相談に行って

相談に行ったとき、行ってからの体験談のページです。

相談に行って
「抱っこに出会えて本当によかった!」
「穏やかな波の中」
「不思議な体験」
「阿部先生へ」
「癒しの子育てネットワークの皆様」
「初めてセッションを受けて」
「『母』」になれた気がする」
「スネた気持ち」
「抱っこのあとに」
「『抱っこ法』って何?!」
「やっとの思いで相談室に行って」
「今を大切に」
「勇気を持って連絡して」
「初めての個別相談」
「やっとここまで来たのかな」
「『うんうん』とただ聞く」
「これが私たちの流れ」

抱っこをいやがる
「大切だもの離さない」
「行き詰まっていたのに」
「久しぶりの‘赤ちゃん抱っこ’」

日常に生かす
「言い合える日々は幸せ」
「気持ちを分かってもらえるのってうれしい」
「プチ抱っこのチャンスはこんなところに!」
「~しようね」
「悲しかったの」
「自分に快適なもの大切なもの」
「みんなで抱っこ」
「いないと思ってごっこ」
「手のひらと手のひらが丁度いい感じで」
「3人が幼稚園に入園してから」
「絵本『しゅくだい』との出会い」
「混乱から嬉しい抱っこへ」
「それくらいのことで親子の絆は…」

親から親へ
「抱っこの話をしています」
「今日はダメでも明日があるさ」
「みんなに伝わって」

「抱っこに出会えて本当によかった!」

 阿部先生、芳子先生へ
 いつもありがとうございます。私が“抱っこ”に出会ってからまだ6ヶ月ぐらいしかたっていませんが、ずいぶん通いつめてますよね・・・(抱っこと天心で)。

 当地に引っ越してきて、誰も知らない土地で、不安で、不安で、「誰か助けて!また何も出来ずに泣いてばかりになってしまう」と、必死でパソコンで探して、ホームページに出会えて、メールを打ったらすぐ、“きっといまにうまくいく!”“焦らずあきらめずに”と返事を頂いて、何度も読んで泣いていた日(辛くなると読んでは泣くの繰り返し)を思い出します。

 何回行っても、私の涙でぐちゃぐちゃ、堂々巡りの話ばかりで、子どもの“抱っこ”はまだまだの状態ですが、この6ヶ月で気付いた事、感じた事などを書きます。

・子どもの事を心の底からかわいい存在だと思えるようになった事
 情けないんですが、今まで思えませんでしたし、子どもといても緊張して、ピリピリしていたのが、子どもと一緒にいてもリラックス出来るようになったこと!6年もかかってごめんねって気持ちです。

・自分が、子どもの目を見てゆったり、穏やかに話ををしている事
 目を見て穏やかに話している自分に気づきました。今までしてあげてなかった気がします。そして、子どもが私の目をじっと見つめて話をしてくれてる事に気付きました。そんな事を感じていると、ある日子どもが、「ママの目にHが映ってる!Hの目にもママが映ってる?」って聞いて来ました。子どもはずっと私の目を追っててくれてたんですね。生まれてからずっと・・・。今、書いてても涙が出ます。これからもしっかり目を見て話をしたいです。目を見て話すって勇気がいるなってことも、ゆったりしてると自然に出来てる事も発見です。

・自分を前ほど責めなくなった事
 先日の“抱っこ”でまた私の話ばかりをして、「ずいぶん楽になって来たんですが、次はどうすればいいですか?」みたいな話をした時に、阿部先生が、「たとえば、高校を受験して合格したら、その合格をゆっくり味わってから次の事を考える」みたいな事をおっしゃいましたよね。座布団を使って・・・あの話はほんとによく分かりました。今まで、私はそんな達成感や充実感をゆっくり味わえた事がなく、それが出来なかったからどんどん苦しいままになってたのかなと・・・。これから半年、小学校の準備、準備と焦らずにゆっくり過ごすつもりです。自然に次の幸せに向かっていけることを希望しながら・・・(一週間無理せずゆったりしていたら子どもが逆に落ち着かなくなってきて、私も少し何か動きたくなってきたような・・・やっぱり適度の枠は必要かな?)。いつもの癖が出てきたらお話を聞いてくださいね。

・母と穏やかな関係になれた事
 今まで、母が私の事を心配してる事はわかってても、なかなか私の苦しい気持ちを理解してくれず、衝突していたのですが、10月の通信に『婦人の友』に阿部先生の記事が載ってると書いてあったんで、母に「見てみて」と連絡したのがきっかけです。偶然にも『婦人の友』は、母が30年以上読んでいる本だったので・・・。読んだあと、母は、「あの話よく分かったよ。ずっと我慢してたんだね」と言ってくれました。それから母は、子育て中の息子や娘を持ち、関係に悩んだり心配してる友人に本を見せて、阿部先生の事を話してるようです。ちょうど先日、母が遊びに来て、「あなたが穏やかになってうれしいし、あなたが元気なときに来たのは、初めてね」と喜んで帰りました。一週間けんかも無しでした(笑)。“ダダこね育ち”の本も知らない間に読んで、「とても分かりやすい」と友人に教えているようです。阿部先生と芳子先生のおかげです。そして何か目に見えない力も働いているような不思議な気持ちです。通信がポストに入っていると温かさを感じていました。私だけに来た特別の手紙のような気がして・・・。たくさんの人の手のぬくもりなんでしょうか? 今月で最後なのがとても残念な気持ちでいます。

・「そうしないとやってこれなかったんだから」と思えるようになった事
 寂しくて不安な気持ちを持ってるのに、ずっと“小さくても負けちゃいけない”“頑張らなきゃいけない”って思って、ごまかして生きてきたから苦しかった事。時々それが爆発してた理由。どうにもごまかせなくなって何も出来なくなった事。初めのころからよく阿部先生が、「生い立ちの中で身に付けたものだからしかたがない」っておっしゃっていたけど、なぜか納得いかなかったんです。でも、でも、って・・・だけど今は“しょうがない。そうしないとやってこれなかったんだから”って思えます。やっと出発点に立てた気持ちですが、生まれた時からの思いに寄り添って、そこから認めていってあげないと、いきなりは今の自分を認めてあげられないような気がしています。I先生が天心の時、「まだまだ騒ぎだすかもしれない」とおっしゃったんで、先は長いんでしょうね(笑)。いつか、バスジャックされないようにおとなおとな心をしっかり持って、木ではなく森を見れるようになりたいです(よく主人に「木を見て森を見ず」と言われるので)。

 ここ数年最低の家事しか、それすら出来ない時がたくさんあったのにずっと待っててくれている主人にも本当に感謝です。子どもにも感謝です。・・・まだまだ甘えると思いますが・・・・(あきらめてるのかも)。
 和く輪く舎の皆さんこれからもよろしくお願いします。

「穏やかな波の中」

 先日は娘の「抱っこ」ありがとうございました。その後、10日過ぎましたが、我が家は穏やかな波の中にあります。それ以前に私自身の心が波立っていないのかな?とも思います。そして、娘の様子は…と言うと、なんともまぁ!「カワイイかわいいYちゃん」です(;^ω^A テレテレ。親バカかもしれませんが…(いや親バカでしょう)。

 以前は一人遊びばかりしていたのですが、最近では私の後ばかりついてきて、お料理しているときも小さな椅子に登り、作業を見ながらおしゃべりしています。時間のあいた時は、娘と私、お互いに「あ・そ・ぼ」と誘い合い。最近ではトンネルごっこが大好きです。最初は娘がトンネルに入り、『いないいないばぁ』をひとしきりして、そのうち私がトンネルに入り、その上からYがのしかかり、「やられた~」遊びになるともう興奮状態。本気で痛いときもありますが、まぁ楽しいので、やられっぱなしにしてあげてます。こんな風に遊べるようになったんだなぁと思うと、嬉しくなりこれからがたのしみです。

 そして、こんなことがありました。ある晩、主人とプチ言い争いをしました。主人の頑固さは巨人の星の一徹父さんを上回るものがあり、2日に渡って険悪なムードでした。さすがに2日目なのでなんとか静めたいと私が下手に出ていると、相変わらずプイッっとする主人・・。それに対して私もフツフツと怒りが・・。そんな時、娘がちょっと転んだのをきっかけにおっぱいを飲みに来て、話し合いをしている間中、私のホッペをナデナデしてくれていました。その娘のいじらしさに打たれ、私のおとな心を立てる事ができ、うまく仲直りすることができました。

 あんなに嫌がっていた横抱きも、少しだけ泣き、あとはゆったり抱かれ、娘のほうから、私の顔をいじったりくすぐって来たりして甘える様になりました。そんなときはバッチシ目も合います。

 それもこれも、新刊『親子が幸せになる「抱っこ法」』のおかげかと思ってます。最後まで読みましたが、とてもわかりやすく心に響きました。とくに(おおらかに・にこやかに・おだやかに)という言葉はドキッとさせられました。

 おおらかに=包み込んであげ
 にこやかに=楽しみをあげ
 おだやかに=安心させてあげ

そうすると、存在感が根付き自尊心が定着し、それにともなって自制心・自立心が育つのですね。いつも穏やかに子どもを導く・・そんな母親になりたいです。

 一緒に取り寄せた『ダダこね育ちのすすめ』を、いま読み始めたところです。今後の課題は、娘の要求に同じ力で張り合える様に、もう少し勉強したいと思います。少々放任ぎみの私(いや、ひるみがち?!)、興味のあるものはなるべく気の済むまで与えたい。でも、大事なものなどはやはり困るので取り上げると、うつ伏して大泣きしてしまいます。でもその後ダッコして、「面白かったんだね(うん)もっと遊びたいね(うん)でもお母さんの大事なものだからやめようね(うん)」とやり取りすると、涙を目に貯めて納得し、晴れ晴れした様子で他の遊びに移る事ができるようです。

 心のからくりが分かると、こんなにも子どもの気持ちが手に取るように分かるのですね。そして、私も共感の気持ちや感じたそのままを、素直に子どもに出したら良いのですよね。そのうち頑固一徹な主人も、丸くなってくれるといいのですが・・。

 Yちゃんは、最近では私には素直に着替えさせてくれたり、ご飯を食べてくれるのですが、主人に対しては着替えを嫌がったりします。主人が嫌い、というふうでもないのですが・・、今度は主人がすねない様にしないとね。

 昨日は義理の母が泊まりに来てくれました。私と主人がケンカすると、知っていたかのように訪問してくれ、そしていつも仲裁に入ってくれる人です。親になってもまだ親の世話にならないと問題解決できない、なんて情けない夫婦ですよね。でも、さすがに母親!というか年の功でしょうか?息子の説得は手馴れたもので心の中で拍手喝采でした。

 癒しの子育てのホームページの『しあわせ子育て通信』10月号できあがりましたね。私の体験が一番最初に乗っていてちょっとドキッとしました。そして、編集後記。「らくだの涙」なんて素敵な話なんでしょう。読んでいて涙ぐんでしまいました。ぜひ見たいと思ったら東京ではもう上演していないのですね。ホームページのラクダの顔がまた、なんとも言えず温かい写真ですね。ビデオが出ないかなぁ?

 今日は雨で冷え込んでいますね。新潟の被災地では、大変な思いをしている方がたくさんいるかと思うと、心にも悲しい雨が降ります。「抱っこ」関係の方で被害にあわれた方、いらっしゃるのでしょうか? 天災は恐いですね。お見舞い申し上げます。
 今週は冷え込むようです。お体ご自愛くださいませ。

「不思議な体験」

 鷲尾先生、先日は本当にありがとうございました。早くお礼と予約を・・と思いながら、今日まできてしまいました。すみません。水曜日はあの後、娘と駅までの道をとても満たされた気持ちで歩きました。ふたり通じ合っていたかのように大通りの斜向かいに花屋さんをみつけ、娘のリクエストで淡いピンク色のチューリップを買って帰りました。娘はとてもうれしそうでした。ふだんなら、いろんなお店を前に、あれやこれやとねだるのに、このときばかりはそれもなく、私もきっと欲しがらないだろうなという安心感がありました。一度、乗換駅で、娘がちょっとしたことに腹をたて、おにごっこになってしまい、「あー、この幸福感もそう長くは続かないのか・・・」とため息がでました。が、あきらめずに追いかけて、抱っこして、とやるうちに娘がまたすっと素直な調子に戻っていきました。その夜は娘の寝姿がどことなく落ち着いて、幼くすっぽりおさまっているような感じがしました。私自身、「自分が親なんだ」と、もしかしたら初めて実感した日だったかもしれません。少し、背筋が伸びた気がします(これが、本に書いてあった、おとな心が立つ、という感覚でしょうか)。

 初めての癒しの抱っこ法はやはり不思議な体験でした。私の場合、面食らったのはその始まり方で、「えっ、あ、もう、始まってるの~?」と、結局最後まで他人事のようなおよび腰。考えてみると、それもなんとも変な話で、でも、実際それが私と子どもとの距離感だったのかな。始まるも何も、ずいぶん前から親だったはずなのに。

 で、娘が泣き暴れるとやはり自分が悪いのではないかと思い、手がゆるみました。たぶん、辛くて、何も感じないようにもしていたかもしれません。娘もがんこちゃんだけど、私もかなり歯止めのかかった、つっぱり頑固者です。鷲尾先生が「お母さんに時間くれる?」と何度か娘に尋ねてくださったのに、自分が表現する番かと思ったら、内心ひるんで、聞こえないふりしちゃってました。ごめんなさい。やっぱり自分がどうなってしまうかまだ怖かったのです。少し前、母親に言いたかったこととして、私から出てきたのは「自立して。私の人生の邪魔をしないで」というものでした。今はまた何がでてくるかわかりませんが、同じ気持ちを3人の子どもたちも私に感じているような気がします。言えないでいる気持ちは、身体ですると、お腹の下の下のほうに張り付いている感じ。どちらかというと左が強いかなあ。でも、少しずつでも癒していきたいです。

 また、鷲尾先生が声かけしてくださる言葉は温かく、一つ一つが新鮮でした。ハッとする連続でした。そばでこういうふうに言ってもらえたら、きっと子どもたちも楽になるのだろうなと思いました。私はおばあちゃんっ子だったので、先生の雰囲気に祖母の記憶もふっと甦るようでした。

 娘は数日前も寝る前に大泣き、大あばれしました。まだまだぺっぴり腰の私は、部屋中逃げ回る娘にしがみついてるのがやっとでした。これもまたなんとかかんとかおさまったものの、なんだか「ま、今日の所はこれくらいで許してあげるね」と娘に呆れられてるようでした。 まだまだ、練習しなくてはいけません。数日経つと、あの時感じたまろやかさも次第に薄れてきます。それでも、私には希望の光がみえ、安堵したせいか、事情を知っている周りの方から「少しは落ち着いたようね」と言われました。

 あの時、すがる思いでうったメールに素早く対応してくださった芳子先生、阿部先生に本当に感謝しています。ありがとうございました。それで、次回の予約をお願いしたいのですが、しばらくは、水曜日の方がお休みがとりやすいです。鷲尾先生のFAXに、予定をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。

追伸:阿部秀雄先生はひょっとして「ちび○○こちゃん」のおじいちゃんのモデルでは?!と思ってしまうのは、私だけでしょうか・・・(失礼しました)。

「阿部先生へ」

 先日はお世話になりました。
 初めて2人の子どもを連れての抱っこでしたが、先生方のおかげで、はるばる東京へ行ってよかった…!!と思えました。

 長男の中の「お兄さん育て」、今まで、ずっと、このままずっと小さかったらいいな…と思い、赤ちゃんのように甘えさせていました。でもお兄ちゃんになりたかったのだと気付きました。

 体いっぱいぶつかってくる事は以前より減りました。保育園のお迎えの時だけは、先生の前で思いっきり私に体でぶつかってくる姿はありますが、その理由が分かった気がします。保育園ではわりと控え目な長男の、「本当は自分は強いんだぞ!!」というアピールのような気がしました。抱っこから帰ってきて数日がすぎましたが、主人は「最近K(長男)がママによくなついているなあ」と言っています。本当にその通りです。

 A(長女)と私のチャイルドの関係も今は落ち着いています。一回「行かないで!!」のダダこねがあり、教えていただいた通り手を取りひっぱってみると、案外(多少のはり合いはあるものの)すんなり私の方へ来ました。このような事は私にとってはあまり慣れていない行動ですが、先日U先生に手を引いてもらい張り合った時の、うれしさ、あたたかさ、強さを忘れず、これからは、私の生きていく一つのかてにしようと思いました。

 Aは本当に私を助けてくれます。多分一番。ありがたいです。うれしいです。かわいいです。こんな我が子に出会えて感謝です。Aももっと甘え上手にしてあげたいなぁと思います。

 私は2人の子どもに恵まれ、お母さんにしてもらえました。

 もっと、この子たちから教えてもらうことがありそうです。仕事上、沢山の親子と関わりますが、今自分には、目の前の我が子とのステキな関係を築きたいと思います。それが、これからの私の仕事(助産師)にも生きると思います。

 阿部先生の強さの中のやさしさ、やさしさの中の強さに、私のチャイルドは癒されました。ありがとうございました。また行きたいと思います。

 暑い日が続きます。お体には気を付けてください。

「癒しの子育てネットワークの皆様」

 こんにちは。何度も相談に乗っていただき、先日は援助者の紹介をしてくださってありがとうございました。昨日、援助していただきながら抱っこをすることが出来ました。

 娘はまだ泣ききるというところまでは到達しませんでしたが、とても私に甘えるようになりました。私は私でいっぱい泣いて、援助者さんのおかげで娘に嫌われていない、という確信が持て、気持ちがぱーっと晴れやかになりました。本当にありがとうございました。

