まり、一人でも多くの悩める親達が救われる事を心から願っています。芳子先生も時節柄くれぐれもお身体ご自愛下さい。また、これから息子は恐怖の<ダダこね期>に入ります。一人で手におえなくなりましたら、またお力をお借りする事もあるかと思いますが、その節はどうぞ宜しくお願い致します。

【断乳しようかな】

 Mちゃんはもうすぐ2才の女の子です。夜泣きが多かったり、家の中ではお母さんにべったりなのに一歩家を出ると反対に落ちつきなく動きまわって心配なことが多いと相談に見えました。

 前回は「パパとママの仲が心配だった」Mちゃんの気持ちが分かってお母さんは「それほどまでに…やさしいMちゃんありがとう」と感動されたのでした。

 それで赤ちゃんの頃からの夜泣きが一旦落ちついたのですが、またまた夜中に大泣きになって(今までは4・5回の夜泣きが大泣き1回、昼間泣いた日は泣かないと変わってはいました)、お父さんが「どこか具合でも悪いのでは…」と心配するほどになっていました。

 お母さんは、「2才になったら断乳しようかな」と考えはじめているのですが、最近急に飲んでいない方のおっぱいの乳首を、ギュッとつねる気がかりもありました。お母さんは痛さのあまり、Mちゃんの手を叩いてしまうこともあるようですが、それではかわいそうなので、つねられないように手を握ってとめてと工夫もしたそうです。でもほとんどは痛みをこらえるために、お母さん自身が自分の体をつねって、おっぱいの痛みを弱くしようとしていたのでした。

 お母さんがMちゃんのためにそれほどまで我慢しなければ…と思ってしまうには訳がありました。

 おっぱいが充分にでなくてミルクを足さなければならなかったのですが、「おっぱいで育てたい」という強い思いがあって、母乳育児の先生の指導を受けながら、8ヶ月以後は母乳だけで充分になるまで母子で頑張ってきたのでした。

 それにお母さん自身が育ってくる過程で、「有無を言わせず、しつけられた…」思いが強くて、子どもの気持ちを大切にしたいと考えているお母さんでした。断乳についても、実家のお祖母ちゃんから、「しつけがなっていないあなたのことだから、2才になっても結局やめられなくて、3才まで飲ませるんじゃないの」と言われて、「あんたにそんなこと言われたくない!」という気持ちになってしまうというお話しでした。

 そんな話をお聞きしている時、Mちゃんが丁度、「おっぱい、おっぱい」とほしがって泣いていたので、「おっぱいに優しくする練習」を提案してみました。Mちゃんにはおっぱいを飲みながら、もう一方のおっぱいを「やさしくなでなでする」練習をしてもらったところ、とても上手になでてくれるようになり、「上手、上手」と2人でほめたり励ましたりしました。お母さんは「こんなふうになでてくれたら、すごく気持ちがいいわ」と、Mちゃんに抱っこで話してくれました。そして「おっぱいなでなで」で気持ちよく泣いたのです。

 2才の誕生日にはママの育児方針に沿って、おっぱいを上手に飲んでくれたMちゃんと、充分に出るようになったおっぱいと、おいしいおっぱいをたっぷり飲ませたいと食事にも気を配ったお母さんが、「よくやったねありがとう」と大満足でバイバイできたらいいですねと話しました。

 そこでお母さんは、「誕生日のいつやめるかについても迷ってしまうんです」ということなので、「それはママが決めて、『Mちゃん、こうしようね』と言っていいんですよ」と励ますと、お母さんは、「朝たっぷり飲んでバイバイします」と決めて安心なさったようでした。

 子どもにとって断乳はやっぱり辛いものだから、「これほど辛いならいっそうのこと、『そんなに痛くするんだったらもうあげない!』とお母さんを怒らせて、けんか別れした方がいいかも知れないと思ってしまうかも知れないわね」と話すと、Mちゃんは大泣きになるので、「けんか別れなんて悲しいよ。さみしいけれど仲良くお別れして、いつでも『おっぱい』と言ったり、触ったり、のぞいたりチューしたりしよう」と話しました。お母さんも、「仲良く仲良くバイバイしようね」と慰めてくれました。

 今回のMちゃんは、抱っこされながらお母さんの肩を「よしよし」とするように、優しくトントンと叩きます。おっぱいを飲む前も、飲んだ後も、また今も優しくトントン叩くのです。

 私はMちゃんのトントンが分からなくて、「なんで?何があるのMちゃん?」と思ってしまいました。Mちゃんはまだ何か聞いてほしいことがあるかも知れない、という感じがあるのですが、「何が…」は全く分かりませんでした。

 仕方がないのでお母さんに、「Mちゃんが泣くとどんな気持になるの?」と尋ねてみました。癒しの抱っこを知る前は「もうやめてよ」と思っていたが、抱っこを知って泣くのに意味があったり、ストレスを発散することが分かったので、「聞いてあげなくちゃ」という気になるということです。それでMちゃんの「ママ…トントン」の意味が分かったような気がしました。

 Mちゃんにとってお母さんが、気持を分かってくれることは本当に嬉しいことだけれど、自分の気持や体調や都合を我慢して付き合ってもらうのは嬉しくない。子どもは皆、向上心を持っていて、お姉さんになりたいし、お母さんを助けたい気持があるから、頑張る時と甘える時のメリハリをつけてもらえると、子どもは嬉しいし、お母さんも子育てが楽になるとお話しました。そして、「今はがんばろう」という付き合い方の練習をしていただくことにしました。

 方法としては、Mちゃんに横に寝てもらって、お母さんにMちゃんの手と頭を支えてもらいました。起きあがろうとするMちゃんを押しとどめて、「起きたいね」と共感しつつ、「でも今は横になってね」と体で付き合うのです。お母さんにはMちゃんの「いやだ、いやだ」に共感して体に付き合うことで、Mちゃんの気持に添えることや押しとどめることが、お母さんの「こうしてね」という気持が、体を通して伝えられることを説明しました。私はずっと足に付き合っていました。30分くらい大泣きが続きましたが、お母さんは「いやだよね」と言いながら付き合い続けて下さいました。

 その後Mちゃんはすっかり落ちついて、スムーズに着替えができました。お母さんは終わって、「私もこんな風にしつけられたら良かったですね!」と本当に嬉しそうでした。

【出す(表出)と入れる(飲む)】

 Vちゃんは1歳6か月。先週舌癒着の手術をしたが、おっぱいを飲まなくなってしまったと相談に来られました。手術した直後はちょっと飲んだが、ほんとにちょっとだけで、それからいっさい受け付けなくなったといいます。

 癒しの子育ての本を読んでいたので、なにも話さずに急に手術は怖がらせてしまうと思って、手術の前にちゃんと、手術の日やするわけを話して、わかってくれていたと思うのですが、おっぱいを飲んでくれないのです、とお母さんはどうしていいかわからないという感じでした。癒しの抱っこもしてみたけれど、ちょっとは泣くけど、すぐにお茶とかあっちに行くとか言って、膝から降りてしまう。「うまく泣けないが、ワケをわかってあげられなくて」とお母さんが泣きそうでした。

 手術の前までは、おっぱいで泣きたい気持ちを紛らしていたということなので、泣き下手になっているようでした。そこで、「ワケ探しをしないで、歯止め探しをしましょうね」と話す。そしてお母さんに対面抱きしていたVちゃんの足に、援助者がちょこっと触れると引っ込めて「うわ~ん」。次に腕をそっと持つと払いのけて「うわ~ん」。お母さんに言いつけるようにお母さんの目をしっかり見ながら「うわ~ん」。援助者が誘いを休んでいると、催促するように見て、また手首を持つと「うわ~ん」。それはそれはかわいいべそ泣きをしてくれました。だんだんに長く持たせてくれて、その頃には、しゃくり上げるように上手に甘え泣きができていました。

 甘え下手だったVちゃんですから、一気にいっぱい泣いてもらったら、逆に泣きやみ下手になってしまうので、少しずつにしましょうと、おっぱいチャレンジタイムにしてもらいました。

 おっぱいを飲んでくれないのが気がかりで、「飲んで飲んで」の気持ちがはやるのはわかるけど、泣くという出す働きと、飲むという取り入れる働きのバランスが大事ですからね。泣き上手=笑い上手=話し上手になるからね、とお話しして1回目は終わりました。

 結局そのセッションでは、乳首を口に含んだだけでした。でもそれもはじめてで、うれしいとお母さん。家でも取り組んでみるということで帰られました。飲んでくれたらいいけどな。

【まぎらしのおっぱい】

 ニコニコ笑うしあわせそうな、もうすぐ1歳になる赤ちゃん。何が気になるのですか、とお母さんにお聞きすると、抱っこ法を試みているが、泣いているときなかなか理由が言い当てられない、とのこと。ふだんの様子でどんな気になることがあるのですか、と重ねて聞くと、別にないということです。

