イライラする・怒ってしまう

イライラしてつい怒ってしまい、子どもの寝顔を見て反省する、というのはよくあるパターンですね。でも、怒りの根っこにある大切な気持ちと出会うと、怒りは変容します。

「‘怒り’とドキドキと…」
「‘怒り’は難しい」
「私の爆発」
「少しの自信」
「頭に怒りがある」
「共鳴する長男と長女」
「予想外の和解(?)」
「夫にぶち当たってみたところ」
「2歳の誕生日を迎えました」
「怒りを楽しむのを忘れて」
「気がついてよ」
「いい感じで頑張っています」
「今はすっきりしています!」
「幸福の労~ふくろう!」

 

「‘怒り’とドキドキと…」

 今日は肌寒い日です。街中のキンモクセイがいっせいに咲いていい香りがしていましたが、そろそろ散ってしまいそうです。

 怒りについて、Yさんはどのように‘怒り’にまでなってしまうか考えて、秀雄先生は‘怒り’から本当の気持ちを考えて、トンネルのような、山登りのような、二人で‘怒り’を考えてどこかでつながりそうですね。

 今もそうだけど、‘怒り’の場面にぶつかると怖い気持ちが出てきてしまうけど、この間の息子との出来事で、怒りの先にある気持ちを楽しみにしていると、避けて通ろうとしないで、踏みとどまって寄り添えて行けそうな気がします。

 Yさんの記事を見て、感じたこと。欲求が満たされないで、満たされないで、それが続くと悲しい気持ちや辛い気持ちになり、それがなんでもないような感じになるけど、やっぱりそういう場面になるとダムの決壊のように‘怒り’になるんですね。私がいつまでも‘怒り’狂っているのは、その満たされない気持ちが真ん中にあり、その周りに悲しい気持ちや辛い気持ちがあって見えなくなっていて、その気持ちにまだ惑わされているみたいですね。悲しい気持ちや辛い気持ちばかりに気が行くけど、その中の本当の気持ちに、まだ到達していないんですね。だからイライラもするのでしょうか。

 でも、真ん中の本当の気持ちにはなかなか到達できないですね。まだ‘わからない’状態のような、気づきたくないような…。

 私のドキドキをぎゅっとしてくれてありがとうございます。うれしかったぁ! 娘のドキドキといっしょにしてはいけない、と思い、これはきっと自分の小さいときのドキドキが出てきたんだ、と思いました。そしたらね、大人になってからの出来事でした。

 まだ気持ちは出てこなくてドキドキに浸っているだけですが。娘へも、こういうときは気持ちを聞くことしか出来ないんですよね。今回癒しの子育てネットワークHP「体験談」にアップした、「息子の気持ちをキャッチし寄り添えた」方みたいに。そして気持ちに寄り添っていくと、子どもは自然と自分がどうしなくちゃいけないかがわかってくるような気がします。本当はこうした方がいいよ、と言いたいのですが…。

 天童荒太さんの「包帯クラブ」をご存じですか。ヤングアダルト向けなのですが、今読んでいます。傷ついた出来事のその場所に行って包帯を巻くのです。傷の手当てのように。そうするとその傷が癒された気持ちになったり、傷と向き合えるようになったりする、というようなお話し。なるほど~その場面を想像すると、なんだかホッとする気持ちになるかもなぁ。

 今の校長先生は、おおらかな方です。民生委員としてお話しに行ったときの話で、ある時、体育館脇にある外のトイレに花火がたくさん落ちていたそうです。なんでも、トイレの個室で一斉に花火をしたような、そんな感じだったそうです。私はこの地区の子どもたちがそんな悪いことするなんて恥ずかしい、と思って顔をしかめたのですが、先生は「きっと楽しいだろうねぇ、あんな狭いところで一斉に花火したら」ですって。

 やりたい気持ちがわかる、と言った感じでした。「ただ、片づけはしていってもらいたいですね」とは言っていましたが。お母さん方ももちろん子どもたちも、今の校長先生だったら大丈夫、そんな雰囲気がして、とってもいいです。息子の卒業まで、いてもらいたいです。

 そうそう、国際宇宙ステーションが肉眼で見ることができるんですよ。これも校長先生から教えて頂きました。それが昨日、見えました! 学校のホームページで教えてくれるのですが、その時間に外で空を見ていたら、星とも違う、飛行機とも違う光が、すーっと通っていきました。昨日は雲一つなかったので、消えるまでずっと見ていました。感動!

「‘怒り’は難しい」

〈第1信〉

 昨日はありがとうございました。芳子先生のお顔が見えた時は正直すごくホッとしたのに、あまり表現出来なくてすみませんでした。なんだか時間に追われているせいなのか、「早く終わらせないといけない」と思い時計ばかり気にしてしまいます。

 昨日は帰ってから時間と共にいろんな想いが現れたので聞いて頂きたくてメールしました。

 帰ってから主人の顔を見るたび、「また言ってしまった」と何度も思う位に彼のやった事を批評してしまい、そのうち話をするのも嫌になり、どうしていいかわからなくてボーとしてしまいました。

 そうしている間に寝る時間になり、子どもたちをベッドへ連れて行きました。すると随分泣けるようになって指をしゃぶってないなと思っていたHが、おっぱいを飲もうとしないのです! どうして!?と思いながらも、「飲んでいいんだよ」と言いながら何とか飲んでもらい、「久しぶりにすっきりするほど飲んでもらった」と抱っこの効果を感じながら眠りについたのですが、ホッとしたのもつかの間、夜中の一度目の授乳時間になり泣き出したので、「きたきた、これだ」とおっぱいを出すと、今度は飲まない!!なんとしても飲まない! 

 でもこれでいいのかな、泣ければ。阿部先生が「お母さんの体にイヤイヤをこすりつけてまた元気を取り戻す。Hは今それをしているんだ」と抱っこをしていると、そのまま泣いたら寝しまったのです。するとまた2時間後泣き始めたのです。今度こそ飲むぞと思いおっぱいをだすと、やっぱり飲まない!何で!? 「Hはもうおっぱいなんて飲みたくないのかな?いやそんなはずはない」そんな事を考えながらどうしていいかわからなくて、「飲んでいいんだよ」を繰り返しても、何としても飲まないで泣き続けるのです。

 泣いてるHを見ているうちに、「私もこうしてダダをこねておっぱいを飲みたかった」と同時に、「この思いをお母さんにもさせてあげたかった」とワーと涙が溢れてきました。そうかこの思いだったんだ!と、私の涙がひとしきり出た所で口元におっぱいをつけたら、もっと大泣きになりやっぱり飲まない! すると今度は怒りたくなって可哀想かなと思いながらも、「もうこんなにママも泣いたのに何で飲まないの!ガンコ者!」と言いながら、ふと「母の分、私の分も一緒にしょってるHがそんなに簡単にいく訳ないか。ならしょうがない。おっぱいはいいから泣きたいだけ泣け!!」と思ったら、クスクス泣きに変わり、おっぱいを飲んでその後は、本当に天使のような安らいだ顔で寝たのです。

 朝も簡単にはいかなくて、私がゆったりとした気持ちになるまで、何としてもおっぱいを飲まないHでした。

 まだいろんな思いがありますがお迎えの時間になってしまったので、急ですが失礼します。


〈第2信〉

 慌ただしいメールで読みにくくてすみませんでした。でも本当にいろんな思いをしてびっくりしました。メールを書くことで繰り返していると、また興奮してつい慌ててしまいます。

 阿部先生がHを抱っこしているときに、「本当は嬉しいくせに(イヤイヤをしている)」と言うのを聞いた時、すごく自分と重なって嫌~な気持ちになりました。だって「私だったら本当に嫌だ」と思ってしまい、何とも居心地の悪い感じがしたんです。本も読んで、何度も上の二人を抱っこして、「本当は嬉しい」のは知っているけど、きっと今まではどこかピンとこないまま抱っこしていたのかなと思いました。

 その後自分の番になって、「怒り」を表現するのは本当に難しかったです。いつも体中が怒りでいっぱいという感じなのに、いざという時に何で怒れないのか、とてももどかしかったです。でも‘怒り’はやっぱり消えていなくて、昨日はメールをやめてお迎えに行った時に一気に噴火してしまい、それはAに向かってしまいました。また後悔して、でも「もう少し甘えさせてね」と心で思い一息ついてから、「ごめんね。ありがとう」と伝えました。

 自分の怒りが一気に噴火してしまうのがとても怖いです。できるだけ子どもに向かわないようにしてあげたいです。ホームページの体験談にも新聞紙でクッションに当たったりしてますよね、私もベッドにでも当たるようにしてみます。

 今回Mが行けなくてやはりとても残念そうなので、また時間が取れるようでしたらお願いします。私が抱っこしてあげるのは日曜の予定なので、また何かあったらメールします。

 かなり寒くなりました。風邪をひかないように気を付けて下さい。


〈第3信〉

 今朝彼に対して怒りが現れて、それを子どもに当たってしまいそうだったので、心の中で「気持ち」をヨシヨシしてみました。そうしたら本当に不思議! イライラがどこかへ行ってしまいました!! これがいつもとはいかないかもしれませんが一先ずは良かったです。

 もうひとつ、ちょっと気になるのですが。Hが自分の頭を壁にぶつけたり、自分でたたいたりします。始めは楽しんでいるのかな?と思い様子をみていましたが,保育園でもかなりやっているようで、先生からどうかしたのか聞かれました。一見は自虐的なように見えるのですが、やはり何か訴えたい時の行動なのでしょうか。

 しっかりとまではいかないのですが保育園から帰ってすぐや、寝る前等に少し抱っこをしているのですが、彼にはもっとなにかあるのでしょうか?

