甘えない・母を避ける

【指しゃぶりありがとう】

 Nちゃんは1歳8か月。指しゃぶりがひどくて、なんとかやめさせたいと相談にいらしゃいました。指しゃぶりは夜中ちゅぱちゅぱやるし、昼間も気がつくとしゃぶっている。玩具も片手で扱ったり、何かに取り組むのにも不自由そうにしている。それでは楽しんで遊べないと気になる。

 知り合いの人やママ友に相談すると、指に芥子を塗るといいとか、包帯や手袋をはめてみたらとか、強く叱るといいとか聞くが、心に傷を残すのもイヤでできない。それでもお母さんは、指しゃぶりをしているのを見るとイライラしてしまって、結局怒ってしまっているという。

 相談室に来たNちゃんは、なるほど指しゃぶりをしている。お母さんに面接票を書いていただく間、お母さんのすぐそばに座って指をしゃぶりながら、部屋のようすを眺めたり、援助者が玩具を持っていくとちょっとさわってみたりしている。でも指しゃぶりがNちゃんの主なやることになっていました。

 日常のようすをお聞きすると、どうやら泣かれるのがとってもつらくなるお母さんのようでした。指しゃぶりは、泣きたい気持ちを我慢したいときにすることが多いのですね。お母さんが泣かれるのにつらくなるなら、指をしゃぶって我慢するよと、子どもなりの対処法だったのでしょうね。

 お母さんに対面で抱かれて指をしゃぶっているNちゃんの手を、援助者が外して持ってみました。するとすぐにNちゃんは可愛くうえ~んと泣きます。手を放すとすかさずしゃぶり、泣きは収まります。ちょっとしてまた手を持って口から放してみると、Nちゃんはうえ~ん。そんな繰り返してしていたら、手を放すと口に指が行くのですが、泣き続けるようになりました。我慢していた泣きたい気持ちがやっと少し出てきたみたいでした。援助者はいいぞいいぞと思ってみていましたが、お母さんはオロオロで、急いで立って揺すったりし出しました。まだほんのちょっと泣いただけなんですけれど、お母さんは居ても立ってもいられなくなるようでした。

 お母さんはほんとに泣かれるとつらくなってしまうのですね。お母さんの気持ちにそれほど切なくなるわけが、生い立ちのなかにあったのでしょうね。そんなお母さんをヨシヨシと見守ることからにしました。お母さんとしては、指しゃぶりがとっても気になり止めさせたい気持ちと、泣かれるととってもつらくなるので泣かないでという気持ちが、真っ向から対立することになっているので、その微妙な兼ね合いをゆっくり探していくことになりました。

 その日は、援助者の抱っこで1~2分泣いてお母さんの抱っこに戻るを、ほんのちょこっとやって、「指しゃぶりありがとう」というところにはたどり着いて終わりました。それでも、帰る頃にはだいぶ少なくなっていた指しゃぶりでした。

 場合によっては、こんな手順が役に立つかも。
(1)お子さんと関わる前にまず、お子さんの指しゃぶりをそっくりまねをして、どんな気持ちになるかを味わってみることから始めたらいいですよ。指を唇に押し当てるだけでも、何か大切な気持ちが感じられるでしょう。
(2)抱いているお子さんの指をしゃぶっている手に、あなたの手を重ねて(寄り添って)、「指しゃぶりをせずにはいられなかったのね」と言ってあげたら、どうなるでしょう。あなたに、お子さんに、そしてふたりの間に、何が起きるでしょう。
(3)指をしゃぶっている手をすっかり外してしまわないで、外そうと力を入れ続けてはいるけれども口からは離れないところで保ち続けてみる。