 それだったら、ことさら抱っこ法などと考えずに、ふつうにかわいがって育ててくださればいいじゃないですか。

 と言っているそばから、赤ちゃんがおっぱいをほしがりました。
(あれ、ついさっき飲んだばかりだけどな)
と思いながら、
「ただし泣かせない子育てにだけは気をつけてね。よくある例は、おっぱいがやすらぎのおっぱいではなく、まぎらしのおっぱいになる例・・・」
と言いかけると、「ああ、それ、やっています」という答え。

 一方で抱っこ法を試みながら、一方では泣かせないようにおっぱいでまぎらしている。矛盾していますね、という笑い話で終わりました。

 さっき飲んですぐまたほしがるようなときには、ちょっとだけ待ってもらって、ちょっとだけ泣いてもらってからおっぱいにしたらいいですよ。一気に歯止めを外してしまうと、お子さんが混乱してしまいますからね、少しずつ泣き上手を取り戻していきましょうね、と助言しました。

【おっぱいを片時も離さない】

 Eちゃんは10か月。おっぱいを片時も離さない感じで、家事もままならず困っている。夜もずっとおっぱいを離さないので、寝不足になっているのではと心配。お母さんも眠れなくてつらい。ということで相談に見えました。

 相談室に来たEちゃん、お母さんの話しとは違っておっぱいを求めず、お母さんに抱かれたり、降りておもちゃをいじったりしていました。外に出ると他に興味が行くのでこんな感じにもなりますということでしたが、それにしてもごく普通に過ごしていました。

 面接票を書き終わったお母さんが、おむつ替えをしようと寝かせたらうぇ~んと泣き出しました。するとお母さんは大慌てでおむつ替えをしようとして、でも泣いて起きあがってしまったら、立った姿勢でやりにくそうだけれど、そのまま替えていました。

 そんなようすに、今日のテーマは「泣かせない子育て」かなと予感しての始まりになりました。というのも、おっぱいが離せないのも、泣かれないように泣かれないようにとしているからかなと予想していたのですが、おむつ替えの時のようすを拝見して、やはりそうではないかなと思いました。

 お母さんに、「おっぱいを離してしまうとどうなのですか?」と訊くと、「泣きます」という返事でした。どうやら、泣く=子どもがふしあわせ=かわいそうという等式ができているようです。泣くこと自体が甘えで、泣くことで癒されてすっきりして、子どもにとってはしあわせなことなんだと話すと、そうなんですねとわかってくださいました。

 いつもおっぱいを飲んだばかりなのにほしがるので、ほんとうにおっぱいがほしいのではないのにほしがる、というお話なので、おっぱいでないなと思うときには、泣いてもちょっと待ってもらうといいですね、泣いて甘えたいときですからね、と話していると、さっそくEちゃんがおっぱいをほしがりました。来る前に飲んだばかりだから(近くにお住まいなので)、まだすぐにおっぱいでなくていいというので、では待っててもらう練習をしようということになりました。

 お母さんに抱かれると、Eちゃんはすぐに泣き出しました。「待っててね」というと一段と泣き声が激しくなります。でも、おっぱいを求める仕草はなく、泣きたい気持ちがあったんだ、泣くぞーというかのように、気持ちよさそうに泣いていました。それでも3分も泣くとお母さんが不安になられるようなので、少しずつにしようということでたて抱っこにして、落ち着いてもらいました。お母さんが不安になると、たちまち泣き方が苦しそうになるので、お母さんが不安にならない範囲がいいのですね。

 じゃあおっぱいにしようかと横抱っこにしたら、おっぱいより泣きたいのか、おっぱいを口に入れても飲もうとせず、泣いていました。そこでまたお母さんが不安にならない少しの間よしよしして、落ち着いてを数回繰り返したらすっきりしたようで、それからおっぱいをじっくり飲んでいました。時折かわいいべそをかきながら飲んでいて、お母さんはいかにも可愛いというように、頭をなでなでしていました。

 一眠りして起きてからのおむつ替えは、泣きながらも床に横になったままやらせていました。お母さんが泣かれても動じなくなっていました。そして2週間後においでになったときには、おっぱいのことは解決していました。夜も2回ほど起きるけど、おっぱいを飲むとぐっすり眠るようになっていました。泣く=泣いて甘えてくれている=幸せという新たな等式ができたのかな。

【断乳の頃の思い】

 子どもが1歳7か月の時に断乳しました。その頃自分の体調が悪くて、段々にやめる方向に、昼間の間隔を空けたり、夜のおっぱいをやめたりしていたのですが、寝る前の1日1回のおっぱいは続いていました。その1回もやめようとした時に、最後のおっぱいはすごく大事にしたいと思って、おっぱいマッサージに行っておいしいおっぱいにして、ゆったりできる日を選んで、最後の儀式となるその時を迎えました。「さあ、最後のおっぱいよ」と飲まそうとしたら、子どもは「くさい!」と言って逃げて行ってしまったのです。私は「え!?え~!」という感じで、とてもがっかりだったのですね。子どもはその後は1回もおっぱいのことは言わず、慰めの抱っこをしても反応なしだったので、この子にとっておっぱいはそんなもんだったのかと、さみしい気持ちがしていました。

 子どもが成長して、背丈がちょうど口がおっぱいの位置になったとき、誰もいないエレベーターの中とか、家でちょっとした時に、服の上からだけど、がばっとくわえてくるようになったのです。最初はなにしているんだろうと戸惑ったけど、ああ、断乳の時の気持ちからだろうとわかりました。

 断乳のその頃は自分がとてもつらい時期だったので、子どもはそうして協力してくれていたんですね。それがわかって、それだけ私のことを大好きで、私のことを思っていてくれたからなんだとわかったのですね。

 そんいう子どもの気持ちがわかって、あの時に言ってくれればよかったという気持ちもあるけど、今だから「ありがとう」とその気持ちを受け取れるけど、当時にわかったら、その時はほんとにきつかったので、ひどい母親と自分を責めるだけだったと思う。

 断乳からすごい長い時間だったけど、いいおっぱいの体験の思い出になりました。今でもおっぱいにかぶりついてくる時があるけど、遊びにしたりして楽しく付き合っています」

 こんなふうに、いつでもやり直せるのですね。

「育児の方向転換

 はじめまして。
 私は抱っこ法を知ってから、本当に今までの育児のやり方とは、全然反対のことや、考えもしない方法ばかりで、本当に驚きました。さっそく、娘との関わり方をいろいろ変えてみました。私はすぐカッとなる自分が嫌で、そうならないようがんばるのだけれど、爆発したり、その後、すごく落ち込むことがあり、すごくムラがあって、娘に嫌な思いをさせてしまう…と心配していたので、娘が何か感じていたなら、わかりたいと思いました。また、泣かれると困ったりイライラすることがあり、特に、抱っこ法を知る一か月前から、卒乳にそなえて、おっぱいをほしがるだけあげよう、としていました。本当にのみたいときはいいのでけれど、泣きたい時は、オッパイで紛らわせていることに気づいてしまうと、またまたオッパイの与え方の方向転換で、娘はすごく戸惑っただろうと思います。

 少しずつ泣かせていくと、今度は怒り始めてかんしゃくを起こすと、さわれない状態になりました。外でこれをされるとちょっと困ってしまい、慰めたいけど抱くこともできず、暴れられて、見るに見かねたおばさん(通りすがりの)から、「あっ、犬がいるよ」と気をそらす言葉をかけてもらい、一度は泣きやむものの、また大泣きで、「最近の母親はあやし方も知らない」なんて言われているだろうな、ってちょっと落ち込みました。その後も何度か、かんしゃくをおこしたとき、抱っこを試みましたが、うまく抱っこできず、抱っこしてもついには「おっぱい」に負けて、飲ませてしまいました。

 そこで、抱っこ法協会から近くの援助者を教えて頂き、教室に行ってみました。が、すぐには個別の援助を受けられないことになって、がっかりして帰ってきました。でもその日を境に、家ではなかなか進まなかった娘のトイレトレーニングが、家でも外出時と同じようにできるようになったので、娘も何かは感じているのだと思います。

 そして、自分の心境の変化を経て、なんとか、抱っこし続けることができました。ちょっとしっくりいかないところもあるのですが。抱っこしていると「おりる、おりる」と言うのはいつものことですが、抱っこに至るまでのダダこねに対して、自分の小さい頃の子だと思って話しかけてみようと思って語りかけていたので、怒りながらも娘から近づいてきました。

 ずっと抱っこしていると、「終わりがどこにあるのだろう…」と不安になってしまい、一度中断しました。すかさず「おっぱい」とやってきましたが、もう一度、抱っこし、歌ってみると、それまではなに言っても聞かないという感じが、すごく耳をすまして聞いているので、歌う口調で語りかけてみました。「ママが怒りすぎることあったね」「ママと、パパが、辛いことをかかえてることを知って、心配してたね」とか、いろいろ言うと、ギャーと泣いたり。でも反応して泣いているのか、判断ができませんでした。