 まだMの予定がはっきりしていないのですが、来月にできれば伺えればいいなと思っています。学校が始まって予定をもらったらすぐに連絡します。


〈第4信〉

 そうかHはやはり「甘えたい」の現れなんですね。そういえば私を叩いていたように思います。でもそれは止めていたけれど、Hが自分を叩くのは私が食事の支度をしている時だったりして、「H、止めな~」とぬる~く声をかけていただけだったように思います。そうと分かったら少しでも手を止めて抱っこをするようにしてみます。

 では本年も本当にお世話になりました。来年もまたよろしくお願いいたします。良いお年を・・。

「私の爆発」

 ご無沙汰しております。1月もかなり過ぎ、「あけましておめでとうございます」と言うにはもう遅い時期になってしまいましたが、阿部先生ご夫妻・和く輪く舎の皆さまはどんな新年を迎えられたでしょうか?

 今年はKにとって、生まれて初めて家族で過ごした年越しとなりました。今までは娘と二人きりで私の実家へ帰省していたのでした。一人っ子最後の年越がのんびり過ごせて良かったです。これもお腹の赤ちゃんたちのおかげです。

 お腹の双子ちゃんは、いま7ヶ月になりました。私の心配をよそに何事もなく順調のようです。性別は、男の子と女の子だと判明。お腹の右側に男の子・左側に女の子がいるのですが、左右の胎動が違うので(やはり男の子は蹴りが強いですね)、なかなか面白い体験をしています。

 さて、今日メールしたのは・・・先日私の爆発があったのでその様子を聞いていただきたくてメールしました。

 仕事の休みを利用して、助産師さん主催の『赤ちゃんがやってくる』という、お兄ちゃんお姉ちゃんになる小さい子どもたちのためのお話し会に参加しました。その時に、助産師さんと個人的にお話しする機会があったのですが、双子を産み育てるプレッシャーやら、Kに対していまイライラしがちな気持ちなどを聞いてもらいました。話していて、私自身を受け入れてもらえた気がして涙がぽろぽろ出てしまいました。

 実は今、産休に入るための仕事の引継ぎの最中で忙しく、体的にキツイ時期です。ちょうどこのお話し会に出掛ける朝に、夫にチョットした事で非難されてしまいました。そんな事もきっかけになり家に帰ってからも気持ちが落ち着かず、とにかく昼寝をしたかったのです。それなのにKは元気一杯で、遊んでいます。

 最近のKは私の言うことをほんとうに聞いてくれません。あまのじゃくなのです。私の言うこととは別の行動をとり私のイライラは増すばかり。冷静な私なら、違う手で遊びながら促したりするのですが、私も意固地になってばかりいます・・・。「お母さんはとても眠いから、ベットで寝てくるね」と言いながら涙がドーッとあふれてしまいました。もうKの事など構ってられません・・泣きながら布団にもぐりこみました。

 突然私がいなくなったものだから、Kは急いで遊ぶ手を止め、泣きながら廊下で私を呼んでいます。布団から顔を出し呼んであげ、Kと一緒に布団に入りました。もう私は号泣です。自分でもなんでこんなに涙が出るのかわかりませんでした。

 Kちゃんなんてイヤだ!
 「チチがいい」っていうKちゃんなんて嫌いだ!
 双子なんて育てられない!
 3人の育児なんて到底無理無理!
 お母さん業はもうやめだ!
 ゴハンだって作るのはもうイヤだ!
 洗濯だってイヤだ!
 仕事だってもうイヤだ!
 朝だって、いつまでも寝て居たいのに仕事なんてあるから無理しなきゃいけないんだ!
 Kちゃんだっていつまでも寝かせてあげたいのに・・・。
 仕事の引継ぎだって、早くから後任を頼んでいたのに、今ごろになってやっと決まって。こんな短期間では引き継げるわけがないじゃないか~!!!
 もう全部ぜーんぶどうでもいいわ。
 このままどこかに行ってしまいたい!
 でもお腹に赤ちゃんがいるから、どこかに行ったって赤ちゃんはうまれてくる。だったら このまま死んでしまいたい!
 Kを1人残すのは心残りだから、一緒に死んでしまいたい!
 いやいや・・どうやって死んだらいいのかしら?
 無理心中なんてしたらニュースに出ちゃうよねぇ。
 あー。でも洗濯機に洗ったきりの洗濯物があるんだわ。
 あれを干さなきゃ・・・
 ベビーカーも玄関に置きっぱなしだわ。たたまなきゃ。
 乾いた洗濯物も山になってるし・・・。
 他人に家の中を見られたら恥ずかしいなぁ・・・。

と・・・泣いている間中考えたのでした。その間のKはというと、最初は、突然泣き出した私の顔を一生懸命タオルで拭いてくれながら、「チチもうすぐ帰ってくるからね。大丈夫だからね」としきりに言ってくれました。でも、私のそばに居たくないらしく、布団に入る事なくソワソワしていました。私が一段落して泣きやんでから、「お話するからこっちにおいで」と言ってもなかなか来てくれなかったりしましたが、そのうちに「お話なぁに?」と布団に入ってきてくれました。

「お母さん泣き虫だね」
「うん」
「Kちゃんびっくりした?」
「うん」
「お母さんはなんで泣いちゃったかっていうと、なんだか急にぜーんぶイヤになっ
ちゃったの」
「どうして?」
「Kちゃんのお母さんでいるのも、赤ちゃんのお母さんになるのもぜーんぶ」
「どうして?」
「どうしてかな? でもね、Kちゃんの事が嫌いになったわけじゃないし、Kちゃ
んが 悪いわけでもないのよ」
「ふーん」
「こうやって涙を拭いてくれる優しいKちゃんは大好きだし、おっぱいをガマンし
て いるKちゃんも大好きだよ。チチだって大好きだよ。でもね、なんだか急に泣き
たく なっちゃったの」

こんな風にお話したと思います。そして、知らずに二人とも寝てしまったのですが、私がまたヒックヒックと泣き出すと、瞬時にして起きあがり、小さな手で涙をぬぐってくれて「大丈夫だよ」と短い腕で私の顔を必死に抱いてくれるのでした。そんな献身的なKの気持ちを考えるとまた泣けてくるのでした。

 今思うと、なんであんなに泣いてしまったのか? 午前中に助産師さんとお話して、私の心のガマンや頑張りの糸がぷっつりと切れてしまったのでしょうか? 助産師さんは、私の話を否定するでもなく私の話に同調してくれました。「イライラしない妊婦なんていない。上の子に対してイライラしたとしてもそれは仕方のない事で、イライラしないで待ってあげられる時が一度でもあればいいのよ」「双子は本当に大変だけど、幸いにも上の子がお姉ちゃんで良かったじゃない。Kちゃんを見ていると頼りになると思うわよ。一人で頑張ろうとしないで、Kちゃんにもたくさん手伝ってもらうといいよ」などとアドバイスをくれました。

 夕方4時頃から泣き出して、布団から出たのは夫が帰ってきた9時半頃でした。夫の前でもひとしきり泣いて気持ちを聞いてもらいました。そして、おそーい夕飯を作り二人で食べていたら、Kが起きてきました。私の顔を見ると心配そうでしたが、「お母さんは泣くのもうやめたよ」と抱き上げると、嬉しそうに抱き返してくれました。3人でいろいろ食べて、チチのマッサージを二人がかりでしてあげ、夜中にまた寝たのでした。

 話は実母に変わりますが・・・母は、独身時代は「長女だから妹達の手本になるように!」と育ち、結婚してからは不在がちで頼りにならない夫(私の父)に対して、「私が家庭を守り子どもたちをきちんと育てなくちゃ!」と『頑張り』の塊みたいな人です。今回私は子どもの前で、エーンエーンと大泣きしてしまいましたが、母は泣いた事があったかな?それとも母親として、子どもの前で「泣く」などという行為は恥ずかしい事なのでしょうか?