【苦しさ根っこの芽】

 Eちゃんはもうすぐ3歳。お兄ちゃんが幼稚園で、お友だちを叩いたり暴れてしまったりして困っていて、ここ半年くらい通って来られていたのですが、お兄ちゃんが落ち着いたところで、Eちゃんの番になりました。Eちゃんは何も困ったことはなく、いい子をしていました。でもそれがお母さんには、いい子過ぎているのではと気になっていたと言います。お母さんがお兄ちゃんのことで手一杯だったので、いい子をさせてしまったのではという思いもあったようです。

 相談室に来たEちゃんは、入口で固まっていて、お母さんに挨拶を促されたら、お母さんの後ろに隠れてしまいました。そんな様子を見て、いい子過ぎてはいないのでは?と、援助者はちょっと安心しました。もっといい子していると、初めてのところでもなんでもないかのように振る舞ってしまうからです。初めてのところに来て、不安を態度に出せてお母さんを頼りにするのは、安心なことだと思ったのです。

 でもいざ抱っこになったら、お母さんが抱っこしても、援助者が抱っこしても、身じろぎもしないですんなり抱かれてしまい、でもリラックスはしていないで、やっぱりいい子でした。「ずっとお母さんを助けてくれてありがとう。もう大丈夫だから、お母さんに甘えていいんだよ。我慢しないでいいんだよ」というのですが、なんの反応もなく、まるで存在を消しているかのように抱かれていました。こんな時は抱っこしていても軽く感じるのです。

 いつからこんなに我慢するようになったのか探っていくと、お腹の中にいたときのことにまでさかのぼりました。妊娠後期に急に中毒症になって、お母さんもEちゃんも大変な思いをしたのだそうです。妊娠中毒症になると、母胎を守るように体が総動員して、そして自然の働きで、胎児を押し出そうという動きが出るのだそうです。それで胎児を守るのがとても大変なんだそうです。

 援助者が抱っこして、「お母さんがEちゃんをいらないから出そうとしたと思った?」と言葉をかけると、一気に泣き出しました。それはそれは悲しそうに、悲鳴のような声で泣きました。しばらくよしよしとしてから、お母さんの抱っこに代わって、「そうじゃないよ。体がそうなっただけ。Eが生まれてくるのを待ってたよ。Eを守るために必死だったよ。Eちゃんが生まれてきてくれてとってもうれしかったよ」と、お母さんが話してくださいました。

 それでちょっと安心したEちゃん。もう一度援助者に代わって、「苦しかった!」に身もだえして泣き、「死ぬかと思った」で大泣きして、その後でお母さんに代わったら、やっとお母さんに甘え泣きができました。Eちゃん、もう一人で我慢しないで、お母さんに甘えてね。

 おとなになって自己否定の塊を持って、苦しく生きている人はいっぱいいますよね。そんな自己否定の始まりが、こんなことから始まることもあるのだと、Eちゃんのセッションを通して見せてもらいました。でもここで勘違いしないでほしいのは、そのことが苦しい根っこの芽になった、というよりも、そのことがきっかけで甘え下手になってしまった、ということが、自己否定の芽にもなっていくということです。何があっても、甘え上手の子どもになっていれば、泣いて癒やされていくし、お母さんと心を一つにできるので、自己否定の道は歩まなくなるはずなんです。

 Eちゃんはこんなに小さいうちに、苦しさの根っこに気づいてもらって、慰めてもらって、泣いて癒やされて、よかったです。甘え下手になっていたEちゃんは、こんなやりとりがなかったら、自己否定の芽が大きくなってしまったかもしれません。お母さんはいままで、手のかからないEちゃんに助けられてきました。だから今まではそれでありがとうなんですよね。そしてこれから、もっともっと甘え上手なEちゃんになってもらいましょう。2週間後の予約の日、Eちゃんはどんなに甘え上手になっているか楽しみです。

【ママに甘えてくれない】

 Wちゃんはもうすぐ3歳。お母さんに甘えてくれなくてさみしいと、2か月ぶりで相談に来られました。なにか痛い思いをしたとき、お使いから帰ったとき、知らん顔をするわけではないけど、お母さんの胸に飛び込んできてくれない。お父さんだと飛び込んでいく。お母さんとしては嫌われているように思えてしまう。