 こうせねばならない、こうあらなければならない、という気持ちでがんじがらめだった私は、ようやく少し肩の力を抜けそうです。

 昨日の抱っこでは、抱っこが始まるまではおとなしくしていた息子(6か月)が、抱っこが始まり、援助者さんが私の気持ちを代弁して下さったとたんに泣き始め、腕の中でずーっとずーっと、娘の抱っこが終わるまで一緒に泣いてくれました。息子も私や姉ちゃんのことをこんなに心配してくれているんだと感激しました。

 娘はいつも何かにつけて、「父ちゃんがいい」「父ちゃんとお風呂に入る」「父ちゃんと遊ぶ」と言っていました。里帰りの間中ずーーーっと「父ちゃん帰ってくるかなあ」と言っていました。私は、よほど娘は父のことが好きなんだな、くらいにしか考えていなかったのですが、昨日の抱っこの間にふと頭をよぎったことがありました。もしかしたら娘は、私が主人に対して言いたいことを代弁してくれていたのかなあ、と。

 私は主人に「早く家に帰ってきて」とは言えません。結婚当時は私は中間管理職、主人は新入社員という状態で、私は会社で頑張って仕事を片付けるのですが、帰りはどうしても終電になり、主人と気持ちがすれ違いつらかったのです。なので、今中間管理職になった主人に「早く帰ってきて」とは言えないのです。主人はもともと家族の方が大切なので、早く帰りたい気持ちがあるのは知っています。でも状況がそうさせないだろうこともわかっています。だから、娘は「父ちゃん父ちゃん」と甘えて、「母ちゃんのためにも私のためにも早く家に帰ってきてよ」と言っているのではないかと。とても本当に優しい娘です。

 ところで、自己流で抱っこをした後、娘は私が怒ると「怒っとる母ちゃんがきた」と言うようになりました。ああそうだ、怒ってる母ちゃんは早くどっかに行ってもらわないと、と私が思うようになって、怒りの持続時間が劇的に短くなった気がします。すごいことだと思いました。娘は魔法使いみたいです。

 自己流抱っこの後娘と二人になった時に、
「母ちゃんすぐ怒っとる母ちゃんが来るなあ」
「いかんなあ」
と話しかけると、「うんうん」とうなずくのですが、
「怒っとる母ちゃんが来ないように、母ちゃんがんばるな」
と話すとそっぽを向くのです。どうしてだろう?と思っていたのですが、昨日先生が来てくださったおかげでヒントが見えた気がします。娘は母ちゃんにこれ以上頑張らせたくないのでは、と思っているように思います。

 私以上に頑張っている人はものすごくたくさんいますが、私は私なりにとても頑張っているんだと、自分をよしよししてあげたいと思います。

 抱っこ法に出会い、ホームページを拝見し、こうやってメールを書いて実際に援助していただき、本を買って読み、買えない本は図書館で借りて読み、そうするなかでこんな娘の優しさに気づくことができて、本当にうれしいです。ありがとうございます。

 これから先もたくさんいろんなことがあると思います。そのたびに悩み、落ち込み、どうしようもなくなるかと思いますが、抱っこ法を支えに頑張っていけそうです。

 しばらく自分で頑張れそうです。そしてまたどうしようもなくなったら、その時はどうか助けてください。よろしくお願いいたします。

 皆様がた、ご多忙を極めていらっしゃると思いますが、どうぞお体にだけは十分お気をつけて。本当の本当にありがとうございました。

「初めてセッションを受けて」

 こんにちは。先日相談のメールをお送りしまして、援助者をご紹介していただいたものです。あれから紹介していただいたMさんに連絡をして、抱っこ法のセッションをしていただきましたのでご報告と思いメールいたしました。とても印象深い出来事で日記に書き記しておいたので、まずその文章を記載しますね。

↓以下日記内容です↓
 『ダダこね育ちのすすめ』の著者・阿部秀雄先生のネットワークが全国にあり、メールで問い合わせをすると最寄りの援助者の方を紹介して下さる、というのは本で読んで知っていた。そして意を決して阿部先生にメールをし、その後先生の奥様から返信があり援助者の方を紹介していただき、とうとう昨日、その方に「抱っこ法」と呼ぶセッションをしていただいた。

 私は当日まで具体的にどんな事をするのか知らないまま、言われるままに妊娠中・出産・産後についてのこと、困っていることや相談したいことなどを書き出して用意していた。

 気持ちを溜めている子は最初は激しく泣くので、と聞いていたので、どんな事をするのかと次第に緊張する私。自宅まで来ていただけるということで、約束の時間どおりにインターフォンを鳴らして現れたMさんという女性は、後で聞いたのだけどお孫さんがいらっしゃるようには見えない、若々しい方でした。

 ひと通り私が書いたものに目を通してから早速始めることに。まずは私が息子を横抱きに抱っこする。が、遊びたい息子は逃れようと暴れる。しかし抱っこ法はどんなに暴れても離さないのが鉄則。泣き出す息子。「息子さんに言っておきたいことがあれば先に言ってあげて」と言われ、「○○君(息子の呼び名)、今までたくさんひどい事を言ってごめんね。でもお母さんは○○君のことが大好きなんだよ」といった意味の事を言いながら、もう泣いてる私。

 そしてMさんが紙を見ながら、私と息子の気持ちに寄り添うように語りかける。この時点で息子のギャン泣きと暴れ具合は、Mさんの声がかき消されるくらいMAXで、私は正直「そりゃ遊びたいのを無理矢理押さえ付けて抱っこしてるんだから、泣くのは当然じゃない?」と思った。

 Mさんの語りかけはとても優しく、私のことも私が淋しさを抱えた原点である両親のことも決して責めない、ただ私と息子の、本人ですら自覚してなかったかもしれない辛さや悲しさに寄り添うような言葉の数々。

 息子のギャン泣きはどれくらい続いただろうか? 暴れてもがき続けるため、次第に頭も体も汗びっちょり、私も泣いて涙と鼻水でぐしょぐしょになっている。最初にタオルを用意するように言われたけれど、フェイスタオルではちょっと足らなかったね。

 全部で30~40分くらいだったろうか。Mさんの語りかけが終わりにさしかかると、息子のギャン泣きが少し落ち着いて何だか甘えたような泣き方に変わってきた。というより、息子の様子を見てMさんは語りかけを調節していたのだと思う。

 少し泣きやんでは思い出したようにまた泣き、泣きやんでこのまま寝るのかな?と思ってしまうような表情になるけど、またちょっと泣いて、という状態になったところで終了。

 これも私は最初「泣くのに疲れただけかな」と思ったけど、いや、違う。息子は赤ちゃんの時から激しく泣く子で、嫌なことがある時は1時間でも2時間でも全力で泣く子だった。その頃より体力がついている今、拘束されたのが嫌で泣いているならずっと泣き続けるはず。

 それに泣き始めた時と落ち着いてからの表情が何となく違う。Mさんが教えてくれて気が付いたが、息子は最初に抱っこした時から私を決して見ようとしなかった。決して私を見ないで、目はどこか空を見るような感じで激しく泣いていたのが、落ち着いたあたりから私の目だけをまっすぐにじっと見ている。激しく泣いている最中は、「はなして!」「本がみたい!」「汗かいちゃった!」「おこるよ!」などと拒否するような言葉を叫びながらも、合間に「抱っこして!」とも叫んでいた。

 あぁこれが本で読んでいたやつか、と思った。本当はしっかりつかまえて(抱っこして)いて欲しいのに、甘え下手でお母さんとの関係がうまくいっていない子どもは、裏腹なことを言ってしまうのだ。

 Mさんいわく、息子は最初の「さびしかったね」という言葉にすぐに反応してしまったそう。確かに、ぎゃあぎゃあ泣きながら「さ、さびし‥」と2~3回、鳴咽まじりに言いかけていた。私の聞き間違いじゃなかったんだね。私と、きっと息子にも、最も響いた言葉はこれだと思う。

「お母さんは子どもの頃にね、自分のお母さんやお父さんに甘えたりダダをこねたりすることが十分にできなくて、とっても淋しかったよね。結婚しても旦那さんがあまり家に居なくてやっぱり淋しくて、だから○○君はお母さんを助けてあげたかったんだよね。でも○○君が生まれてもお母さんはち~っとも幸せそうに見えなくて、『僕なんか役立たずだぁ』と思って悲しかったね」

 そうだった。言われてみれば私はいつでも、何をしていても、いくつになっても、いつもどこかに淋しい気持ちがあった気がする。○○君が生まれて、大変だけどよかったなぁと思うことは、孤独ではなくなったこと。私と息子のキーワードは「淋しさ」だったんだね。

 ○○君が夜なかなか寝ないのは、生活リズムをなかなか調えられないせいもあるけど、「自分が寝たらお母さんが一人ぼっちになっちゃう」と思っているから。小さい子がたくさんいる場所に行っても、お友達と遊ぼうとせず私にべったりくっついているのも、自分が離れたらお母さんが淋しい思いをするから。私の育児バイブルの中に「あふれるまで愛をそそぐ」という本があるけど、あふれるほどの愛をそそがれていたのは私だったね。

 くぅ~~~、泣けるぜ。

 ○○君、こんなに小さな体なのにとっても大きな愛で私を包んでくれて、本当にありがとうね。


・・・以上が日記の内容です。言葉が少し乱暴なのですが、どんな様子でセッションを受けたのかを表現するにはこれが一番かと思ったので、失礼いたしました。

 セッションを受けてMさんが帰られたのは昼近くでしたが、息子が「お腹がすいた。ごはん食べたい」というので、私が昼食を準備している間に、息子はソファに座ってテレビを観て待っていました。15分たった頃、あまりに静かなので近くに行ってみると、息子は眠っていました。息子は眠くてもすぐに寝られない子で、今までこんな寝方をしたことはあまりなかったので驚きました。たくさん泣いて疲れたのか、安心したのか。たぶん両方でしょうね。

 抱っこ法は結構体力を使うので私自身も疲れがありましたが、なんだか心地よかったです。お昼寝の途中、思い出したようにまたちょっと泣きましたが、私はなぜか安心して見ていられました。

 息子の場合は、お昼寝から覚めたあと寝るまで、いつもより少しわがままになりました。ここで私が「気持ちが通いやすくなったからだね、よしよし」と思えればよかったのですが、まだまだ私の中の子どもの心が感情の舵をとっていて、何度か怒ってしまいました。それがちょっと残念でしたが、長年放っておいた子どもの私は、そう簡単にはいかないですよね。あまり自分を責めすぎず、落ち込みすぎず、でもあきらめずに地道にやっていこうと思います。

 ためしにセッションを受けた日の夜、「抱っこするぞ~」と言って息子を羽交い絞めっぽく抱っこをしてみたら、最初は笑っていた息子が途中で本気のような声で「やめてよ」と言ったので顔を見てみると嬉しそうに笑っていました!

 あの泣き続ける抱っこ法を一人でやりきるには少し体力?勇気?がいりますので、Mさんに教えていただいたように、途中まででもいいので癒しの抱っこを日常に取り入れてみたいと思います。

 私が満たされない限りは息子の気持ちもまたふさがってしまうので、少し遠いですがMさんがやっていらっしゃる勉強会などにも参加して、頑張っていこうと思います。

 本当にどうもありがとうございました。

「『母』」になれた気がする」

 こんばんは。先日お世話になりました。あれから3日間くらい心の整理がつかず、宙に浮いたような気持ちで過ごしておりました。しかし、今何かに気づいた気がして、とても興奮しております。

 Mさんにセッションをしていただいたその夜、最近なぜか嫌がるお風呂と歯磨きがいとも簡単にできました。しかし、息子の変化にはもちろん驚きなのですが、私の変化の方が大きく、恐らくそれは想定外だったために興奮しているのだと思います。今回私は初めて息子がどれだけ私を心配し、励ましてくれていたかに気がつきました。 この気づきは本当に大きなものでした。

 妊娠中から出産後の今まで、子育てがつらくてつらくて仕方がありませんでした(そんな母ですから息子もさぞかしつらかったでしょうね・・・)。経済的にも夫にも恵まれていて、何の不自由もないのに、心休まる時がなかったのです。

 それがすーーーーと楽になったのです。息子のことを安らかな気持ちで眺められるのです。なんて幸せな空間なのでしょう。息子の心がつかめないような不安がなくなり、ただかわいくてかわいくて、どうどうとした「母」にやっとなれた気がします。

 あれから毎日夜寝る前に抱っこをしており、息子はイヤイヤを楽しんでいます。日に日にイヤイヤ時間が減っており、今夜など、1分くらい泣くというより大声を出しながらジタバタしただけでした。その後のなんとも幸せそうな甘えた愛おしい表情が、抱っこ法のすべてを物語っていると思えます。本当にありがとうございました。

 しばらく本を読み直したり自分を見つめたりしながら勉強して、またご連絡します。今後も宜しくお願いします。

「スネた気持ち」

 先日はありがとうございました。すぐにお礼と感想を、と思いながら、なかなかまとまらず一週間が過ぎてしまいました。

 その後は、そちらへ伺う前と比べると、とても穏やかな気持ちで過ごせています。具体的にこれがこう変わったから、というわけではないのですが。

 私に関して言えば、阿部先生に「スネている」と言われたこと。その言葉で、ひとつ不可解な自分の謎が解けました。Qにとても苛立つ時、「何でこんなにまで腹が立つのか」と考えることがあり、でも、「かなしいの?何かこわいの?」といろいろと考えても、どんな思いなのかわからなかったのが、それは、「わかってほしいのにわかってもらえない気持ち」がスネてたんだ、と。なるほど、と。自分の中に何か子どもっぽい感情がある、と感じていたのは、「スネる」という気持ちだっだのか、と。その気持ちを理解しただけで、こんなに気持ちが穏やかになるんですね。

 そして、Qを初めて自分の子どもだと認識した時の気持ちをお話したことで、その時の気持ちが、そこに気持ちを向けるといつでも感じられるところにいてくれるようになって、それもまた私を穏やかにしてくれているようです。

 Qは、帰りの電車の中で、「抱っこのところは大嫌い!!」と言っていましたが、見るからにすっきりした様子で、私が言うことを無視したりすることがあったのが、随分素直に聞き分けてくれるようになりました。ただ、私はQが大泣きしているのをみて、「あー、すごい泣いてるなー。わー、何で泣いてるんだろう。この泣きが素直に泣けてるっていうのかー、そうなのかー」と、抱っこ初心者のような傍観者の気持ちに支配されていて、泣いていた理由が実はわかっていません。「お母さんが元気になってきたのは僕のおかげ」という阿部先生の言葉に泣いていたのは、「そのとおり。僕のがんばりをわかって」ということだったのでしょうか。

 そして、抱っこに行った後の毎度のことなのですが、帰ってきてから、歯ぎしりがひどくなっています。昨日、寝る前に膝の上に向かい合わせで抱っこをしながら、「Qくんにありがとう。Qくんがお母さんの所に来てくれて、いろんなこと教えてくれたから、いろんなことがわかってきて、子どもの頃の嫌なことは捨てちゃって、Qくんとお父さんとの今が楽しくて大切ってわかった。Qくんが産まれていろんな苦しいことがあって、その中でお母さんがんばってきたけど、Qくんとお父さんが『がまんする』っていうことをがんばってくれたおかげで、今すごく楽しい。お母さんにこにこになってきたのわかるでしょ。おかあさん大丈夫よ。おかあさんはおかあさんの道を行くから、QくんはQくんの道を行ってね」というようなことを話したら、「その話しかよー」と言いながら、うんうん、とうなづきながら聞いてくれました。

 でも、話しが一区切りつくと、「あ、お母さん、ちょっと」とごまかして離れていってしまいました。その後絵本を読んで、いざ寝る時にQの顔が悲しい顔になり、涙が一筋流れました。どうした?と言っても理由は話してくれず、そのまま寝てしまい、一晩中、一段と激しい歯ぎしりでした。何が言い出せないことがあるのか、私が話した内容がQが言ってほしいこととは違ってたのか、歯ぎしりを私が気にしすぎなのか、なんだろうなー、と思っています。

 ひとつ、うれしい報告があります。Qが私に向かって「おかあさんなんか嫌い!」と言ったのです。今まで「大スキ」とは何度も言ってくれてたのですが、「嫌い」は初めてで、なんだか一歩前進したような気がしました。もちろん、「嫌い」と言われた後は、「嫌いなんて言う奴は逮捕する!」とはがいじめにして、じゃれあいました。

「抱っこのあとに」

 Wさん こんにちは。
 錦糸町までは2時間位かかり、遠いですが行くのがとても楽しみです。なんと言ってもSと気持が通じ合うのが感じられるのが心地よくてたまりません。毎回S以上に私が泣いているのがちょっと恥ずかしいですが…。あとWさんも手や背中や言葉がとても気持よかったです。思い出して涙が出てきます。(;_;)

 先日にお邪魔した帰りに、錦糸町の駅のホームで電車を待っているとき、反対ホームに電車が着いたら私の目を見て、「ママぁ~電車!」って教えてくれました。電車は好きなようでいつも喜びますが、一人で「電車!電車!」と言って手を動かしているだけだったので、些細なSの行動がすごく嬉しかったです。

