SOSをキャッチしたら

 本来の姿を見失うとき
 見せかけにまどわされないで
 子どもに嫌われた?
 SOSをキャッチしたら
 触れることで心がつながる
 泣く力
 答えは思いがけないところから
 子どもは「公案」だと考えて
 小さな和解と大きな和解
 自分たち親子にぴったりの答えを
 親の感性がひらくまで

 本来の姿を見失うとき

 どの子も本来は、その子らしいすてきな魂が光り輝いているのですが、事情によって、本来の姿が見失われることがあります。親子のあいだで大切な気持ちをうまく伝えられなくなると困ってしまって、いろんな形で遠回しに、SOSとなる表現をせずにはいられなくなります。その表現は、夜泣きが始まったり、オッパイを飲んでくれなくなったり、頭をゴンゴンぶつけたり、乱暴になったり、髪の毛が抜けてきたり……など、年齢により個性によって千差万別です。

 落ち着かなくなって動きが激しくなるかと思えば、逆に元気をなくしておとなしくなったりします。お母さんに噛みついたり友だちをたたいたりして人に乱暴するようになる子もいれば、頭を床にごんごんぶつけるなどして自分を痛める子どももいます。お母さんなどいなくても平気であるかのようにどんどん離れていってしまう子もいれば、お母さんべったりになって外の世界に出かけられなくなる子もいます。聞き分けが悪くなる子どももいれば、背伸びして懸命に“いい子”でがんばろうとする子もいます。

 気がかりなことがあっても、成長にともなう一過性のものなのかどうか、迷うこともあるかもしれません。そんなときは、喜怒哀楽が豊かで、きげんのよいときには目がきらきら輝いて、しあわせそうな笑顔や表情があり、ゆったり落ち着いているか、親子でしっくり気持ちがつながっているという実感があるか、といった全体的な印象を大切にしたらいいでしょう。

 もっとも、たとえばパパの失業で一家が大変な思いをしているとか、両親の仲がうまくいっていないとかの場合には、子どもだけ楽しくしあわせいっぱいに過ごしているわけにもいきません。そんなときには、親子で思いを一つにして難局を乗り越えていかなければならないのですのから、子どもに輝くような笑顔iにさせてやれないからといって、自分を責めないことです。

 苦悩が子どもを不幸にするとばかりはかぎりません。親と子が心を一つにして苦悩を乗り越えていく子どもは、思いやりのある、やさしく強い子どもに育つでしょう。

 見せかけにまどわされないで

 子どもが自分を見失って、自分の気持ちをそのまま表現できなくなる(いわば、すねた状態になる)と、心にもないことを言い、自分でもしたくないようなふるまいをせずにはいられなくなるのですから、子どもの見せかけの言動にまどわされないことが大切です。

 たとえば、「ママなんか嫌い、パパが好き」と言ったり、よそのお母さんにいやにべたついたり、ママに背中を向けて寝たりしますが、子どもが「お母さんを嫌い」と言いたくなることはあっても、本心からお母さんを嫌いになることなど絶対にないのです。

 また、りっぱなおにいさん・おねえさんとしてふるまって、自尊心や向上心を満足させたいし、親にも喜んでほしいと願っている子どもが、ひどく聞き分けが悪くなってしまうこともあります。親のことが心配なあまり、かえって親を困らせるふるまいをせずにはいられなくなる場合もあります。「そんなに私のことを心配してくれるのだったら、せめてあなただけでも心配かけないでよ」と言いたくなるでしょうが、そういうわけにもいかないのがつらいところです。

 落ち着かなくなっているので、「自分の気持ちをすなおに伝えられなくなっているのだな」と思って、子どもを抱きしめて心と心をつなごうとしても、「やめて」「この抱っこは嫌い」「つらいことなんか何もないよ」などと言って、慰めようとする働きかけをあしらうこともあります。

 気持ちで気持ちをまぎらすこともあります。たとえば、「怒りは無知」と言われることがあります。怒りの気持ちの奥には、もっと真実の気持ち(たとえば、さびしさだったり、こわさだったり……)が隠れていて、それがどうにもならないほどに一気に溢れてくると、怒りという表現をとることが多いのです。そして、そのさびしさやこわさの奥には、「大好きを伝え合いたい」「全身すっぽり包まれる安心感を得たい」というさらに真実な気持ちが、宝石のように眠っています。

 自分を責める気持ちも同じです。もっと深い気持ち(たとえば母を亡くした悲しみ)に触れるのを避けようとして、生きているときああもすればよかった、こうもすればよかった、と自分を責めます。真実の気持ちに触れるには勇気が要るので、自分を責めていたほうがまだ楽なような気がしてしまうからです。一種の自傷行為ですね。

 そんなふうに、自分自身を教材にして、自分の気持ちと向き合い、いろいろ感じてみてください。この教材は、身近にあっていつでも使えるし、しかもタダです。おまけに、うまくいけば、すてきな自分と再会できるかもしれません。

 子どもに嫌われた?