 そのうち、おもちゃを見つけ、一人で遊び始め、「おっぱい」。「おっぱいで紛らわせないで、お話ししようね」というやりとりが何回かありました。突然、ケロッとしてしまったので、これは歯止めが再びかかったのか、すっきりしているのかどっち?とまた分かりませんでした。でも、ここまで泣かせてあげたことも、おっぱいなしで大泣きから立ち直ったことも初めてだったので、進んだのかも、と思いました。

 その後、一人で遊んでいるようすをみて、おとなびて見えることがあって、ドキッとして、やっぱりすっきりしているのかも、と思いました。

 自分が母に対して、こだわってきた出来事が、抱っこを知って、自分の内面から変化を始めてから、さっととけて、なくなってしまうということがありました。それは、『通信』38号の、『おかあさん、もうどこにも行かないで』と言う文章を読んで、自分でもびっくりするくらい泣いてしまいました。ああ、私は、甘えたかったんだと、と分かると、二十数年間こだわってきたことが、今では、それがなんだったのか思い出すには、考えなければいけないほどです。

 自分の心の変化、そして、夫に素直に、今私は助けてほしいと思っていることを伝える(それまでは、スネていました)。いろんな変化があっての、娘との抱っこの変化なのかもしれません。

 以上が、抱っこ法を知ってからの主な抱っこに関する出来事です。そして、今、私は、天心を受けてみたいと思っているところです。

「私の断乳挫折」

 春は職場に復帰するお母さんが多いせいか、断乳や卒乳についての相談が増えるように思います。今でこそそんなお母さんたちの応援をしている私ですが、実は私は断乳挫折の経験者なのです。ですから子どもの「おっぱい」連呼に挫ける気持ちがよくわかります。気を取り直して再挑戦したのは挫折後1年経ってから。娘はすでに2才5ヶ月になっていました。

 和く輪く舎に相談でお邪魔したのはその時でした。近所の小学生のお姉ちゃんたちの仲間に入りたいとキーキーウダウダ私に訴えるくせにいざ遊んでくれるとなると固まって「いい」と断るのくり返しで常に欲求不満な様子なのが気になって相談したのです。

 「あれ取って、いや違う、こっち」と親を動かしたがったり「この本読んで」と広げるわりには、ちっとも聞かずに次々と本ばかりを運んできたり、しょっちゅう「オッパイ」とせがんでも大して飲む様子もなかったり。

 今、思い返せば泣いてスッキリしたい様子がアリアリでした。自宅で抱っこ法をやってはみるものの何か今ひとつしっくりこないまま、泣き疲れて寝るので思いきって相談に行ってみようと出かけたのでした。

 「どうも娘さんは困ってるみたいよ」と抱っこ法の先生。「お姉さんになったらいいのか、赤ちゃんのままがいいのか どうしたらいいのかわからないみたい」娘は「暑い!、かゆい!汗!鼻くそ出た!」など私に抱っこされて、さんざん騒いだ挙げ句、先生の「困っているみたい」でワーンと泣き出しました。

 「何もかもお子さんに決めさせるのはかえって酷ですよ。最後の一押しはお母さんがしてあげないと」そうか断乳も共同作業なんだと私は思いました。私は自分の分まで娘に押しつけていたんだと思ったのです。娘はお姉さんになる一押しを私にして欲しかったのです。

 私が1年前に断乳を決意しておきながら挫折したのは、オッパイ無しで親子の絆がどうなるのか不安だったからです。もちろん、その時は「こんなに欲しがるのにやめるなんて可哀想」と思っていました。娘のためにオッパイを続けるのだと思っていたのです。でも、本当はあげないと不安な私だったのです。オッパイが手放せなかったのは私でした。娘はそれに付き合ってくれていただけなのだと、私はつい最近、気づいたのでした。

「断乳2日目の夜に」

〈第1信〉

 初めてメールさせていただきます。先日、先生の本をたまたま借りて読ませていただきました。

 その後、1歳3ヶ月の息子の断乳中、私にとっては心を打たれる事がありましたので思わずメールいたしました。息子には3歳半の兄がいます。

さて、息子の断乳1日目(土曜日)
 昼間は何とかハイハインやおむすびでごまかされ、クリアー。もともと昼間は保育園なので大丈夫でした。問題の夜、寝付きは30分くらい号泣しましたが、寝ました。いつも夜中の1時と朝の4時に授乳していました。夜中1時にやはり目をさまし、号泣。暴れる暴れる。体を反り返し、私を叩いたり蹴ったり、とても泣きやみません。私は私で、パジャマがおっぱいで濡れてしまい、おっぱいのにおいもプンプン。これじゃあ我慢しろっていうのも可哀想だなと思い、その時はあげてしまいました。

息子の断乳2日目(日曜日)
 昼間は昨日同様にクリアー。夜の寝付きも昼寝をほとんどしてないので、30分くらい号泣で寝ました。問題の夜中1時・・・またすごい号泣とともに暴れる。やっぱり泣きやみそうにありません。桶谷という母乳育児相談所の先生のアドバイス通り、「おっぱい飲みたいよね、辛いね、がんばってるね」等、息子の気持ちにそったアドバイスをずっとしていましたが、全然効き目ありませんでした。まだやめるの早いのかなあ、もっと先に延ばそうかなあと思い、今日もおっぱいあげようと思ったときに、ふと『心を育てる抱っこ法』で読んだことを思い出しました。

・・・抱っこしているとき体を反らせてお母さんから逃げるようにしたり、抱っこしていて目を合わせないようなとき、子どもの心にお母さんに対するわだかまり、不安(そんな言葉だったと思います)がある可能性があるから、それをおしゃべり出来ない子どもの変わりに代弁してあげましょう。そうすると、嘘のように泣きやんで寝てしまったり、素直になったりします・・・

 私は試しにと、思いつく限り言ってみました。
「おっぱい勝手にやめるってきめていやだった?」
→反応なし
「今日、トイレに長い時間こもって(おっぱい絞っていた)、待っているの寂しかった?」
→反応なし
「こけたの痛かった?もっとさすって欲しかった?」
→反応なし

「!」

 私はもう1つ思いついて言ってみました。
「○○が男の子だってわかったときお母さんがガッカリしたのが悲しかった?」
その瞬間、あんなに激しく泣いて、暴れていたのが嘘のようにおとなしくなりました。私は本当に驚愕してもう一度、
「お母さんが女の子欲しいって思っていて自分が男の子だったからお母さん僕でいいのかなって思っていたの?」
と聞いたら、しがみついてきました。そして泣き方が変わってシクシク泣き始めました。
「本当に!?そうなの・・・そんなことがあるの?」
と半信半疑になりながらも、泣きやんだのは事実なので、そのまま続けてみました。

「お母さん、確かに女の子欲しかったから、男の子だってわかったときガッカリしたよ。でも、実際生まれてきてくれて○○の顔みたら、やっぱり○○がよかったと思ったよ。男の子の○○が良かったよ」
シクシクからか細いフエ~ンに泣き方がまた変わりました。
「3人目ほしいって言っているのがイヤなの?女の子が欲しいからだと思うの?自分はいらないのかなと思ったの?」
と聞いたらまた少し反応。
「お母さんは3人目も男の子でも女の子でもいいと思っているんだよ。女の子が欲しいからじゃなくて子どもが欲しいから生みたいなと思っているんだよ。○○は男の子でよかったし、とても可愛く大事に思っているんだよ」
というと段々泣き声に寝息が混じるようになりました。

 でも、あともう一息という感じ。

「『おとうさんとおかあさんの大事な大事な○○くん、ゆっくりおやすみ』って○○も言って欲しかった?」
(↑これは兄が生まれたときから、兄には毎晩欠かさず寝る前に言っている言葉だったのですが、寝させるタイミング上、弟の○○には言ったことがありませんでした)

 そう私が言ったら、すうすうと安心したような顔をして寝てしまいました。もちろんおっぱいなしで。

 おっぱいを飲んだ後、いつも私と反対をむいて、布団からはみ出して遠くで寝ていた○○は、昨日は私の方を向き、寄り添うように寝ていました。そのまま朝までぐっすり寝ました。

 主人は横で見ていて、私が何を話していたかは聞こえなかったけど、急に大暴れしていた○○が泣きやんですうっと寝たのでビックリしたと言っていました。

 偶然かもしれませんが、私は胸がいっぱいになりました。こんなことが本当にあるなんて。○○がそんな風に不安に思っていて、それをおっぱいで何とか解消していたのかなと考えると涙が出てきました。

 今晩も、また一悶着あるかもしれませんが、○○が心にためている話を沢山わかってあげられたらいいなと思います。

 先生の本を読んでいなければ全く気づかないままだったと思います。一度で解消されるものなのかよく分かりませんが、不安になったらまた何度でも言ってあげようと思いました。

 ありがとうございました。


〈第2信〉

 断乳中の息子は、抱っこ翌日から、寝る際10分くらい泣きますが、暴れるほど泣くことはなく、すんなり寝るようになりました。夜中に起きても同じです。きっとすっきりしたのでしょう。本当に良かったです。ありがとうございました。