 和く輪く舎を出るときに家で作ってきた蒸しパンを、「電車に乗ったら食べよう」って言っていたので、電車に乗るとすぐにSが「パン」って言ったんですけど、すぐ乗り換えなので、「すぐ降りるから次の次の電車に乗るまで待ってて」と言ったら、次の電車では何も言わず、その次の電車に乗って座ったら「パン」と言って催促しました。相変わらず物分かりがいいというか…。プチ自慢にしようかな。

 パンを「ママぁ~」と私の口に入れてくれたり、食べ終わってしばらく本を読んだりした後、私の足の上に向かい合いになるように座って抱きしめてくれたり、両手で首をそっと包み込んでくれたり(甲状腺は首にあるのがわかっているんでしょうか?!)、「ママぁ~ママぁ~」って甘えたりしています。

 Wさんに「よく頑張ってるよ」と言われると知らずに涙が出てしまうことに気づいたのですが、電車で私と娘のやりとりを見て、見知らぬおばさんが降り際に、「上手に子育てしてるわね」って言ってくれたのがとても嬉しくて、また涙が出そうになりました。

 主人が帰ってきて、早速「いつもなんて言って欲しい?」って聞きました。自分が言ってもらうためには相手のことも知っておこうと思ったので。でも主人はなかなか答えを言わなくて、食事をして、お風呂に入って、いくら聞いても言わないんです。「ないの?」って聞いたら「あるけど教えたら言ってくれるの?」って言うから、「言うから教えてよ」って言ったら、「好きだよとか」って言いました。私と同じでした。「それだけ? 他にはないの?」って聞いたら恥ずかしそうに「う~ん。一緒にお風呂入ろうかなぁ」って言いました。実は主人も甘え下手なのかなって思いました。ちょっと笑っちゃいますよね。

 次の日の朝から娘と「パパ~好きよぉ~」コールです。主人も娘と「ママ好きよぉ~」コールを贈ってくれます。次は私と主人で「Sちゃん、好きよぉ」コールしてます。

 それからSのおもしろい変化ですが、鏡に向かって「や~だ~」と言うようになりました。自分なりのストレス発散方法を見つけたのかな?!とおもいました。おもしろいので私も一緒に鏡に向かって「やだぁ~」って言ってます。Sがダダこねすることがあったら、是非一緒にダダこねもしてみようと思います。

 和く輪くだよりの49号、読ませてもらいました。Wさんのお孫さんの存在と同じように、Sも私に大きなプレゼントをもってきてくれるんですね。私がSからもらっているプレゼントは『逃げないこと』『人と上手く付き合うこと(自己主張を上手くすること)』だと思います。今までの人生、色んなことからうまく理由をつけて逃げてきました。結婚も仕事から逃げるための口実だったのかもしれません。結婚生活からも逃げたくなった事がありますが、そのころにはSがいました。子どもがいなかったら離婚していたかもしれません。育児からも逃げたくてたまりません。でもSが大切だから自分でも舌の手術をしたり、抱っこ法にお世話になったり、色んな本を読んで何とか上手く付き合いたいと頑張れるのかもしれません。私もいつかSに心から「ありがとう」って言いたいです。

「『抱っこ法』って何?!」

 不思議なベールにつつまれたその言葉…1月中旬、私もいよいよ体験することになりました。ドキドキしながら、どんなふうにしたらよいのか…。

 でもそんなことを思っていたのは少しの間だけ。S(1歳半)を抱き、話しかけはじめたとたん、今思うとSの中(心の中)に吸い込まれていった気がします。

 私の家では9月頃主人が転職して生活のパターンが少し変わり、ある日、私が突然ストライキをおこしたことがありました。もう何か月もたっていたことだったのに、Sを見つめていたら、その時の悲しそうなSの顔を「ふっ」と思い出し、問いかけてみました。Sはそのとたんとても怒った顔をして私をにらみ、すごく強く泣き出しました。「ごめんねSちゃん、淋しかったんだね。お母さん怒ってごめんね…」お父さんにもSにもやつあたりしたその日のことを、私はその時本当に反省しました。

 でも先生がしばらくして、「ひとりぼっちだったのは本当はお母さんだったんだよね…」って…、Sは私の顔を見て、また泣き出しました。今までよりももっと強く…そーなんです。そのころから主人も私も、せっかくの週末だからとお互い頑張っていたけれど、結構つかれていたのです。心の中でイライラしたりして…Sの前では仲良くしていたのに…Sはそんな私たちを心配していたのです。あのときのSは淋しかったのではなく、私のことが心配で、父のことが心配で…そんな気持ちで、私たちを見つめていたのです。そんなときの言葉が聞こえたとたん、私は強く抱きしめ、声をあげて一緒に泣いてしまいました。

 その晩、主人にそのことを話しました。ずっと黙って聞いていたけど、時々目を指でこすっていました。その日は久しぶりに夜遅くまでいろいろな話をしました。何でお父さんは週末しか一緒にいないのに、子どもはみんなちゃんとわかっていて、お父さん大好きなのかって…。男の人は根本的に何倍もやさしくって、何か見えないオーラを出していて、女の人は意外と薄情で、例えば他に好きな人ができると、前の人はすぐに忘れてしまうように…だから、すぐに忘れないように、お腹を傷めて子どもを産むのは女の人って、神様が決めたのかな?!とか…まあこれは余談ですが…ともかくこの日から、今まで自分の思い通りにいかないと、「何でこの子は」と思っていた私が、本当、自分でもびっくりするくらい、「この子に会えてよかった」って…「Sに会えてよかった」って…。わが子を見ていると、抱きしめたくなるほどかわいく思えて、そんな時自分がとてもしあわせに思えるのです。

 あ! それからその日もう一つ不思議なことがありました。Sが生まれる日陣痛が始まり、病院に行く途中の車の前をたぬきが横切ったのです。この日も、帰ろうと車にエンジンをかけたとたん、人家からたぬきが突然あらわれ、車の前を横切っていったのです。きっとあの日もこの日もがんばれって…私にかSにかわからないけれども、応援してくれるんじゃないかなあ、なんて…。
 わが子と気持ちが通じあえることを知ると、こんなにしあわせなことがまわりにたくさんあることを私は知りました。

「やっとの思いで相談室に行って」

〈第1信〉

 秀雄先生、芳子先生、Fさん
 昨日は本当にありがとうございました。緊張してろくにあいさつもせず帰ってきてしまい、すみませんでした。結局Mは、帰りの新幹線で寝ませんでした。なんかご機嫌で乗っている感じでした。

 あの後「また来る?」って聞いたら「来な~い!来る!来な~い!来る!」って繰り返して、鼻歌でも歌っている感じでした。

 降りる駅に着いた、駐車場まで結構距離があって「抱っこ抱っこ!」って言い出して、「抱っこがいいねぇ。疲れたね~。歩くのイヤだね~」って言って歩かせてたら、変な言いがかりをつけてきてしつこいので、「歩かないならおいていくよ~」って思わず言ってしまってすぐ後悔して、頑張って東京まで行ったかいがないじゃん!!って思い、「ごめん、ごめん、絶対おいていかない。大好きなMをおいていかない」「歩くのやだ~、つかれた~、って言いたいだけだよね」って言ったら、「だって疲れたも~ん」って歩きだしました。

 でも家に帰ってきてはりきって遊んでいるように見えました。私も疲れたので一人でお風呂に入りたくて、「パパと入ってね~、ママ入ってくるね」って軽く言って、一人でおフロに入りました。あがってきても遊んでいて、パパが「ハミガキするゾ~」って言ってもムシしていて、最初は「あ、ムシしてる人どこかな~」なんて遊びながらさそってもイヤイヤするので、よし、ママがと思い、寝そべってイヤイヤするのを「イヤだ、イヤだ」といいながら連れてきました。そしたらすごくおどろく程大泣き。

 横抱っこにしてみるとあばれないので、いろいろ聞いてみると、「今日こわかったもん。腕痛い!!いたい!いたい!こわい!!パパとオフロ、やだ~」といいながら寝てしまいそうでした。こんなベタベタな体で寝てほしくないので、起そうとして床におこうとすると、「下におろさないで~!!」て言われました。正直でおもしろかったです。どうしても寝てしまいそうなので、パパも「ママ今日は一緒に入ったら?!」って言うし、またしょうがなくMとムリヤリ入りました。オフロ中ずっと大泣き。

 今日の朝もどっちだか分からない要求(?)にすぐだまされましたが、1回大泣きしたらスッキリでした。なんかすぐ見せかけの要求にだまされますが(笑)、なんか前ほど頭にこなくなりました。でももっと分かりやすい方がいいな~。

 今までMが10ヶ月の時に先生の本と出逢い、≪泣いてもいいよ子育て≫をしてきたつもりでしたが、かわいい泣き、甘え泣きの時だけは分かりやすいのでヨシヨシしてあげてきましたが、ぐずぐずしたり、怒ったりされると「なんなんだ!!」ってすぐ悲しくなり、ヨシヨシできずにいました。「怒らないでね」とご機嫌とりみたいにしていました。人目があったりするとどうしても、今はおりこうにしててね…今日は怒らないで…。変な目でみてないかな??とかいろいろ私本位のことばかり考えてしまいます。私を否定されると思ってしまいます。でも逆なんですね。ママはOK!だから怒ったり反抗したりするですね。でも分かりやすくなってくれないかな~(汗)(すみません)。

 秀雄先生がおっしゃる通り、もう一回行ってだだこねの付き合い方の練習が必要ですね。


〈第2信〉

 和く輪く舎のみなさま。芳子先生。
 なんかあれからすごく人に話をきいてほしくてたまりません。思ったこと、FAXしたくなっちゃいます。どうぞ聞いてください。

 毎日少しずつ『しあわせ子育通信』を読ませていただいています。全部読みたいんですけど、もうバックナンバーはないんですよね? 44号の「腹黒い・腹白い」を読んで、私は「腹黒い人」だな~(笑)なんて思います。そしてMはたぶん「腹白い人」、主人も「腹白い人」ですね。どんな形でもサインを送ってくるタイプ。私は悩みなんてないよ~、って毎日楽しくしてるよ~、て生きてきたタイプ。というよりは、いい人って思われたい=(イコール)嫌われたくない。自分に自信がないから、本当の自分をさらけ出すのが恐い。だから先日のセッションの時の緊張はそれだったんだな~って。だれにも弱音をはけない。自分もだせない私が初めて会う皆様の前で、自分をさらけだすなんて~、どうなんだろう。どう思われるだろう…。という心理状態で緊張していたんだと気づきました。

 さらけだすって私にとっては、やっぱり恐いのです。主人とつき合いはじめた時も、いつか私のイヤな部分とか知ったら嫌いになるだろうな…とずっと思いました。でも主人は私から逃げないで向き合ってくれたんだな~って。だから私も逃げちゃだめなんだな…。主人はあまり「聞き上手」じゃありません。自分のことはいっぱい話してくるくせに、私の話を聞くんだけどすぐ自分の話をしたがります。それで何回もケンカしました。本当におしゃべりなんですよね~。Mと似てる。でも最近は私の方が聞いてもらってるな~。毎日「本日のMちゃんはどうだった?」って聞いてくれます。Mより私の方が心配だって。Mが生まれてからは、私がいつ家を飛び出してるんじゃないか…っていつも心配してたって。私はパパのこと全然考えてあげられていないのに…。ごめんねです。

 訴え上手だと思っていた主人も、一回だけ「助けてほしい…」って言われたことがありました。それを私に話すと嫌われるだろうし、離婚されるかもしれないけど、俺はそれをやめたいのにやめられないから助けてほしいと泣いていました。私もMが生まれたばかりで全然パパに気がいっていなくて、そんなに苦しんでいたなんて知りませんでした。私は先生方の「抱っこ法」と出逢っていて、なんとなく心理状況が分かってあげられて、そのことについては頭にもこなかったし嫌いにもなりませんでした。むしろ「ごめんね…」って私も泣いてあやまりました。そして「苦しかったね」って言えました。そしたらパパも私でよかったって言ってくれて、「許してくれてありがとう」って言ってくれました。本当に先生方の本に感謝でした。その時のお礼が言いたくて、今日になってしまいましたが、本当にありがとうございました。離婚の危機も乗り越えられました。「抱っこ法」のおかげです。そんなことも忘れ、またパパに甘えていました。今日帰ってきたらちゃんと話を聞こうと思います(笑)。


〈第3信〉

 早いもので、芳子先生に会いに行ってからもう一週間がたちます。この間にまたMに心配をかけることがありました。

 土曜日にパパと3人で公園に行き普通に過ごして、暑くて疲れてMと一緒に昼寝をして起きたら、たまたま肩(首)が痛くて大変でした。たまになるんですが、ひどくなると何もできないくらいで、下を向くことももちろん、トイレも着替えも、起きたり寝たりすることも辛いんです。それになりそうなくらい痛いので、すぐに近くの針灸に行ってきました。Mにもちゃんと言い聞かせて行きましたが、全然イヤイヤを言わず「淋しくな~い」なんて言われてしまい、ひと泣きもさせてやれずに笑ってバイバイされちゃいました。

 何が原因なのかわかりませんが、「抱っこ」の時に少し痛めていたのが、エアコンの冷えなどで悪化したんだろ…と言われました。なんでこんなに弱っちいんだろう(泣)、パパも(またか…!!)って顔でした。せっかくいい感じなのに~!!!

 Mは訴えていいと思ったら、ママが肩を痛めて(訴えるとママは肩を痛くする…)って思ってるんだろうな~。ふうー!! 「抱っこ」するとやっぱり痛いし、今はムリはできませんね。横抱きにしなくても「抱っこ」の方法ってないですかね…。少し私がイライラして、Mも落ち着きがなくなってきて、ママ友とかと話してると、さらにハイテンションになって、言いがかりやらすごくて、久しぶりに頭を少し叩いてみたりしました。いい感じだけど、あまりムリしないでゆっくりね…と体が言ってるんでしょうか?…(泣)針灸に行ったらほぼ良くなりました!!

 日曜日は前から髪を切りに行く予定でパパに預かってもらいました。(肩も良くなっていたので)ただMの気持ちを思うと一緒にいたいと思いましたが…。Mは朝から忘れ(?)ていました。まあ私に余裕ができたら、ゆっくり話そうね…と思い、今はこれでいいと思いました。

 そして通常の日々。「抱っこ」(東京)に行く前と今との、大きな私の心の違いがあります。それはMと2人でいても恐くない、憂鬱じゃないんです。前は(と言ってもつい最近までですが)家の中に2人でいても、一緒に遊んだりしててもMがすぐ怒ったり言いがかりをつけられたり、不機嫌になったり、訳の分からない要求を言ってきたりするので、私も怒ったりイライラしたりしてしまうので、Mと向き合うのを避けていました。2人でいるのがイヤで外に出たくて仕方がありませんでした。朝起きて、ああMがぐずぐずする前に出掛けよう!!出掛けなきゃ!どこに行こう?どこかに行って楽しませなきゃ!!どこかに行かないと…。

 ぐずらないように、怒らないように、あれとこれを持って…。でも本末転倒ですね。外に行ったって、どこに行ったって、Mが言いがかりや怒ったりするのは変わりません。私の気が少しだけ紛れるだけで。私が人前だと少しは心が広く(?)なり、いいママでいられるので…。でもそれは我慢してるだけですよね。

 最近はその我慢もきかなくなってきていて、人前でも感情をむきだしにして怒ってしまいます。怒った後に、あっ…マズイ。幻滅されたかな?とか勝手に思ってました。なので、結局は我慢は少しずつたまってたまって爆発するのです。なんの解決にもなってないのです。Mから逃げてるだけです。現実から逃げてるだけです。Mは私の敵でもなんでもない!味方だし!!

 今でももちろんイライラしたり怒ったりケンカしたりの日々ですが、一緒にいても恐くない。それだけでもすご~く気が楽です。軽いです、気持ちが…。

 「訳の分からない注文や言いがかりをつけられて本当に頭に来るんです」と芳子先生に話したら、「Mちゃんもママも怒りたいのよ。怒りたいんだから、言うこと聞いちゃダメなのよ」と言われて、「あっ、そっか…」ってそんなことが分からなかったんです。だから気楽になれたんです。最近は言いがかりをつけられるとなんか笑ってしまいます。からかいたくなります(笑)。

 本当に東京の往復は大変でしたが、行って良かったです。まだまだ私が八つ当たりしてしまったり、だだこねされると辛くなったりするので、また行きたいと思います。その時は宜しくお願います。

 また、FAXします。


〈第4信〉

 「夫婦はめいわくかけるけど、よろしく」なんですね。素敵です!!そんなラブラブ?と言われた私たちは、今日の朝早々ケンカしちゃいました~。

 先日久しぶりにパパと2人で出かけたんですが、Mはパパの実家に預けられたんです。無事に帰ってきて、次の日に「昨日、おばあちゃんとなにしたの~?」ってなにげなく聞いたら「チョコレートと牛乳のんだの」ってMが教えてくれたんです。Mはアトピーが少しあるので(私自身がアトピーなので)、チョコレートと牛乳は普段あげてないんです。「あっ、そうなんだ~おいしかった~!!」って別におばあちゃんたちに対して、何で飲ませるの~!なんていう気持はありませんでした。孫に欲しい!飲みたい!って言われれば買っちゃうだろうし、泣かれたらイヤだろうし。ただそのことを、Mがママに無邪気に教えてくれた出来事を、パパに聞いてほしくて話しただけだったのに、パパは「い~んだって!たまになんだから!預かる方も大変なんだから!」て、なーに私がめんどくさいこと言ってんだ!!的な発言で、その話題からのがれようとして新聞読んだりして、めんどくさそーに受け答えするので、頭にきて、「チョコレートなんか一回食べて覚えちゃったらくせになるし、預ける度に欲しがるんだから!!」って言いました。

 私はこんな事を言いたいんじゃないのに…って思い直して、「ただ私は話を聞いてほしかっただけだよ。チョコレートはやっぱりさけてほしいよね~。ってわかってほしいだけだよ。お義母さんにはよくしてもらってるし、何をやめてほしいとか言ってるんじゃないし、ケンカするつもりもない。ただMがいつもダメって言われてるのを、『食べたんだよ!!』って笑ってうれしそうに話してくれたのを伝えたいだけだよ」ってパパに言ったら、パパはバツ悪そうに「ごめん…」て2回言ってくれて「行ってきます…」って会社に行きました。「行ってらっしゃい」のチュッはしなかったです(笑)。

 なんかパパにいつも聞いてほしい、分かってほしい病??の私は、Mの気持ちがすごくよく分かりました。子どもはママに分かってほしいだけなんですよね。パパとケンカしてMの気持ちに気づくことがたくさんあります。私は、私の母にだだをこねられなかったので、パパに受けとめてほしいのが強くて、パパも大変ですね。(笑)

 おばあちゃんは(パパの母)腹白い人ですので、私はつき合いやすいんです。感情的な人でたまに、えっ?今のはなに??って言うほど、ビックリするくらい正直に言ってくれますので。私の母もちろん腹黒黒ですね~。姉はどっちかな~??