 日々相談に追われているので、電話による相談はお受けしていないのですが、それには別の理由もあって、何と言っても実地に体験していただくのが納得しやすく、自分の子育てを支配していた無意識のパターンにも気づきやすいからです。ところが、時にはよんどころなく電話でお話を聞くことがあります。

 ある日のこと、私の書いた本を読んだというお母さんから、「子どもに嫌われてしまって……」という切ない電話がありました。よそのお母さんの言うことはよく聞くのに、自分に対してはまるで聞き分けがない、二歳を過ぎてもごはんを食べずにミルクばっかり、という相談でした。
「お子さんと気持ちが通いにくくなったのはいつごろからですか」
「もう生まれたときからです」
と深刻そうな声が返ってきました。

 いくら愛情を傾けて育てていても、生まれたときからずっと、まるでのれんに腕押しのように手応えがなかったら、お母さんはむなしくなってしまいますね。

 生まれてからずっとだとしたら、妊娠中か誕生時に、たとえば切迫流産や難産のような深刻な体験をしているのかもしれません。そんなとき、生まれてきた赤ちゃんがそのことを訴えて、激しく泣き続けて、なだめにくいことがあります。

 あるいは別の原因だったかもしれませんが、いずれにしても、母と子のしっくりした関係を妨げる何かの事情が、早い時期からあったのかもしれません。

 誕生から今日まで二年間ずっと気持ちが通いにくかったとしたら、それを修復するにはじっくり腰を据えてかからなければ……。そこで、ぜひお子さんを連れていらっしゃいと誘って、お互いの都合のいい日時を予約しました。

 ところが、電話を切って数時間して、そのお母さんから明るい声の電話がありました。悩みはすっかり解決した、ごはんもパクパク食べるようになった、というのです。

 聞いた私のほうがびっくり。それというのも、先ほどの電話では、どうしたらいいかというアドバイスは一切しなかったからです。

 ただ、とりあえず、子どもがお母さんを避けるようなそぶりをして、お母さん以外の人になついたり聞き分けがよかったりというのはよくあることで、それはお母さんが嫌いだとか、お母さんになついていないということではないのだ、という心のからくりだけは説明しておいたのです。

 大好きな人の輪がお母さんから、お父さん、おじいちゃん・おばあちゃん、近所のおばさん、保育所の保育士さん……と広がっていっても、いざというときにはやっぱりお母さんです。

 でも、何かの事情があって、大好きなお母さんに気持ちを伝えることがすなおにできなくなってしまうと、ほんとうは甘えたいのに、
「お母さんなんか知ーらない」
「ママよりパパがいいんだもん」
といった、心にもないポーズを見せるようになります。あなたも、子どものときそんなふうにすねたことはありませんか(え、いまでもすねる?)。子どもがお母さんを嫌いになるなどないのです。

 でも、その説明をしただけで、どうしてこのお母さんの問題が解決してしまったのでしよう?

 実は、その「子どもがお母さんを嫌いになることなどない」という説明こそがお母さんの求めていたものだったようなのです。お母さんは、子どもに嫌われていないのだったら、と元気が出て、すでに私の書いた本を読んでいたこともあり、本気でお子さんと向き合おうという気持ちに戻ることができたそうなのです。

「ふしぎなことに、先ほどお電話していたとき、子どもがそばで全然騒がなかったのです。いつもなら、誰かに電話すると、早く切れとばかりに騒ぐのですが」

 お母さんが電話をしているとそばで騒ぎ立てるのも、苦しくなっている子どもの、心にもない行為であることが多いのですが、こんなふうに、お母さんが助けを求める電話を掛けているときには、何かを期待してか、まるでじゃまをしなかった、ということがよくあります。

 子どもは親の話がよく分かるということを最初にお伝えしましたが、話を聞いて理解するどころか、お母さんが口に出さなくてもお母さんの気持ちを察知してしまう直感力には並々ならぬものがあります。
「昼寝から起きたら、まるでスタンバイした私の気持ちを見抜いているかのようにぐずりだしました。私は子どもを抱きしめて、子どもの泣き声に耳を傾け、私の思いも伝えました。そうしたら……」

 その結果が、お母さんのうれしい報告となったわけです。このお母さんの場合は、子どもに嫌われているのではない、という納得がいっただけで、あとはお母さんが誰しも持ち合わせている子育ての感性が見事に働いて、親と子の心のつながりを取り戻すことができました。

 気持ちが通い合わなくなると、子どもはすねるしかなくなって、本心とは違った様子を見せるようになります。「すねる」というのはあまり語感がよくありませんね。他に適当な言葉がないので使いますが、要するに、ほんとうは訴えたいことがあるのに訴えられなくなってしまっている状態のことです。

 そんな「すねる」状態になると、子どもは「親しい人ほどしりぞける」という落とし穴にはまりがちです。抱っこされて甘えたいのに、抱くと嫌がる素振りを見せてしまったり、お母さんに訴えたいのにほっといてと知らん顔するし、お母さんを求めているのに「パパがいい」と言ってしまったり……します。

 そんな見せかけの子どもの姿にまどわされて、「嫌われてしまった」「私ではダメなんだ」などと引いてしまうと、子どもはますます「すねる」になってしまいます。親の方から、お母さんの方から、本来の子どもを取り戻す、助けの手を差し延べてあげたいですね。