 断乳は母親にとっても辛いですし、おっぱいが恋しくて号泣しているのか、他の何かの不安を紛らわそうと泣いているのか判断も難しいと思います。このような体験でも皆様のお役に立てるのでしたら、ホームページに掲載してくださって、もちろん私はかまいません。

 下の子にかまっていると今度は上の子が寂しいのかおかしくなってきます(苦笑)。昨日は上の子を抱っこしてみましたが、「ねむ~い」と言って逃げられてしまいました。上の子の方が手強く、どういう風にとっかかりをもっていけば良いか難しいです。

 またご相談させていただくこともあるかもしれません。
 今後ともよろしくお願いいたします。ご丁寧にありがとうございました。

「断乳をしました」

〈第1信〉

 三週間前に断乳をした1歳7ヶ月(断乳時1歳6ヶ月)の男児のことで悩んでいます。親子ともども心に傷を作らないようにと思って、桶谷式のマッサージに通いながらの断乳でしたが、結果今は食欲はなく今までのような 元気がまったくありません。食欲に関しては、断乳直後より抱っこ法を試みた最近のほうが細く、最低限の水分とちょっと口にするだけで体を心配してしまうほどです

 3回くらい抱っこ法を試みているのですが、眠くなる前のぐずったときにやっているからか、15分くらいで落ち着いた泣きになって眠りについてしまいます。

 1回目は、彼がおっ ぱい大好きだった気持ちや、もっと飲みたかったの?という話をし、逆に私が彼のもっと飲みたい気持ちを知ってから、もっと飲ませてあげたいけれど、もうおいしいおっぱいが出なくて悲しい気持ちを話して、号泣してしまいました。その間彼が私をじっと見てくれて、私が癒された感じでした(その後抱っこですやすやと眠りました)。

 2回目は、1回目の気持ちを代弁したときは柔らかい泣きで、どうしてママはおっぱいやめさせたの?と代弁したらおお泣きでまた眠りました。

 3回目は、おっぱいの話でおお泣きだった後、妊娠後期に切迫流産で1ヶ月の入院生活のときの気持ち、彼があまり泣かない子だったためあまり気にかけてあげられず、お姉ちゃん優先だったこと、日頃から彼の気持ちに気づいてあげてなかった上に、彼の気持ちをわからずに断乳してしまったことを話しました。するとどれがどれだかわからないくらい、イヤイヤ!言って私から離れようとしました。結局泣きつかれたのかお昼寝しました。

 なんだか、いつになってもやわらかい泣きにならず、食欲もなく、これからどうすればよいのか途方にくれています。

 このまま抱っこ法を続けていいのか、眠そうなときにやらないほうがよいのか、彼の気持ちを癒すことができるのか、断乳による心の傷は癒されるのか、断乳以外に問題があるのか・・・自分の気持ちが悶々としてしまい、前に進めない気持ちです。これでは、彼も元気になれずに苦しむと思うと、何とかしたいのですが、動けません。少し助言をいただきたくてメールしました。


〈第2信〉

 お忙しい中お返事ありがとうございます。この一週間の報告をいたします。

 あまりに食欲がなく自分もどうしたらよいかわからなかっため、桶谷の助産士さんにお聞きしたところ、「母親本人が暗いからではないか、もっと子どもと遊ばせて貴方が元気出しなさい」とアドバイスいただいて、心がけました。なんとか前よりか元気になりましたが、まだ食べるのを拒否していました。

 メールをして4日くらいした日の昼寝のとき、また訴え泣きがあり、私が抱っこ法のようにどうなぐさめても泣き止まず、それを聞いていたパパとお姉ちゃんが覗きにきました。そこで、なぜかパパと私が「泣きたければ泣いていいよ」と言ってもべそをかいたままなのに、お姉ちゃんが声をかけると、反り返って「いやーいやー」と泣き叫びました。2回繰り返した後泣き止んで起きました。

 そんなことがあった次の日から、何故か普通に食べるようになりました。食べることを拒否する姿もなく、訴え泣くこともなく・・・・。

 それからは敢えて抱っこ法を行っていません。それからというもの、お姉ちゃんに負けないほどに主張が強くなり、今はママを放さない!という意思がみられます。

 今振り返ると、今までは彼の気持ちを考えるよりも先に、主張の強いお姉ちゃんに合わせてしまっていたのかなと思います。そこで彼はやりきれない気持ちをおっぱいを吸ったり、おっぱいを飲む二人の時間で消化していたのかな・・・と。その大事な役割のおっぱいがなくなったために、彼自身困ってしまったのでは・・・と。パパやお姉ちゃんにもそんな話をして、彼の気持ちをきちんと受け止めてあげることにしました。

 ・・・こういう解釈をいているのですが、どうでしょうか・・・。


〈第3信〉

 そうなんですね、お姉ちゃんに声をかけてもらえたことで、気持ちを訴えることができたんですね。私だけではどうすることもできなかったところを、彼女の力で彼を元気にすることができた、嬉しく思います。

 あれからはきちんと食事を食べてくれ、私も彼から元気をもらっています。まだ、遊びに出かけても「抱っこして~」が多いですが、いっぱい抱っこしてあげてのんびり見守ってあげようと思います。

 実はお姉ちゃんにも抱っこ法をしてあげなきゃと思っています。これからは、励ましの抱っこ等もう少し勉強して、娘と息子との心の距離を縮めていきたいと思っています。

 抱っこ法に出会えて本当によかったと思います。ありがとうございました。

「哺乳瓶にちゃんとさよなら」

 Wさま、3月に相談室でお世話になりましたSの母です。ずっとご無沙汰してしまいまして失礼しております。お元気でお過ごしのことと思います。

 おかげさまで、どうなることかと思っていました卒乳を無事4月にすることができました。ミルクはすんなり卒業できていましたが、哺乳瓶の卒業には少し時間がかかりました。「オミズブブが赤ちゃんの国に行っちゃったよ!!!」と大泣きして寝ない日々が数週間続き、余りに辛そうなものですから、ちゃんとさようならを言っていなかったのかもしれない、心の準備ができていないまま卒乳させたかもしれないと思いまして、「急にいなくなっちゃったかな?さよならしてなかったのかな?」Sに聞きますと、「うんうん」と言うので、「さよなら言いたいから一度戻ってきてもらおうかな?」と聞きましたら、また「うんうん」。

 そこで、哺乳瓶ににっこりマークを書きまして、「こんばんは。Sくん泣いてるんだってね。会いに戻ってきたよ。元気にしてるかなあ!」と渡しましたら、顔かパーっと輝きまして(ほんとうに輝くのですね~ああつらかったんだなと再度思いました)、「オミズ入れて!」と渡しますので、お水を入れてやりました。それは嬉しそうにチュチュチュチュと吸いました。でもすぐにもういいんだという風にテーブルに置いて遊び始めたので、私のほうが、え?もういいの???という思いでした。「もういいの?」「うん」「哺乳瓶さん赤ちゃんの国に帰るよ?」「うん」「さよならしたのかな?」「バイバイ」あっけないほどのさようならで、元気に遊んでおりました。

 30分くらいして、自分が置いた場所にふと戻ってきて、哺乳瓶がないのに気がついたのですが、「ないんだな」という風でまた遊びを続けていました。そばで見ていた私には、その様子は、哺乳瓶が居なくなってしまったことをSが受け入れているように見えました。その夜からは、オミズブブ!!と言って泣くこともなくなり、きっぱりと卒乳しました。すでに3ヶ月余りが経ちましたがときおり「哺乳瓶さん帰っちゃったね・・・」とは言うものの大騒ぎして泣くことはなくおしゃぶりで寝付けるようになりました。そして「ぼく赤ちゃんじゃないんだもの!」「ぼくおにいちゃんになっちゃったんだもの!」と言っては色々とチャレンジしている毎日です。毎日、ずーっと話をして歌を歌っています。

 見知らぬ子どもが近づいてくるのは相変わらず嫌がって泣きますが、知っているお友達とは遊んだりしていますし、彼の中で区別があるようなのでちゃんと育ってきているように思っています。今はおむつはずれも真っ最中です。一度、上手に大小共にできるようになったのですが、私とSが風邪をひき、一週間紙オムツにしていたらまた逆戻りです。でも彼の中にできるもんという自信はあるようで、今年中に、オムツがはずれればいいかなあと思いながらお世話をしている状況です。

 そろそろ一番気になっていた胎児のころ、出産時のことを聞いてみる準備ができたかもしれません。カンガルーの新生児とママカンガルーの写真を見て泣き出し、ヤダーと言うのでポストイットで目隠しして図鑑を見ていたりするのです。私が気にしすぎなのかもしれませんが……。抱っこ法行こうか?と聞くと、泣きそうになって「イヤダ」と言いますので、あ!何かあるぞと思っているのです。