 先日ある食事療法の先生に診てもらった時、「あなたはお母さんから良い体をもらって産まれてきましたね」と言われたので嬉しくなり、母に電話でその話をしました。『私がお母さんのお腹にいるとき、お母さんがいい食事をしていたから私はいい体で産まれてきたんだって』と・・・。その時母は、「お姉ちゃんがいたからね。バランスには気をつけていたのかもね」と普通の会話でした。

 がしかし、正月に帰省した時には夫やKの前で、「最近は昔の事を引っ張り出してきて非難するのよねー。育て方がどうとか食事がどうとか…」と言うふうに変わってしまっていました。ありがとう・・の気持ちをこめて伝えた上記の事でも、母にとっては非難に聞こえてしまうのかと思うと、やるせない気持ちでいっぱいです。母も心から泣ける日が来るといいな・・・と思った正月でした。

 それにしても、産後の事が気がかりです。二人の赤ちゃんの世話をしつつ、Kの事もちゃんと見てあげられるのかどうか?少しは我慢してもらわなきゃいけないのでしょうけれど、今まで築いてきたKと私の安心の木がどうなってしまうのか?最近のKの様子を見ていると、なにやら心配してしまう今日この頃です。

 では、また。寒いですから、体調に気をつけてくださいね。

「少しの自信」

 今日、ちょっと嬉しかったので報告したくてメールを打っています。

 今日は朝から幼稚園で保育参観があり、下の子ともども登園しなくてはなりませんでした。普段はバス通園なのですが、上の子をバスに乗せてから私が園に向かうと、集合時間に間に合いません。そのため、バスにのせる時間よりも早く家を出なくてはならず、私は朝から焦っていました。

 そして、やっちゃいました。
 もういいかげん出ないと間に合わない、と私が身支度を整えていたとき、上の子が下の子につっかかっています。おもちゃがどうの、と言っていて、下の子がびーびー泣き出しました。つかつかつかっ、ばしっ、と1発。どうやってなだめよう、とかそんな気持ちすら起きる前に体が動いていました。
「これからでかけようって時に泣かせるんじゃないの! お母さん用意ができないでしょ!!」
 しゅんとした上の子を見てはじめて、しまったやっちゃった、と思いました。
「幼稚園いく前にたたいちゃってごめんね、お母さんが忙しそうで、ちっとも話にのってくれなくてつまらなくなっちゃったんだよね」
と、とりつくろってみましたが、タイムアウト。結局、そのまま幼稚園へ連れていってしまいました。

 そして次は寝る前のこと。
 いつも風呂から上がって、寝る時間までビデオをみているのですが(そのあいだに私は夕食の後片付けや翌日の準備をしています)、さて、終わった、少し寝る前に相手をしてやるか、と子どもたちのところへいくと、今日きたばかりの下の子用の通信教材のカードが数枚、きれいに4つ折りになっていて、ご丁寧にも歯型までついているではありませんか。こんなにきれいに折れるのは上の子しかいません。

 自分の本はちょっとでもさわられると怒るのにっと思った瞬間、「これ何!」ばしっ。またやってしまいました。そして延々お説教。上の子は、
「もうしない、絶対しない、次からしない、Tちゃん(下の子)の本に触らない、K(上の子)の本にTちゃん触っても怒らない」
と泣いています。ビデオがついているのに、めずらしく私を見て訴える。「あ、これは抱っこのチャンス」と思いましたが、こちらの興奮が冷めていません。ただ、「抱っこしてやんなきゃ」と思ったら、「何でこんなに怒ったんだろう?」と冷静になり、まずいなぁと思えて、責め口調から諭し口調になってきました。
「おもちゃや本はね、大事にしなくちゃならないんだよ」

 完全に言い訳でした。怒ったことの正当化。本当は、せっかく私が作ったカードを使うべき本人ではなく、上の子に折られたことがくやしかったんです。前に、同じようなカードを破かれていたことも頭をかすめたんだと思います。

 そこまで自分の心に向き合ったとき、「抱っこしよう」と思いました。すでに泣きやんでいましたが、素直に応じます。そして、朝のことから順に、
「いきなり叩かれてびっくりしたよね、こわかったよね、お母さんイライラしててごめんね」
と始めるともぞもぞ。「暑いから離して」「寝たいから離して」と身をよじり出しました。先日のセッションでも、完全に泣いてすっきりして、というところまでは行き着いていなかったので、べそ程度でいいや、と続けました。そのうち「お母さんががんばってるから、ぼくもがんばってるのに、お兄さんになろうと思ったのに、さみしい気持ちが大きくなって、Tちゃんにいじわるしたい気分になっちゃった、がんばったんだ、がまんしてたんだ」と私が言うと、苦しい、離せ、と大騒ぎ。

「お母さんもがんばった、Kもがんばった、お母さんはKが大好きだよ。大事だよ」
と言い続けるとしばらくじたばたした後、すうっとくっついてきました。あぁ、よかった。

 本当はひっぱたく前に、聞いて、伝えられればコトは大きくならないのかもしれません。でも、私にはまだ、そんな余裕はないし、性格もある。ひっぱたいちゃっても、何とかなる。今の私にだってできるじゃん!私は嬉しくなりました。

 私がもっと短時間で自分の心に入っていけるようになれば、余計なことでだらだら怒ることもなくなると思います。そうなれば、毎日胸中穏やかに・・・いければいいですねぇ(夢のまた夢)。

 ところで、抱っこの間、下の子(1歳7ヵ月)ははじめこそ割って入ろうとしたり、おんぶ、おんぶ、と背中にへばりついたりしていましたが、そのうち「ねんね」のぬいぐるみを抱えて指をしゃぶって静かになってしまいました。上の子を降ろした後、抱っこして「ごめんね、お兄ちゃんだけ抱っこでさみしかったね。ありがとね。」というと、「ん、ん」と肯定とも否定ともつかない声をだしてぺっとりくっついてきたので、よしよししてあげたのですが、その程度でいいんでしょうか。そのうち抱っこもしてみよう、と思ってはいるのですが、上の子がいるとしにくいし、いないときはけっこう好き放題していて、ダダをこねてもそこそこつきあってあげられるため、特に苦しそうに見えないので、ま、いっかぁと思ってしまうのですが。複数のお子さんのいらっしゃる方はどうしていらっしゃるのでしょう?

 長くなってしまいました。どうもすみません。こうやって、毎日失敗しながら、少しずつ前にすすめばいいのかな、と少しだけ、自信を持てるような気がしました。ご心配をおかけしました。ありがとうございました。今後もよろしくお願いいたします。

「頭に怒りがある」

 芳子先生、ごぶさたしておりますがお元気ですか? 桜のお花見をいつにしようかと話題になる季節ですね。いつも和く輪くだよりをお送りくださりありがとうございます。

 先日、手帳の中から相談室のカードが出てきました。一年前までは毎月、息も絶え絶えに助けて!とばかり(ほんとにそんなだったんです)、芳子先生に会いに行っていたことを思い出しました。

 おかげさまで娘もこの春から幼稚園の年少さんです。娘が赤ちゃんのころ、八方ふさがりのような気持ちで子育てをしていましたが、今は少し余裕もできました。毎日大好きがいえるし、かわいい私の娘と思うようになりました。ここまでこれたのは芳子先生のおかげです。ありがとうございます。芳子先生と出会ってから、超少しずつ自分が好きになってきています。出会いってすごいですね。出会いで人生が変わるんだ!と実感する今日この頃です。

 今日は息子が久しぶりに小学校時代の親友と遊んで、そのまま近くのおじいちゃんの家にとまるというので、車で送っていきました。そのお友だちに夜ご飯までご馳走になるので、お母さんにお礼を言って帰りました。とても気さくで、マイペースなそのご家庭は相変わらずでした。

 夜の帰り道、寝てしまった娘を後部座席に乗せて、息子のことを考えながら運転していると、急に怒りがこみ上げてきました。いじめに対する怒りです。今まで息子のいじめの件では、何だかんだと動いてきたのですが、感情が迷子になってるかなあと思っていました。それがとうとう頭に来たんです! はじめてわかりました、頭に手を当てるとわかるんです。頭に怒りがあると言うことがわかったんです。「ああこれが頭に来るということか!」とはっきりしましたから、赤信号のたびに頭に手を当てて、頭にきている怒りを確かめました。悔しくて涙が出ました。