 私が肩を痛めたので、早く帰ってきてくれたり、洗い物をしてくれるパパもイライラがたまってたのかな~、またごめんねですね。肩も大分治ってきました。痛むことで自分を守っているのか…。何を守ってるんだろう??

 7月○日にMが転んで口の中と唇からすごく流血して大変でした。すぐ病院に行ったら、縫うほどではなかったんですが。一日は飲めず食えずでした。その時に大泣きするMを抱っこしながら電話をしたり血をふいたり、いろいろしたらやっぱり肩痛が復活!!やれやれですね。一日だけ私の実家に帰ってきました。

 そんな近況です。最近は抱っこができないので、足や手で張り合ったりしています。なんとかがんばってみます。

「今を大切に」

 阿部先生、芳子さん、お元気ですか?

 前回の個別セッションでは、お世話になりました。私が息子の立場になり、芳子さんが私になって抱っこしてもらうと、すごくあたたかくて、「抱っこしてもらうのって、こんなに安心できるんだなー」と実感しました。私が息子を抱っこする時も、息子はこんな気持ちになれるのかなって思うと、もっと自信を持って抱っこしようと思いました。抱っこってスゴイですね。

 話は変わりますが、セッションから帰って思ったことです。いままでいろいろ悩んでいましたが、それは表面的というか、浅い部分だけであって、何かもっと深いところに、私の生きづらさの理由や、人として大事なものが隠れているのか、もしくは、欠けているか足りないようなことに気づけたような感じがしました(うまく言葉にできなくて、わかりづらくてすみません)。

 それと、5~6年間は今のところにすむ予定で引っ越してきたのに、先日突然主人から、「会社の営業所が移転することになった」と聞かされ、本当に驚きました。関東ではあるのですが他県にまた引っ越すことになります。移転まであと半年くらいだそうです。

 この話を聞くまでは、今のままの環境での一年先二年先のことを心配していました。でも今回のことで、気づかせてもらったのは、「人生、いつ何が起こるかわからない(いいことも悪いことも)」「いつどうなるかわからないのなら、今を大切にして、めいっぱい生きよう」「今しかできないことをしよう」と思いました。

 「この気持ちをずっと持ち続けられたら、きっと幸せだろうな」っと思います。いいことに気づかせてもらって感謝です。

 またお会いできる日を楽しみにしています。

「勇気を持って連絡して」

 お返事が遅くなりました。セッション受けられました、ありがとうございました。

 驚きました。それまでにこにこしてた彼女(子ども)が、支援者の方のそばで私に抱っこされて、すぐに泣き出して。色んな事を我慢してたんだなーと分かり、セッションから時間が経った今、私自身はとても落ち着いています。

 抱っこの仕方も、我流とは違ってました。もっと早く勇気を出して(連絡して)いればよかったと思ってます。まだまだ分からない事も多いですが、子どもは何かあった時は自分から「お話する~」と言ってきます。ただ、抱っこをすると、「やっぱりいいの」と言って逃れようとしてしまい、教わったように抱っこするのですが、やはり自分だけでは、自信がもてません。そして、まだお話したいことがあるけど、できない部分があるようです。何度か通わせて頂く中で、分かっていくのでしょうか?

 今は、一番酷く辛い時期を乗り越え、子どもと二人の生活(以前は仕事をしていました)も悪くないな、と思えるようになりました。勇気を持って連絡してよかったです。ありがとうございました。

「初めての個別相談」

 前田さん、芳子さん、阿部先生
 今日は、個別の相談を受けていただき、ありがとうございました。

 相談が終わってから、「よかったねぇ」としみじみと何度も言ってしまいました。私が何よりよかったと思ったのは、主人が、「人生観(教育観って言ってたかな?)が180度変わったよ。来てよかった」と言ってくれたことでした。さらに、「全面的に受けとめてもらえた気がした。我々のこともありのままを言ってくれて、よかった」と言ってくれました。私は夫婦の問題を正直に言ってしまってよかったのか不安もあったので、主人の言葉に感激しました。

 娘は、家に帰って来てから、前よりもいたずらを堂々としているように感じます。積極的に顔をかじってきたり、「どうぞ」と物を渡すフリをして奪ったり…と、「もっといたずらしたいんだよ~」と言っているように私には感じられました。その時に、今日前田さんに教えてもらったように、「かじりたいんだね。でも、痛いから優しくしてね」と言ってみました。優しくはやってくれませんでしたが、様子を見ていきたいです。

 さっき寝付く前にも一泣きしましたが、やはり手をくわえながらでした。私も疲れていたので、しばらくしてからおっぱいを飲ませました。こちらも様子を見ていきたいです。

 2週間後にまたお会いできるのを楽しみにしています。「初めて癒しの抱っこを体験した方へ」のパンフレットに書かれていたように、娘が本当の甘え上手になるまで通いたいと思います。

 今後ともよろしくお願いします。

「やっとここまで来たのかな」

 昨日はありがとうございました。帰りの電車の中では、MとAが相変わらず足でじゃれあっていました。仲良くとは言いがたいですがケンカまではならない様子でした。帰ってからもつついたり叩いたりがあるものの激しいケンカにはならない様でした。

 Mは「何で私だけ何度もやったんだろう」と、何度も私にいいにきていました。何度か訴えたあと、「でもすっきりしたからいいか」ともいっていました。Aは気持ちが分かってもらえたから安心したのか、抱っこの事は何もいわないですが、私の所へきては「ママだ~いすき」と抱きついてきたので、私もギューをしました。Hは歯磨きの時にいつものようにイヤイヤが始まったので、しばらく「歯磨きイヤー、でも歯磨きしよー」を繰り返して泣いた後、歯磨きをきちんとがんばって夜泣きをすることなく寝ていました。

 一方で私は何となく腑に落ちない感じが残りモヤモヤです。何となくモヤモヤが始まったのは、母との事を話した頃からだったのはわかっているのですが、どうしたいのか出てこない、というか出したくない、出すのが不安な感じです。

 なのでどうしたらいいか相談です。天心に参加するか、子どもたちと抱っこに伺うか、両方ともやってみるか。悩んでいます。

 今まで一番いじりたくない気持ちの箱が、どこかにしまって無くなったはずなのに出てきたみたいで、びっくり箱のようにふたを開けたらみんな飛びだしてしまいそうです。やっとここまできたのかなという感じです。

「『うんうん』とただ聞く」

 教えていただいた援助者のUさんに早速電話をし、昨日ご自宅に伺いました。叩くわが子の相談が、いつの間にか自分の抱いている悲しみまで聞いてもらいました。

 Uさんは、私が「もしかしたら間違っている考え方かもしれない」と思う気持ちも、「うんうん」とただ聞いてくれました。今までは同じことを主人に話すと、「そうかもしれないけど、でもね、それはね・・・」とアドバイスをされていました。この『でも』って言葉、今の私にはただの「否定」にしか感じることができません。さらに主人は『がんばれ』をよく使うのです。

 主人はずっと体育会系で育ってきた、強い(のかどうかはわからないけど)気持ちをもつ人です。趣味と実益を兼ねた職人なので、自己実現のためにまっすぐにぐんぐん進んでいくタイプです。だから彼の言う『がんばれ』は、本当、彼の心のこもった励ましなのかもしれません。だけど私には、『私は今がんばっていないってこと?これ以上何を頑張ればいいんだよ(怒)』と感じてしまいます。だからUさんにはただ『うんうん』と聞いてもらえたのが、ものすごく嬉しくて嬉しくて。『ああ、私は今のままでいいんだ、自信はないけど悩みはたっくさんある、こんな凸凹の自分でも大丈夫なんだ』と少し思えるようになりました。

 私が『こんな自分がこの子を育てていいのかどうか・・・』と尋ねると、Uさんは『この子はあなたがママでなきゃ、困るのよ~』と言ってくれました。その後、『だから、がんばって!』とは絶対言わず、『大丈夫よ、いい子に育ってる。今までのあなたの子育ての仕方が良かったのよ!』と言ってくれました。こんなこと誰も言ってくれなかった・・・。こんなホクホクな気持ちになったのは初めてです。

 でも晩ごはんの時に主人と喧嘩をしてしまいました。前述した『がんばれ』についてです。私はよっぽどUさんに話を聞いてもらえたのが嬉しかったのか、主人にもUさんのように、話を聞くときはすべてを受け入れてくれるように望みました。でも彼は『100%は受け入れられない』と言っていました。どうしてでしょうか・・・。きっとニュアンスの微妙な違いでお互い理解しあえていないだけだとは思うのですが。

 私のことを受け入れられないと言う彼のことも、私は受け入れようと思います。いや、受け入れられそうです。たぶん、抱っこ法のおかげです。

 主旨がずれてしまいましたが、とにかく、Uさんを紹介していただいて本当にありがとうございます! また何かあったら相談させていただこうと思っております。色々ありがとうございました。

「これが私たちの流れ」

 こんにちは。以前、近くの援助者をご紹介いただいた者です。

 先日、2回目の相談に伺いました。家でぐずるときとは違い、援助者さんに誘ってもらい泣くと、上手く泣き止んで、その後どこかすっきりとした顔をしているのが印象的でした。なかなか自分だけでは、そうはできないのですが、あせらず子どもの気持ちと向かい合っていけたらいいな、と思います。

 抱くと反り返ったり、顔をそむけたりすることも、過剰に気にせず、その都度、彼の気持ちを抱きとめて、少しずつでも変わっていけたらいいのかな、そんな気持ちになりました。

 援助者さんには、これからも何かあれば、いつでも連絡して、と言って頂きました。定期的にというより、しばらく様子を見て、きっとまたご相談すると思います。

 私がちゃんと大きく産んで上げられれば、おっぱいをもっと出してあげられれば、そんな母乳を主体にせず、ミルクをたっぷりあげれば…息子も余計な辛い思いをしなくてすんだはずなのに、と思ってばかりでしたが、これが私たちの流れで、だから癒しの子育てネットワークのことを知ることになったし、援助者さんとも出会えたし、子育てのことを考える機会になったんだ、って、ちょっと思えるようになりました。

「お母さんが与えるのはおっぱいだけじゃなくて、心の栄養と安心感、その方がずっと大切」
 援助者さんにそう言っていただいて、今、自分の気持ちを見直しています。すぐに切り替えるのは正直難しいですが、母親としてスタートからダメダメだわ~と思っている自分の状況も受け入れられたらいいな、と思います。

 これからも、ホームページなど、見せて頂き、また機会があれば講習会などに参加しようかと思っています。本当にありがとうございます。

「大切だもの離さない」

 K先生お元気ですか。この間は抱っこのサロンでのご指導ありがとうございました。あれから気になることがあるので、先生に聞いてもらいたくてお手紙しました。

 K先生と共に娘を抱っこしていただいた時の声かけで、子どもがあばれながら「離して、離して、抱っこしないでよ」と言い、K先生が娘に「離さないよ、離さないよ、大切だもの……」と伝えていたのですが……。その時のことを思い出すのでしょう、その言葉がうれしかったのでしょうか、あれから何度となく、ふと私の膝の上に来ては、「抱っこしてママ、大切だから離さないよって言って」と自ら言ってくるのです。

 私も抱っこをし、そう言ってみると、「いや、離して、離して……」とあばれ出すのです。きっと、「離して……」と言いながらも、「離さないよ、離さないよ、大切だもの、大切だもの」という言葉を確かめたいのでしょう、聞きたいのでしょう。それは感じるのですが、一体どうしてなんでしょうか。娘は不安をたくさん抱えていて、不安で心配でしかたがないのでしょうか。言葉に出していってもらわないと不安なんでしょうか。安心できないのでしょうか。それとも、それほど気にせずに、言葉のやりとりを楽しんでいるのでしょうか。家で抱っこしてみても、言葉のやりとりにまどわされ、なかなか心の奥深いところで、通じ合わないような気がします。

 出産時の陣痛促進剤、人工破水、そして吸引分娩。元気な赤ちゃんだったのですが、娘は黄疸が強く、生後2日目から10日間、私とは別の病院に移され、入院してしまいました。その間は、1日最高1時間のみの面会しかできず、おっぱいも沢山出るのに直接飲むこともできず、抱っこもできない時間が、なんと長かったことか……。私も不安と寂しさでいっぱいの気持ちでした。今思い返してみると、娘はどんな思いだったことでしょう。胸が張り裂けそうな思いがします。

 先月の抱っこでは、生まれてすぐに離れて入院したことかな、と思えるようなことを口にしてくれたのですが、目を合わせることは全くできず、中途半端に終わってしまいました。

 今月の抱っこでは、眠くなったようで途中で寝てしまい、10分くらいで目が開いたのですが、表情は硬く(口をかみしめている)、目をそらしていたのです。一緒に抱っこしてくださった方も気づいてくださって、他の先生に話してくださったのですが……。目をそらしたのは一瞬で、すぐに遊び始め、その後はすっきりした様子で、とてもおだやかでした。

 普段私自身に心の余裕がない時など、ついつまらないことで怒ってしまったり、子どもの当たってしまうことがあります。ああいけないと思った時は、娘にあやまるようにしているのですが、そんな日頃の私の言葉や行動が、子どもを傷つけてしまっているのでしょうか。出生時の様々なことが大きく関与しているのでしょうか。複雑な気持ちでいっぱいです。

 抱っこ法を知って(知ってというにはほど遠いのですが)、子どもの気持ちを考えてみる、子どもの視点を考える、感じるのが大切だ、ということに気づかされ、とてもありがたく思っています。言うのは簡単ですが本当にむずかしい、。そして、先ほどと説いた『通信』の、Uちゃんのママの言葉、「いっぱい暴れて、私の愛をどんどん感じてちょうだいって感じです」という文章が、という文章がとっても心に響きました。ずうっと心にとめておきたい言葉です。ありがとうございます。

 来月もどうぞよろしくお願いします。

「行き詰まっていたのに」

 お手紙ありがとうございました。本当にとってもとっても嬉しかったです。お手紙をいただいた日は、なんと○○ちゃんの抱っこができたのです。全然ちゃんとした抱っこじゃなかったけど、○○が逃げようとしても、へこたれずに頑張ることができたのです。そして、その日は、なんと一緒に寝ることができたのです。すごいと思いました。あんなに出来なかったことなのに。

 私には見守ってくれる人たち(和く輪く舎の方々)がいる。家は近くじゃないけど、私にはいるのです。私には、いるんだ! なんかそのことがとても嬉しいというか、良かったです。親には言えないことばかりだけど、私には聞いてもらえる所がある。それが嬉しいです。自分の中の醜い気持ちまで聞いてもらえる所なんて、他にはありませんよね。 

 今、返事を書こうとして、下書きをしてみたのです。そうしたら、”私はダメな人間”がすぐ出て来るのです。もうあまりにもダメな人間すぎて、世界で一番ダメな人間で、ダメな人間のチャンピオンになったのです。そうしたら、何でも一番はすごいや!と思い、ダメな自分を認めることが出来たのです。

 手紙を読んで涙して、夜、抱っこして、一緒に眠ることが出来て、返事を書いていて、自分の中の嫌な自分の一つを認めることが出来て、すごい!と思いました。一人で行き詰まっていて、どうしていいかわからない時に手紙がきてくれました。人には人の力が必要なんですね。

 子どもの所へ行っても、余計に自分のことが嫌になるばっかりで、一人でいると傷つかないから一人が良かったけど、これからは、変わればいいと思います。思い込みが激しく勝手に傷つくダメな私だけど、ダメな私なりに、やって行こうと思います。

 今はとても前向きな気持ちです。でも、いつものパターンでは、またすぐ落ち込むのです。そうなるのが嫌だけど、また上がればいいのですよね。次の問題が来るのが嫌だなぁ。来なければいいのに! いつまでも今の気持ちが続くことを願って。