 先日届きました和く輪く舎のお便りを、テーブルに出してあったのを見つけたり、抱っこ法の話をしたり、私がご報告のメールを送ったりしたせいでしょうか、今日は、Sはおしゃぶり(彼はこれをおっばいといいます)をなかなか口ににせず、ずっと触っていましたので、「Sはミッキー君のおしゃぶりが大好きだね」と話をしていましたら、「僕のミルクなくなっちゃったの?」「僕ミルクほしいな・・」と言っておりました。「お兄ちゃんにミルクいるのかな?」「飲みたいな」「Sライスドリーム(我が家では牛乳は飲まないので)飲んでるね」「うん」、これで納得したようでおしゃぶりをくわえました。なくなっちゃたのは受け入れたけどでもちょっとさびしい気持ちはあるんですね。
 
 私の心の中は筒抜けなんでしょうね。あれもしてあげたい、これもしてあげたいと思う私の心も筒抜けで、ママにそれをやらせてあげるために僕は一緒に居てあげようと思って、なかなか私から離れないのかもしれないなあと思った一日の終わりでした。子育てはたいへんだけど楽しいですね。忘れていたものを思い出します。もう一度Sくらいオープンで優しい心の状態に戻れるよう、天心にも参加できるといいなあと思っています。

 また近々お世話になりたいと思っております。
 暑い毎日が続きますが、皆様体調崩されませんようにご自愛くださいませ。
お目にかかれますことを楽しみにしております。

「母子でやり抜いた卒乳」

 先生お元気ですか。
 娘は2歳の誕生日を迎えました。それを機会に卒乳することができました。抱っこ法を知ったのは、よこはま自然育児の会の母乳に関する資料からで、アイコンタクトがとれないなど(飲ませているとき)気にかかることがあり、おっぱいで感情を押し込めていると心配になり、卒乳に関しても、抱っこ法を知ってからチャレンジすると効果があると知り、調べ始めたことが始まりでした。今は卒乳でき、ホッとして、そしてこの成長をうれしく思っているのですが、この手紙を書く前に、抱っこ法を知ってから現在まで、私自身どう心の変化があったのだろうとふと思い、日記を読んでいました。こんなことしていたの?としあわせに浸りすぎて忘れていた事件などを思い出し、ちょっと落ち込みました。

 そして、卒乳は、5日前に娘に知らせておいたのですが、日記を読み返すと、その前から娘自身におっぱいなしで何かやってみよう、という兆しがあったのかな…と思いました。娘はだいぶ抱っこしやすくなりました。パニック泣きも少なくなり、ストレートにえーんと泣いてくれることが多くなりました。

 年明けの事なのですが、主人の実家で正月を過ごし、家に車で帰る車中で大泣きが始まりました。おっぱいを飲みたいようすなのに、自分でダメだとおさえているようで、パニック泣きでした。「のんでいいよ」と言っても私から逃げ、座席の下に行ってしまう。飲ませた方がいいかなと飲ませてみても、服を脱がそうとするとキィーと怒り始めたので、抱っこしました。顔をひっかかれたり、髪をつかまれました。いろいろ話しかけてみようと思ったのですが、そんなことより娘の気持ちを感じようと思い、「そうか、そうか」と抱いた。いつもなら、ひっかかれるとカッとしてしまうのですが、このときは何をされても愛おしく感じました。そのうちおとなしくなってきたので、おっぱいのことかなと思い話してみました。「(おっぱいの)傷、心配だったね」「あまり飲めなかったね」うわっと泣く。「おっぱい飲んで変なのって言われたね。でもそんなことないよ。ごめんね、ママがおっぱいのことそんなふうに言わないで下さい、ってちゃんと伝えればいいのに、ごめんね。どうしても言えないんで。変じゃないよ」むすめはうぁ~んと泣くので、私も義母から言われてなにも言えなかったので、感情がこみ上げてきてうぁ~と一緒に泣きました。

 でもまだなんかありそう。あっ、昼のことだ。「パパとママ、ケンカしてびっくりしたね。○○ちゃんが悪いんじゃないんだよ」このことが一番泣きました。1時間近く続きましたが、家に着いてからも泣いていました。私たちのケンカのとき、娘はおびえてイスから落ちていたのですが、そう言うふうにこわがらせる、もっと前の深い思いがあると思いますが、この日はこれ以上わからないと思い、おっぱいを飲ませました。

 パパが戻り、ほっとしたようすで、元気になっていきました。パパは泣くのをきいていて辛かっただろうと思いましたが、「途中で○○がうわ~と泣いて、ホロッときた。ママもそれで泣いたんでしょ」と言うので、ちょっと違うと思いましたが、黙ってました。

 このことがあった2日後、私がいなくても、おっぱいなしで夜、パパと布団で先に寝てしまい、これ以後も、ちょくちょくパパと先に寝るようになりました。

 年末のおっぱいの傷で、片方しか飲ませられなくなり辛かったのと、虫歯ができはじめたのが気になっていたのと、やっぱり次の子が欲しいという思いから、2歳で卒乳させようと決めました。娘に話すと、納得したようなしてないような感じでした。「あと5日で、○○は2歳になるよ。サークルでハッピーバースデーして、ばあちゃんたちともケーキを食べてハッピーバースデーして、そしたらおっぱいさよならね」そう話した日からすごくおっぱいを欲しがり、できる限り飲ませました。

 そして誕生日の前の夜、ビエ~ンと泣いて起きるので、抱っこしました。するとしばらくして、「ハッピーバースデー」と言っているようなので、「ママ急にさよならしようねって言って、びっくりしたかな」と言ってもあまり反応がなく、「ハッピーバスデーして、ちゃんとおっぱいにさよならできるか不安なのかな」というと、わぁ~と泣きました。「心配だねー。好きだもんねー。ママもできるか心配だもんね」しばらく泣いて、「おっぱい」というので飲ますと、落ち着き眠りました。

 誕生日当日は、サークルのみんなに祝ってもらいうれしそうでした。そして、二人きりになり、おっぱいを飲ませ、「さよならしようね」と言って、おっぱいに絵を描くと、「アンパンマンだ」としばらく見て、おっぱいにチュッとしました。チュッとしたり、喜ぶと成功すると聞いていたので、ちょっとほっとしましたが、援助者に相談に行ったとき、「どういう断乳をめざしてるのか」ときかれて、「子どもがスッキリして、絵などをかいて、それを喜んで、ほのぼの幸せにさよならしたい」と伝えると、「そんなふうにはいかない。辛いものです。抱っこし続けられますか」と言われていたので、そのことが頭に浮かび、心配になりました。どうしたい、ときかれたので理想を言ったのですが、現実をみてないと思われたのかな、などと思っていました。

 その日の夜中も、それまでは2、3回飲んでいたので、同じように起きましたが、覚悟していたより、話にきいていたより楽で、泣いても抱っこすれば泣きやんだり、トントンと肩をたたけば自然に寝ていきました。

 次の日は、別人のように一人で楽しそうに遊び、寝ました。たまに「おっぱい」と言っても、アンパンマンをみせると、「チュッ」として「ないない」としまいました。

 そういう娘の姿をみて、本当に今まで頑張ってよかった、無理やりやめさせないでよかったとじ~んとしました。おっぱいをやめること=辛いではなく、成長を感じられる節目になったこと、娘自身にも自信になったのでは……。子どもってすごいなあ、と感動の連続でした。今までのおっぱい生活をふり返り、おっぱいをめぐってのやりとりで、私が娘に謝りたいと思っていたことも、そうであるしかなかったのだと、温かいほほえましい思い出に変わりました。娘の中に、何か思うことがあったとしても、「そうか、そうか」ときいてやれそうです。

 卒乳を計画するに当たり、援助者のところで抱っこを経験した方がいいのかと、何度も考えました。「断乳することが決まったら連絡下さい」とのことだったのですが、おっぱいをやめる当日なのか、ちょっと前なのか、いつがよいのだろう、ともやもや考え、結局行かずに終わりました。終わってみて私は、とにかく不安が大きかったんだなあと思いました。いろいろありましたが、これでよかったように思います。自分自身でやり抜く決心が大事ですね。

 長くなりましたが感動にウズウズして、いっぱい書いてしまいました。読んでくださりありがとうございます。

 新しい年を迎えて、お忙しい日々を送られていることと思いますが、お体大事にしてお過ごし下さい。

「Rとおっぱいの741日」

 とにかくおっぱいの大好きなRでした。明けても暮れてもおっぱいでした、抱っこに出合うまでは。
 おっぱいを飲ませまくっていたのには、わたしなりのワケはあったのです。わたしのところに来てくれた小さな尊い生命にとって、わたしは世界の代表だから、求めれば与えられるという世界観を彼が築いていくために、と。赤ちゃんの頃は泣く度に、動けるようになってからは飲みに来る度に………疑問の余地など皆無でした、抱っこに出会うまでは。
 