 この怒りはどこに行くんでしょう。確認するたびに「私は怒っている」というのがわかるのが嬉しいのです。学校で、保護者会で、ぜひ皿を1000枚次々に投げ割りたい! もちろん想像で止めておきますが。そんなはじめての感情をくやしいけど少し嬉しく感じています。私はやっと自分の気持ちを感じています。心の闇に針の穴で開けたような光が見えました。息子が身を挺してくれたプレゼントですね。

 娘が11ヶ月間通った保育園も終わりました。人と比べない、一人一人が違って当然という自然が園にはありました。人と比べるクセを持つ私は、自然を見失った時、園へ遊びに行こうと思います。

 大好きな芳子先生、大好きです。

「共鳴する長男と長女」

 昨晩、長女と次女がケンカをしていた。同じことを繰り返していて、聞いているとイライラしてきて、私はお風呂に入ってしまった。

 主人も犬の散歩に出ようとしていたから、「2人っきりになって何とか解決するかなぁ~」と様子を聞いていると・・。

「テメエラッ!! いい加減にしろぉぉぉぉ!!!」

 主人が大爆発。お風呂場までチビ太君が、「パパがコワいよ~~~~~」とパニクって逃げて来るほど。私はすぐに止めに入るかどうか、ちょっと様子をうかがってみた。

 長女の様子が私の時とは違う・・。私が爆発した時とは違って、長女が主人にめいっぱい言い返していたから、これは何か私の爆発とは意味が違うかも、と聞いていると・・。パパの心をグラグラゆすっている長女に、心をゆすられまくっているパパ。始めは、言っている事がパパの一方通行で、次女と長女を交互に怒っていたけれど、いつの間にか、パパと長女が向かい合わせ、そしてパパの話し方が変わった頃から、長女の顔つきもカワイイ顔に変わってきて、私の爆発とは明らかに違うすっきりした顔つきで、とっても納得できた様子の長女。

 パパは三兄弟の長男。長女の気持ちが手に取るように分かったらしく、今回は「長男と長女」が共鳴して、こんな結果もアリなんだと新しい発見でした。

 次女とチビ太君は後で、きっちりフォローしておきました。

「予想外の和解(?)」

 怒ってどうしようもない(と思ってしまう)私なのに、そのままでいいよ、って言ってくださって、泣きそうになりました。あれから、少しずつ怒りたい私はおさまって、まだ時々顔を出すけれど、ずいぶん楽になりました。

 Mちゃんとはお互い、どっちもどっちな不機嫌ぶりだったけど、先日、母が来たときに、予想外の和解(?)ができたようです。

 その日もお互い朝からイライラしていて、私はつい、
「そんなにママの云う事が聞けないなら、今日おばあちゃんと一緒に帰ればいいでしょー! 一緒に△△に行ってくればいいじゃない!」
母は姉のいる△△に行く予定でした。私のその言葉にMちゃんが益々すねてるのはよくよくわかっているのに、私もすねまくっている・・・堂々めぐり。

 で、母が来て、あと1時間もしたら帰る、という時に、Mちゃんにつねられて、私頭に来たんですね。だからもう、がっしととっ捕まえて、
「つねったら痛いでしょー!! そこまでされたら、ママだっていやだよ!!!」
と怒ったの。
「おばあちゃんー!おばあちゃんー!おばあちゃんとこいくー!!!」
と泣き叫ぶMちゃん。
「今日はおばあちゃんと寝る~!!おばあちゃんがいいー!!」
と吠えるMちゃんに、
「今日はママと寝るの!今日は、ママと!ママと一緒にいるのっ!!!」
と私も負けじと応戦。絶対離さないんだからっ。おばあちゃんおばあちゃんって、都合が悪いときに逃げるんじゃない!

 結局、私たちの壮絶な泣き声&応戦の声を聞いていられない母の、
「もう、泣くのはおしまいっ。いつまでもやってるんじゃないの!」
の一声で、Mちゃんもなんとか涙をこらえて、抱っこ(と言っていいのか・・・)は中断。

 そこで思わず私が、
「いったい、誰が母親だと思ってんのよ!」
と一言。そしたら母が、
「そうやって言える(言い返せる)母親なら、いいじゃない」
って。

 後になって、私が言ったその言葉は、母がずっと言いたかったかもしれない言葉だなーと、思ったのでした。母も、おばあちゃんにそういえたら、どんなにか良かったでしょうね。私は私で、気持ちを分かってもらえない、伝わらないことが、苦しくて悔しくて仕方なかったんでしょうね。

 そして、私は不機嫌になりたくなくて、そういう自分が嫌だと思っていて、無意識のうちでもいろんなことを我慢しているんだけれど、それをストレートに出すMちゃんをみてるのもまた、苦しかったのかも知れません。

 さて、私がさんざん爆発したあと・・・・・Mちゃんはというと、
「今日は、ママと一緒に寝る♪」
とご機嫌。ナゼ・・・・???

 その次の日も、
「今日はママと二人でお風呂に入るの!!」
と言って私を独占。この間までの暴言娘はどこへやら。私としては、あれっ、なんで急にまた???と思っていたけど、Mちゃんは、母親である私に、もっと自信を持ってもらいたかったのかな????なんて感じています。

 今日はこれからまたパパの実家に帰省してきます。暑い日が続いていますから、お体お大事にしてくださいね。

「夫にぶち当たってみたところ」

 A先生
 あれから何だか忙しくって。実はいろいろありました。

 夫の様子がやはり変で、週末息子と遊んでいてもちっとも楽しそうでなく、ダダこねする息子に「もういい」と怒る始末。いままでそんなことはなかったので、私も息子もどうしていいのやら。何かイライラしている夫に私もイライラ、息子は寝グズの毎日になりさらに私たちは寝不足で、またイライラ。

 もう我慢できなくなって、夫にぶち当たってみたところ仕事でいろいろあり、考えることが多すぎて処理できなくなっていたようでした。あれこれ話していくうちに、仕事が思うようにできない悔しさや苦しさ、それから、子どもの頃父親は仕事が忙しく、あまり遊んでくれなかったことや、母親も怒っていることも多かったことも話してくれ、そしたらいろいろな思いが出てきたのか、夫の涙を見ることになりました。
「いいんだよ、お父さんも泣いたって。ヨシヨシ」
なんて、何だかいつもと逆ですよね~。気がついたら言っていました。息子も変な顔して見ていましたっけ。

 でもね、夫は私と違っていて、「子どもに怒ってしまう自分がはずかしい」と、自分を冷静に見ることができているから、びっくり。それに自分がもっと遊んで欲しかったから息子とも遊ぶし、家のことを手伝ってもらえなくて母親が大変だったから、手伝う。自分がいやだったことは人にはしない、その考えをしっかりもっていてすごい人だな~と思いました。でもきっと今の仕事が今以上に忙しくなって息子とも遊べなくなるだろし、家の事も手伝えなくなるから、夫なりにイライラしていたんじゃないかな~なんて、夫の気持ちはわかってあげたつもりなんだけど・・・。

 そんなことがあって、やっと落ち着いた所で、今度は私の番。
 母のことでまたいろいろ振り回されてしまって、「もう母親なんて思いたくない、こんなに苦しめられて・・・」と思わず言ってしまう出来事がありました。夫に泣きながら怒りをぶつけて行くうちに、気がついたんですけれど、この怒りは、母に対すると言うよりは、母のこれまで抱えてきた苦しみをどうしてあげることもできなかった自分への怒りかもしれない・・・って。私さえ生まれてこなければ、母も苦しまずに済んだのかもしれない。今と違った人生を送っていて、もっと幸せになれていたかもしれない。今の苦しみをなくしてあげられたのかもしれない。母を心配する自分の姿を見つけました。そして息子も小さいなりに私を心配しているのでしょうか・・・。  

 セッションの後スッキリしなかったのは、抱っこで寝かせることはそれほど気になることではないと思っていたはずが、実は痛いところを衝かれてしまったような何ともいえない感じがして・・・。あんなにも反応した息子を見ても何か感じているものがあったのか、それともこれから起こりうる出来事を予期していたのか・・・、どちらにしてもセッションの後はスッキリするのと同時に、扉が少し開きかけた部分もあったりして。でもそれが以前に比べたらモヤモヤと止まった状態ではなく、前に進んでいる状態だから、和く輪く舎に出かけて行ってよかった~って思います。