 前回相談に来てから、早く仲良くなりたくて、毎日のように抱っこ法していたんだけど、最近は抱っこすることもいやがるようになってしまったという。それを聞いて援助者は、泣かせる抱っこに偏っていて、大好きが伝え合えていなかったのではと感じ、「泣いてよ。いっぱい泣いて」の抱っこばかりでは、Wちゃんも本当にイヤだったのかもしれないと思いました。

 そこでお母さんに抱っこしてもらう。案の定お母さんは、「泣いていいよ。いっぱい泣いてね」と声かけして抱っこしていたので、「大好き!かわいい!」と抱っこしてねと、お母さんの意識を変えていただく。Wちゃんはそれほどもがかずに抱かれ、うわ~んと気持ちよく泣けていた。でも口では「離して!抱っこイヤだ!もう帰りたい!」などと口走る。お母さんはその言葉に惑わされてしまうようす。そこで援助者が、「口であれこれ言うけど、体はお母さんにすっかり預けているねえ。力が抜けているねえ」と状況を伝えると、お母さんは頭から体にスイッチが代わったようで、体で甘えてきてくれていることを感じ取ってくださる。そして心から「大好き!かわいい!」と抱きしめて、フィットしている体の感じを味わって、Wちゃんからの大好きを受け取っているようすでした。

 「泣いていいよ」の抱っこよりも、「大好き」「かわいい」の抱っこが、Wちゃんが求めていた抱っこだったのですね。そもそも、「大好き」「かわいい」の抱っこがうまくいかなくなったとき、「泣いていいよ」の抱っこが必要になるわけだしね。

 この後お母さんの話しを聞いていたら、幼い頃から抱えていたさびしさが最近出てきて、そんな気持ちをしまい込んで頑張ってきたのは、お母さんの方だったみたいでした。お母さんがさみしい気持ちに気づいて、その気持ちにやさしくできたことで、Wちゃんのお母さんに素直に甘えられなかったさみしい気持ちとつながって、母子の気持ちが深いところで一つになりました。

 相談室に来られて、泣いて楽になることを知ったお母さんは、早くもっと楽にしてあげたいと、お母さん自身の気持ちはしまい込んで、泣いていいよの抱っこを頑張ってしまうことがあります。親思いの子どもたちは、お母さんがの方が大変そうに見えるときは、お母さんの方が泣きたいでしょと頑張りたくなるようです。Wちゃんのこの日のお母さんのように、自分の中の気持ちとつながりつつお子さんを抱っこしていると、子どもは安心するのですよね。かわいい我が子のために~!と頑張って慰めの抱っこをしてしまいそうなときには、大好き抱っこに戻ってみてね。

【傷つけてしまわないか】

 3歳のLちゃん。最近イヤイヤが多く、かと思うとお母さんが言うことに知らん顔。お母さんは最初は優しく付き合うのだけど、そのうちイライラしてしまって、怒りをぶつけてしまうか、勝手にしなさい!と突き放してしまうかになってしまう。何とかしたいと相談に来られました。

 相談室に来たLちゃんは、お母さんが援助者と話をしている間、おとなしくおもちゃで遊んでいました。お母さんは幼い頃親が厳しくて育ったのが嫌だったので、そうはしたくないと思うのに、気づくと怒っていて自己嫌悪になり、そうすると逆の方向に振り子が振られて、触れあえなくなってしまうようでした。そこでその中庸、怒らないでしかも触れ合いつつ導けるようになりましょう、とやりとりが始まりました。

 遊んでいたLちゃんにお母さんが「おいで~」と呼びました。Lちゃんは知らん顔。何回か呼んでも知らん顔で遊び続けていたので、お母さんに迎えに行っていただきました。そこでイヤイヤが出れば、イヤイヤの付き合い方をお伝えできると思ったのですが、Lちゃんはすんなり手を引かれてきて、座布団のところまで来てしまいました。