 忘れもしない11年11月11日、初めて和く輪く舎のドアを押し、大切なおっぱいを「本当に飲みたい時に」「おいしく飲むために」、おっぱいを逃げ道にしないことを秀雄先生に教えていただきました。退屈なとき、痛かったとき、悲しくなったとき、Rはおっぱいに逃げることなく、きちんと自分の気持ちに対峙して、そしていっぱい泣くことができるようになりました。
 秀雄先生ありがとう!おっぱいも抱っこも上手に(?)なったし、よしっ、末永くおっぱいを飲んでいこう!やめる理由なんてひとつもないよね。(でもまさか、中学生になっても飲んでるってことはないよね。)………疑問の余地は皆無でした。

 2000年1月の抱っこ。もしもRが「おっぱいにバイバイしてもっとおにいちゃんになるぞ」という向上心をもつことがあるとすれば、その芽を摘み取ることはするまい。と、インプットする手助けをしていただきました。そしていっぱい泣きました。泣いたのは私。「やだやだやだよう。Rがおっぱいバイバイするなんてやだやだ。絶対にいやだ。Rにおっぱいあげるの大好きだもん。バイバイされたら寂しいよう。」………井村先生とRに抱っこしてもらった暖かいひとときでした。

 井村先生ありがとう!R、お母さんは、おっぱいがなくてもRのお母さんだし、Rがおっぱい飲まなくても大丈夫よ。………でもまあ、そんな日が来るとしても、遠い遠い未来のことだわね。Rはまだまだチビッコだし、おっぱい大好きな甘えん坊だもの。 目が覚めるか覚めないかの、とろとろとしたまどろみの時………Rが勝手におっぱい出して飲んでいる………それがいつの間にかふざけっこになって、一日の始まりだ!普通に流れていく普通の日常。Rにひと声かけて洗面所に行く。用を済ませて出ようとすると、外からバタンと扉が閉められた。そおっと開けるとRが泣いている。泣きながら扉を閉める。「ダメ。ママ。バイバイ。」………「え?」

 部屋に戻ろうとするわたしを、2歳になったばっかりのチビッコが全身で拒否し、押し戻そうとしている。「抱っこだ!」 「ママ、バイバイ。オッパイ、バイバイ。」………動揺して頭がグルグルする。ごめん、夕べビール飲んじゃったんだ。「今朝のおっぱいまずかったよね、ごめんなさい。これからは気をつけるね。」「ううん。オッパイ、バイバイ。」………グルグルする。まずかったって教えてくれてるんじゃなくて、もうずっと飲まないの?おいしくて、大好きなのに飲まないの?おいしくて、大好きなのに飲まないの?」「ウン、オッパイ、バイバイ。」………グルグルする。そんなこと言ったってまた飲みたくなるに違いない。ちょっと言ってみただけだろう。第一ねんねの時はどうすんだ?!

 ストップ!グルグルはストップ!Rの向上心だ!わたしが潰してどうする!「わかったよR。話してくれてありがとう。Rはもうおにいちゃんだからおっぱいは飲まないんだよね。すごいね自分で決めて。」内緒なんだけれど、正しかったかどうか定かではないけれど、それからもう一回だけ飲んでもらいました。だって、あのふざけっこのおっぱいが最後だなんて、悔いが残りそうだったから。その気持ちを丁寧にRに話して、2年前おっぱい用に作ってもらった揺り椅子を部屋の隅から出してきて、大切に、静かに飲みました。厳粛で豊かで幸せな、密度の高いひとときでした。

 「もういい?」「うん」「ありがとうR。おっぱいにありがとする?」「うん」
 ちいさなかわいい指をそろえ、そおっと優しくなでて、「ありがと」してくれました。ああ、本当に訣別したんだな。2000年5月13日、2歳の誕生日から10日目の出来事でした。
 
 とにかくよく泣きました(わたしわたし。わたしの方)。田舎の家では大家族の中で暮らしているし、保育園にも通っているからずっと気が紛れるおだろうに、よりによって東京の家にわたしとふたりで戻っている時に………田舎の家でも大威張りでのびのびと過ごしているけれど、さすがにここまでオトナのわたしが声を上げて泣きまくったら、家族も困り果てただろうし、わたしだって少し控えめにしていただろうと思う。まわり中のオトナ達が、よってたかって気晴らしに努めた………かも知れない。やるじゃんR!ちゃんと計算してたな。
 
 後日、芳子さんが「どんな涙だった?」と訊いて下さって、思い起こしてみたんだけれど、「寂しい」というより「幸せだったなあ」という感じ、Rはスゴイ!って尊敬する気持ち、世界中に声をふりしぼってみんなに伝え、感動を共有して欲しい気持ち。言葉にするとそんなふうだったのではないかしら。飲みたいのに飲まないRの辛さにシンクロしてもいただろうし、乳児だった自分が泣きたかった分まで泣ききった気もするし、きっと、もっとゴチャゴチャしていたけれど。「別れ」そのものの辛さももちろんあったと思う。
 
 田舎の家に帰る日が迫っていたのだけれど、おっぱいの手当の都合などで、もう暫く東京暮らしを続けることにして、それはRとのハネムーンのようでした。新しいRとの新しい関係を築いていく緊密な一週間になりました。ふたりで暮らしているから、おっぱいが「いつも」「すぐそこ」にあって、いやでも「おっぱいのない新生活」を意識せざるを得ない。そこにふたりできちんと直面して、わたしがわんわん泣けばRがよしよししてくれて、Rが泣けば抱っこして、抱き合って一緒にいっぱい泣いて、思いっきり嘆き悲しみつつ、ゆっくりと、どっしりと、落ち着きがやってきました。不安だった「夜」も、二日目からはぐっすりじっくり眠ることがでいるようになり、早くに断乳を勧めてくれた人達の根拠の一部が納得できました。
 
 この素晴らしい出来事を味わいなおすだびに、抱っこに出会うことができた幸運を思わずにはいられません。和く輪く舎に寄らせていただく度に、先生方から、Rから、わたし自身から、ステキな贈り物をいっぱい受け取って、そのひとつひとつが積み上げられて、こうして実っていく。それは、日々の生活の積み重ねも、同じなのでしょうけれど。Rとコミュニケーションする術、Rの(そして自分の)気持ちに心を傾ける術、感情を解放してゆく術を下さって、ほんとうにありがとう、ありがとうと、おおきなおおきな大いなる存在にも心を向けて、感謝を捧げずにはいられません。

 そして、素敵なおっぱいライフを実現するために惜しみなく力を貸してくださった沢山の大切な方々と、懐の深い家族達、大好きな龍眼(わたしの夫)にも、ありがとう。管理のずさんなおっぱいを、いつも喜んで飲み続けてくれたRにも、ありがとう。頑張ったわたしにも、ありがとう。

 赤ちゃんから子どもへ、見事な成長を遂げたRとの暮らし………「実り」が見え易しいことばかりではないだろうけれど、彼への畏敬の念を胸に刻みつつ、仲良く楽しくやっていきたいなあと思っています。

 ところで、おっぱいとの訣別を果たしたかに見えたRですが、最近「おっぱいずき」なんですよ。「おっぱいスキスキ」をしたり、夢見が悪いとさわりにきたり、「飲む」以外に考えられる全ての事をしているかも知れない。………まさか、中学生までやってるってことは、ないですよね。

「おっぱいが病気で痛い」

〈第1信〉

 I先生。先日はお忙しい折、お世話になりました。帰路、あれだけ泣いてあばれたのに不思議と元気でごきげんな娘。私の気持ちを代弁するかの様に「またこようね」と。これまで私にしか出来ない“授乳”という行為にしがみついていた私ですが「抱っこ法」に出会え、先生と娘に教えられたことで少し自信を持って、また、娘にとっても“体を痛めてまでの授乳は問題”ということ納得出来たので、15日当日からおっぱい卒業としてしまいました。

 で、、、、結果は、、、、、大騒ぎになるかと思いきや、「おか-ちゃんだいじょうぶ?」「夜のどがかわくから豆乳おいておいて」と言って、2人でぎゅ~~~っと抱き合って寝てしまいました。深夜に目が覚め、涙が止まらなかったのも母親の私だけか、やはり私のために飲んでくれ、抱っこしていてくれたみたいです。虫歯をきっかけに断乳を試みたものの、大泣き、大暴れだった数ヶ月前とはウソのようです。先生を通じ娘自身の気持ちを分かちあえたことで幸せなおっぱいライフの幕をおろせたこと、深く感謝しています。今後ともよろしくお願いします。


〈第2信〉

 先日はありがとうございました。直後コーフンσσしてハガキを書いてしまったのですが、その後いろいろありまして、アドバイス頂けたら…と思い、FAXさせて頂きました。

 「おっぱいが病気で痛い」と言った為、「早く治してね。治った?」と毎晩聞きます。なんて答えたらよいのか??? いつも「未だなの」といって期待させてしまいます。ちょっぴりお姉ちゃんになったから、おっぱいはもう必要ないといったこと言いますと、悲しい顔で「ほしい、ほしい」「離れたくない!」と申します。私のゆらぐ気持ちを見透かしているようです。昼間はいっさい言いません。寝ぎわと、寝起きのみ、「飲みたい~」と言いますが、いつも私がもずもずしてしまいます。それと、娘ストレス&栄養失調で、ビタミン不足とか全身に湿疹が出てしまい、病院通い、それもこれで良かったのか…と、時々私が思ってしまいます。ちゃんと食べているのですが…。


〈第3信〉

 I先生、お世話になっております。その後の報告をさせてください。
 やはり、私の心情を察して、「おっぱい~」と言ってくれていたようです。「治った。元気になったよ」と言ったら、「よかったねー。おっぱい治ってねー」と言って、さすってくれて終わりでした。ビックリ!! 以来、夜も含め、全く「おっぱい!」と言いません。

 それからというもの、ぐ~~~ぐ~んと成長して感じで、自分でも「○○たん、お姉ちゃんになったからねー。なんでもできるよー」というのが口ぐせで、その言葉通り、“赤ちゃん”でない娘の姿に、私もようやく、みれんでなく喜びを感じ得るようになりました。

 先日、卒乳後のおっぱいケアに、助産院で40分マッサージを受けた時、娘は一人別室でイスにすわり、待っていてくれました。母にあずけようとしたら、「おかーちゃん、○○たんが一緒に行ってあげる。みていてあげる」って。痛いおっぱい(←本当は痛くない)を抱えた母をほっておけないという感じでした。母子逆!! 