 SOSをキャッチしたら

 子どもの様子が気になるようになったとき、親として、どうやってその立ち直りを助けたらよいのでしょうか。

 子どもは、泣いたり、遠回しのいろいろな表現を使ったりして、直接・間接の仕方で「なんとかしてね」とは訴えますが、「こうしてね」とまではめったに教えてくれません。赤ちゃんだけでなく、言葉を話すようになった子どもでもなかなか教えてくれません。というより、自分でもどうしてほしいかよく分からないのだと思います。親からぴったりの対応を受けてはじめて、「そう、そう。こうしてほしかったの」と満足するのでしょう。

 そこで、親として早く何とかしたい、安心したい、という気持ちになるのは分かりますが、ここは大事な腹の据えどころ。まずは深呼吸をして、あせる気持ちをたしなめながら、じっくり取り組むことにしましょう。

 触れることで心がつながる

★実例・おむつ替え

 『いい子に育つ! 6000回のおむつがえ 』を読んで、5か月の赤ちゃんに実践していたお母さん。「おむつをあてるからお尻をあげてねと言うと、ほんとにお尻をあげてくれるんです」と感動の報告がありました。それまでは面倒なおむつ替え、なるべくさっさとすませるようにしていたけど、本に書いてあるように、話しかけてやりとりしていくと、赤ちゃんの反応がよくわかって、それがうれしくて、楽しいおむつ替えになったそうです。前から赤ちゃんに、今からやることは予告したり話しかけてはいたけれど、お母さんからの一方通行だったので、おむつ替えで、独り言が対話(体話)になったという感想もいただきました。

 その赤ちゃんとお母さんに会う機会があって、おむつを替えるところに居合わせました。お母さんは赤ちゃんのやりとりしながらおむつ替えを進めていました。「おむつをあてるからお尻をあげてね」とお母さんが言うと、ほんとに赤ちゃんはお尻をあげてくれました。まだ小さい赤ちゃんですから、あげる気配というのが普通の気がしますが、その赤ちゃんはおむつが入れやすくなるくらいまで自分であげていました。お母さんが「ありがとう」と言うと、赤ちゃんは満足そうにして、おむつ替えはとてもスムーズに終わりました。

 ほんとに赤ちゃんって、お母さんの思いを受けて協力してくれるんですね。その仕草がかわいくて、やりとりになるのが楽しくて、おむつ替えの時間が、お母さんと赤ちゃんとの大切な時間になっているようでした。

 そんなお母さんと赤ちゃんのやりとりを見ていて、大切なポイントに気づきました。お尻をあげたり協力関係ができることが、赤ちゃんがそこまでできるとお母さんは思っていない場合が多く、できたことで感動されるのですよね。そしてそこに気づくと、やりとりがしやすくなって、楽しくなるのですよね。それはそれで何も言うことないのですが、ちょっとだけ気にかけていてほしいのは、共同作業になっているかどうかということなのです。

 この赤ちゃんはお尻をあげるのに、お母さんのやりやすい高さまで、ほんとに一人で持ち上げていたのですね。お母さん思いの赤ちゃんは、協力は惜しまないのだけれど、ともすると一人で頑張るに行きそうと思ったのです。赤ちゃんが協力してくれることで成り立つやりとりですが、赤ちゃんとお母さんと、それぞれ一人ひとりが頑張るのではなく、二人一緒の共同作業こそ大事なのですね。ですからあげるお尻にお母さんの手が添えられていると、一緒にやった、一緒にやり遂げたという感覚が残るなあと思いました。その手の添え方は、月齢によって、赤ちゃんによって、微妙な加減が必要なのですけれどね。この赤ちゃんの場合は触れているくらいそっと添えるくらいでいいと思います。それでもちょっとイヤイヤしたくなるときには、しっかり添えたりもするときがあるでしょう。

 一人作業が共同作業に、独り言が対話(体話)になるおむつ替えのやりとりは、親子の絆をしっかり結び、これからの親子関係の基盤を作るのにとても役立ってくれるでしょう。そしてこのやりとりが身についていると、日常のやりとりのすべてに繋がっていき、イヤイヤ期になったときにもきっと大丈夫!

 5か月のAちゃんは眠りが浅い、夜中によく目を覚ましうなる、泣くとキーキー声になる、という心配で来談されました。その日は2回目の相談でした。気がかりは少しよくなっていました。

 先ずは援助者が体話をしてみることにしました。Aちゃんを仰臥に寝かせてもらい、お母さんにはAちゃんの頭の方にいてもらって、お母さんは一緒にいるよという気持ちを込めて、軽く肩に手を当てていてもらいました。援助者は足の方にいて、下から順にそっと触れて、動いたらその動きに付き合っていきました。足、膝、お尻、腰までは、少し動きがあるくらいで、楽しいやりとりになっていました。

 次に肩甲骨の内側あたりに手を当てると、そこは何とも気持ちよさそうに、うっとりした感じでじっとしていました。お母さんにもそれが分かって「気持ちいいねえ」と声をかけていました。

 しばらくうっとりに付き合って、次に肩に手を当てると、今度はもがいて体をのたうち回るようにして動かし、それを受けとめていくと泣き出しました。絞り出すような深い泣きでした。肩のあたりにイヤな気持ちがこびりついていたんだね、「よしよし」と動きが静まってくるまで付き合いました。