 お母さんに横抱っこし、お母さんが「Lちゃん大好き。かわいいよ。いつも怒ってしまってごめんね」と話しかけるのですが、Lちゃんは気持ちを引っ込めてしまっていて、気持ちのやりとりになりません。そこで援助者がLちゃんの手をそっと持ちました。そしたらLちゃん、慌ててその手を振りほどいて引っ込めました。

 援助者はこんなとき、この手でお話しできそうだと、手がかりを見つけてニヤッとするのです。でもまだ抱っこ法的やりとりに慣れてないお母さんは、初めて会った援助者に手を触られるのが嫌なんだと思ってしまいます。こんなやりとりをご理解いただくのが最初の一歩となります。援助者としては、子どもって相手が安心できる人かすぐに見抜くことを知っているので、慌てないのですよね。

 やりとりが進んで、援助者が抱っこして、腕の中でイヤイヤしてもらいました。するとやっぱりお母さん、抱かれるのを嫌がっていると思ってしまわれます。そんな時援助者は、緩めに抱っこして、いつでもお母さんの方に行けるようにします。でもLちゃんはなかなか行こうとはせず、イヤイヤと泣いていました。ひとしきりイヤイヤ言ってから、お母さんにところに戻って抱かれたとき、とてもかわいく泣きべそをかき、お母さんにぴったり抱かれていました。お母さんは思わず「かわいい!」と抱きしめておられました。そこでお母さんは少し、イヤイヤ言いたいだけなんだ、イヤイヤ言えて気持ちいいのかなと思ってくださいます。

 それから、お母さんの抱っこでまた援助者がちょっかいを出して、気持ちの我慢を外していくと、Lちゃんのイヤイヤがまた始まりました。お母さんは怯みがちになるけど、援助者に励まされて必死に抱きとめます。でもお母さん大変そう、そこでまた援助者が代わって抱っこしました。さっきより思いきり気持ちを表現してきたLちゃんでした。溜め込んでいた気持ちが一気に吹きできくるときには、怒り泣きになりますから、体のつっぱりやもがきも強くなります。するとお母さんまた不安になって、「こんな嫌がることをして、傷ついてしまいませんか?」と質問されました。

 そうなのですね。嫌だから泣く、嫌なことしているからイヤイヤすると思えてしまうのですね。そこが泣かせない子育てという落とし穴なんですよね。「泣くこと=嫌がっている」という思ってしまうので、「嫌なのね」と抱っこから降ろしてしまい、子どものほんとの訴えを聞く機会を逃してしまうし、子どものイヤイヤはたまってしまい、苦しくなるのですよね。子どもが苦しくなると、本来の自分でいられなくなるので、気がかりが出てくるし、お母さんも付き合いづらくなって、親子の気持ちがすれちがってしまうのですよね。

 それに、傷つくというのは、嫌なことを体験したときに、「嫌だったよ」と泣いて快復しないまま、心にとどめてしまうことなんですよね。傷つかないようにとばかり気をつかうより、傷ついたときにお母さんに訴えられて、よしよししてもらって泣いて癒される関係をつくってあげることだと思います。Lちゃんもこれから子どもの世界に出ていって、お母さんの見てないところで傷つくことも多々あるでしょう。そんな時、気持ちを一人で抱えて頑張ってしまわないで、その都度泣いて訴え傷を癒していけるように、甘え上手になっていてほしいと思います。

「抱っこでお話ししてみました」

 阿部さま
 こんにちは。
 お返事をありがとうございます。
 手違いがあったとのこと、お知らせありがとうございます。なにかまずいことを書いてしまったかしら・・・と気になっておりましたのでほっとしました。