 ありがとうごさいます。いてくれて良かったです。ありがとう。

「久しぶりの‘赤ちゃん抱っこ’」

 ここのところ、ちょっとチビ太君の様子がアヤシイ・・・。どのようにアヤシイかと言うと、
①落ち着きがなさすぎる!
②私から離れない
③動きが大きすぎる
この三つが彼の行動パターンになっていました。

 そして、それを見ている私もイライラしてきたので、これを‘怒り’でぶつけるのではなく‘抱っこ ’でぶつけようと思い、昨晩じっくり抱っこ(かなり久しぶり)してみました。

 お風呂にも入り、寝る支度も出来たので、
マ:「ちょっと赤ちゃん抱っこ してあげるよ~」
チ:「あ~オレ赤ちゃん抱っこして欲しかったんだよね~」
とすんなり抱っこの体制に入ったものの、
チ:「もういい、苦しいから放して」
すぐに気持ちを表してくれました。

 しかし!それからが結構大変で、どうにも治まらないチビ太君の‘怒り’のような感情が、次から次から出てきて、大暴れ。その中で私なりに受け取ったのは、
○もっと立派なお兄さんなりたい
○もっとママの役に立ちたい
○弱い自分を見せたくない
でした。

 表面的には末っ子で一番甘えているのに、チビ太君の心には、もっとかっこいい自分を表現したいと強く思っていた事に気付きました。私から感謝の気持ちをいっぱい伝えて、時々見せるかわいい甘え泣きの顔に、「かわいい、かわいい」といっぱい伝えていたら、40分位でウトウトし始めて、力が抜けてきて、すると立派な甘え泣きをいっぱい見せてくれました。

 抱っこのおかげで少し落ち着いた感じのチビ太君。その日は抱っこしてそのまま眠ってしまったから、感想を聞いてみたくて、
マ:「抱っこはどうだった?」
チ:「気持ちよかったぁ~~~~」
と一言。

 うんうん、それで充分伝わった。

 抱っこしていた40分の内、35分くらいは、「離せ~~」とか「苦しいぃぃ」とか「ママ、バァ~カッ」などなど嫌がった言葉ばかりだったのに、見せ掛けの姿に騙されちゃいけないと、ニヤニヤしちゃいました。

‘抱っこ’のすすめでした。

「言い合える日々は幸せ」

 今、わくわくブログ見ました。それで、
『私がいじけると、主人も子ども達もシャンとしていい感じになるの。それだったら私、ずっといじけてたほうがいいかななんて思っちゃう。でもそれはさみしいからやらないけど。その中間がいいんだけどなぁ』
なんか、笑っちゃいました。私も同じようなこと思ってるから(笑)。

 私がいっぱいいっぱい、とか怒り神に乗っ取られてると、Mちゃんも凄く機転の利く優しい子になるの。で、ちょっと落ち着くと、文句ばっかり、怒ってばっかり。で、なによ、それっ!って私もぶつぶつしてばっかり。

 あーぁ、いざって時にお利口にできるんだから、普段からしてよー、って。

 でもね、今日ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思えたことがあって、お風呂上りにMちゃんの髪にドライヤーをかけていたら、いちいち文句を言うのね。それで、私もむぅっと来て、
「いちいち文句言わなくたっていいでしょー。風邪ひかないように髪乾かしてるんだから、じっとしてなさいよ」って言ったら、ぶーたれながら「はーい」って言って、そのあとニヤッとしてたMちゃん。

 ほんとに、あの子は文句&やつあたりの女王様だと、この頃私は思っているんだけど、何かにつけて私が注意とかすると「悪いのはママの方でしょ」とか、いちいちカチンとくることを言うの。それで私もまた文句で応戦して、あぁ、なんて品のない、とか、どうしてこうも気持がかき乱されるの、とか思って。

 私は、そういう文句の言い合いのない、穏やかで平和に満ちた日常が最高の幸せというか、到達すべきゴール、みたいに思っているんだけど、ひょっとしたら、こうやって言い合える日々や関係が、いいのかもしれないなあ、って。

 ただ、私はこういうやり取りなんてしていなくて経験値がないから、そういう日々のひとこまで起こる自分の感情の起伏に戸惑って、自己嫌悪したりするけど、こういう言い合えるひとこまは、案外どこの家庭にもあって、決して、それが悪でも嫌な関係だとも決めつけられないのかも・・・・って。

 でも、やっぱり文句がない、っていうか、文句を言われてもそれをふうわりと包み込むような、母親の姿が、いつでも私の理想像として、居座っているんだけれど。だから、そうできない自分を、あぁ、だめ~って凹ましちゃう。

 まだまだ、私の中にいっぱい言い分を抱えている子どもがいるうえに、「私のことなんて気にしてくれなくていい!」って自分を粗末にしている子どもも、どっしりと居座っているようで、その気持ちが大きいから、自分の気持ちを聞ききれないのかも、って感じてます。

 でも、そうやってやってきた私が、子どもたちと触れ合って、抱っこに果敢にも(?)挑戦して、文句言い合ってって今日までしてきたことは、やっぱりよく頑張りましたよね。

 少しずつでも、そうやって自分を認めて大切にしてあげたいなあ。

「気持ちを分かってもらえるのってうれしい」

 こんにちは。いつも抱っこでお世話になってありがとうございます。今日はうれしいことがあったので 芳子さんに伝えたくて、聞いてほしくて,手紙書かせていただいてます。

 夕方の5時過ぎにちょっと息子と近くの公園に行ったんですけど 5時半におじいちゃん、おばあちゃん達と食事に行く約束をしてて、「ちょっと遊んだらごはん食べに行くから帰ろうね」と息子には言ってあったんですけど 素直にすぐ帰ってくれるか不安でした。

 案の定不安は的中して、5時25分頃息子に、「帰ろう。おじいちゃんたちととごはん食べに行くよ」と言っても、「やだ」と言って全然言うことを聞かず、次から次へ遊んでしまって、無理矢理抱いて帰ろうとしてもじたばたもがかれ、片方の手におもちゃを持ってる身としては、かかえきれず降ろしてしまい、「じゃ、ママ一人で帰っちゃうよ」と言って帰ろうとしても、もちろん待ってとついてくるはずもなく、もう5時半になってしまってるし困ったなあと思ってました。

 その時 あっそうか! 息子の気持ちになればいいんだという事をふいに思い出し、息子に「ぼくはまだ帰りたくないよ」「もっと公園で遊んでたいよ」と言ったら、スーと、寄ってきて「ママ帰ろ」と言ってくれました(もちろん「ママ帰ろ」なんてしゃべってませんけど)。歩かせて帰る余裕もないので 抱っこしておうちに帰ったのですけど、久しぶりに上手に息子の気持ち理解してあげれたことがすごくうれしくて、何号か前の通信の編集後記に載せていただいた“お風呂“の話と一緒なのですけど、しばらくそういう事忘れてて、つい怒鳴って、こっち(おとな)の気持ちを一方的に押しつけてばかりいたので、今日は力ずくで連れて帰ってきたわけではないのですごーくうれしかったです。ちょっと子どもの身になって物事を考えて、気持ちを代弁してあげればすんなりうまくいくのに、なかなかそれができずについつい自分の都合や気持ちばかり押しつけちゃってるんですよね。おとなでも子どもでも気持ちをわかってもらえるのって、とっても安心でうれしいことなのだという事を改めて実感した出来事でした。日常のほんのささいな1コマだったんですけど どーしても芳子さんに聞いてほしくて、あの、読んでくれてありがとうございました。

「プチ抱っこのチャンスはこんなところに!」

 小学3年の息子とおもしろいやりとりがありました。

 先日、学校でぎょう虫検査がありました。“朝起きたらすぐに”の通り、半分寝ぼけた息子にお尻を出すよううながしました。が、息子はまだ眠いやち、恥ずかしいやら(いっもは言わなくてもお尻出して走り回っているのに)で、くねくね動いてなかなかやらせようとしません。こちらとしては、こんなふうにお尻をだしてくれるのもいつまでか、とかわいいやら嬉しいやらではありますが…、何とか2日分のシートを完成させ、ランドセルの上に置いてやりました。

 その後準備をすませてランドセルを背負おうとした息子が突然、「(ぎょう虫検査紙をランドセルに)早く入れろ!」と言いました。その言葉にムッときて、「なにっ! 親切にビニールに入れてそこへ置いてやったのに、ランドセルにまで入れないかんのかね!」と私。

 案の定、逆切れした息子は、部屋の戸をバンッ!と閉め、靴もひっかけたまま走って外へ向かいました。しかし、このまま学校へ行ったらつまらん一日になるだろうと考えた私は、走って追いかけました。

 私が追ってきたと分かった息子は、玄関のドアを外側かち押し、私が外まで追ってこないように必死にドアを押さえます。それに対し、私が内側からドアを開けようとして、ちょっとした押し合いになりました、その時、ふと、「あ!これ、抱っこ法だ!!(学習会でやった)五分と五分の力での張り合いだ!」と気づきました。そう気づくと、「何だか楽しい~! もっとやっていたい!」という気持ちになってきました。けれど、もう集合時間!そういつまでもは押し合っていられません、結局、押したり引いたり、その時間はわずか一分足らずでした。

 ドアを押すのをやめて小窓からそっとのぞくと、足取りも軽く、スキップ混じりに集合場所へ向かう息子の姿がありました。その姿を見て「やった!」と思った私でした。

 こんな朝のやり取りで、日常のほんのちょっとしたすきまに、いくらでもプチ抱っこのチャンスが潜んでいるんだなあと実感しました。

「~しようね」

 いろんなことがあったけど・・・。また何事もなかったかのように、始めてみようかな。苦しくて苦しくて、私の周りにいる人にSOSをいっぱい発信してみました。主人、先生、友人・・・。子どもたちにも。それぞれが適切なアドバイスをくれるって、すごいですよね。人生、何も無駄になる事がないと、改めて実感です。

 だからって、今の私が必ずずっと前向きかって言うとそうではなくて凹んでいる方が多いかも。それでも少しずつ前に進みたい私は、今朝とりあえず『日常抱っこ』をやってみました。

 それは突然はじまる次女の爆発、
次:「ママァ~小さくなった上履き、持って帰ってくるのを忘れたけど、新しい上履き持って行ってもいい~?」
マ:「ママとの昨日の約束は、古くなった上履きを持って帰ってきてから新しい上履きを持って行くってことだったから、今日はガマンしようね」

解説:ママのセリフに注目。いつもの私は「~しなさいっ」って言ってしまう。でも阿部先生の新刊 に載っていた『しつけの技術』で、お母さんが子どもにいけない事を教えてあげる時の言葉遣いが書いてあって、私自身も「~しなさいっ」より「~しようね」の方が言う事を聞けるなと思ったので、早速実験。

 でも私も朝の忙しい時間に言われたので、「~しようねっ」ってなってしまったけど(-。-;)。
次:「絶対に今日古いのを持って帰ってくるから~」
マ:「今日(古いのを)持って帰ってこれるなら、月曜から新しいのにしようねっ」
次:「え~、う~。。。なんでっいいでしょっあ~~~~っもうっっ(。>0<。)それじゃぁ履いて行ける靴下も無いし一体どうすればいいってゆうのっ(号泣)」

 そして私が靴下をあれこれと出してみるものの、
次:「え~これは小さいこれは大きいこれは気持ち悪い」(それでも気持ち悪い靴下を選んで履いたので)
マ:「あ~気持ち悪いね。いやだね」
次:「あ~もう気持ち悪いっ私、今すっごい気持ち悪いのをガマンしてるんだからねっ」
マ:「そうだよね、頑張ってるね」
こんなやりとりを何回か繰り返して、私はなるべく語尾を「~しようね」に気をつけて・・・。

 すると数分後、次女からは鼻歌が聞こえて来ました。そして気持ちよく学校へ行く事ができました。私も気持ちよく送り出してあげられました。

「悲しかったの」

お返事ありがとうございます。そうですね、素直に表現できればと思いますが、何十年にもわたってきたことを今日明日に改善していくのは、自分でも無理だと思っています。阿部様のおっしゃるとおり、ゆっくりいきます。

ここ数日は、平穏な日々が続いています。もちろん一日のうちに衝突はしていますが、その行動に対して娘に話をしていて、だらだらと自分の感情をぶつけるようなことは無いです。

 今日は心疾患の子どもたちとの集まりがあり、そこの公園でお姉ちゃんに遊んでもらいました。そのお姉ちゃんたちと、少し離れた、動物公園へ行くというので、私とは離れて娘はいってしまいました。10分弱たったころでしょうか、お姉ちゃんにつれられて泣きながら帰ってきました(別のお母さん一人ついていってくれていたのですが)。わけを聞くと、一人で遠くへいっちゃったから悲しかったの・・・「わかる?」といっていました。「うん、わかるよ」といって、私の膝に抱っこされてひとしきり泣いて、膝に座ったままお絵かきをしました。最初はいらいらして、紙に殴りがきをしてましたが、しばらくすると落ち着いたようで、話をしながら絵を書き始めました。そのあとも機嫌よくしていました。

 いい子でいる日々が続くとまた、あのイライラの日がくるのだろうなあと思っているのですがどうなるのでしょう。

今日はこの辺で。ありがとうございました。

「自分に快適なもの大切なもの」

 すっかり風は冷たくなり長袖を羽織っているこの頃です。
 阿部先生他皆様お久しぶりです。

 息子は小学校一年生になり、毎日ランドセルを背負って友達と道草しながら学校に行っています。サッカーが大好きな息子は、早速学校のサッカークラブに入り泥と汗まみれで帰ってきます(^-^)。先日は公式試合がありました。残念ながら負けてしまったのですが、本当に悔しそうで・・・色んな感情が表に出てきて、傍らで見ていて微笑ましいです。

 学校の近くに引っ越したので、友達も沢山遊びに来ています。友達が喧嘩を始めると、「喧嘩するなら帰れ」なんて言ったりもしていますよ。自分も喧嘩するのに・・・(*^_^*)。相変わらずのお笑いと動きっぷりは変わりません(^_^;)。甘えん坊の所も変わりません。毎朝のハグでは「もっとハグして~」!!(ムギュー)「ママ~マッサージしてーー」・・・そのまま熟睡の息子君・・・zzz。

 サッカー、将棋、友達、自分の世界を広げている息子に影響されて、私も少しずつですが自分の快適なもの、大切なものを見つけられるようになってきました。
 観葉植物を育てたり、お花をテーブルに飾ったり。
 夕食は本を見ながら新しいメニューを増やしたり。
 画集をカラーコピーして額に入れて飾ってみたり。

 最近は母や義父も我が家にお茶を飲みに来てくれるようになりました。そんな両親にお茶を入れてあげたり出来ることが、とっても嬉しいです。人に甘えて自分を変えてもらおうとしてばかりでは、幸せにはなれないですね。ちょっと疲れていても、微笑んで思いやりの言葉を発するだけで、自分が幸せになれたりするんですね。

 これからも色々あるとは思いますが、色々あるのが人生と思い毎日を送っていきます。遠くで見守って下さる先生方本当にありがとうございます。

「みんなで抱っこ」

 こんにちわ、お元気でしょうか、和く輪くだより届いています。ありがとうございます。 引っ越ししてはや、1ヶ月半何とか片づき落ち着いてきました。T市に来てからKはしょんぼりしているように見え、お腹もゆるく、精神的にまいっているのかと思いました。でも下痢が2週間も止まらないので病院にいくと、4月に体調をくずした時と同じ、086が原因でした。それから病院通いと薬を飲む日々が続き、先日ようやく菌がなくなりホッとしているところです。こんな理由で、なかなか連絡もできませんでしたが、その短い間にKが変わってきたので報告します。

 T市に帰ってから、ベットで毛布をかぶり、「赤ちゃん産まれたよ」ごっこをするようになりました。「苦しかったよう~」「暗かったよう~」と言いながら毛布から産まれてきて「ママ抱っこして」と赤ちゃん抱っこをせがみます。何度も何度も同じ事を毎日繰り返していました。1か月くらいやっていたでしょうか、気がつくといつの間にかお友達と遊べるようになり、小さい子、赤ちゃんにも少しやさしくできるみたいです。キイキイと金切り声で叫ぶ事も少なくなりました。先日、初めてこっちの抱っこに参加しましたが、子どもの数より、先生の数が多く、でもその後、すっきりした顔で笑い、いろいろ話しだしました。こんな事は初めてだったので、とてもおどろき、うれしかったです。家で私一人で抱っこしていても、ここまではたどりつかなかったのですから・・・それではまた連絡します。走り書きですみません。

「いないと思ってごっこ」

 我が子は抱っこが大好き。小学1年生になって「まぁかわいい」などと抱きしめられて、まだトロケソウな顔をしているのは赤ちゃんの頃に満たされない思いがあったのかなぁ、と思ってみたり、抱っこするのは良い事だから許されればどの子もこんななのかなと思ってみたり。どちらにしても抱っこは私も幸せなのでもう暫くは続くでしょう。もうひとつ我が子の好きな遊びが<僕がいないと思ってごっこ>。私におんぶをして「あれ? Mがいない」と言わせるんです。状況設定は色々で、出掛けようとしている時であれば「もう、置いていっちゃうよー」「やだよ、待ってよ」「じゃあ、早くしなさい」「まってー」「だめだめ」と外へ出ると現れて「あれっ? 何時の間に」となります。時にはあっちだよこっちだよと言って家中探させます。「2階にいる」(えっ?おんぶしてるんだよぉ。行きたくない)「降りておいでー」「来てーー」(あー)重いのをがんばって階段をそ~っと登り「わっ!!」なんていないと判っている部屋に飛び込んだり。「後ろにいるよ」と言われても見つけてはいけないので、首だけ回さず上半身ごと回して後ろを見るんです。で、「いないじゃない。声はするのになー」なんて。それにしても、ぴったりくっついていながらいない事にするって意味深じゃぁないですか?もともとは、私が始めたおふざけなんですけど。何かの本だったかな、もっと小さい子についてだったと思いますが親から離れる練習みたいに書いてあったものもあったような・・・。やっぱり、幼いんですかね。