 そこでお母さんに抱っこしてもらって、肩のあたりにイヤな記憶が残るようなことが、何かあったのかなあ?とお訊きしました。するとお母さんが、生まれたときにへその緒がたすき掛けに絡まっていたようですと話されました。それでは生まれるときに引っかかって苦しかったかもしれませんね。その苦しい気持ちがここに残っていたんだね。分かってあげられて、訴えてもらって、よかったね。

 ところがお母さんは、「肩は触られるとイヤなんだね。触らないようにするからね。肩甲骨のところは気持ちいいんだね。よしよし」とナデナデするのでした。親心としてはとっても分かるし、優しいお母さんの気持ちはAちゃんにどいたのですが、ちょっとカン違いがありますよ。

 もちろん気持ちいいところはいっぱいナデナデしてあげてね。でも、イヤがるところもナデナデしてね。だってほんとにイヤなんではなくて、その部分にイヤだった気持ちがこびりついているので、ナデナデしてあげるとイヤイヤが出てきて楽になっていくからね。抱きしめながらナデナデすれば、もがいてお母さんにこすりつけるようにしてくるので、吸い取ってあげやすいかな。ときどき少しずつナデナデしてイヤイヤしてもらうと、そのうちその部分を触ってもイヤイヤでなくなって、気持ちよくなると思うよ。触らないでそっとしていると、いつまでもそこにイヤが残ってかわいそうだからね。そうしてあげることは、ひとりでかかえない甘え上手になるチャンスにもなるからね。

★実例・小さい張り合い

 1歳3か月になるYちゃん。何回か相談に通われて、泣き上手になってきていて、気がかりも落ち着いてきていました。ところが3週間後の次の相談日に来たYちゃんは、また我慢の苦しい泣きになっていて、何でだろう?と不思議でした。

 Yちゃんのお母さんはずいぶん甘えさせ上手になって、家でも慰めの抱っこができるようになったのですが、最近は抱っこしてもあまり泣かなくなって、これでいいのかなあと思われていたようでした。そのあたりに何かヒントがありそうだと思いつつ、お母さんにYちゃんを抱っこしてもらいました。最初はうえ~んと泣くのですが、すぐに泣き止んでしまいます。体にはまだ力が入っているので、やはり泣くのを我慢している感じでした。

 そんな様子を見ていたら、微妙に顔を背けているYちゃんがいました。その時は少しだけ起き上がり姿勢になって、顔がお母さんの顔と真っ直ぐにならない位置になっていました。そこでお母さんに真っ直ぐになる位置に戻していただきました。するとYちゃんの我慢が外れてうえ~んと泣けました。少しすると今度は、ほんの少しだけお母さんの胸の方に顔を背けていました。そこでお母さんにまた真っ直ぐに向けてもらうとうえ~ん。その次には、後ろに少しだけ反り返って我慢。お母さんが戻すとうえ~ん。そんな小さい張り合いのやりとりを繰り返しているうちに、Yちゃんの我慢は外れやすくなり、甘え泣きができるようになりました。

 相談に来られた最初の頃は、我慢の仕方が見え見えだったので、お母さんにもわかりやすかったのですが、そんな微妙な我慢の仕方になると、つい見逃してしまうようでした。それで少しずつ我慢がまた強くなって、苦しい泣きになってしまっていたのですね。

 こんな微妙な我慢の仕方になったのは、それだけ楽になっているのは確かだと思いますが、お母さんとしてはレベルアップの時なのですね。Yちゃんもそれを望んでいたようで、泣き止んでいたYちゃんに、「お母さんの練習のために、ちょっと我慢してみて」と援助者が頼むと、微妙に顔をそらしてくれました。3回もね。お母さんが小さな張り合いをして顔を真っ直ぐに向けると、お母さんと目を合わせてかわいくうえ~んと泣けて、お母さんも思わず「かわいい!」と抱きしめておられました。これで親子の気持ちがもっとつながるね。

泣く力

 泣き上手は甘え上手、甘え上手はお母さんが大好きを受け取りやすく、大好きをあげやすい。だから親子の気持ちがとても通じやすくなって、お子さんの気持ちもいつも軽やかになって、自分らしくいられる。お母さんだってかわいくて仕方なくなって、子育てが楽しくなるはず。

 さすがのお母さんだって、わが子の気持ちが分からない時だってけっこうあるし、間違えることだってある。そんな時甘え上手は「そうじゃない」「こうがいい」「これはいや」と伝えられるから、お母さんもすぐに気づいてくれる。そしてまた気持ちがぴったりになる。

 それで泣き下手さんを泣き上手にしてあげようと、お母さんは頑張って抱っこ法をしてくださいます。すると泣き上手になるのだけれど、でもあまりに子どもの泣き上手がお母さんの泣かせ上手を越えてしまうと、お母さんはとても大変で、親子の気持ちがずれていってしまいます。抱っこ法なんかやらなければよかったとつぶやきたくなるのもこんな時かもしれません。