 まだまだ母とのことは始まったばかり、これからなんですよね。深くため息が出てしまいました。このところの出来事で、息子も言いたいことがいろいろあったんじゃないかな?寝グズはいまだに続いています。きっと私が母とのことで迷っているからでしょうか。それでも昨日より今日、気持ちは落ち着いてきているので、少しずつ気持ちの整理もできそうです。

 長くなってしまいました。セッションに伺ってからの3週間に、あまりにもいろいろなことがありすぎて驚いています。何でこんなに・・・と言いたくなりましたが、でもきっと今がその時なんですよね。

 ちょっとがんばってみます。って言い方もヘンですけど。またどうしようもなくなってしまったら、伺わせてください。その時はよろしくお願いします。

「2歳の誕生日を迎えました」

〈第1信〉

 連絡遅くなってごめんなさい。母子共々元気に仲良くしております。

 Kも先月無事に2歳の誕生日を迎えました。そして、4月から2歳児クラスに進級。まだ2日しか経っていないのでなんとも言えませんが、新しいお友だちは1人だけですので、お部屋が変わっただけ・・と言ったところでしょうか?(それに3月中、ちょくちょく遊びに行っていたようです)

 セッションの後、1度爆発しました。えーと日記を見ると・・3月中旬ですね。その日は夕食の支度に手間取り、待ちきれないKちゃんにはとりあえずお握りを食べてもらったのでした。その後、準備が出来たのでまた食卓に誘ったら。。イヤイヤが始まりしつこく誘う私に主人が怒りだし、その矛先は実母と悩んでいる事柄に向けられました。
『おまえのやってる事は実家のお袋がやってることと一緒じゃないかっ!』
『おまえは過保護なんだよぉぉぉ』

 Kはどうしていいかわからず、コップの牛乳をわざとひっくり返そうとし、父に大目玉をくらい・・・・それから30分は泣いていたでしょうか? 泣いている間中、私の腕を叩きつづけていました(私は抱き上げようとしたり、背中を撫でてあげようとしていましたが、腕を払われても差し出しつづけました・・でも、その事がまた夫の怒りを買ったのでした)。

 ・・そして怒り心頭した夫は結局外出してしまいました。二人きりになったので、ダッコしようとしたのですがものすごい拒否。自分から絵本を取りに行き私の膝にちょこんと座りました。「これよんで」と言い、いつもならページを自分でめくっていってしまうのにその時は、めくろうとしません。ただ、持っているのです。それでも、私はなんとかダッコしなきゃと思っていたのですが、待ちきれなくなったKは、自分からページをめくりネコをゆびさしながら、私を見上げ「ネコちゃん可愛いね」と言ったのです。

 その顔は、泣きはらした真っ赤な顔でした。でも、必死に「泣くのはもういいから遊んでよ」と訴えているように見え・・そのけなげさに、私はつい大泣きしてしまったのです。つられてKも「えーん」とひと泣き。でも、泣きながらもネコの絵本を叩いて、これ読んで!と笑いかけてくれるのです。

 泣き泣き何冊か読みました。癒しのネットワークに紹介されていた絵本もよみました。『えーんえーん』と『ぎゅっ』です。この2冊はこの日、何度も何度も読みました、それもゆっくり丁寧に。

 そのままその日は寝たのですが明け方になって、突然泣き出しました。おっぱい出してもなにしても私に殴りかかるようにして泣きじゃくりました。ようやく抱き上げ、寝ている夫のそばから離れソファーに行きました。いろいろ声かけしたけど、当てはまっていたのかは、わかりません。ただ、言いたいことは我慢せずに言ってね。というのと、頑張っててえらいね。でも泣きたいときは泣いてね。と伝えたつもりです。

 最近のKちゃんは、とってもとっても頑張り屋さんです。ずっとつないでくれなかった手も、私が「逆ダダこね」をしたらつないでくれる様になりました。帰り道の買い食いもガマン出来るようになりました。靴だって洋服だって自分でなんでもやってみるんだ!とやる気マンマンです。寂しくなると、すぐテレビつけてーと泣いていたのに、ちょっと待っててね。とぎゅっとした後は子分達(人形・ぬいぐるみ)を総動員して遊ぶ姿も見られます。

 それから朝のお別れも、チュッっとしてからエーン(。>0<。)と30秒ほど泣いてバイバイします。その「チュッ」までの顔は、色々です。見ていて心の動きが手に取るようにわかって可愛いです。

 長くなったついでに実母との事。先月の連休に実家に帰ってきました。Fさんに抱いていただいてから、私の中で母に対していろいろ~本当にいろいろ考えたので、その話しをしようと、取っ掛かりに母が仕事をしている姿はかっこ良かったよ、と話しました。家で伝票処理をしている姿を例にたとえたのですが、私が思うような答えは返ってきませんでした。逆に姉と比較され、けなされてしまいました。私はいっぱいいっぱいで、「私が誉めてるのにどうしてけなされなきゃいけないの?」と言い返し、その場を立ってしまいました。何十年もそうしてきただけに、根っこは硬そうです。

 主人に話すと、私自身ひねくれた考えをもっているのかもね・・・と、そうかもしれないなぁ・・と思いました。母に対して素直になれない自分がもどかしいです。Kを見習わなくちゃね。

 今日の陽気で桜も咲き出しましたね。もう春ですね。春は大好きな季節です。娘と散歩をたくさんするつもりです。もちろん手をつないでもらいましょうね。
 ではまた。


〈第2信〉

 ・・・最悪の朝です。昨夜、「ママァ」と足にまとわりつくKに、「待ってって言ってるでしょう!!!」と何度か怒鳴ってしまいました。さすがに手は出ませんでしたが、言葉の虐待でした。

 昨夜は保育園のあと耳鼻科へ通う日で帰宅が8:00になってしまいました。それに夫も体調が悪いとかでゴロゴロ。私の余裕もなくなり、眠くなったKは、私にまとわりついて抱っこをせがんだり絵本を持って来たり、ママァママァと連呼・・。

 どうしてあんなに怒鳴ってしまったのか・・。柱越しに「Kちゃんネンネしたいの」と言われハッとし、ごめんねって抱きしめたのでした。涙が出てしまった私の顔を見て、驚いた顔になりティッシュを取りに走ってくれました。そして、涙を拭いてくれて「だいじょーぶ?」と笑顔をくれたのです。そして、頑張ってパジャマを1人で着てくれたのでした。怒る私に気を遣っていたのでしょう。あぁ・・母親失格です。

 先週は木曜に熱を出し(1ヶ月前から中耳炎になり耳鼻科へ毎日通っていたのです。おそらく熱は疲労からかと・・)、木・金と仕事もお休みし4連休でした。その間夫も不在がちでしたが、2人で仲良く過ごし、Kもとっても聞き分けも良くおりこうさんにしていたのに・・。その4日間で築き上げたものが昨日の怒りで台無しになってしまいました。

 昨日添い寝をしているとき、ゴメンねって何度も言いました。夜中3時頃突然泣き出しました。前回お便りしたときのように、私に触られた所をペンペン叩きながら私から逃げる様にして泣きました。しばらくして座りこんだKに、「お母さんが怒鳴って恐かったの?」と聞くと「うん」といいます。「八つ当たりしてごめんね。お母さん疲れていたの。でもKちゃんだって疲れていたのにね。本当にごめんね」と伝えると「うんうん」とうなずいてくれましたが、それを何回か繰り返し、自分から横たわり、おっぱいを飲みながら寝ました。

 あぁ。先生。こんなときはどんな抱っこをすればいいのでしょうか? どんな言葉を掛けてあげればいいのでしょう? どんな許しを請えばいいのでしょうか? 娘に親代わりをさせているのは、母だけでなく私も同じ事をしていますね。躾の面では、子どもの言いなりにならなくなってきた私ですが、精神面では、子どもに頼ってばかりです。これでいいのでしょうか?

 今日は耳鼻科を休んで早く帰ります・・。

「怒りを楽しむのを忘れて」

 ちょっとご無沙汰でした。でもずっといい調子とはいかずにどんどん落ち込んでしまい、また主人ともケンカばかりになってきてしまいました。‘怒ることを楽しむ’これを実感できた事はすごく良かったけれど、いつしか楽しむ事を忘れてしまい、怒ってばかりになってしまいました。

 Mって一体何を考えているの? Mを見ていると私が小学生の時の嫌だなと思っていた事(忘れ物が多い・譲ってあげる事ができない・落ち着きが無いets.)を思い出す。Mってきっと自分に自信が無いんだろうな。私が悪い所ばかり口うるさく言うから自信も無くなるよな。私もずっと自信がなかったな。Mって私と一緒にいて楽しいのかな?私と何がしたいんだろう?