「手のひらと手のひらが丁度いい感じで」

 3年生になったMは、クラスの友だちも担任の先生も替わってまだなれないようで、友だちともいろいろあって元気がありません。夜は怖い夢、自分が死ぬ夢が多いらしく、寝たがりません。勉強も自信をなくしているようで、宿題にも手がつけられません。今までは学校から帰ると友だちと遊びに出かけたのに、今はずっと家でひとりで居ます。自分で自分を立て直しているような感じがして、頑張ってるなって感じています。

 私は、今は、ぎっくり腰が良くなってきたところなので、あんまり体で張り合ってあげられず、話を聞いています。でも、私、ただ「そうなんだ、大変だね」って聞いているだけで、Mの心とはずっと距離があるのかも。この前の自分と向き合う時間に、ロールプレイをしてみて気がつきました。それに、話しを聞いているうちに、私のおとな心が、子ども心にバスジャックされてしまうんです。いろいろ思い出して、子どもの時の気持ちが現れてきて、一緒に不安になってしまうんです。どしっと構えて「大丈夫!」と言える力のあるお母さんでいようと思いつつも居られないんです。でも、不安な気持ちを持ちつつも寄り添ってくっついて、あったかく抱きしめてあげたいなと思いながら、接しています。

 ぎっくり腰で起きあがれなくて寝返りもできなかった時、Mが体でお話ししてきました。私の体に「張り合って」って感じでぐいぐい体全部で押してくるんです。ぎっくり腰なので、ほんのちょっとの振動もすごく痛いんです。何も応えてあげられない、自分のことで精一杯って感じでした。「痛いよ」っていうと私の腕を引っ張ってきました。Mの手のひらが私の手のひらをぐいぐい押してきて、押し合ったり、どっちかの押す力が強いとくねくねしたり、引っ張りあったりしてました。いつの間にか、二人の手のひらと手のひらが、ちょうどいい感じの押し心地、張り合い心地で押し合っていました。「なんだか、丁度いい感じで気持ちいいなあ」と味わっていたら、Mの力の入った顔が、すっきりした顔になって、「ママ、だいすき!」ってくっついてきました。体が全然動けなくても、病気で寝ている時でも、全身で思い切り受け止めてあげられなくても、、、いいんだ、、、。いつも全身で全力で張り合ったり追いかけまわしていたので、、Mの育ちに追いつけなくなってきていたので、、、じ~んときました。うれしい出来事でした!

「3人が幼稚園に入園してから」

 鷲尾様
 こんばんは。ご無沙汰しております。いつからお便りしていないのか忘れてしまうくらい久しぶりですね。その間、たくさんいろんなこともあったし、いろんなこと感じながら過ごしてきました。

 3人の幼稚園の入園、役員を引き受ける羽目になり忙しい毎日、そして主人がダウンしてしまい入院、代理で仕事・・・などなど。怒りの感情が抑えきれずお弁当箱を投げつけて壊してしまうなど、相変わらずチャイルドが暴走してしまうことも多々あり・・・。きっと泣きたいんだってわかっていても泣けなくて、怒りばっかりあふれ出てきて仕方ないので、誰にも見せられないくらいの怒りに満ちた顔を思いっきり布団をたたいていると、一瞬固まった子どもたち。しかし、ハッとして隣の部屋へ行き、楽しそうに特大の「たたき棒(新聞紙を巻いた棒)」をつくり、私に手渡してくれました・・・。それが嬉しいやらおかしいやらでやっと泣けてきました。泣きたかった原因なんて結局のところわからないんだけど、それでよしっと。

 何でしょうね・・・子どもは明らかに成長していて・・・・多分私も成長してるんだって思います。これでいいんだって思えるし、だんだん地に足が着いてきた感じがします。駄々こねの時期が過ぎてなのか、夏休みゆったりと過ごせたからなのか、今はわりと3人ともそう、ギャーギャー言うこともなく扱いやすくて、何だか物足りない気も・・・(笑)。

 そんな中、主人には非常に感謝していることがあって、仕事が休みの日や、主人の実家に行ったときなど、パパが悪者になって、子どもたちに「かにバサミ(足で子どもの身体を捕らえる)」をして、「パパの味方です。もうわがまま言いません! はずしてください」と言うまで放さないという遊びをします。これは、もう小さいときからのお決まりの遊びなのですが、・・・。そしていつも3人は泣かされ、私の元へ・・でも、ちょっと「ヨシヨシ」ってしてあげると、あんなに泣いていたのがあ~ら不思議。

 すぐにパパに向かってやっつけにいっています。すぐやられちゃうんですけどね・・・。でも、子ども3人で団結してやっつけに行くと、パパは負けちゃうんです。この辺はパパも考えてるんでしょうね。普段なかなか泣いたり駄々をこねたり出来なくなってきたけど、そんなパパの遊びや、おじいちゃんおばあちゃんの家に行くと、おとなの頭数も多くて安心するんでしょう。急にたいしたことじゃないのにすねて聞き分け悪くなったり、ワルごとしてみたり甘えて、「ごはんたべしゃしぇて・・・」なんてことも。もちろん、たっぷり甘えさせます。本当におじいちゃんおばあちゃんの存在はありがたいですね。

 今日はSが、「幼稚園は、何するところ?遊ぶところ?」というので、「ん~」っと私が考えていると、Hが「頑張るところ!!」とキッパリ言うのには驚きました。子どもにとってはその言葉がぴったりのような気がしました。そして、おとなはそれに気づいてあげるべきだと・・・。おとなが思うよりもはるかに意識して頑張っているんですね。だから家はいつも、「頑張らなくてもいい、ありのままの自分でいられるところ」でありたいですね。

 いつも私が疲れたとか○○が痛いなどと言うと、布団を敷いてくれて「寝ていいよ」「休んでて」と言ってくれる子どもたち。すっかり甘えて、だらだらと過ごす私・・・、怒ったり、泣いたり出来る家・・・・。私が育った家では出来なかったけど、このうちは本当に私にとって居心地のいい家になりました。果たして子どもたち、主人にとって、自分が自分でいられる場所なのかな・・・・?

 またお便りします。

「絵本『しゅくだい』との出会い」

 阿部芳子さま
 たぶん先生はご存じかと思いますが、私にとっては不思議な縁で、『しゅくだい』という絵本に出会いました。数日前、母と大げんかがきっかけで、息子にひどい八つ当たりをしてしまい、途方に暮れて、息子を旦那に預けてひとりで車で外出して、本屋さんへ立ち寄ってぶらぶらと本をながめているうち、せめてものお詫びに、絵本でも買っていってあげようかな、と。

 どうも息子はいもとようこさんの絵が好きらしく、家でも、破れてしまってもうお話しとして成り立っていないようないもとさんの絵本をいつも持ってくるものですから、いもとようこさんの絵が使われている絵本はないかしら…と探してみました。何冊かはありましたが、文章が長すぎたり、いまいちピンとくるものもなく、ビニールで包装されていて中味が確認できなかったものの『しゅくだい』という絵本が、表紙に動物がいっぱい描かれていたので、息子は動物が大好きだし、他にないから仕方なくそれを選びました。「しゅくだい」なんて題名だったので、小学校低学年くらいが対象の内容で、たぶん息子にはまだ早いだろうな…と思いながら買ったのですが。

 家へ帰って、その日には包装すら取る気力もなく、次の日の昼に初めて息子の隣に座って開きました。そうしたら、…この絵本は、出会うべくして出会ったんですね…、「しゅくだい」というのは、「家でだっこをしてもらってください」というしゅくだいだったんですね。この状況で、私に必要な絵本だったからこそ私の元へやってきてくれたみたい。

 そういえば、つい何日か前、Mさんの通信でだったか、それとも新聞でだったか、はっきりとは覚えていなかったんですけど実際に、「宿題だってことは内緒にして、おうちでお母さんに抱っこをお願いしてみてね」という宿題を出された方の話を知ったばかりでした。

 ただ、もしも、自分が小学生の頃に実際に先生からこんな宿題を出されていたら、私は一日中母へ抱っこをお願いすることなんてできずにいただろうな…とものすごーく寂しい気持ちになったことも事実ですけど(笑)。おそらく、そういう宿題が出されたことを万が一母が知ったとしても母のほうも、どうにも抱っこできないでとまどって困り果てただろうな、と。

 学校の先生は、もしかしたら、実際にこういう宿題を出してみて、その感想などを聞いて初めて、ひとりひとりの家庭での環境を知ることができるのかもしれませんね。きっと、とっても嬉しそうな子と、とっても寂しそうな子と、はっきり二分されてしまうかも。もしかしてそういう宿題を出してもらっていたとしたら…私の人生も、ほんの少しでも変わっていたのかな???

 不思議なモノで、最近ずっと、抱っこをするたびに(それこそ一日に何十回も)、やたら「だーいすき」としがみついてくれていた息子は、やはりここ2日間くらいまったくその言葉を発しませんでした。表面的には息子の態度は何も変わっていないように見えるのに。昨日は「だいすきして」ってお願いしたら一度。今日はやっと一度、自分から「だーいすき」をしてくれました。きっといっぱい寂しかったんだろうな。自分をいっぱい反省したけど、その変化に気づける母親で良かった、とも思いました。抱っこ法に出会っていて良かった。

 あ、あのね、先生、母と喧嘩したすぐ直後のこと。飴をなめていた私は、泣いていて飴をちょっとのどに詰まらせて2~3度むせたんですね。そしたらなんと息子が、私の隣へ来て私の口元に手をあてて、「ごほっ、ごほっ」と私をいたわる仕草を。そしてそのまま私のお腹へ抱きついて、「だいじ、だいじ」と二度。そのまましばらく、だまって私の体に寄り添って座っていました。こんなに私のことを分かってくれている息子に、本当に感激しました(なのにその数時間後に私は八つ当たりしてしまったんだ…)。

 あと一ヶ月でやっと2歳になる息子。生まれてからたったの2年でこんなにまで成長した息子を知っているのはきっと私だけです。単なる一般的な成長という意味ではなくて、こんなにも思いやりを持って接してくれているという意味で。もうすでに、息子にかなわないんだなぁ…。嬉しいくらい。

 そうそう、余談ですが、我が家の息子、眠る時は私が隣でくっついていないと寝ないんですけど。それが、腕まくらもしながら、両手で抱きかかえて横になっているのに、息子が自分で私の体に手を回してきて、「もっとくっついて、もっともっと」と言わんばかりに、何度も何度も力を込めて私の体を引き寄せるんです。毎日。これ以上くっつきようがないくらいくっついているのに(笑)。で、手に持って離さない車のおもちゃが邪魔になることに気付いて、いつも途中で枕のむこうへおもちゃを置くんですよね。自分で。それからまた改めてぎゅううううってくっついてくる。何度抱っこしてもどれだけぎゅうってしても、これに限っては飽きるってことはなくって、どれだけでも、子どもにはあればあるだけ必要なんだなぁって思います。もしかしたら、「赤ちゃん(8か月になりました)が生まれても、ぼくの抱っこも忘れないでね」って今のうちにいっぱいアピールしているのかな???

 こんなに素直に抱っこをしたがる息子がいてくれて、やっぱり私って幸せですよね。

「混乱から嬉しい抱っこへ」

〈第1信〉

 昨日は祝日なのに予約を受けつけていただいて感謝しています。芳子先生には今まで相談にのって頂いていたのに、そのお礼も言えずに失礼しました。なんだか、あの日ぼーっとしてしまって・・言いたいことの半分も言えずに帰ってきてしまいました。すみません。

 さて早くも困った事になり、私の頭が混乱して夜も眠れないので思いきってお手紙書いています。


*出来事その1*

 相談室に伺った帰り、眠そうだったのでダッコするとスーっと寝てしまい、帰宅してベットに降ろし5時から7時くらいまで眠っていました。食事の支度ができあがった頃、泣いて起きたのですが、少し前に帰ってきていた主人に任せ、配膳をしてから寝室に迎えにいきました。主人は寝たままの娘の側で背中をトントンしていました。眠そうだから寝かし付けるつもりだったのでしょう。娘は私の姿をみるなり泣きが激しくなり、私は縦抱きで抱いてあげました。「ぐっすり寝ていたね。お父さん帰ってきてたね」などと語り掛けましたが、どうも『のけぞり泣き』がひどいので、また寝室に戻り今度は、横抱きで抱きつづけました。10分ほど泣きつづけたでしょうか? 一向に収まりません。ハタと気付き「起きた時すぐにお母さんが来てくれなくて嫌だったね」と言うと泣き方がかわり、甘えた感じになりました。

 もう少し抱けば落ち着いてリビングに戻れるかな?と思っていた矢先、主人がのぞきに来て、「おっぱい欲しいんだろ」と声をかけた途端!娘の体が急に動きおっぱいを飲む態勢になり、ひきつけるように泣きだし私のシャツをまくり、「パイパイ」と嗚咽しながら求めてきました。結局主人の横槍のせいでおっぱいに逃げてしまったのでしょうか?


*出来事その2*

 次の日。
 保育園から帰ってきた主人と娘を迎え、いつものように娘が「パイ」と言うので今日あったことを言ったり聞いたりしながらピッタンコタイムしていました。いつもより長くピッタンコしている娘。「昨日はたくさん甘えられてよかったね。今日は久しぶりの保育園で疲れた? たくさん遊んで楽しかったけどお母さんいなくて寂しかったね。よく頑張ってるね」と言いながら頭を撫でてあげていると私の手を払いのけるので、「優しくされると我慢してる気持ちが溢れちゃう?」と聞いた途端降りる姿勢に・・・アッこれは発散させてあげなくては!と思い、主人がいるにもかかわらず別室に行き横抱きを始めました。ここで、素直に床に降ろせばよかったのに・・と今になっては後悔しています。

 相談室でのダッコの時のように反り泣き続ける娘。前日に引き続き、主人が来て、「嫌がってるだろう、抱っこ法なのかもしれないけどちょっと貸して」と言われ、必死だった私は「少し放っておいて」と言ってしまいました。言葉の使い方にうるさい主人は、その「放っておいて」の言葉にカチンときて、「勝手にしろ」と娘もビクッとする大きな音を立てて出ていってしまいました。私はなんとか気持ちを立て直し、娘を抱いたままリビングに戻ると、あわただしく自分の茶碗を片付ける主人。私を迎えるでもなく、私の後ろを無言で通りすぎる主人を見て、とっても悲しくなり、娘を抱いた姿勢のまま動けなくなり・・涙が出てきました。すると抱かれていた娘が私の首に手を回しギュッと抱きしめてホッペをつけてきてくれました。その娘の優しさにまたまた涙が溢れてしまいました。

 お腹が空いていれば腹もたつわと気を持ち直し、まずは私が食べる事にしました。そこで主人から一言、「あなたはお母さんと同じ事をしているよ」。強い主人の前では何も言えなくなってしまう私がいます。退席したかったのですが、動けずただ呆然としていましたが、娘が食事をしたいと言い出したので、娘とお話しながら食事をしました(娘は私たちのことが気になり、全く食べずに私と主人のことを交互に見て笑いかけ、それはそれは痛々しかったです)。このままではいけないと思い、主人に先ほどの言葉の真意を聞きました。そこから言い争いが始まったのですが、要点をまとめると、


※主人の言い分

A:抱っこ法だかなんだか知らないが、泣いていやがっているのに無理に羽交い締めにする事はないだろう。ただ、遊びたいとか自由にして欲しいと思っているのかもしれないのに。現に俺が抱くと泣き止むだろう? キミは抱っこ法の説明をするが、聞いて欲しいとYが言葉で言ったのか? 話せないYの事が何故わかる?

B:キミは世の中の情報におどらされている。自分の子どもなのだから自分の信念もって育てなさい。

C:俺は抱っこ法の事を理解できないし、理解しようとも思わない。両親が同じ考えので子育てしないと、子が不幸だ。だから俺が折れるからキミは勝手に抱っこ法とやらでYを育てれば良い。その代わり俺は一切口を出さないし相談もしないでくれ。もし途中で子育てを間違ったと思っても取り返しがつかないんだゾ。

おっぱいの事だってそうだ!1歳過ぎてもホイホイあげているから、いつまでもけじめがつかない(俺にもなつかない!と言っている様にも聞えました)。

D:語り掛けること自体は良いことだと思うし、いままでキミがYに語り掛けてくれているおかげで最近おしゃべりが出てきた。もし『語り掛け』が抱っこ法の1つだというならそれを取り入れるのもいいだろう。でも『抱っこ法』という他人が考えた方法だけが全てと思ってはいないか?