 本を読んで、ほんとうに抱っこ法っていいなーって感じました。みんなこんな風に子どもと向き合えたら、子どもに対する不安や心配がずいぶん減るでしょうね。

 本やHPを参考にして、自分でも2歳4か月の息子に抱っこでお話をしてみました。1週間ほどかけ2、3回したところで、表面の気持ちがほぐれた様子で、だいぶ変わりました。まず、よく笑うようになりました。赤ちゃんのときからあまり泣かない子なので、助かるなと思っていましたが、実は泣かせない育児をしていたのだと、そのとき初めて感じました。

 そして少し甘えん坊になりました。でも保育園で「お兄さんは泣かない」雰囲気があり、なにかと「ぼく泣かないもん」とがんばっていた気持ちが、ちょっとゆるいだふうです。「泣いていいよ」というと「泣いてもいいの?」と何度もきくのです。毎日毎日、がんばっているのだな、と改めて感じました。

 それから、体がやわらかくなったのです。よく全身を突っ張っる子なのですが、抱っこでお話しして一泣きしたあとは、ぐにゃーって体がやわらかくなっています。子どもの体がやわらかい、というのはこういうことなの?ととても驚きました。

 歯磨きもお風呂もおむつ替えも、いろんなことがスムーズになりました。抵抗しても、「そうかそうか」とひっぱりっこなどしながら、話をするとすんなりと。本当に本にあるとおりで感動しています。

 とはいえ、日々、我慢はたまっていくのですね。少したまって、少しゆるめて・・・とやっていくのがいいのかしら、と思っています。

 夏休みなどあり、9月以降に相談に伺いたいと考えています。仕事をしているので、土曜日にお願いすることになります。そのときはよろしくお願いいたします。

「ぼくにげちゃうよ」

 2月の中頃でしたでしょうか。6歳のSとの不思議な時間というか、かかわりがありました。幼稚園を卒園間近にひかえた6歳2ヵ月のSは、初対面の相手でも、その人や家のものを、好奇心から、かってに触ってしまうのです。何度注意してもなかなか治らず、困っていました(他のことは、特に問題なく優しく素直で明るい子に育ってくれているのですが…)。

 その日も近所のお宅に伺ったとき、何のことわりもなく、勝手に郵便ポストを開けたり、庭に入りこんだりしていたので、「ちゃんと、『これ触ってもいいですか?』と、たずねてからでしょ!!」と、きつく言いました。うちにもどるまでの間、「お母さんが、そういうふうに教えてくれなかったから悪いんだ」とか「ぼくなんか生まれて来ないほうが良かったの?」とか「せっかくお母さんのところに生まれて来てあげたのに」と、言いながら、思いきり私のことをたたいたり、けったりしていました。

 うちについた後、しばらくしてカチャッと、門の閉まる音が聞こえたので、見に行くと、Sが一人で、出て行こうとしていました。1~2m後ろからついて行くと、「着いてくるな」「ぼくは、家出するんだ」「家出して、お腹が空いて、他の人のもの何も触れずに食べずに死んでしまうんだ」と言うので、私は、「Sくんが、家出なんかしたらいやだよ」「大事なかわいいSくんなのに」と言いました。「ついてくるな」「こっちへ来るな」と、言いながら、そっぽを向いたり、こわい目で、私をにらみつけたりしたり、数メートル歩いては止まったりしていました。「Sくんのつらい気持ち、ほっとかれへん。お母さんそばにおるから」と言い、やはり、数メートルの間隔を開けて、立ち止まっていることが10分くらい続いたでしょうか。向うに歩いて行きかけたSが、私の方を振り返り、一瞬、ものすごい形相で、にらみつけました。そして、私の方へ突進してくるので、「なぐられる」と、身構えました。ところがSは、そのまま、私に抱きついて来たのです。ほんの少しの間、静かに泣き、その後はケロッとして、私に抱かれたまま、甘え
ながら家にもどったのです。