 その後、「一人でちゃみちかったのよー」と言いますが、「○○ちゃんのお陰で元気になったよ。一緒に行ってくれてありがとう!!」と言うと、満足げ、何回かそのやりとりをくり返していますが、娘自身もお姉ちゃんになったという自覚のめばえた経験の1つだったようです。

 先生ありがとうございました。 又何かの折、よろしくお願いします。

「おっぱいやめれば何とかなる!?…」

 急にあたたかくというよりあついくらいの陽気に、桜もびっくりして一気に満開になってしまいました。今はその反動で寒いくらいですが、開花した時にちょっと寒いくらいな方が、花をゆっくりたのしめたのになーと少し残念です。

 この4月、我が家は忙しい月でした。長女の入学と二女の入園が重なりました。式自体はおごそかに終わりましたが、特に長女の小学校は親として初めての事で、心配なことがいっぱいで、日々落ち着きません。式の次の日、長女は死んだようなボーっとした顔で帰ってきました。あーやっぱり…。その日は私もドキドキしていました。帰ってきてから特に抱っこするでもなく、ただ長女に合わせて過ごし、昼寝をさせ、夕方くらいには元にもどったでしょうか。ちょうど土日をはさむことになったのでゆっくりさせ、そして私自身も泣いてすっきりさせました。そして次の週、わりとニコニコして帰ってくる様になりました。

 私は小学校時代(~学校生活全般かな)にあまり良い思い出がなくて、集団登校のお兄ちゃんがこわかったり、おとなしい子だったのでなかなか友達がいなくてさみしい思いをしたり。長女は私と似たタイプなので私と同じになったらかわいそうだ…と心配でした。その土日の間、自分のさみしい思いを泣いていたら 少々すっきり、ふっきれ、長女も元気を取り戻した感じです。

 でも、今は一番下の息子の事で私はパニック状態です。何かつらい思いか、聞いてもらいたいことがあるんでしょうね。朝起きれば着替えはしたしくない、二女を送って帰ってこようとすると外で遊びたい、中に入りたくない、何から何まで素直に事が運びません。私もこういうわけだからこうしてね、と話して出方を待つのですが、一日中そればっかりで、しかもだからといって言う事は聞いてくれないので、イライラ…。抱っこしても何が原因か私もさっぱりわからず、最後の切り符、おっぱいでおわり…です。もうおっぱいは歯止めです。本当は春休み中に断乳する予定でしたが、まさか察したのか中耳炎になり、なおりかけに水ぼうそうになり、GWあけに断乳できれば…と思ってます。息子のぐずぐずには体の調子が悪いこともあるとは思いますが。阿部先生の「『大好き』を伝えあう子育て」を読んで、考えて、泣こうと思ってます。私に原因があるのかな…。本の中に、「子どもに怒ってはいけないと思い、別の部屋で新聞紙をたたいていたら、自分にこれほどの怒りがあったとは」という文があります。20代前半の頃、よく母とぶつかり、思いが通じないとじたばたふんで(自分の部屋で)あたり散らしてました。私も怒りをかかえていたんだなーと。何に怒っていたのかしら。本にあるようにスーッとした覚えはなく、泣きさけんで終わりだったと思います。

 ここからは上記の4・5日後です。
 息子ですが 私がパニックに陥り、「もう今日でおっぱいおしまい!」と断乳宣言しました。私の頭の中には 断乳してしまえばなにもかもうまくいく、おっぱい=歯止めさえなくなればなんとかできるという考えがずっとありました。だからGWあける前、水ぼうそう直ったばかりでも大丈夫!と思いました。ところが息子はいつまでたってもおっぱいを求めてくるのです。泣きました。おっぱいに絵をかいて見せました。でも何かあるたびにおっぱいを指さし、そのたびまた泣いたり、おっぱい見せてがっかりしたり、あーなんか違う。まだ息子にはおっぱい必要なんだ。育児書には、1才を過ぎしっかり歩ければ断乳OKとありましたが、この人にとっておっぱいは心のよりどころなんだ…。息子に「おっぱい飲む?」と聞くと喜んでタオルを持ってきました(おっぱい欲しい時にいつもタオルをもってくるのです)。おっぱいの絵を見ると飲めないのでかくして、勝ちほこった顔して飲んでました。「左のおっぱいも飲む?」と聞くと右の方をはなし、左の方をくわえた時は二カッと笑ってました。

 あー断乳やめてよかった…。おっぱい飲ませながら思いました。息子は息子なりにさみしかったのかな。おっぱい飲む時が私を独占できる時だから。でもおっぱい飲んでいても私は息子の顔を見るというより、上のお姉ちゃん達と話したり新聞読んだり。これじゃさみしいですよね。今日からは求めてきたらおっぱいをやり、今までの事をあやまりました。そしたら朝はちゃんと着替えてくれるし、エプロンして食事してくれるし、「今日は寒いから外で遊ばないで中にいようね」と言ったら「外行くー!」と言いませんでした。お姉ちゃん達は外にいるのに…。ホントにホントに!子どもはお母さんに“愛されてる”実感がないとダメなんですね。相変わらず甘えんぼうでベタベタしてくるけど 前のような苦しい感じはありません。話せればわかってくれるし、私も“大好きだよ”と言ってるだけで、心や目が本人からそれてる事に気づきませんでした。

 断乳には失敗し、そのおかげでつらい思いもしたけど、おっぱいのおかげでいろいろ気づいてよかった。おっぱいやめればなんとかなるとおっぱいのせいにいろいろしてたけど、息子にしてみればいろいろあって、おっぱいなくては落ち着かなかったんですね。その時々に初心にかえり、『「大好き」を伝えあう子育て』を読まないといけないなあと思います。読んで少し落ち着き、心が息子に向いていってたと思います。“断乳”を強行してしまったけど…。
 GW後半 寒い日ばかりで 外遊びができません。早くあったかくなあれ!!

「娘の断乳」

 9月10日、娘の断乳の日となりました。10日ほど前より、ちらほら、「おっぱいバイバイしていいかな」と聞いたり、カレンダーを見ながら、「この日が来たらおっぱいバイバイしてもいいかな」と問いかけたり。娘は「いいよ」と明るい返事。カレンダーを見て指さし、「おっぱいバイバイ」と自分で手を振ったりして、あまりの明るさに、どこまで分かっているのか疑わしい感じでした。

 私の方は、先生のところで断乳の日を娘と約束したにもかかわらず、あとわずかなのだから、おおらかに、ゆったりおっぱいをやればよかったのですが、なんだかやっぱりつらくて、娘をあたたかく抱いてやれない自分がありました。娘もそんな内心の私の状態を察していたのでしょうか。だからあんなに明るく「バイバイ」なんて言えたのかな、と思ったりしているのですが。

 へその緒を切ることも、おっぱいを絶つことも、おとなの私にとっては、それほど大きなことではなく、気にしなければ、無造作らやってしまえるものなのですが、赤ちゃんや子どもの側に立って、そのことをどう受け止め感じているかを、感じ味わうと、本当に気づかなかった子どもの気持ちに、ハッと目が覚めるような思いで、出会うことになるのですね。

 7月に芳子先生と娘を抱っこして、そのことを実感として感じることができました。初めて、その日に、娘に断乳のことを話してみたのですが、芳子先生が「おっぱいやめるのいやだよ」と、娘の気持ちを代弁して語りかけると、その度に、呼応するかのように、大声で、全身全霊で泣いていた娘。何度先生は、その言葉をかけてくださったか……。

 娘の泣きの激しさは、とどまることがないかのごとく、本当に本当によく泣きました。その娘の姿を見て、娘にとって、このおっばいが、どんなに大事なものであるか、そう、実感としてつかみとることができました。「そうか、娘は、おっぱいのこと、そんなに大事に思っていたんだ!」と。