 Aは本当に手が掛かる! 一度機嫌を損ねると厄介なんだよな。保育園の頃は何を考えているか、見せかけの姿に惑わされる事なくよ~く分かったけど、今はさっぱり分からない! でもAは誰よりもママが大好きで、どんなにママが悪くてもパパとのケンカはママの見方になるんだよな。でもいざと言うとき一番言う事を聞かなくなるのは何でだろう?

 Hは我慢ばっかりなのかな? いつでも機嫌がいいように感じるけど、私が姉たちを怒っているのを見ていて影響はないかしら? Hを横抱きで泣かせても、ゆったり抱っこされる所まで行った事がないけど、やっぱり我慢は溜まってるのかな?

 これがいつも頭にこびりついていて、更に仕事場で母に「Mはあんなで大丈夫なの?」とか、「あんたの子は行儀が悪い、うちの子はもっときちんとしていた」(って目の前の私の事!?)とか言われると、落ち込むどころか、「どんなに(他人に)褒められても私はそんなに幸せではなかったけど!」と怒りが込み上げてきてしまいます。そしてそのイライラ余韻を抱えたまま家に帰ると、「てめえ~うるせえんだよ!」(姉妹ケンカの時に子ども同士で言う言葉)と子どもが言えば、いつも以上にカッときて関係ない事まで怒り出してしまう。

 上記は2日前に書いて途中で書けなくなりやめていたのですが、不思議な事にこれを書いてから帰宅後は気持ちが穏やかでした。私は気持ちを誰かに伝えるだけで、半分は解決している事をとても実感しました。それと芳子先生には一言目から否定される事はないなと言う、安心感から思いの全てを打ち明けてしまおうと思える事。これですっきりしてしまうのだなと思いました。

 子どもに対してはこれで解決できてしまうのですが、主人や母にはそうはいかないのです。私は主人が家に居てくれることはとても嬉しい事なのに、居るとイライラしてしまう。片付けが出来なくてちらかしてばかりとか、子どもに対してすぐに大きな声で威嚇する事など、気になって仕方なくなるのです。でも私が子どもを理解している姿を見ると、「俺にももっと優しくしてくれよ」とか、「俺は褒められると伸びるんだよ」と言います。彼ももっと母に甘えてきたかったのだろうとは思えるのですが、私が彼に子どもと同じようにしてあげようと思うと何となく「気持ち悪い」と思えてしまうのです(これは私の問題かなとも思いますが)。するとやはり私も思いとは違う事になってくるのでイライラしてしまいます。

 彼には自分で気づいて欲しいのですが、天心へ連れて行ってみても、「楽しかった」とは言っても、また行こうとはしてくれないのです。これはどうにもならない事なのでしょうね・・・。

 母にも、思う所は違いますが、イライラしていく過程は同じような事なのです。でも結局はどうにもならないので、私がイライラを自分で解決できるようになって、相手にぶつけないようにしていくと相手が変わると言うことでしょうかね。もっと天心やセミナーにも参加したいです。近くにあるといいなと心から思います。

 また近々セッションに伺います(彼も一緒に行くと言ってくれるといいな)。はっきりした予定はまた連絡します。

 芳子先生、目が辛そうですね。こうやってたくさんの人から手紙やメールをもらって、丁寧に読んで下さって、本当に大変な事と思います。私も早く卒業して私が思いを聞いてあげれるようになりたいです。本当にお体を大事になさって下さい。・・・でも私がセッションをお願いする時はお休みの時ですね。矛盾してますよね。でも本当に感謝しています。ありがとうございます。

「気がついてよ」

 天心きらきらコースに参加して、感情のフルコースをじっくり味わえたような時間でした。このような時間と空間を私が望めばもてることに心から感謝しています。

 参加した翌日、体がすごく楽でした。私は適当にヨガを続けているのですが、このところ肩と首の周りが硬く、回すとゴリゴリと音がして痛かったのです。その痛みがかなり取れました。

 鷲尾さんが背を向けて立っている私の状態を体で感じ取り、天心をするようにして姿勢で表現してくれましたよね。「今のMさんはこんな感じよ」と言われて、私が振り返ると、首がうなだれ肩がガクンと落ち、立って入られるものの何ともかわいそうな感じのする私がそこにいました。今振り返るとその姿勢は、首や肩の力が抜けて、私にとって楽な姿勢だったことがわかります。そしてその姿勢から始めた天心は「導入のない天心みたい」って言う言葉通りスーッと入ってゆけました。腕がぐるぐる回ってはじめは空を飛んでいるようで気持がよかったのですが、徐々に胴体のひねりが加わるにつれて息苦しさを感じました。以前母が「小さい頃、喘息で1日に2回も救急車で運ばれた時は大変だった」(私には全く覚えがありません)と言っていたのを思い出しました。そして気管支も大人になった私にヨシヨシしてほしいのかなと今、感じています(少し前、五木寛之さんの「大河の一滴」の中で“細胞の一つ一つにも魂がある。思いがある”という文章を目にしてから、体と対話することがよりリアルにできるようになりました)。

 次に鷲尾さんと私が役割を交代し、私が体を信じてやってみるとこんな格好になっちゃっていいの!?という姿勢になりました。でも「そうそう、これは息がしやすいわねー」って鷲尾さんが笑いながら私の隣で同じ姿勢をとられましたよね。その時、ホッとしつつ体ってすごいとか、人ってやっぱりつながっているんだとか、目に見えない何かに感動をしました。その後の天心では、私は鷲尾さんの頭に手を置くことになったのですが、天心の途中から手が鷲尾さんの頭をヨシヨシするような動きをとりました。私は心の中で「眞琴ちゃんヨシヨシ」って本当にもう大変失礼なのですが、心の底からそんな風に思えて、ヨシヨシを繰り返していました。

 また自分の中にあるいろんな気持に気付き、客観的に取り出していくワークでは、ふと夫のことが浮かびました。自分のことより子どものことを最優先にして、ここ数年突っ走ってきた私。夫にもずいぶん寂しい思いをさせてきたに違いありません。だけど私だって必死だったのよ。でもかなりスレ違っちゃったわね。戻れるかしら。素直に戻りたくない私もいるわ、なあんて近頃感じていたというか、感じつつ感じないふりをしていたというか…。

 そんな問題を眺めてみると、円の右半分は黒っぽく左半分は「わからない」というイメージが出て、次にその二色が葛藤し出して、さらにはぐるぐる渦を巻いてまわり出しました。そしてしまいにはね飛び散って「どうでもいいや!」って言葉と共に何もなくなってしまいました。

 何と乱暴な言葉が出たものだとおかしい気持になり、そうだ、ぐだぐだ言っていないで、たった今から夫に優しくしていけばいいだけのことなんだって気付き、すごくさっぱりしました(でもそれが難しい時もあるんですよねー)。不思議なことに天心の翌朝、夫の雰囲気が優しかったのです。ワークのことまだ一言も教えていなかったのに。これも目に見えない何かが伝わったなあって感じました。

 それから別のワークで鷲尾さんに手伝ってもらって、怒りが出せたことも大きな一歩でした。鷲尾さんが最後に「何かやり残してることない?」「気になっていることとかない?」って聞いてくれましたよね。私はもう何もないような気がするけど、微妙に異論のある自分を感じました。そこで口から出てきた言葉が「人に認めてもらいたがる自分」だったのです。もちろん日頃からもっと他の人から自由になれたらいいなあとは感じていましたが、そこで出てきたことが自分でも意外でした。そんなこんなでとりあえずその自分を感じてみることから始めると、みぞおちが体に向かって押される感じがしました。次にそれをずっと感じていると、体全体が小刻みに震えるように怒りが湧き上がってきました。でも私にはその時点で怒りを外に出す勇気はありませんでした。怒りはいけない感情、外に出すなんて…。だけど貯め込んだ怒りのせいで人も自分ももう傷つけたくない。誰にも迷惑かけずに怒りが出せるなんて…今がチャンス。でも恥ずかしい。そんな声がぐるぐる頭の中を回りました。

 その時鷲尾さんが「怒りは何かが変化したものだっていうけど、何かな?」って声をかけてくれ「気がついてよ!」という言葉が湧きました。そして鷲尾さんが「気がついてよ!」「気がついてよ!」って何回も声に出してくれたおかげで、とうとう私は握りこぶしで具合良くそばにあった座布団が叩けました。一回叩けたらどんどん叩けて、何だか悔しいような寂しいような気持があふれ涙が出ました。そして足でも怒りを出しました。小さな子どもがダダこねで足をバタバタさせるように…。しばらくは何も考えずにひたすら怒っていました。そのうち徐々に動きが止まってきてスッキリしたというか、満足して穏やかな気持になりました。その時の鷲尾さんの「ただ言いたかっただけなのにねえ」が心に響きました。天心で言えてよかった!!