 子どもと過ごしていると、迷いながらの判断が多いのですが、抱っこの先生方に、「つらい気持ちのまま、放っておくのではなく、その気持ちに寄りそってやる」ことを、教えていただいていたので、おかげ様で、こんな体験ができました。ありがとうございました。

 4歳3ヶ月になるTは、最近、自分の方から、発話というのでしょうか、いろんなことを話しかけてくるようになりました。4歳過ぎまでは、こちらが言うことのオウム返しだけだったのが、幼稚園の発表会で自信をつけ、何やら、一生懸命話しかけてきます。発音が、あまり上手でなく、私以外の人には、なかなか理解してもらえないのですが…。先日、保健婦さんの勧めで、言葉のリハビリの先生にお会いしたところ、「理解力が2歳代だ」と言われました。理解力がないから足りないから、発音がおぼつかないのも無理はない、日常生活の中で、今まで以上にもっと話しかけるように、と指導を受けました。少しショックでしたが、ずっと以前から、抱っこの先生方や、仲間たちから、「トモくんは大丈夫。優しくて、いい子だし言葉の方もきっと大丈夫だよ」と、励ましてもらっていたので、その先生のご意見はほんの少しだけ、参考にさせてもらうことにします。

 だって、Tの最近の理解力の進歩の目ざましさは、ちゃんとわかっています。1ヶ月前に、保健婦さんと面接したときに「これは何色?」とか、「どっちが長い?高い?大きい?」などという質問に、全く答えられなかった(怒って、答えようともしなかった)Tが、この日には、とても頑張ったのです。1ヶ月前のように怒ることもなく投げ出すこともなく、言葉の質問、ひとつひとつに、「わかんない」「これ、ないよ」と言いながらも、最後までつきあえたのです。途中、一度だけ、「もう、イヤだ」というように私の肩をさわりましたが、ゲーム感覚で楽しむように、先生の質問に答えていたのです。Tは、えらかったです。何が2歳代の理解力よ。Tは、何でもちゃんとわかっています。おそらく、舌の都合もあって、口があまり開かず、発音しにくいだけなのです。幼稚園の担任の先生も(3月末で退職されましたが)、ちゃんとTのことを理解してくれていて、Tなりにとても進歩していると、教えて下さっています。

 歩き出すのも1歳7ヶ月、と、ゆっくりでした。Tは人よりかなりゆっくりかもしれませんが、ちゃんと何でも上手にできるようになっています。

 今のところ、舌小帯を切る、という選択はしたくないので、それによる体のこわ張りをほぐしてやりながら、鷲尾先生に教えていただいた方法で、Tと接して行きます。舌っ足らずで、友達の「トモくん、赤ちゃんみたい」ーも、Tの明るいパワーではね返してやります。

 そのまんまのTを認め、夫の「お母ちゃんが、Sばかり話しかけて、Tに話しかけないから、こうなったんだ」という非難にも「そしたらお父さんが、私の足りない分も、Tに話しかけてやってよ」と言い返し、かわいいTと楽しく過ごしていくぞ、と決意しています。上の子とちがって、反抗的で、なかなか私の思い通りにならず、イライラさせられていたTを、「心からかわいい」と気づかせてもらったのが抱っこ法でした。これからもできる限りお手伝いをさせていただきたいし、私自身を癒すために、お世話になりますが、どうか、よろしくお願いします。とりとめのない文になりましたが、近況報告でした。

「心の扉をたたかれて」

 娘は1歳10か月、最近私のことをたたいたり、頭をぶつけたりしてくるようになり、1歳8か月で断乳して一段とおばあちゃんっ子がましていて、つまずいて転んでもわたしをすりぬけておばあちゃんの所へ甘えに行くほどになってしまい、母親としての自信がなくなり、このままどうしていいかわからなくなっていた。そこへ友だちが「抱っこ法」を紹介してくれた。