 相談に来られて、泣き上手に誘うときに、必ず泣き出し上手になるのと泣きやみ上手になるのとをお手伝いしているつもりですが、お子さんが泣いて和んでスッキリしてしっくり抱かれたり、気がかりが減っていったりすると、「泣くことはいいことだ」と頑張り屋のお母さんは家で一生懸命取り組んでくださいます。するとどうしても泣きだし上手にばかりなって、泣きやみ上手が置いてきぼりになるみたいです。子どもって本来は泣きだし上手で甘え上手なんですから、いいよと言われればけっこう簡単に泣きだし上手になれるみたいですよ。

 泣きやみ上手になるには、先ずは今まで助けてもらっていたおっぱいで落ち着くとか、立って揺すってあげるとか、好きなおもちゃを手渡してあげるとか、指しゃぶりだって助けてもらっていいのですね。そしてだんだんにそんな助けがなくても、子どもが自分で泣きやめるようにもなって、お母さんの懐で落ち着けることを目指していけばいいのですよね。少しずつね。

 お子さんにとっても、泣きやみ上手も手に入れていれば、泣きだし上手になるのも怖くなくなりますからね。何しろ泣くことで、お母さんを困らせたり苦しくさせたりするのが、親思いの子どもにとってはイヤなことなので、それで泣くのを堪えてきたのですからね。

 泣きだし上手と泣きやみ上手が同時に上手になるのが、本当の泣き上手なんですよね。本当の泣き上手が甘え上手なんですよね。お母さんが受けとめやすい甘え上手ですね。

★体験談「あんなつらい朝を」

 芳子さん、あんなにつらい朝をこんなにも穏やかな一日にかえらるなんて思ってもみませんでした。子どもってすごい。幼な子はまっすぐな心で向かってくるんですね。

 今日はある集まりで、託児係りに初めて加わったのです。「ママがいいの」といって身をよじって泣く子を抱っこで受け止めて、よしよししました。「ママがいいんだよね」といいながらよしよししました。しばらく抱っこしていると、力んでいた力がだんだん抜けてきて、「お外で遊ぶの」になりました。

 「靴下ぬげちゃったね」といったら、いつの間にか両方の足ではさんでもちあげてみせてくれました。そこで、ふたりでくすくす笑い。すっかり打ち解けて仲良くなりました。

 子どもはすごい! 2時間遊んでくれました。帰るとき、バイバイしたら「また遊ぼうね」って言ってくれました。うれしかった! もうすぐ3歳になる、少しお姉さんです。おしっこ、しちゃったらこっそり教えてくれました。そして、もう少し小さい子の世話をしていて手が放せない間、「ちょっと待っててね」を聞いてお利口さんにして待っていてくれました。

 さあ、パンツ取り替えようね、とお部屋に戻る時、たっぷりたっぷり甘えてくれました。嬉しかった。わたしにもできることがある、って。小さい子とももうすこし大きい子とも、心を通わせることができました。

 天心に行っていてよかった。甘えさせていいんだ! みんなと同じ、お姉さんなんだからいい子にしてね、とひとことも言わずに付き合うことができました。変に褒めずに、まっすぐにつきあえました。芳子さん、ありがとう。たくさんたくさん、力をもらっていたから勇気がでたんだと思います。

 自分のことになると、てんで駄目だけどヒトのことなら力を発揮できそうです。嬉しいな。

 幼な子と接するのは、正直なところ、とても勇気のいることでした。あの子に出会うまで、恐る恐る遠まきに眺めているのが精一杯のわたしでした。娘と離れていることで、わたしは幼な子に積極的に関わる勇気がないのです。でも、こどもはすごい。そんな私の内気な気持ちにはおかまいなく、胸にとびこんできてくれるのですものね。わたしのなかから、大きな力を引き出してくれたあの子たちに、ありがとうを送ります。

 そしてわたしの娘に、大好き!を送ります。

答えは思いがけないところから

 生後8か月の女の子ですが、お母さんの気がかりは、

 生後5か月まではムダに泣くことはなく、おっぱいも良く飲むし、夜もぐっすり寝るし、母子のコミュニケーションは取れているように感じていました。

 ところが6か月になったとたんに、自己主張が強くなり、大泣きすることが増えました。母親の姿がちょっと見えなくなると、もう大絶叫です。昼寝から目覚めると、泣きながらフトンから這ってきます。

 おむつ替えもいやがってさせてくれないし、着替えも大変です。

 また、私に抱っこされるのをいやがります。横抱きにするとのけぞったり、降りたがったり、私の体を這い上がろうとしたりして、とにかく抱っこをいやがります。ママの抱っこを拒絶!?されると私もショックで、抱っこしてあげることも少なくなってしまいました。

 泣いたら抱っこであやしてあげる・・・ってことをあまりやっていません。自分でもだめだなと思うのですがおっぱいをあげてしまいます。そのへんがコミュニケーションが取れていないようでモヤモヤしています。おっぱいで泣き止ませるっていいのでしょうか? 