 それで、今書いていて思い出したんですけど、天心を申し込んだ切っ掛けは、私の無意識な部分でとてつもない怒りを抱えていたらどうしようという不安をもったからでした。2ヶ月前に申し込み、その間にいろいろなことがあって忘れてしまっていたみたいです。だけどきっちり扱うことができました。「Mさんは感じた通りに行動すればいいのよ」って鷲尾さんの言葉を今すごく力強く、ありがたく感じているところです。

 それから最後に、以前の私は自分を高めていったら(いつか山のてっぺんまで登れたら)嫌なことや心配事からも解放されるようなイメージをなんとなく持っていました。でも今はちょっと違います。ずっとこの先上り坂ばかりで頂上なんてないのかもなって思えます。だけど絶望的な気持は全然しなくて、むしろ登っているひと足、ひと足がすごく大事に思えてきます。この気づきはまだまだ心の中でモヤがかかったようにぼおっとしている状態なのですが、これからの私にとって、すごく大切になってくると予感しています。

「いい感じで頑張っています」

 先週金曜日、下の子の幼稚園の始業式でした。そして、役員決めの日でもありました。ついに、役員になってしまいました!なかなか役員になる人がいなかったから、でもありますが、私自身、とてもやりたかったから、なったのです。当日も、全く緊張することはありませんでした。自分でもびっくりするくらいでした。

 ただ、私は、かなりの天然ボケなので、それがちょっと心配の種。おまけに、子どもはわあわあ言って言うことを聞かない状態だし・・・。どうしたらいいのか、考えてみました。なりたい自分になりたいから。そう思って、それ以来、「怒鳴らない」を第一目標にしてみました。すると、少しずつ、自分が変わってきたのです。

 「怒鳴らない、怒鳴らない」それだけで、落ち着いて物を考えられるようになっているのです!私の怒鳴るパターンを考えたら、「怒鳴りたい自分がいる」けれど、「怒鳴っても先は明るくない」だから、「怒鳴らない」と決めたのです。大当たりです!!!

 今日は、ホント久しぶりに、子どもが可愛い、と思えました。不思議ですね。気持ちの持ち方というか、ほんと、自分のことを知ることって大切ですね。

 そして、役員は、私は、無理せず、楽しんでやることをモットーとして、1年間、自分の成長を楽しみに頑張るつもりです。いろいろ大変なこともあるでしょうけれど、もう一人の役員さんも、私と気が合いそうな、とてもよさそうな人なので、一緒に頑張ることにしました。

 とりあえず報告です。やっぱり、困ったときは、天心、そして何より、Wさんにメールで自信をもらったことが、励みになりました。やっぱり、自分が好きです。Wさんも大好きです。ありがとうございます!!!

「今はすっきりしています!」

 今週1週間もまた、苦しい日が殆どだったんですが、今はとても穏やかな気持ちでいます。26年生きていて、今まで全く知ることのなかった自分の新たな面を発見して、驚いています。

 たまたま、2日前に友だちから、旦那さんと喧嘩をしてストレスが溜まっているからお茶でもして話しでもしないか、と言う電話あったので、私は「いいよー、私で良かったら、いくらでも聞くよー」と、言って、喫茶店に出かけました。

 でも、私もその日は、なぜかいつもより増して苦しい日でもあったんです。が、自分の気持ちはさて置き、そう言ってました。そして、喫茶店に行って、いろいろ愚痴をきいて2~3時間くらい彼女の話しを聞いて帰ったのですが、帰ってきてからは、私も今日はもともと苦しかったので、おまけに人のぐちを聞くだけで自分の事は喋れなかったから、またまたいつもの、無気力感というか、どうしようもない苦しみにまた舞い戻っていました。

 娘が泣いているのに、近くにも寄れず、わんわん泣いている娘の声も聞きたくなく、私の方から部屋を出てしまい、ベットの上で横たわって、ひたすら無気力感に襲われていました。でも、さすがに、娘の泣き方も悲鳴に変わってきたので、はっとして「一体私は何をしているのだ!」と思い、飛んで行って抱っこをしたんです。そしたら、「ごめん、ごめん、こんなママでごめんね」とまた自分を責め。。。。。。

 あーあ、またいつもの堂々巡りが来てしまった。そう思ったら、今度は自分に対するなんともやるせない怒りに変わって、怒りたくて怒りたくてしょうがなくなったんです。それで、ふと思ったのが、阿部さんの本に書いてあった、新聞を丸めてを思いだし、娘の分も作ってソファーを二人でバンバン叩いて、叩いて、叩きまくってました。すると、いつのまにか自分でぶつぶつ文句をいいながら叩いていて、それを見ていた娘は面白がって一緒にパンパンたたいてました。前にも新聞紙で叩いて怒りを発散するのをやったことは数回あったのですが、その時娘はとても恐がっていたのでどうして今回は面白がってやっているのか不思議に思えましたが、それでも、私は止めずにぶつぶつ、酔っ払いの愚痴こぼしをしている人みたいに、泣きながらぶつぶつ、いろいろ思い通りにならないことのくやしさや、やるせなさ、そして子ども時代の頃などの文句を言っていたんです。

「幼稚園の時、いつも買い物について行くたびにおいしそうな、あのペロペロチョコ、いつも買って欲しいって言いたいんだけど、言えなかったの。欲しいって言いたいんだけど言えなかったの。だから友だちと一緒に次の日万引きしちゃったの! でも、欲しいって言うことができなかったのよー!」って。
 それでも、お母さんは盗んだことがばれたら、私のお尻がもう、座ることの出来ないくらいパンパンに腫れるくらいに叩いたわよねー!」って。もう、こうなったら、止まりません。次から次へと、どんどん、うらみつらみの言葉が出てくるは出てくるは。。。。気がついたら1時間くらいそんなことやっていました。そしたら、娘がいきなり「抱っこ」(20ヶ月なので抱っこは言えるんです)と言ってそばにあったティッシュを一枚引っこ抜いて持ってきて、私の涙を拭いてくれたんです。もう、嬉しくて、嬉しくて、また泣けて、その嬉しいついでに、じゃ、お願いママをなでなでして、と言ったら、やさしい声で言葉にならないなでなでをいいながらなでなでしてくれました。。。。

 そして、ふと気づいたんです。今まで、隠し持っていた自分の気持ちを声を出して言った事は始めてだったので、そうか、こうやって、ぶつぶつ文句を言いながらやればいいんだって、始めて気がついたんです。でも、その時は娘に聞いてもらっていたのですけどね。心の中でぶつぶつ言う事はありますが、人に聞いてもらいながらぶつぶつ言う事って殆ど無かったんですよ。今までは。

 そして、もう一つ気がついたのは、冒頭に書いた、友だちにぐち聞くよーと言ってしまった行動です。自分がしてもらいたいことを反対に人にしていたということです。小さいころはよく兄弟からお節介な妹とよく言われていたのを覚えています。寂しさゆえから、自分もこうしてもらいたいというのを、直接口で言うことができなかった私は、こうしてほしいんだと無意識のうちに他人にしていたんでしょうかね。もうこれは物心がついたころからの習慣ですから、性格として形成されちゃっているんですよね、きっと。

 でも、それを知っただけでもなんだか楽になった気がします。泣きながら人に聞いてもらう。こんなことしてくれたのは、生まれて始めてのことです。もう、娘は私の言うこといつでも聞いてくれるんです。いつでも、なでなでしてもらえるんです。また、苦しくなったら話しを聞いてもらおう、そう思えたら、とっても楽になりました。

 親にもそのうち甘えられるようになれるのかも、知れません。でも、今度実家に帰ったら、いっぱいぐちを親に言ってしまいそうですが。。。

 また、いつ苦しくなるかはわかりませんが、娘との抱っこがあれば、やっていけれるという自信がついてきたような気がします。それでも、まだまだ、私の親心が立っていない部分があるので、これからなんですけどね。