 一時間以上泣いただろうか?いやもっとだろう。どうしてこんなに泣くのだろう?原因がわからなかった。舌小帯の手術のことも話した。思い当たることは話した。しかし泣きやまない。娘はアトピーで母乳をあげていた私は食事制限をしていた。そこからくる私のイライラを娘は気づいていて、ママに甘えたいのに、ママ大変だからおばあちゃんに甘えるって、ママにこれ以上負担をかけたくないのよと、担当の先生は教えてくれた。こんな小さな子どもが母親に気をつかっていたのか。なんて情けない母親なんだろう……と胸が痛くなった。まだ泣きやまない。何だろう?何が原因なんだろう……。「よし言ってみよう」

 初めてお会いした担当の先生の前で話すことにためらいがあったが、
「ママがイライラしておばあちゃんにあたってケンカしたことや、パパともすごいケンカしてたことを、自分のせいだと思って心配してたの?」と……。

 すると今まで「ギャーギャー」大泣きしていた娘が、大粒の涙を流して「オーンオーン」と変わっていった。私は思わず涙があふれてきてしまい……それ以上言葉がでなくなっていた。娘のアトピーを直すためにやった食事制限なのに、娘の心にもっともっとつらい傷を負わしてしまったと。私は母にあたり、仕事が忙しくて何も協力してくれなかった主人とのケンカを、まだ小さいから何もわからないだろうと思っていた自分がなさけなく、娘に申し訳ない気持でいっぱいになってしまった。
 それから娘は、口を大きく開け、安心しきった顔でそのままぐっすりと眠ってしまった。そして眠りから覚めると、今までこんな顔してたかな?と思うくらい、すがすがしい顔をして私に微笑んでくれた。

 自宅でも抱っこをした。しばらくすると泣きながら私の手を振り払ってたたきだした。娘が私のことをたたきだしてから、あまりにもひどい時は、私も我慢ができずたたいてしまったことがあった。
「ママがたたくから?」
「たたかないでって言ってるの?」
娘は何度も何度もたたいてきた。
「ごめんね、痛かったよね、ごめんね」
と何度も謝った。

 断乳してから私は戸惑っていた。娘が泣いたとき、ぐずったとき、寝るとき。それまではおっぱいをあげれば泣き止んでくれたし、ぐずりも落ち着いてくれたし、寝るときも安心して眠ってくれた。しかし断乳してからは抱っこしたり、気をそらしたりして、いかに今までおっぱいに頼ってしまっていたかを思い知らされた。娘がたたき出したのは、断乳してからしばらくしてからでした。どうしたら泣き止んでくれるんだろう?どうしたら……とあたふたしている私に、追い打ちをかけてたたき出した娘に、「どうしてたたくの?今までとってもいい子だったじゃない?いい子、いい子でしょ?」と涙ながらに訴えたこともありました。たたいてくる娘に「いい子、いい子」と言って頭をやさしくなでて、たたかないでこうしてほしいと言いました。

 そして抱っこして泣きながらたたきだした娘に、「ごめんね、ごめんね」と謝り続け、「ママはママになりきれないで、Yをたたいてごめんね」とまた涙があふれてきてしまった私に、娘は、今までたたいていた手を私の頭にあてて「いい子、いい子」と言い、なでてきてくれたのです。感動でした。私は娘に、「ありがとう、ありがとう」と言っていました。

 この日を境に娘はみるみる変わりました。一つのおもちゃでじっと遊ぶようになり、落ち着いて行動するようになり、そして頭をぶつけてくることがなくなりました。何か訴えたいことがうまく伝わらないから、たたいたり、頭をぶつけたりする行動を起こさせてしまっているのだなと感じました。?