 芳子先生がしてくださったことを思い出して、同じように、娘の気持ちを代弁するように、「おっぱいやめたらいややねんよね」と言うと、やはり前と同じように大声で泣き始めました。でも、泣きながらも、決して、それまでのように、私の服をさぐりあげておっぱいに吸いつこうとはしませんでした。そして、やがて泣きがおさまると、「おっぱいほちい!」という言葉が、「お茶ほちい!」に変わりました。

 一週間は、食事が終わった後のおっぱいや、夜寝る前のおっぱいの時間になると、よく泣きました。阿部先生が、こんな時は泣いて当然。泣かない方がかえって問題なんだよ、と教えて下さったことで、娘の泣きにつきあえたんだと思います。もしこのことを聞かされていなければ、抱っこ法に出会っていなければ、娘の泣く姿にうろたえ、またイラだち、そして、ああこれは断乳の日をまちがえたのだと思って、ひるんでいたように思います。そして何より、娘の本音にふれることができなかったと思います。

 泣いて泣いて、大泣きする娘をみて、『つらいよ、お母さん!』と、私に本音をぶつけてくれることがうれしく、「ああよかった」と思いました。

 それは、娘が自分の本音はここにあるんだと、泣きながら確かめられているような気がして、そして、お母さんなら、私の本音分かってくれる」と、私を信頼してくれているような気がして。

 思えば、私のこれまでの悩みの根源は、自分で自分の本音が何なのかを、見失ってしまったことにあるように思います。本当は一体何を求め探しているのか、それがわからなくて、何をしてもこれもちがう、どこにいてもここじゃない、あそこでもない……と、自分の気持ちのしっくりと落ち着ける場のなさがありました。自分の本音を確かめられることを導き、ひきだしてもらえるような人や事を、探し求めていたように思います。

 そして、どうして自分のことなのに、これほどわからなくなってしまったことか。娘をさずかり、育てさせてもらう中で、又、こうして抱っこ法に出会えたおかげで、その因果関係が少しずつ見えてきた気がします。

 泣き様が少しおさまりかけて、先生が、「おっぱいバイバイするのいやだけど、大好きなカーカン(お母さん)が言うことだし、バイバイしてもいいかな」「おっばいバイバイしても、カーカンはどこにも行かないよ。おっぱい見たってさわったっていいんだよ。おっぱいもどこにも行かないよ」「おっぱいバイバイする日を今決めていいかな」と語りかけてくださいました。その時の娘はもう、「イヤだ!イヤだ!」という感じではなく、泣きながらもどこかで、そのことを受容しているような気がしました。そして、泣き終えた後、娘のすがすがしい表情!

 そして、その日をさかいに一皮むけたように、娘の表情がすっきりしたような気がしました。このことが、私が断乳に向かう、大きな支えとなり、確信となりました。

 大事なおっぱいだけど、バイバイしても、お母さんはずっと娘のそばにいるし、バイバイすることのつらさの中に、ひと山越えて成長していくことの喜びも、又必ずあるはず。ちょうどひとり立ちしていく歩き始めた頃の、あのうれしげな姿の中に感じた喜びを、娘もどこかで感じているにちがいないと思えるようになりました。

 おっぱいの絵を描いて断乳しようかと思いましたが、娘の大好きなおっぱいが、急に姿形をかえたことを、娘がどう感じるのか、私にはちょっと予想もできず、何だか抵抗を感じてしまいました。そんなわけで絵は描かず、最後のおっぱいを飲ませて、話してみました。「○○、これでおっぱいはもうおしまいよ。もうつぎから、おっぱいのむのはもうおわり。だから、いっぱいおっぱいのんで、バイバイしようね」と話しました。娘は「おしまい」というより、「いっぱいのんで」ということの方がひびいたようで、「いっぱい!」と自分で言いながら、うれしそうに飲み終え、その時は、何でもなく終わりました。

 ですが、夕方になって、おっぱい恋しくなった時、私が「もうおしまいよ」と、服のすそをおさえた時、初めて悲しそうに泣き始めました。

 先生が、「心の傷」は本音がストレートに訴えられなくなったことから起きる。体験自体が辛いのではなく、それにまつわる思いを閉じこめてしまっているから辛い。泣きたい気持ちに歯止めをかけることから心の問題は起きる、と教えてもらえたおかげで、その大泣きする娘から逃げ出さず、向き合える自分になれたことの喜びはひとしおです。

 「○○、大きな声で泣いていいよ。泣いて、ちゃんと自分の本当の気持ちがどこにあるのか、自分のありかを確かめてね。そして、お母さんには、ちゃんと本当の気持ちをぶつけてね」と娘に祈る思いです。そしてその祈りがかなえられるような私自身であるために、私も自分の本当の気持ちに少しずつ、出会っていけるように、と思います。

「お姉ちゃんらしくなりました」

 こんにちは。すっかり寒い時期になってしまいました・・皆さんお変わりありませんか? 新刊が15日に出ましたね。ぜひ読んでみたいと思っています。

 セッションをお願いした日から随分たちました。おかげさまでお腹の双子ちゃんの方は5ヶ月に入り、二人とも元気に同じペースで成長しているようです。まだ5ヶ月なのにすごいお腹になってしまい無事10ヶ月までしのげるか今後の不安でいっぱいですが、なんとか勤めもこなしています。

 今回のセッションでKちゃんにお願いした断乳ですが、セッションの日からすっかり乳離れしお姉ちゃんになっています。おっぱいも飲みたがらず、困った事にはなっていません。お風呂などでおっぱいを見ても、懐かしむ感じで「おっぱぁい♪」とニコニコしておしまいです。休みの日などは、わたしがパジャマでいると、甘えてきておっぱいを触ったり眺めたり時にはペロリとなめてみたり・・それはそれは可愛らしいです。

 そして、随分とお姉ちゃんらしくなりました。本人の口癖が「お姉ちゃんなんだから・・」とか、将来何になりたい?の答えが「お姉ちゃん」とか、自分でなんでもやりたい意欲マンマンです。チチとも仲良しになりました。これは夫自身が、次の子ができた事でKに寂しい思いをさせないように・・と気持ちを切り替えた事が大きいのかもしれません。

 双子だと、出産前に入院・・なんてこともあり得るそうなので、娘離れできていなかった私にとって心配な事でしたが、夫と娘を見ていると、私がいなくてもなんとかなりそうだ・・と(少し寂しいですが)、「二人任せ」にしても大丈夫かも?と思えてきます。

 私自身の事ですが、セッションの時に芳子先生に、「子どもの考えている事はすべてはわからないものよ」と言われた事が、ずっとずっと心に沁みています。お話を聞いたときは「えーー、分からなくていいの?そんなことでいいの?」と少し戸惑いましたが、その後のKの様子を一歩引いて見ているうちに、あの言葉の意味がわかってきたようです。

 どう言葉にしてよいやら(・・文才がないのが悔しいのですが)、今までのわたしは、何か気にかかった事があると・・「抱っこしなきゃ! 原因は何かしら? どうにか気持ちをわかってあげなくちゃ!」と躍起になっていたのかもしれません。Kはそろそろ2歳9ヶ月。言葉も記憶も達者になってきている娘にとって、母であるわたしが辛い思いをしていることが・・気にかかっている状態そのものが・・イヤなのかなぁ~?

 先日も、着る服で揉めたのです。娘はお気に入りのスカートをはきたがっていたので、「スカートだけでは寒いからズボンも履こうね」と納得したのに、スパッツはイヤ。じゃぁこれは?~イヤ。じゃぁこっちは?かわいいよ~イヤイヤイヤ! スカートの下にモコモコのズボンを選ぶんですもの。一時はそれでも履かせて、履きにくい事を自分で感じればいいや・・とも思ったんですが、何故かこの日のわたしは引き下がれませんでした(おとな気ない・・)で、新しいズボンを見せ、「スカートはやめてスボンにしよっか?」と提案。本人も「やったー!」とウキウキ。まだ洗濯していなかったのでタグを取ってあげ、いざ履こう!というところまで行ったのですがまたイヤになったようで、ふくれっつら。

 ここでわたしもキレてしまい、「あれもこれもイヤなら仕方ないねぇ~。お母さんはお腹が空いて腹も立つので朝ごはん作るから・・」と台所へいきました。しばらく素足のままゴロゴロしていましたが、自分からズボンとスカートを抱えて台所へやってきました。どうしたの?と目を見ていたら小さい声で、「おかあしゃん、これ履く」とやっと言えました。ゴロゴロしている間、自分で考えたんでしょうねー。結局おろしたてのズボンを履きました。

 そっか、これでいいのかな?と思えてきました。これから双子も産まれるとしばらくは戦争の日々だそうです(双子のママ談)。実家の母の手伝いも得られそうにありません(あぁこれがまた問題なのですが・・悲)。「言葉で気持ちを伝える癖」を徐々につけている娘や、「家族っていいなぁ~」と思い始めている夫に助けてもらいながら乗り越えて行けたらいいなと思っています。実際どうなりますか?ご期待ください(笑)。