体調を崩す

「Mさんへ」 -体調を崩す
「親思いの甘え方」-高熱を出す



「親思いの甘え方」-高熱を出す

〈第1信〉

 こんにちは。ずいぶん気温差が激しいですが、芳子先生も秀雄先生も体調は大丈夫ですか? ここ最近のニュースを見ていると、苦しいお母さんはとっても増えていて、芳子先生たちはますます忙しくなっているだろうなぁと思います。

 Mちゃん、頑張っていたから、そのうち何かあるだろうなぁって思っていたら、早速月曜から高熱が出ました。朝、ちょっとおかしいかな…と熱をはかったけど36.4度だったから保育園へ行かせたんだけど、11時くらいに「お散歩でも元気だったので気付かなかったんですが、帰ってきてからぐったりして、はかったら39度の熱なんです」と先生から電話があって、すぐに迎えに行きました。

 病院へ行ったら、扁桃炎でした。お昼には39.8度まで上がって、それ以後は40度を超える高熱でした。なのに本人は嘘のように元気に過ごしていて、しっかりご飯も食べるし、水分も取るし、よくしゃべってご機嫌。水曜は仕事だったんだけどすぐに仕事場へ電話を入れて、またまたお休みをもらいました。もうほとんど専業主婦状態です。

 で、私の気持ちはどうかというと…。

 甘えるのにもなんて親思いの甘え方をする子なんだろう!!と、Mちゃんが可愛くて仕方ありません。

 だって、ただの風邪の微熱だったら仕事のほうも休みづらかったけど、病院で扁桃炎だから高熱が2~3日続くよ、と言われたから、さすがにこんな高熱だと仕事場の人も気を遣ってくれて休みやすかったし、こんな高熱が続いているのにご飯もちゃんと食べてくれるし、さすがに夜中は旦那も夜勤で不在だからちょっとつらかったけど、甘えるのにこんなにまで親思いな病気のかかり方をするなんて、なんていじらしい子なんだろう、って、思わずにはいられないよね。

 それに、お兄ちゃんのIのことでいろいろあって落ち着いたときにも、私は癒しの子育てに出会っていたから、「Iが落ち着いたらMちゃんの番が来るだろうな」って思っていたからね。普通なら「もう、次から次へ何なの…!!」ってイライラくる状況のはずなんだけど、「こんなに私が休みやすい状態を作って甘えてくるなんて…」と、Mちゃんの思いやりに感動しました。

 今日は、朝にはすっかり熱も下がっていたけど、もうちょっと一緒に過ごしていたかったからお休みさせました。明日は仕事の予定だったんだけど、仕事場の人が昨日、「金曜日も無理せずにお休みしといたらどう?」と言ってくれたので、一応、お休みということにしてもらっています。もう一日、Mちゃんと一緒に過ごしてもいいかなぁって思っています。

 この休みの間は、お熱もあったから、Mちゃんに泣いてもらって気持ちを聞くということもしていないの。ただ、何となくぎゅーってしたり、くっついて絵本を読んだりおやつを食べたり、二人でただただ過ごしているだけ。だってねぇ、これが病気でないときだったら、いっぱい用事しなきゃって気持ちが焦るでしょう? でも、Mちゃんが病気の時なんだから家事がおろそかになったって当たり前。Mちゃんは、そういう時間もプレゼントしてくれたんだよね。…そっか、もしかしたら、Mちゃんのための時間じゃなくて、Mちゃんは私のための時間を作ってくれたのかもしれないな!


〈第2信〉

 お返事ありがとうございました。Mちゃんってすごいでしょ。本当はもっと早くに甘えたかったのかもしれないし、それだったらIのお休みと重なって熱が出たっておかしくないのに、Iが落ち着くまで我慢してくれてたんだろうな、って。Iや私のためにここまで我慢して頑張っていたのかなぁって思えちゃって、このMちゃんのお休みの間は素敵な時間が過ごせました。

 結局、金曜日は、Mちゃんに聞いたら「保育園行く」と言うので、ちょっと寂しいなぁと思いながらも(笑)保育園へ行かせてみたんだけど。その日、Mちゃんの連絡帳には、「自分の水筒が無いと言って怒っていたり、お給食のときに前の子がじっと見ているのが嫌で怒ったり、いつものニコニコのMちゃんとはちょっと違っていたかな?」と書いてありました。それを読んで、ああ、やっぱり本当はもうちょっと甘えたかったのかなぁって。「保育園行く」と言ったのは、もしかしたら、Mちゃんがまた私に気を遣って、私にお休みをあげたくて頑張ろうとしてた言葉だったのかも、とちょっと反省しました。

 でも、その金曜日の保育園での過ごし方を知って、少なくとも、家で休んでいた間は甘えられていたんだなぁ、もうちょっとおうちで甘えたかったんだなぁってことも分かったから、ちょっと嬉しい気持ちにもなりました。これって、勘違いかな???