 Aに対しては心のからくりを説明したのですが、一向に理解を示してもらえませんでした。Yの事がわかるのは母親だから、と言うと、どうせ父親にはわからないサと嫉妬している様子。

 Bに対しては、私自身が母の育て方を真似たくないから、外から情報を得、それがとても素晴らしいことだと思ったので、まだ勉強始めたばかりだけど試しているの、と伝え、私自身がアダルトチルドレンかもしれないという事まで伝えました。母に聞いてもらえなかったから自分の気持ちを整理するのが下手だし、人に伝えるのが苦手。心と裏腹のことや違ったニュアンスのことを、つい滑って言ってしまうこともある、とも伝えました。でも『吐いたつばは飲めないんだゾ』と聞きません

 育児放棄宣言まで出され、すっかり不安にかられてしまいました。おっぱいについてのケンカのときも他の時でもそうなのですが、主人はなかなか頑固です。自分がこれだと思ったら主義主張は貫き通せ!と父親に育てられた主人、それが主人らしいところでもあるとは思います。でも良い情報なのだから、少し知識として取り入れてもいいのでは?と促しても、この時はテコでも動きませんでした。このままいっても平行線なので、今度は私が折れようと、「父母の意見が違うのは私としても辛いので抱っこ法止めるよ」と言うと、「自分がいいと思うならやってみればいいじゃん」との返事…。なんだか『抱っこ法』というネーミングに反発しているのかも、とも思えました。

 私は、方法じゃないんだよ。心の持ちようだったり、ものの考え方なの。あなたは誤解している。だまされた気になって本を読んだりネットで調べてみて。と言っても聞く耳持ちません。

 そのやり取りの最中、すがるようにおっぱいを咥えつづけ、眠ってしまった娘。寝ながら笑っていましたが、その心中を思うとかわいそうでなりません。

 今回のことで、また『この結婚やめればよかった』…と思ってしまいました。結局の所はただの夫婦ケンカなのでしょうが、私は娘にどう接していいのかわからなくなりました。家の中で一人ぼっちのような気分です。私も主人もお互いを受け入れていないから、こう言う争いになるのでしょうか? さっきふとんの中で泣いていたら、こんなことを思い出しました。

 私が小さい頃、寝ていると両親のケンカが始まり、私はふとんをかぶって泣きながらごめんなさい、と言い続けていた事を。同じ思いをYにさせているのでしょうね。どうしたらよいのでしょう?

 今後、主人の前では横抱きにして泣かせる事は止めた方がいいのでしょうね、きっと…。でも、娘が聞いてよ!と愚図った時はどうすれば良いのでしょう? 仰け反り泣きが始まってしまうと、おっぱいでしか収まりません。それを繰り返していれば、きっとおっぱいも受けつけなくなるでしょう。お母さん!この前は聞いてくれたのに、お父さんがいる時はどうして聞いてくれないの? とますます離れていったりしないでしょうか?

 他の方の相談もあり、お忙しいのにこんなに長く申しわけありません。子育て相談でなく、人生相談になってますね。本当にすみません。


〈第2信〉

 先日お手紙を送った時点では、堂々巡りで同じ考えに留まっていた気がします。私も頭を冷やし、資料を読みあさり、いろいろ考えた末・・・私たち夫婦に足りないのは、自己肯定感が足りず、他人を否定する所から入るのではないか?と思い、我が家の3か条を考えました。

1.よく話し、よく笑う
2.泣きごとを言う
3.お互いの存在をみとめ、許しあう

 お休みにこれを主人に見せて説明しました。
 2.に対しては・・・「泣きごとってグチだよね。グチをこぼす相手ってだれ彼構わずではなく信頼の置ける人を選ぶでしょう?!家族なのだからこそ信頼が置けてグチをこぼせる関係になりたい」

 3.に対しては・・・「例えば、この前駐車違反でレッカー移動され警察に行ったよね。その時私は、『やられちゃったねー。気をつけていても魔が差すんだよねぇ。お金かかるねぇ』としか言わなかったわ。でも『えー今年2回目でしょ。この前ももって行かれたのに何故気をつけなかったの? まったく!お金ばっかりかかってもう!』と言うのとどっちがいい? 前者の言い方は『許す』って事よ。この考え方は抱っこ法なのよ」

 と、そして、子どもがダダ子ねした時の言葉かけの事も付け加えました。すると主人は納得してくれたようです。ただ、主人は子どもの時からグチをだれにもこぼして来なかったので、ピンとこなかったようですが・・・「きみのやり方をしばらくみているよ」と言っておりました。

 今の娘自体、特に問題な行動があるわけではないので、父親として今のままの子育てで良い、と思っているようです(それって抱っこ法のおかげなのにね(^_^;))。これからしばらくは、お父さんを説得しようとしないで、こっそりと安心の木を育てていきます。

 分かり合えなくてつらいこともあるけど、抱っこ法を知らなきゃよかった、とは思ってません。むしろ、出会えた事に感謝し、これからどんな人生になるのかワクワクしています。今後もたわいのないケンカもするかもしれません(その最中はどん底ですが)。これからもよろしくお願いします。

 それから、私の理解がこれで良いのか教えてください。


※怒り泣き=心の歯止め。

歯止めが取れる=母と子に信頼関係が築けた。
……彼女の中で、この歯止めが取れれば、多少の怒りは甘えにかわるのでしょうか?

【返事:怒り泣き=怒って甘えている。泣いて甘えて、怒って甘えて、ダダをこねて甘えて、文句を言って甘えて=母と子の心の垣根がなくなって、もっと気持ちが通じ合い、信頼関係がしっかりあると実感でき、もっと太くなる。信頼関係があるからこそ、怒り泣きもできる。でも怒り泣きは少し甘え下手になっていることだから、怒り泣きもおおらかに包んで、「よし、よし」していくと、甘え上手になって、甘え泣きになっていきます。怒り泣きは体をそり返したり、突っ張ったり、逃れようとしたり、もがいたり、と身体でも表現してきますから、体ごと「よし、よし」してあげれば、次第に甘え泣きに変わります。なにしろ今のその時のまんまを「よし、よし」することが大事です。お母さんからのどんなYちゃんも大好きが伝わると、Yちゃん自身の肯定感、存在感が根付いていきます。なにしろ親思いの子どもたちですから、親が不安になって抱っこしていると、心配かけたくなくって我慢しますからね。だからもし不安になった時は、「お母さん泣かれると不安になってしまったから、今日はここまでね。また続きは今度ね」とやめてしまって、お母さんの余裕を取り戻したら、また抱っこしたらいいのです。お母さんに無理がいかないことも大事です。少しずつね】


※主人がいる前で、聞いて欲しいよーとのけぞり泣きを始めそうになった時、テレビやおっぱいで封印をしてしまう事は、信頼関係を壊す事になりませんか?

【返事:「お父さんはYが泣くととってもつらくなってしまうんだって。だからお父さんがいる時にはじっくりは聴いてあげられないよ」と、前もって事情を話しておくと、場をわきまえて出してくれると思います。お父さんも大好きなYちゃんですからわかってくれるはずです。それでも子どもですから、あふれてきてしまうことはあるでしょう。そんな時はほんの少し時間稼ぎして気持ちを出してもらって、そしておっぱいをあげたりしても大丈夫です。例えば、おっぱいを出すまでに手間取るのです。どこで飲もうかなんて場所を選んだり、ボタンがかなかなはずれないなあなんてことにしたり、あるいは、あっちに行って遊びたいなんて時には、「あっちいこうね」と連れて行きながら、歩幅を小さくしたりゆっくり歩いたり、そんな工夫をして、何十秒かでも気持ちが聴いてあげられたら違いますよ。お父さんからみて不自然でないようにね。子どもは賢いから、事情をちゃんと理解しますよ。お母さんも賢くやってください。そんな工夫をしていくと、子どもの気持ちも受け止められるし、お父さんへのいたわりもできて、そして結果もついてきますよ。信頼関係は元々あるから大丈夫。気持ちの我慢をしやすいだけです。それはおいおいにほどけていきますからね】

 今朝は、とても冷えこみましたね。日中はまた暑さが戻るようです。ステキな秋の足音が近づいて楽しみでもありますが、くれぐれもお体ご自愛くださいませ。


〈第3信〉

 ご無沙汰しております。先日はいろいろお騒がせして相談に乗っていただきありがとうございました。

 あれから毎日お父さんと一緒に帰って来る娘を迎え、食事の前におっぱいピッタンコタイムをし、食事をしてお風呂に入って・・ハイ寝ますよーとあわただしい生活を送っておりました。そのオッパイの時は私をまたぐ様にして縦抱きで飲むのですが、たまに横抱きにしようとすると途端に苦しそうに泣き出して、私の膝から降りてしまうのです。主人もいるし、無理には泣かせることはしていなかったのですが、私はずっと気にしていました。「なにかつらい事があるんだろうな」「あわただしい中でもスキンシップしてあげてるつもりだけど足りないのかなぁ」「おっぱいで口封じしてしまっていないかなあ」とね。泣き出す娘にも、「お父さんいるからね、言いたいのにね。がまんだね」といいながら我慢させてましたが、食後や風呂上り3人でゴロゴロしている時は、彼女なりにとっても幸せそうに見えました。

 そして昨日のこと。主人が夜に仕事の関係で外出すると言うので、主人と二人で車でお迎えに行って途中でご飯を済ませ、家に着くと主人はすぐに出かけていきました。チャンス!!!とばかりに抱いてあげました。「お父さんがいたから泣きたくても我慢して偉かったね」「今日はたくさん聞いてあげるよ」と抱きはじめました。

 すると、はじめから私にぴったり寄り添ってくるのです。言葉をかけるとたまに仰け反ったり涙を流したりはしますが、私の目をじっと見てなんともまぁリラックスしている事。(*^o^) 20分くらい張り合ってそのまま眠ってしまったのです。そして今朝、もりもりご飯を食べ、お腹がいっぱいになると、主人の所に行ったり私のところに来てベタベタして、ホッペをくっつけてくるのです。なんともまぁカワイイかわいいカワイイ娘でした。

 登園時も家を出るときは私が抱き、車の前で主人に渡すのですが、いつもはイヤイヤとそっぽ向く娘が、今朝は主人に手を向け、「だっこー」と素直に抱かれ車に乗ってくれました。

 通勤電車の中で『通信』を読みつづけていますが、頭で理解しても、実際抱けない環境をもどかくし思っていましたが、昨日のことで少し心で理解できた感触を得ました。まだまだ外を歩く時に手をつないでくれなかったり、目を合わせなかったりとすねている部分もありますが、少しづつダダこねと付き合っていけそうです。

 来週は予約しておりますので、また色々と教えていただけたらと思います。

 また台風が来ていますね。週末はは保育園の運動会なのに・・。テルテルボウズを久しぶりに作ってみましたが効きそうにありません(でも雨天なら体育館なのでそれはそれで楽しみたいと思います)。

 阿部先生。芳子先生はじめ和く輪く舎の皆さんのご健康をお祈りしております。

「それくらいのことで親子の絆は…」

 早速のお返事有り難うございました。
 WさんにFAXをした次の日の出来事です。3人(双子のお姉ちゃんNとT、2才。弟H、1才)を連れて公園に行きました。2つしかないブランコにHも含め3人が乗りたいので順番です。でもこの日はTしか代わってくれません。Nに「じゃあ、あと10回ね」を3回しますが代わりません。

 ここで私が「じゃあ、もういい!」と言ってしまえばいつもといっしょ。WさんにFAXを書いたことで少し気持の整理が出来ています。黙っているNにまずは泣いてもらうことにしました。外なのでちょっと気になりますがチャンスです。

 ブランコから降りないので「じゃあ、ママが抱っこしてあげるから代わって」N「いや!」「おして!」私が手をかけると抵抗しますが抱きついてきて泣き出しました。(やった!)

 ここからNが怒り始めます。私の手をバシバシたたいて「(ブランコを)押して!」「乗りたいよね~、でもHも乗りたいんだって」

 そしてNの苦しい気持を探ります。思いつくあらゆることを話してみました。「保育園がいやだったかな~?おしゃぶりなくてさみしいね~・・・・」「Nチャンの苦しい気持はなんだろうね。うまく説明できないね~」Nはまだ怒っています。

 私の頭の中はNが黙ってしまうとき、どんなときだったか整理しながら話しています。(かわりたいけどかわれない。ベビーカーからおりたいけどおりたくない・・・彼女の中での葛藤。何か言いたいけど言えない。私もよく言いたいことがあるときは黙りこくったっけ・・・・)

 そこでTが助け舟です。
T「Nチャンおんぶだって」
私「え、おんぶなの?」
N「おんぶ・・・」「そっか。おんぶか」とNを背負います。
自然と私の口から「頑張ったもんね」とでました。するといままで怒っていたNが「うえ~ん」と私の背中で泣きはじめました。

 キーワードはWさんの察した通り「頑張った」でした。ここで私も泣きたくなりましたが、外だったので我慢しました。残念・・。

 そうでした。Nは頑張りやさんでした。何をするのも「自分が(で)!」とやってきたN。ただ、我を通したいだけでなく、お姉さんになりたかったのですね。毎日のことだったので気付いてあげられなかった。順番できることがお姉さんみたいだけど、だけど代わりたくない自分もいる。駄々を上手にこねられなかったのですね。言いたいことを言えないのは私が押さえつけてる?と思ったりしましたが、どうやら彼女自身の成長願望の心の葛藤だったようです。

 その日の夜の出来事です。寝る前にみんなミルクを飲むのですが、前はたまに「赤ちゃんする」と言って横抱きにして「よしよし、N(T)赤ちゃん、おいしい?」なんてこと、よくやっていましたが最近はあまり自分たちから言わないし、私から言っても「やらない。赤ちゃんはここ(H)」というのでやっていませんでした。ところが恥ずかしそうにちっちゃい声で「あかちゃんして」と言ってきました。久々に赤ちゃんごっこをしました。そして眠るとき、ここのところ私の隣じゃなきゃ寝ないくせに、私に背を向けて寝ていたNが私のほうを向いて眠りました。

 そんなこんなでめでたしめでたしと言ったところでしょうか?ひとつ超えてまたひとつ。山は沢山ありますね~。次はTでしょうか・・・。なんだか暴力に拍車がかかってきました。みんな順番順番って待っているのでしょうね。

 今回で「抱っこ」ってこれだ!って実感しました。そして気にしていた「きらい!」って言ってしまったことや、たたいてしまったこと、そういうことってもちろん肯定できることじゃないけど、それくらいのことで親子の絆は損なわれるものじゃないみたいですね。兄弟喧嘩と同じなのかな?Hも毎日NとTにやられてるけど、にこにこよっていくし。NもTもどんなにかまれたってたたかれたって、やっぱり大の仲良し。親子もそういうものなのかな。って思ったら、言いたいことは言おう!って思いました。

 また、行き詰まった時には相談させてくださいね。

「抱っこの話をしています」

 新年明けましておめでとうございます。突然のメール失礼いたします。
 ずいぶん前ですが(1年3ヶ月くらい前だと思います)、娘が半年くらいの時にお世話になったものです。

 一回しか伺っていないのですが、そのときの先生(芳子先生)の言葉の選び方、声かけの仕方がすごく勉強になったのを覚えていて、それからず~っとなにかあれば娘の言葉を代弁するように、心が落ち着くまで同じ言葉を話していたり、「Mはママの宝物だよ」と話したりしています。

 また自分でいろいろ感じたことを独り占めするのはもったいないなぁと思って自分がしている抱っこの話を良くしています。たとえば「人見知りってどうしてますか?」という男の子のママさんからの問いに、

 まず、人見知りってすごく自然なことだと思うんです。大人になっても人見知り多かれ少なかれ人見知りってすると思うんです。そこから打ち解けるには大人でも時間がかかることあるような気がします。子どもだからといってすべての人に人見知りしないって大変だと思うんです。

 うちの子も人見知りする時期がありました。うちの子の場合は面白くて発達の次のステップに行くときに人見知り&ママべったりになります。そこで愛情チャージしてからステップアップしていきました。立ち上がるときとか歩き始めなどの時は顕著にでました。

 また、うちの子は授乳中なので強く思うのかもしれませんが、最初はお腹の中に一緒にいて、生まれてから直ぐのときは肌を離すだけでもお互い寂しくて、もう少しすると見えてる範囲ならお互いそわそわしなくてすんだりして、だんだんお互いの距離が離れていくんだと思ってます。最近は言葉を話すようになったので、見えないところにいても少しの間なら大丈夫になってきました。すこ~しずつ行ったりきたりしながら我が家は子どもとの距離感(?)が変わってきました。

 この距離感というか安全基地の範囲というかそういうものは子どもたちの集まりなどでも感じます。最初はお母さんと遊んでいて他の子どもを見たりしながら、どうしよ~かな~なんて思ったりして、少し近づいては戻ってみたりして、ゆ~っくりゆ~っくりお友だちと自分の安全基地が重なったときに仲良く遊んでいます。そんな我が子も公園で放牧(^^;)して私がベンチでニコニコしてればると、お姉ちゃんたち混じって遊ぶまでになりました。

 もちろん人見知りのほとんどない子もいるとは思いますが個性だと思うんです。その子その子のペースがあると思うんです。のんびり見ててもいいのでは?と思います。ただ、周りに「あら~、人見知りするのね~」なんて(悪意はもちろんなくても)いわれるようでしたら、「ちょっと恥ずかしいみたいです」と取り合えずやりすごして、お子さんには「自分のペースでいいからね」とお話してあげるのもいいかなと思います。「そのままのあなたでいいからね。そのままのあなたで十分すてきよ」って自分もいわれたら勇気わいちゃうもん(私が単純??)。

 我が家は両親が「そのままのMでいいんだよ。とってもすてきだし、大好きよ」ってオーラを出してMのサポーターになろうと思ってます。

 お母さんがそう構えていれば同じ人見知りでも違う側面が見えてきて人見知りも上手く折り合いが付くかも(折り合いが付くって書いたのは、個人的に人見知り0でなくてもいいと思っているので)と思います。