 娘とコミュニケーションが取れていない気がしています。娘に不満や言いたいことがありそうなのです。フッと真顔になるのが気になります。たまに歯ぎしりもします。私は娘に安心感を十分に与えてあげられていないんですよね・・・(泣)。一日でも早く娘の心の不安、不満、さびしさ等をいやしてあげたいです。
ということでした。お母さんの抱っこでも落ち着かず、おむつ替えや着替えのような原しつけもうまくいかないとあっては、お母さんが不安になるのもわかります。
 本を読んで、家で自分なりに癒しの抱っこをしてみたものの、話しかけても反応がわからないし変化もない、とのことなので、家でやってみたように抱っこしてもらうと、もじもじしながらやがて泣きだしました。


〈思い当たることを慰めてもらうが・・・〉

 生まれたとき、促進剤を使い吸引分娩になったことが気になるとのことなので、お母さんと一緒になってあれこれ語りかけてみましたが、格別の反応はありませんでした。
 また、生まれてきたときどんな気持ちでしたかと伺うと、「親子で力を合わせてやりたかったのに、助産師にもう一回イキんで頑張りたいと言ったところ、これ以上は赤ちゃんの負担になるからダメです、と言われ、お腹を押されたりして残念で悔しかった」とのこと。赤ちゃんは泣きながらもお母さんの話を聞いている様子でした。出産時に味わった納得できないお母さんの気持ちが聞けてよかったのですが、赤ちゃんの泣き声にはあまり変化がなかったので、ひとまず縦抱きにしてもらうとすぐに泣きやみました。「人生思い通りにいかないこともあるよね」と支援者が言うと、赤ちゃんはじっと支援者の顔を見ました。
 また、「夫がそばにいるだけでイライラしてしまうので、そんな私の気持ちが伝わっているのかもしれない」と打ち明けてくれました。それは一大事。両親の仲がしっくりしていないでは、赤ちゃんは安心して日々を過ごせません。「子育てに協力的な夫だし、いいパパなんだけど・・・」ということなので、仕事ばかりで子育てに協力してくれない夫とか、母親になってしまった妻を自分のほうに振り向かせようとしている夫、ということではなさそうです。「幼い頃の思い残しを引きずっていると、その思いが夫に向けられてしまうこともありますが」といった話をしただけで、その場は終わりました。
 ところが、こんな深刻な話にも、赤ちゃんは相づちを打ちません。もっと切実なテーマがあるようでした。


〈むしろ泣き下手になっている〉

 おむつ替えがたいへんということなので仰向けに寝かせて、起き上がろうとするのを止めてもらおうとすると、息が詰まりそうに泣くので、すぐさま抱き起こして、縦抱きにしてもらいました。お母さんとしては、何か傷ついている気持ちを探り当てて癒してやりたいと思っていたようなのですが、どうやら、泣いて訴えることがひどく下手になっているようです。
 聞けば、生まれて1~2か月くらいから抱くとのけぞっいやがっていたので、泣くとおっぱいでなだめてきたそうです。最初のうちは、「赤ちゃんは横抱きにすると、母乳のにおいでおっぱいがほしくて泣く」と聞いていたので気にしていなかったけれども、それからもずっとそうだったので、泣くとおっぱいを飲ませて泣きやませていたそうです。
「もしかすると、お母さんが気にしていた出産時のトラブルを泣いて訴えていたのかもしれませんが、泣くとお母さんが困るのでお母さんを気遣って、泣かずにがんばろうとしてきたかもしれませんね」と話しました。お母さんはそれを聞いて、赤ちゃんをいっそういとおしく感じたそうです。
「生まれたばかりの赤ちゃんがひどく泣き続けてなだめにくかったら困ってしまったでしょうから、泣くとおっぱいでなだめてきたというのは現実ベストの対処だったでしょう。でも、ここに来てそのままではちょっと苦しくなっているのではないでしょうか。これからは少しずつ泣きだし上手・泣きやみ上手にしていってあげましょうね」と伝えました。


〈まず安心〉

 そんな話をしながらの合間に、おむつ替えのときのような仰臥に誘って、激しく泣きだしたら即座に抱き上げてもらうを4回ほど繰り返したのですが、回を追ってお母さんが肩をしっかり押さえられるようになり、赤ちゃんも楽に泣きだせるようになりました。最後は、1分ほども泣きながら横になっていられるようになり、お母さんに縦抱きで抱き取ってもらったとき、お母さんの体に身をまかせて抱かれたので、「これまでこんなふうに、抱っこしたとき首に手をまわしてぴったりフィットしてくることがなかった」とのことでした。
 相談を終えて実際におむつ替えをしたときも、起き上がろうとする肩を支援者がちょっと止めただけで、泣きながらおむつを替えることができ、終わって抱き上げたら落ち着いていました。
 まだまだ泣きだし下手・泣きやみ下手を抱えたままの赤ちゃんですが、それを一気に解消するのは無理があります。初回の相談では、たとえ縦抱きではあっても、たとえしばしのことではあっても、お母さんの腕のなかで落ち着く実感を、親子に味わってもらうことができました。それに加えて、あおむけになっておむつを替えるという赤ちゃん期の原しつけへの見通しもできました。このとりあえずの安心感が、本格的な安心感に向けた取り組みの出発点になったのだと思います。