 充電しきるまでは甘えきれなかったかもしれないけど、家にいたときに甘えてもいいんだなぁって気持ちで過ごしていたことは確かですよね? だから、保育園でも甘えたいモードが出ちゃったってことなんだろうなって、私は解釈してたんだけど。

 だから、今日は私が用事があるから無理だったんだけど、今週か来週、私がお休みの日にMちゃんをお休みさせて、できればお天気のいい日に一緒に過ごそうかなって思っています。で、そのあとで、近いうちに、やっぱりもう一回抱っこのセッションをお願いしようかな、って。

 なかなか自分では良いお母さんには程遠いという気持ちがぬぐいきれないから、チビたちが「家にいたい」とか「家で過ごすことを嬉しい」と感じてくれると、本当に嬉しくなっちゃうんだ。お友達とたくさん遊べる保育園を楽しいって思ってくれるのも嬉しいけど、疲れたときや甘えたいときに、「家にいたい」「ママといたい」って思ってくれるなら、私だって母親として捨てたもんじゃないよなーって。考えようによってはかなりレベルの低い喜びかもしれないけど(笑)、でも癒しの子育てを少しずつ理解してきたからこそ分かる喜びでもあるよね?


「Mさんへ」-体調を崩す

〈第1信〉

 学習会は大変勉強になりました。ありがとうございました。泣きたい子どもの気持ちを受け止め、泣きやすい環境にしてあげるという見方で子どもと向き合うと、自然と心にゆとりが生まれて、私もおだやかな気持ちで子どもと関わっていけるような気がします。また、4歳の上の子が食事を「食べさせて」と言って自分で食べないのですが、という質問がありましたが、うちの娘(4歳で上の子)も同じ姿が見られます。Mさんのお話を聞いて、やっぱり今までやれていたことでも「やって~」と甘えてくる時は、子どもの情緒が不安定な時や寂しい時なんだな~、そこでちゃんと甘えを受け入れてあげれば気持が安定して再び自分でやろうとするのだな、自分の力で歩き出すのだなという思いが強くなりました。
 また子育てをしていく中で母親が感じてしまうイライラや怒り、悲しみの根っこは、実は母親自身の今までの体験からくる、心の中にある複雑な感情であるというお話は、私も思い当たるものがあります。
 娘を産んで育てていく中で苦しい気持ちを感じるようになり始めた頃、娘は便が出にくくなりました。始めは5日間ほどの便秘が、しだいに一週間になり、10日間になり、そしてついに自分では出せなくなり、下剤や浣腸に頼るようになりました。もともと食が細く食べない娘。食べて水分を飲まなければ便も出ないと聞き、私は「食べで飲まないとウンチも出ないよ」と、食べることを娘に強制し出しました。と同時に子どもが食べやすいものをと、野菜をミキサーにかけてジュースにしたり、食物繊維のものを取り入れ炊き込み御飯にしたりして、いろいろ努力して料理しました。
 しかし私の努力とは反対に娘はますます食べなくなり、便も出なくなりました。私は精神的に追いつめられていき、娘との食事の時間が苦痛になっていきました。便秘にはプルーンがいいと聞いたので、ジュースにして飲ませていましたが、私が作っているプルーンジュースを見ただけで、娘は泣けてしまう状態になっていました。娘もかなり追いつめられていたんだと思います。全てが悪循環で、しだいに私と娘の関係も悪くなっていきました。
 これではいけないと思い、食事を強制することを一切やめて、一緒に楽しく食べられるように心がけるようにしました。そして、もしかしたら便が出ない原因はもっと違うところにあるのではと考え始めました。この時、「母親の心の中に閉じ込めてある苦しい気持ちがあると、それが子どもに影響することがある」という、去年の抱っこの学集会でのMさんの言葉を思い出したからです。実は私は自分の両親との関係がこじれたまま結婚してしまい、それが自分の中で葛藤となり、すっきりしないしこりのような固まりになっていました。もしかしたら私のこの気持ちが娘の便秘の原因になっているのではと思い、この気持ちを勇気を出して初めて両親に打ち明けました。そうしたら次の日から娘は自分の力で便をするようになりました。もうびっくりです。一年間ほど下剤を飲み続けてもスムーズに出なかったのに。両親に、特に母親に自分の気持ちを受け止めれもらえ、心の中のしこりが少しずつ消えていくと娘もしだいに食べるようになり、今では定期的に便も出るようになりました。
 いろいろな原因が重なって便秘になっていたと思いますが、その中でも私の心のしこりが大きく影響していたのではと思います。この時、改めて母親の私がしんどいと、子どももしんどくなっちゃうのだなということを気づかせてくれました。  また今回のような勉強会があったら参加し、子育てについて学んでいけたらと思います。