 なんだか、長々と書いたのにうまく伝えられなくてすみません。

 とお話してみたり、「反り身で困ってます」という問いには、

 私は自分が今までしてきた抱っこ法の経験(すんごく浅いですが)をもとにカキコしますね。

 初めての育児、いろんなこともあって不安ですよね。私もそうでした。

 我が家の最初の抱っこは「何かつたえたいんだねぇ。今は分からないけど、分かってあげたいんだよ」ってお話しました。

 抱っこの基本は子どもの気持ちに共感することなんですが、もっと大事なのは、自分の気持ちをよしよししてあげることだと思います。「あ~頑張ってきたね。わからないこといっぱいだね。そっか~不安なんだ。」って少しずつ自分をよしよしすることが大事だと思います。自分を大事にすることが子どもや家族を大事にすることにつながると思います。体を休めることかもしれないし、人に甘えることかもしれないし、わがまま言うことかもしれないし、ここなどで相談にのってもらうことかもしれないですが、いろんな方法があると思います。そして、今の状態は決して**さんが問題なのではなくって、みんな同じようにいろんなことで悩んでいくんだと思います。まずは**さんをお子さんが選んで生まれてきてることを信じて(私はそう思ってます)どんな状態でもお子さんにとっては**さんが一番なんですから自信をもって、そして自分の心をよしよししてあげてください。

 もしかしたら、**さんが不安だったり、私はいいママじゃないって思ってることに対してお子さん心配してるのかな?とも思います。子どもってものすごく親思いですし、親が困ってると「自分のせいで」っておもっちゃうこともあります。

 あと、ほかにも「え~~こんなこと心配してくれてたんだぁ(涙)」なんてこともありました。ご自身の抱っこに不安の時や八方ふさがりになってしまって、亀戸、錦糸町がお近くでしたら、阿部先生の所へ行かれてもいいと思います。私も伺ったことがありますが、言葉の選び方などすごく勉強になりました。

 そうそう、娘の訴えが分からなくてつらそうなときは、「つらいね~つらいね~」なんてエンドレスに言って寄り添ってるときもあります。そして思いついたことをひとつずつ聞いてみます。それと、月齢が低いときは、抱っこで「これだよ~」って泣きにはいったら、ある程度のところでこちらが「よしよし」ってなだめて上げないと自分で収拾がつかなくなってしまうそうです。

 いろいろあるかもしれませんが、ひとっとびでいいお母さんになる人はだれもいませんから、ゆっくりでいいと思うんですよ。お子さんだってお母さんが育つのを手伝いたいって思うだろうし(お役に立ちたいっていうのは思ったより小さいころからあると思うんです)もっとお子さんにも甘えてみてくださいね。

 そのほかにもダダこねの問いに関して、

 うちもダダこね&イヤイヤ期に入りました。ダダをこねて♪ストトントン♪とステップを踏む様は「そんなに速くステップを踏めるのね~」なんて妙に感心してしまうくらいです。そしてうちもオッパイっ子です。

 我が家の場合、(親が出来る範囲で)秩序とリミットを教えるということをしています。あと抱っこ法ですね。最近よく感じるのは、「話せば分かるなぁ」ということです。いままでも分かるのは分かるのですが、頭というか理性と本能が葛藤してるんだなぁというのを感じます。

 ダダこねといえば、昨日も東京は雨でしたが、体のメンテナンスのために整体にいったんです。そこに行くまでに途中で何か食べさせようと思ったんですがそうも行かずそのまま治療を受けていたら、クズリ出してしまい、「いつもおとなしいのに・・」と治療院の方もちょっとびっくりしていました。単におなかがすいていて限界だったのですが・・。

 また、雨で我が家はベビーカー用のレインカバーがないので、長靴を履かせて歩いていったのですが、帰りには眠くなってしまって、あちこちあそび始めてしまいました(うちの子は眠いのを我慢してるとハイになってしまうことがあります)。最後には書店の前に出してある幼児雑誌コーナでこれ欲しいとダダこねをはじめてしまい、それまで小さな欲求の数々を我慢してきただけにもう爆発! 床に座り込むし、大声で泣き出すしアララと思いましたが、他の方の邪魔にならないところに移動して「今日は疲れちゃったね。いっぱい歩いて頑張ったね。まゆちゃんに本を買ってあげてもいいんだけど、ママの持ってるお金は食べ物を買うためのお金しかないの。今買ってしまうと食べ物を買えなくてパパもママもまゆちゃんも困っちゃうよ。パパに今度買ってもいいか聞いてからにしようね。泣きたくなっちゃったね。少しエ~ンエ~ンしてから帰ろうか?」といって思う存分泣かせて(といっても10分くらい)から帰りました。周りの人も親が「泣くんじゃない!!バシッ!」なんてやってるわけではないのでそう奇異な目では見られませんでした。

 我が家の場合泣くべきして泣かれているので(昨日は親の都合によくあわせて頑張っていました)泣かせようと思ったのでした。

 他にも、私は妊婦なので、体調が思わしくないときもありますし、娘を以前ほどは抱っこできなくなりました。そういう時は、「疲れて今は抱っこできないこと」や、「疲れてオッパイあげられない」とか「Mちゃんは好きだけど、これをされるといやだからやめて欲しい」とか具体的にお願いします。そうすると一旦は泣きますが、その訴えを聞いてあげて(たとえば「もっと遊びたかった」とか「もっとオッパイのみたかった」とか)よしよししてると何とか折り合いをつけてくれるみたいです。ギブアンドテイクな親子です。

 話はずれますが、最近私が叱ると些細なことでも泣き出し、抱きつくようになってしまったことがあります。「なんでだろう?」と思って娘をみていたら、すがるようだったので、「ママに嫌われたと思った?」ときいたら「うん」といわれたので、「Mちゃんのことはいつでも大好きよ」とお話したこともあります。そしてその日の夜から「Mちゃんのこと大好きだから手をつないでくっついて寝ようか?」とお話してぎゅ~って抱っこしてから寝るようにしたら、オッパイで寝付かせなくても寝れるようになりました。長時間の授乳がつらいと感じるときがあったので、助かりました。

 自己嫌悪に陥ることはないんじゃないのかしら?と思います。お子さんがぐずるのもすごく自然なことだと思うし、お母さんがイライラするもの自然なことだと思います。

 私は、「どうして今こう感じているのか。どうしてほしいのか」を具体的に伝えることと、「感情的に話さず自分の気持ちを話す」ということをしています。こうしてると私は落ち着いて娘に話をできますし、お互い我慢もなく楽になりました。

 大丈夫ですよ、お子さんを壊してしまってないと感じます。ただ、**さんがすこしお疲れかもしれませんね。あっそうだ。**さんが体がつらくてイライラしやすいときは梅醤番茶を飲んだり、足湯をしたり、こんにゃくをグツグツ煮てタオルでくるんだりしておなかにあてたりして温めたりするといいかもしれません。お母さんが元気でいることが一番ですから、ご自身にも手をかけてあげてくださいね。

 それでは、また~

とお返事して喜んでいただけました。

 私、高校生くらいのころからのテーマに(今24歳です)「自己主張と協調性のバランスをとる」というのがあったのですが、実は上手くいっていませんでした。でも娘に抱っこ法を取り入れた育児をしていて感じることは、「受け入れることと手放すことのバランス」をとることが大事で、それを支えるものが自己肯定感なんだなぁ。自己肯定感というのは一人ではなかなか培うことはできなくて、誰かの助けが必要なこともあるんだなぁ。でも最後は自分で見つけ、感じるものなのかな、と思っています。いろんな人の思いを受け入れ、自分の思いを手放し、助け合う仲間が出来つつあります。これからもそういう人々の輪をつくりたいと思います。

 今まで何回か御礼のお手紙をお送りしようと思っていたのですが、なかなかお送りすることが出来ず、たまりに溜まってこんなに長くなってしまいました。阿部先生に出会えて、抱っこ法に出会えて本当によかったです。第二子妊娠中で(7ヶ月にはいりました)、娘(1歳10ヶ月)の抱っこもかなりアクロバティックになってきて体力的にも大変になってきました。妊娠経過はとても順調で精神的にもおちついているので、なんとかなっていますが、体力的にきつくなったらお世話になるかもしれません。また、その際は、私と娘との普段の抱っこをみていただいて、アドバイスいただけたらいいなぁなんておもってます。そのときは宜しくお願いします。

 お忙しいとは思いますが、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいませ。先生や癒しの子育てネットワークの皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。

 それでは失礼いたします。

「今日はダメでも明日があるさ」

 新年明けましておめでとうございます。皆さん、お健やかにおすごしでしょうか? 年末突然の雪が降ったりして、どうなる事か?と心配しましたが、元旦はすばらしい快晴でしたね。

 娘、Kも今年の3月で2歳になります。「魔の2歳児」という言葉を跳ね除け、「実りある年」にしたいと思います。

 昨年11月頃から夜泣きをしたり、なんだかKの様子がおかしくて、援助をお願いしようと何度か連絡取ったのですがなかなか予約が取れずにいました。気がかりな原因は2ー3思い浮かぶのですが、その事でダッコしてもピンとこない感じでした。でもダッコの後は、心のパイプが繋がった様子を見せてくれたし、私自身も(予約が取れないならまぁいいか…)程度でしたので、のんびり構えていました。そうこうしているうちに年末になり、今年は3日間のリフレッシュ休暇をもらう事ができ、クリスマスから12日間の休みに入る事ができました。

 休みのほとんどは実家で過ごしました。5歳になる姉の長男(Dちゃん*癒しのダッコ経験者*)も単身で来ており、Kにとってもいい遊び相手になってくれて、楽しく過ごせたようです。Dちゃんは、ちょっぴり寂しくなったりすると、机の下に隠れてそっと泣いたりする子です。気持ちが優しいお兄ちゃんです。それにしても、子ども同士って真似ッ子が好きですね。私が誘導するとあんなに嫌がる歯磨きも、Dちゃんがやりだすと進んでやってくれるし、ご飯も、私と2人のときはあまり進まないのに、Dちゃんが食べると負けじとパクパク!!!頼もしい限りです。

 そんな中、大掃除やらおせち料理を作ったり、母の手伝いをしなくてはならず、Kのそばを離れる事が多く、10分ほどすると『おかーしゃーん』といつも私を探してばかりでかわいそうでした。2階建ての家では、離れるときにきちんと伝えないといけないんだなと、ちょっと反省しました・・・。

 そして、Kは「どうぞ・かして」ができず、Dちゃんの物も自分の物にしたがるので、Dちゃんのストレスも相当なものだったと思います。ましてや、大好きなママやお父さんから離れ、初めてひとりでのおじいちゃん家にお泊りなんですもの・・・。

 ある日、2人があまりにもそわそわしているので、3人で昼寝をしよう!と布団でじゃれ合っているとき取り合いになりました。しばらく右にDちゃん、左にK、を抱いてヨシヨシしていましたが、私の腕が痛くなってきたので、以前読んだ体験談を思いだし、順番にダッコしてあげよう~と、Kからダッコしました。

・・・「お母さんとずっと一緒で嬉しいね。でもチチ(パパ)がいなくてさみいしよね。布団も違って寝にくいね。Dちゃんと遊んで楽しいけど、お母さんがすぐいなくなっちゃって不安だね。今度はちゃんと伝えるからね」

 私がいなくなって不安、のところでは足をバタバタ。とても怒って泣いていました。でも「大好きよ。チューして」と言うと、嬉しそうにチュッっとしてくれるKちゃんです。

 Kをダッコしている間、Dちゃんは毛布に頭から包まってじっと聞いていたようです。そしてDちゃんの番。今度はKが布団の上に寝転んでじっとしています。

・・・「ママとお父さん、妹と離れて寂しいね。Kちゃんも欲張りで困ったね。Dちゃんはお兄ちゃんだからって言われて我慢したくないよね。がんばってるね。私はおうちのDちゃんを見た事がないけど、この何日か見ててDちゃんはお家でも頑張ってるんだろうなーと思ったよ。ママやおばあちゃんからしっかりして!とか言われて嫌だね。でも頑張っててえらいよね。そんなDちゃんが大好きだよ」

 姉から<ダッコの時は暴れてスゴイ>と聞いていたのですが、私に抱かれたDちゃんは、最初ソワソワしていたものの、しばらくすると体を丸くして私の腕の中にすっぽり納まって穏やかな顔に。そして、Dちゃんの口から、「本当に大好きなのはお父さんなんだよ」って教えてくれました。その後も幼稚園のお友だちの事、英会話サークルのお友だちの事など嬉しそうに話してくれました。

 そして昼寝から起きたら、私とKの似顔絵を一生懸命お絵かきしてくれました。そして折りたたんで恥ずかしそうに手渡してくれました。

 5歳児・そして他人のダッコは初めてでしたが、Kを抱くのとまた違い、私自身の(抱こう)という気持ちが少し変わったように思います。Kの時は、何とかしてパイプをつなぎたい・原因を突き止めて楽にしてあげたいと思ってしまうから、Kも嫌がるのかもしれませんね。

 12日間の休みは、私と娘の「安心の木」が少し育ったように思います。私の膝に座り、降り返ってニコーッと自分からチュッとしてくれる様になりました。

 やはり普段、時間が足りないのでしょうね。そして、時間が足りなくなると私の許容量がなくなり、Kに対して「こころここにあらず」になってしまいます。どうしたら、その気持ちをそっと置いておく事ができるのでしょう??? 今年の課題はその辺にあるように思います。今日はダメでも明日があるさ、行ったり来たり、少しずつ成長できたら…と思っています。
おおらかに。
にこやかに。
おだやかに。
…今年もいろいろお世話になる事と思いますが、どうぞ見捨てずよろしくお願いいたします。

 web版12月号の編集後記読みました。自分の胎児時代に思っていた事がわかるなんてスゴイです。天心で気がついたんですか? いやー、本当にスゴイの一言です。私は、何を思いこの世に産まれてきたんだろう? そして本当の自分はどこにあり、どこに向うのでしょう?・・・子どものころの記憶さえ忘れているわたしです。

 新年早々長くなってしまい申しわけありません。
 最後に、和く輪く舎の皆さまのご健康とご発展をお祈りしています。

「みんなに伝わって」

 10日間の予定で娘と二人で実家へ帰った時のことです。滞在5日目頃に妹の家で友だちの子どもの抱っこをして、うまくいったので調子に乗って翌日友だちの天心をすることになりました。妹も私の家へ1ヶ月滞在してた時、1週間に2~3回「和く輪く舎」へ通っていたので、二人いれば何とかなると思いやってみました。

 妹が背中を支えて私が手を持って動き始めたら
 友だち 「画面が紫になった。あっきみどり、黄白に変わった。部屋の角が見える。死体があるようだ。ぞっとする。」
 妹 「今頭だ」と言いながら頭をさわったり、さすったりしている。
 友だち 「黄金色だ…今花火が散っている」
 なんて解説をしながら、話をしながら不思議な面白い天心です。しばらくして、妹が友だちを抱きかかえたら泣きだした。妹も頭をさすりながら「いいんだよ。だいじょうぶだよ」と泣きながら声をかけているのです。このとき初めて、妹が感じることが出来ると気が付いたのです。妹を見ていて、なんだか鷲尾先生(ごめんなさい)みたいだなと思いました。

 これもうまくいったので、勢いで感じる妹を頼りに、母の天心をしてみようかと誘ってみました。妹はOK。母はえっ!という感じでしたが、意外に簡単に始めさせてくれました。この時も妹が背中、私が手を持って動きはじめたら、
 妹 「よりかかりたいって言っている。(しばらくして)横になりたいみたいだ」
と言うので、(母に)横になってもらった。
 妹 母の頭に手をあてながら、「休みたいと熱を出している」(この時は、妹も頭が熱くなるのだそうです)
 妹 母の足をさすりながら「痛いでしょ?」
 母 「うん」
 妹 足をさすりながら「休んでいいよ。休んでいいんだよ。休もうよ」と泣きながら声をかけている。

 このとき私は、子どもの頃母に休んでもらいたくて、妹、弟の三人で一生懸命手伝いをしたのを思い出した。その頃から今まで母の休んだ姿をあまり見たことがないのです。

 母 しばらくして手の動きが止まり休む。伸びをして、目を開けてにこにこしています。
この天心の時は、何も言いませんでしたが、あとで実は、あの時熱が出るかと思っていたら天心のおかげで出さなくてすんだ、と言っていました。母にどうしても天心をやってみたいと思ったのは、母の熱の原因を知りたかったからです。2年前から1週間に1~2回熱を出して半年おきに3回も病院を変えて放射線を気にしながら検査を受けていたのに異常ないと言われ、見守るしかないと思っていた時、阿部先生と話をする機会があって母のことを話したら、いろんなことを考えるより熱を出したほうが楽だと熱を出す場合もあるんですよといわれました。

 母の場合父がだらしないので、一人で気を張ってずっと頑張り続けてきてパンクしたようです。やはり先生の言われたとおり熱を出すことで休んでいるんだとわかったら少しほっとしました。

 天心をした友だちは子どもたちの楽しそうな笑い声を久しぶりに聞いたそうです。友だちの子どもの抱っこ、友だちへの天心、母への天心、とても充実した日々でした。抱っこや天心が友だちの家族、妹の家族、私の家族や母へとてもいい影響を与えてくれ、感謝しています。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。