 阿部さん、遠い国にいる見ず知らずのわたしに、ここまで真剣にお返事を書いていただいて、本当にありがとうございます。はじめはただひたすらに、助けを求めたい一心だったので、こんな感謝の気持ちも忘れていましたが、良く考えてみると、会ってもいなくて、顔もしらない、どこの人かも知らないのに、ここまでしていただいて、そう考えたら、とても嬉しくて、また涙がいっぱい込み上げてきてしまいました。阿部さんの暖かさのぬくもりを感じて、ちゃんと自分のこと見てもらっている人がいると思ったら本当に嬉しくて嬉しくなりました。この先、また苦しくなる事もあるかもしれませんが、苦しさからの脱出法を1回知ることができたのでなんとかやっていけそうです。助けていただいて本当にありがとうございました。本当に感謝しています。また、次回日本に帰る事があったら、抱っこ法のこつをもっと覚えに伺えたらと思っています。そしたらその時はよろしくお願い致します。(7月1日)


 相変わらず、やはり苦しくなったり、すっきりしたりを繰り返しております。でも、感情を押さえ込んで我慢することがあまりなくなったので、泣いてぶつぶつ言っていれば、結構すぐに楽になるようになりましたよ。今、ちょっとばかし余裕が出て来たせいか、やっとと言う感じで、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいるんです。小学校の時に朗読絵本と言うもので、カセットテープにナレーター付き、役に合わせての声優さん付きのものを聞いてとても好きだった物語。十数年ぶりに読むのも、またわくわくしているのですが、子ども時代に読むのとではやっぱり感じ方が全然違うんでね。読んでいると、なぜか子ども時代のずーーっと忘れていた、何とも言えない懐かしい気持ちが溢れ出してきて、また泣いて、食事中でも、とうとうこらえきれず、主人の前でも感情が溢れ出したりしています。でも、娘は面白い事に、泣きながらぶつぶつ文句を言っていると、とっても嬉しそうにおいしそうに、パクパクたくさんたべるんですよね。。今までは全然食べてくれなかったのに、ははは。

 阿部さんとのメールのやりとりをしていて、ずっと思っていたのは、きっと阿部さんはあたたかい家庭に育ってなにも苦しいことなく過ごして来た方で、きっと心理学の勉強などを熱心にやられていてこういう活動をされているんだろうな、と言うことです。でも、違ったんですね。内容は違っても同じ苦しさを持っていた人だからわかるんですね。こちらでも子どもが同じくらいの子をもつ日本人の友だちと遊ぶのですが、私も、この天と地の違いを知ったので、友だちの子がやたらに落ち着きなくしていて、それにイライラしているお母さんを見てしまうと苦しさがわかってしまい、抱っこ法のことや、わたしの最近の体験を話ししたり、阿部さんや、ぴっかりさんのHPを教えたりするのだけど、子どもがまだ喋れない子ばかりなので、なかなかうまく伝わらないのが現状です。抱っこ方も奥が深いので、説明するのも難しいですよね。抱っこも人によって十人十色ですし、どの言葉が、どの体験がその人の心に響くのかも違うでしょうから、人から勧められて自分がやる気になって自分で見つけないことには、始まらない気もします。だって、ものすごいエネルギーが必要ですものね。

 6月24日付けの朝日新聞の「ひととき」欄で36才の主婦の投稿記事で「抱っこの宿題で」と言うのをもしかしたら見られていませんか?

 小学校2年生の息子が学校の宿題で、おうちの人に抱っこをしてもらい、そのことを詩に書くのだそうです。息子が急に抱っこしてー、抱っこしてーとせがみます。下の子が生まれてから2年半の間、その主婦の抱っこはずーっと妹のため。ちょっと照れつつ息子を抱くとコアラのようにぎゅっとしがみついてきて、以外に軽いことと感じました。10kgの米をかかえるのは重いけど、10kgの赤ん坊はいつまでも抱っこできると言う話しを聞いたっけ?20数キロでも息子なら抱っこできるとわかり、部屋のあっちっこっちを行きながら子守歌を息子と一緒に歌い続けたそうです。抱っこが終って息子は宿題で「また抱っこの宿題があったらいいな」と書いたそうです。

 これを読み終わったらなんだかとても切なくなりました。だって、たった5分でもいい、こうやって抱っこしてもらえれば、全然違ったのにって。この子みたいに抱っこしてーって、この言葉が言えれば絶対もっと早くに私は楽になっていたのに、って。。。。こんな簡単な事がどうして言えなかったのか。言う勇気がなかったのだけど。。。でも、こんな簡単なことなのに。。。。

 でも、こんなことを思えるのは、今はちょっとずつ私も親に甘えていいんだと思えるようになっているみたいです。すぐに母親に電話しましたが、こういうときって絶対にうまくはいかないんですよね。留守電になっていました。甘えられる人がいるうちに甘えておかないとなんだか後悔するんじゃないかと思うんです。だって私のお母さんはたった一人しかいないのだから。

 あー、進歩です。自分がネガティブな考えしか持ち歩いていなかったのに、こう思えるだけでも進歩です。(7月6日)

「幸福の労~ふくろう!」

 こちらは今日はとっても寒くて、雪がちらついていたよ。外気は寒い寒いでも、背中はハグちゃんがいるからあったかいです。

 私は最近、心がいい具合に動いています。感じないようでいて、心って動いているんですね。心を、怒りさんが上手に、動かしてくれてます。家族が上手に動かしてくれているのかも。

 手伝ってよ!疲れたよ!って最近は、怒っているんです。怒るとちゃんと手伝ってくれるんですよ。それまで自分が怒っているなんて思ってもいないのに、気がつくと怒ってる…。

 やさしいお母さんでいるつもりなのに、突然怒っちゃうから。なんで怒ったんだろう…って自分でも不思議。どうして、こんな風にしか気持ちを動かせないんだろう。

 それもいいことと割り切って、自分をよしよし。おかげで、泣き心さんにも、ちょっとしたことですぐに響きやすくなっていて、悲しみさんも動いてきてるみたい。出てきたいみたいだけど、今はだけど、「そこにいるんだね」と感じるだけ。

 怒りを出すとなんだか責められた記憶があるよ。おとなになった今でも親には責められるよ。だから、行き場所を失った怒りちゃんは嫌われ者でかわいそう。自分だけは好きになれるようによしよし。

 怒りって、でも、出すと繋がっていられるんだね。うん、わたしも怒りを引っ込めようとすると、人と離れたくなる気持ちになるから、いいや、ひとりで抱えてようって。そして、ひとりで、いろんなこと考えて身体も動かなくなるパターン。

 ハグちゃんは、Yさんに言われたからなのか、東京から帰ってきて、左のおっぱいをしばらくはちゃんと吸ってくれていたけど、最近は飲んでいてもすぐまた泣く、に戻っちゃいました。だけど、もしかして、ポジティブな意味に変換してみると、左さんは、泣かせ上手なのかも知れないって思ったよ。

 左には心臓の鼓動があるから、聴いてたら安心もするもの、好きでもいいはずなのにね。私は心臓の鼓動聴くの好きだよ。だけど、ハグちゃんは、それでも、右の方が好きみたいって、ずっと思っていたんだよ。だけどそれは、まだ、右のほうが我慢が効くからかもしれないって、それを思いついた途端、左で泣かれていても、今は、飲みたくないときなんだと理解して、よしよしって出来るようになりました。

 おっぱいがそんなに出ないから、好きじゃないって思うんじゃなくて、それだと私の左さんも悲しむ。出ないからダメって凹むし、ますます出なくなるようになっちゃいそうだもの。左は泣かせ上手さんだと思えば私の左さんも喜ぶよ。左の泣かせ上手さんと、右の泣きやませ上手さんと使い分けて、両方あっていいなと思って、育てたらいいですよね。

 右は泣きやませ上手さんだけど、紛らわしのときは気づけないという不得意な部分も持っているんだから、そんなときは、ひとりで頑張らないで左さんに助けてもらえばいい!どっちも自分だけど、個々のパーツに分けると、心強い感じがしてきます(笑)。

 今日は寒いので、おでんにしました。わたし、ゆで卵作るのが下手でいつも殻をむくときに、苦労します。また、白身がでこぼこになっちゃいました。ちい兄ちゃんは、小さくまあるくなるようにしてくれたので、きれいだけど黄身に、薄い白身のゆで卵の出来上がりです。

 いつもは一人でやると、きれいにならないし時間がかかるし、嫌になるんだけど、今日は、大きい兄ちゃんとちい兄ちゃんが手伝ってくれたから、苦労を「楽労」にできました。

 らくろう。たのろう。がくろう。

 読み方、私的には「たのろう」がかわいいと思うけど、「らくろう」は「ふくろう」に似ているから、どうしよう…それなら、最初から福労と書けばよかった。

 幸福の労!

 うん、いい言葉だね。

 ハグちゃんは7か月になったら、小さな赤ちゃん椅子に座れるようになりました。なんだか、急に小さなお客さんが家に来た気分。椅子に座ってテーブルに向っている姿がかわいいです。