〈第2信〉

**私が、ご両親に自分の気持ちをどんなふうに伝えたのか教えてほしいとお願いしたら、その事も書いて下さいました。**M

 両親を前にして自分の気持ちを伝えることは、かなり対抗がありました。私は今まで両親に対して(特に父親)本音を言うことはなく、よい形で話し合いをしたという経験がありませんでした。それに以前から両親に対して充分に甘えることができず、常によい娘でいなければいけないような気持ちが心の中にありました。それは私にとって辛いことでしたが、そんな気持ちを分かってはくれない両親に対していつのまにか恨むようにもなっていました。  でも毎回10日以上も便が出ず、ポンポンに張ったお腹で「痛い痛い」と泣く娘を見て、本当に何とかしてあげたいと思ったし、自分自身も心のしこりが苦しかった。私が両親に思いを伝えることで、もし何かが変わるのであればという必死の思いが私の背中を押してくれました。
 実際には父と母にいきなり話をするのは怖かったので、母にだけ前もって何度か電話で思いを伝えました。でも、自分の心の中の葛藤や苦しい気持ちばかり話しても、母には受け入れてもらえませんでした。母も母なりの苦しい気持ちがあったのです。母も自分の母親に甘えることができず、制圧されて育ってきたのだと感じた私は、なるべく自分の気持ちは横にどけて、母の気持ちを聞いてあげようと心掛けました(でもただ聞くことはなかなかできず感情的になり、気まずいままで電話が終わり、しまった~と反省することが多かったのですが)。そして母の良いところ、ステキなところを伝えるようにもしました。
 「私は旦那さんやいろいろな友だちに、自分の気持ちを聞いてもらいスッキリでるけど、お母さんはおばあちゃんやお父さんや友だちに話をして、気持ちを分かってもらうことはないんでしょう。だからお母さんに苦しい気持ちがあるならば、私が聞いてあげたい」と何度も伝えました。しかし人に話を聞いてもらってスッキリした経験の少ない母は、私のこの言葉は理解できなかったようです。それに母の中では私に対しての子育ては終わっていて、今さら言われても、もうどうすることもできないとい思いがあるようでした。  母の中に過去の自分と向き合う気持ちがなければ、私が何を言っても平行線です。今思えば、過去の自分と向き合うことが辛かったのかもしれません。やっぱり無理なのかな~と思い、それでも伝えたい言葉があります。  「私は今まで親に甘えることができなかった。でも本当は甘えたかったんだよ。でも今はおとなになってしまってお母さんと一緒に寝たり抱っこしてもらったり、そういう甘え方はできないし、家も離れていてすぐ頼ることもできないでしょ。私が今できるのは、今の気持ちを聞いてもらうことなんだよ。正しい答えやアドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ甘えたかったんだねって言ってもらいたいんだよ。お母さんもお母さんなりの苦しい気持ちがあるでしょ。私がその気持ちを聞いてあげたいから」と。
 そしたらその後、母から手紙が届きました。そこには、私と娘の密度の濃い親子関係を見て、自分の子育てを振り返ってみると心が寂しくなること。働いていた自分に代わって子育てを祖母にまかせっきりにしていたため、自分は子育てに自信が持てなかったこと。今まで充分に甘えさせてあげられなくて悪かったこと。今からでも甘えてほしいと。そして私に話を聞いてもらってスッキリしたと。
 初めて母が私の気持ちを受け止めて、自分の気持ちを私に伝えてくれました。この手紙を読んだら、私の心のしこりがスーッと消えてなくなってしまいました。少し生きづらさも減ったような気もします。根本的な性格は変わりませんが、もしかしたら私の表情や雰囲気も少し柔らかくなったのでしょうか。娘も精神的に落ち着いており、スムーズに便が出ています。
 私が「親に自分の気持ちを伝えているけど、親のありのままが受け入れられない」とMさんに話したら、「ゆっくり、ゆっくり、やってね」と言ってくれました。天心の体験をした時「長年こじれた関係の母に、最近気持ちを受け入れてもらえた」と阿部先生に話したら、「それは幸運(ラッキー)でしたね」と言われました。この言葉を聞いて、おとなになった人が母親に子どものころの寂しい気持ちを受け止めてもらえることは難しいことなんだ、実際には受け止めてもらえない人の方が多いのかなと感じました。  私の母は、長い間ほぼ寝たきりの祖母(父の母)を「自分の代わりに一生懸命子供たちを育ててくれた。その恩返しをしている」といって、丁寧に丁寧に介護しています。母には本当は頭が下がる思いです。そんな母だからこそ、もしかしたら私の思いもいつかいつか、通じるのではと思い、話をしました。正直、過去の話をしても、もう過ぎてしまったことだからと言っていた母の気持ちがなぜ動いたのか、今でも分かりません。受け止めてもらえたことは、本当にラッキーなことでした。