〈初回の相談を終えてから〉

 相談が終わってからのメールで、お母さんの思い残しについて、
「小さい頃を思い出すと、いつもさびしくて、甘えたり、抱っこやよしよししてもらうことがありませんでした。母親の気を引きたくて、いつもワルイ子でした。反抗期もひどかったし、結婚して家を出るまで犬猿の仲でした。相談から戻ったその晩、小さかった頃のさびしい私を思い出し、主人にも聞いてもらって泣きました。出るわ出るわ・・・(笑)。なんだか気持ちがずいぶんラクになったように感じます。そして主人に当たることが少なくなったようです(笑)! 今後も時々自分の気持ちもケアしていきたいと思います」
と知らせていただきのことでした。また、相談室で買い求めたおむつ替えの本を読んでみたところ、
「とても分かりやすくて、さっそくおむつ替えを実行してみました。そしたら一緒に協力してくれて上手にできたんです! 涙が出ました☆ 希望が持てました!」
とありました。抱っこと泣きについても、
「10分くらいギャンギャン泣いた後フエ~ンと甘え泣きになったらおっぱいにしたり、寝てしまったり、を繰り返していました。普通に抱っこしてあげる回数も増えました。そうすると、普段からあんまり抱っこしてあげてなかったなあと反省しています。今までの分を取り戻せるくらいめげずにいっぱい抱っこしてあげたいです。そして私たち親子も、泣き上手甘え上手、泣きの受け止め上手甘えさせ上手になりたいです!」
とのこと、しあわせな親子関係を取り戻す第一歩を踏み出すことができたようです。

 子どもは「公案」だと考えて

 生後8か月の女の子ですが、お母さんの気がかりは、

 生後5か月まではムダに泣くことはなく、おっぱいも良く飲むし、夜もぐっすり寝るし、母子のコミュニケーションは取れているように感じていました。

 ところが6か月になったとたんに、自己主張が強くなり、大泣きすることが増えました。母親の姿がちょっと見えなくなると、もう大絶叫です。昼寝から目覚めると、泣きながらフトンから這ってきます。

 おむつ替えもいやがってさせてくれないし、着替えも大変です。

 また、私に抱っこされるのをいやがります。横抱きにするとのけぞったり、降りたがったり、私の体を這い上がろうとしたりして、とにかく抱っこをいやがります。ママの抱っこを拒絶!?されると私もショックで、抱っこしてあげることも少なくなってしまいました。

 泣いたら抱っこであやしてあげる・・・ってことをあまりやっていません。自分でもだめだなと思うのですがおっぱいをあげてしまいます。そのへんがコミュニケーションが取れていないようでモヤモヤしています。おっぱいで泣き止ませるっていいのでしょうか? 

 娘とコミュニケーションが取れていない気がしています。娘に不満や言いたいことがありそうなのです。フッと真顔になるのが気になります。たまに歯ぎしりもします。私は娘に安心感を十分に与えてあげられていないんですよね・・・(泣)。一日でも早く娘の心の不安、不満、さびしさ等をいやしてあげたいです。


 禅の世界では、老師から「公案」(こうあん)と呼ぶ問題が与えられるそうです。例えば、夏目漱石は27歳のとき、悩みをかかえて鎌倉の禅寺にこもって、「父母未生以前(ぶもみしょういぜん)の本来の面目(めんもく)はいかに?」(あなたの両親が生まれる前のあなた本来の姿はどうだったのか)という公案を与えられたそうです。漱石の『門』という小説によると、主人公の宗助が、いくら考えてもなかなか答えは出てこない。絶望しかかったところで、世話をしてくれていた若いお坊さんから、「悟りは待ち受けるとつまづきますよ」と言われます。

 私たちだって、こんな問題を出されたら困ってしまいますね。でも、そこであきらめることなく考え抜くと、やがて翻然として、それまでの自分の枠を大きく打ち破って、仏の教えを悟ることができるのだとか。

 子どものことで困ったときには、その「公案」のように考えたらどうですか、と心理学者の河合隼雄さんが助言してくれています。

 親を困らせたり親に心配をかけるようなことをしても、元々親思いでやさしく、物分かりがよくてかしこい子どもは、少しもうれしくないのです。それなのに、あえて困らせたり心配をかけたりする行動や様子を見せるとしたら、それにはそれなりの深い意味があるはず。その意味を読み解こうと、頭と心と体をぜーんぶ使って、子どもと一緒に泣いたり、笑ったり、悩んだり、試したりして道を求めていくうちに、「ああ、そういうことだったのか!」と、明るい展望がパッとひらけてきます。

 でも、いくら悩み抜いても、すぐに答えが出るとはかぎりません。物事が熟成するには、すべて時間が必要です。河合先生も、公案を解くには、「焦らずにどっかりと腰を落ち着けてやらねばならない」と言っていますが同感です。

 私たちのところへ相談にいらっしやる方にしても、1回で済んでしまう場合も、数回必要な場合も、時にはもっと長期にわたって通ってきてくださる場合もあります。人それぞれ、「いまの自分たち親子にとって何が必要か」ということは違いますから、回数が多くかかったら、時間が長くかかったらダメ、ということではないのです。

 小さな和解と大きな和解

 たとえば、1年間ずっと相談に通っていたのに、なかなかお母さんの心配が消えなかった男の子が1年かかってようやく、「おっぱいの先生のところや抱っこの先生のところに連れて行かれるのは、ぼくはダメな子なの?」という、ずっとあたため続けた思いを、お母さんにぶつけることができました。その問いかけが突破口になって、お母さんの心の層に埋もれていた大鉱脈が掘り起こされ、後はもうめでたしめでたしの結末を迎えました。

 もしも第三者である援助者が1年前に子どもの思いを感じ取ってそのままお母さんに言葉で伝えたとしても、時期尚早で小さな和解しか得られなかったことでしょう。困っているとき、苦しいとき、どうしても早く安心したい、楽になりたい、そのためには、「あんちょこ」を使ってでも手早く答えを出してしまいたくなりますが、それでは大切なことを悟ることができないのです。

 子どもの心配をマイナスと考えると、心配が消えてマイナスをゼロにしたい、と考えがちです。でも、実際に何が起きるとかいうと、心配が消えたときには、親のがわに大きな気づきや、すてきな変身や成長が生じており、子どももますますしあわせな自分を発揮できるようになっているので、むしろマイナスはプラスになるのです。それが大きな和解です。

 なぜそうした大きな和解がもたらされるのでしょうか。

 たとえば、ガンのような深刻な病気にかかったときというのは、ひとつの「危機」なのだ、という人がいます。つまり、いのちの「危」険にさらされると同時に、自分のそれまでの生き方を振り返る好「機」でもある、どちらに生かすかはその人しだい、というわけです。

 子どもの心配が強く現れるときにも、同じようなことが言えます。子どもの心配と取り組むということは、とりもなおさずそれまでの子育てを見直すことになり、ひいては、それまでの親自身の人生を振り返り、本来の自分自身を取り戻すチャンスでもあるのです。

 ですから、子どもの心配という公案は、子どものいのち、親のいのちが、ますます光りかがやくことができるようにと、天が与えてくれた宿題のようなもの、と考えたらどうでしょうか。問題が難しければ難しいほど、解けたときにどんなしあわせな展望がひらけてくるのかを楽しみにしながら、じっくり解いていきましょう。

 心配がなかなか消えない苦しさの中にどっぷり漬かって、面白いパズルでも解くような気持ちで、苦しみを楽しみ続けようではありませんか。「苦しいよ、苦しいよ」と泣きごとを言いながら、子どもと付き合い、自分と向き合い続けましょう。応援しますね。

 自分たち親子にぴったりの答えを

 子どもが答えを教えてくれないとなれば、育児書や誰かに答えを求めたくなるのももっともです。私たちもよく、「こういう心配ごとがあるのだがどうしたらよいか」とアドバイスを求められることがあります。でも、同じような心配ごとであっても、その背景は個々まちまちです。たとえば、「赤ちゃんの夜泣き」といっても、その原因と対策にはいろいろ考えられますから、「夜泣きのときにはこうしたらいい」……というワンパターンの答えはないのです。

【実例】哺乳びんをなかなか手放せないとき、近所の人のアドバイスに従って、3歳の坊やの目の前で哺乳びんをガチャンと割って見せ、「もうないよ」と言って聞かせました。効果てきめん、哺乳びんは手放せたのですが、ショックで言葉が出なくなり、1年以上相談に通って、ようやく元気な自分を取り戻しました。

 もちろん、近所の人の体験談を参考にするのは悪くないし、地域の保健婦さんや近くの子育て支援センターに相談してみるのもいいでしょう。本を読んだりホームページをのぞいたりして一般的な知識を学ぶことも大切です。相談の実例からや体験談を読んで、他の親の体験も参考にするときっと役に立ちます。

 でも、大切なことはあくまでも、自分たち親子にぴったりの答えを見つけていくことです。私たちは、わきからそのお手伝いをするつもりです。

 親の感性がひらくまで

 車の運転のような、子育てに比べればずっと単純なことでさえ、何十時間も教習所に通って身につけなければならないというのに、子育てはぶっつけ本番。素朴な暮らしの時代には、それでも自然にうまくいっていたのでしょうが、ここ何十年かのあいだに世の中が大きく変わり、のんびりしていた暮らしや子育てがせかせかとせわしないものになり、また、核家族になって身近に助言や労力の助けが得られなくなりました。その結果、親は子育てに自信を失いがちです。

 まして、いったん子育てに行き詰まり、子どもからSOSが出て、子育ての立て直し(それをここでは「癒しの子育て」と呼んでいるわけですが)をしなければならない段になると、ほとんどお手上げと言ってもよい状態になったとしても無理はありません。

 このホームページでは、癒しの子育てに役立つ情報をいろいろ提供していくつもりですが、それでも、自力で解決がつかないときには、そのまま袋小路に入り込んで悪戦苦闘を続けるよりは、お子さんを連れて相談にいらっしゃってください。実地に体験してみて、「ああ、なるほど、こういうことだったのか」と納得できることが多いからです。はるばる遠方から(時には海外から)泊まりがけできてくださるかたも少なくありません。

 だからといって、何も知らない親に、私たちが教えてあげる、ということではありません。親としての感性や知恵は、誰でも心の奥のほうにちゃんと眠っていて、いったん見いだされればたちまち目を覚まして働きだします。いったん目覚めれば、もう我が子に関しては誰にも負けない専門家になります。相談の場は、親に秘められた感性がおのずから花開くのを助ける場なのです。