〈第3信〉

 父は、私が10才の時にうつ病になり、それ以来20年間定期的に病院に通っています。なぜ父がうつ病になったのか、はっきりした原因は知りません。精神的に不安定になりやすく、母が自分の思い通りに段取りよく動かないと、家の襖を足で蹴りつけよく怒っていました。そして母はただオロオロするばかりでした。
 父はきっちり完璧にしたい人で、高校生の頃、私ががんばってみたものの、やっぱりこれは自分には向いていないかな?と言って悩んでいると、「途中で止めるな!!」とどなってくるような人でした。父と一緒にいると「もっとがんばれ」「もっとしっかりやれ」と言われるのではないかという気持ちになってしまいます(それが嫌で、私は帝王切開で子どもを2人産みましたが、2回とも産後は実家に帰らず、自分の家で頑張りました)。母もこの父とどう向き合ってよいのか分からないみたいで、父と母の関係も良いとは言えないものでした。
 このような家庭の中で言葉で自分の気持ちを伝え合うことは少なかったように思います。私は自然と甘えることをしなくなり、よい子でいなくてはと思うようになっていました。でも、それがだんだん苦しくなってきて、いつの間にか両親を恨むようになっていたのですね。でも本当は、しっかりしていなくても、がんばってやってもできなかったとしても、グチグチ悩んでしまっていても、上手にできなくても、それでもいいんだよって言ってもらいたかった。ダメな私でもちゃんと両親に受け入れてもらえて、愛されているんだっていう実感が欲しかったです。
 でもこれは両親も持っている気持かもしれません。父は、完璧じゃない自分を、他の人に受け入れてもらいたかったのかもしれません。うつ病になってしまい、精神的に不安定になっている状態でも、それでもあなたのこと嫌いじゃないですよって、言われたいのかもしれません。母だって、小さい頃に甘えることができず抑圧されて育った気持ちや、父と良い関係を作れず苦しい気持ちを「つらかったね~、苦しいね~」って受け入れてもらいたいのかもしれません。そう思ったら、両親への恨みの気持ちが少しずつ消えていき、そのかわり両親の苦しい気持ちを聞いてあげたいと思えるようになりました。
 今までお互いの気持ちを伝え合うことをしてこなかったので、特に父と、すぐには心のかよい合うような会話はできませんが、心の中では「ありのままのお父さん、お母さんが大好きだよ」という気持ちで接していきたいと思います。

**これを書いたらすっきりしたと言うAさんは今、何とかご両親との関係を改善しようと頑張っているようですね。長い年月の間に培われてしまった“信念”を変えるのはとても大変なこと。でもそうい信念を抱えてしまった事情を理解し、あせらずゆっくり働きかけていけば、春がくれば自然に雪解けが始まるように、いつかご両親の心にも春がやってきて、心の雪解けが始まることでしょう。必ずその時が来ると信じて、ゆっくり気長につき合って下さいね。**M