「大きな転機」

 こんばんは! 秋山さん、お元気にしていますでしょうか? メールがだいぶ遅くなってしまってすみませんでした。なんとか今時間があるのでメールしました。

 先月は大変お世話になりました。私にとって、抱っこ法、和く輪く舎、そして秋山さんとの出会いは、本当に大きな転機だったなとつくづく思っています。娘はあれから元気をとりもどし、彼女らしい姿に戻ってきました。相変わらずパパっ子でパパが帰ってくるとパパから離れず、「ママ、あっち行って!」などよく言われるのですが、これも成長の過程なのだと、せっかくだからパパに育児をお願いして、自分はゆっくりしようとか余裕を持って考えられるようになりました。

 仲のいい友達とは元気に遊び、知らない子でも少し時間がたつと笑顔で過ごすことも見るようになり、今日ははじめてのお友達にキスをされてました。機嫌が悪くて集団に入ると「いや!帰る!」と言うことも少なくないですが、いっぽすすんでにほさがる・・・と言った感じでゆっくりですが前進しています。

 私も今までは神経質で、娘のできないところばかり目について気になっていたのですが、今ではおおらかに見守っていますし、焦りもなくなりました。たくさん良いところを発見します。「どんなカタチでもかわいい我が娘。今はできなくても必ずできるようになるさ!この子は自分で進んで切り開く力を持っている!」とびっくりするくらいポジティブにいます。

 そうもこうも本当に抱っこ法、秋山さんに出会えたことが私の一生の宝になったと、心より感謝しています。

 はじめてとまどいながら、勇気をふりしぼって伺ったとき、娘のことで心配だったのに、何故か私が涙してしまいました。秋山さんが、「なんでもきいてあげるよ」という心で迎えてくれたからだと思います。今まで、人に自分の相談や悩みを話したことがなかったのです。そのくせ、人の相談にはいつものっていて、頼りにされていました。だから秋山さんにいざ相談しようとしても口がでてきませんでした。自分の話、たくさんあるはずなのに表現がとても下手くそでした。

 自分はとっても強い人間なのだと勘違いしていました。私が誰かに抱っこされたかったのだと気が付きました。

 両親の不仲、弟の誕生、母がよくできる弟と私をくらべていること、全てが私の根っこだったんです。母にも甘えたことはなく、主人にも心から甘えたことがなかったのです。でも本当は誰かに抱っこしてもらって赤ちゃんに戻りたかった。ずっとゆらゆらされながら泣いていたかったんです。小さい私の存在に気がつき、たくさん抱きしめました。
「さみしかったね、がんばったね、でも、もういいんだよ・・・」
と。それをなんどか繰り返していたら、なにかがかわりました。つっぱってきた母にも優しくなれるし主人にも弱い自分を見せることができるようになったのです。

 家では娘を抱っこしたのですが横抱っこを非常に嫌がり、泣き喚き、私をなぐり蹴り、大暴れし、目もあわせてくれませんでした。でもそうした次の日になるとすごく落ち着いてて、いつもは乗らないベビーカーにずっと乗っていたりしててびっくりしました。これは彼女の本当の姿なのか? それとも遠慮しているのではないか??と正直不安でたまりませんでした。

 一週間くらいすぎてから、少しよくなってきて、娘のわけのわからない怒り泣きもなくなってきていました。

 それからまた秋山さんにお会いして、前回は私を抱っこしてもらったのですが、その時は娘をしっかり抱っこしました。その後、10日間くらいして、私はさらに落ち着き、母からも主人からも仏のような顔してるよ!といわれるくらい、変わったようです。私自身、理由もなかった苦しみから解放されてきました。

 娘はやはりパパが居るとパパにベッタリですが、パパが居ないときは私に甘えてくるようになりました。あるとき、抱っこをしているときすごくもがいて嫌がるので、ふと、何故だか出産の話をしました。
「ママ、イタイイタイ、って泣いてたから自分のせいかな?って心配しちゃったかな? でもね、あなたがとっても上手に生まれてきてくれてママとっても楽だったんだよ、ママたすかっちゃった!ありがとう」
というと、ハッと表情をかえ、泣きやみました。そして可愛いふぇ~んという泣きかたに・・・。もしや・・と思い、少しその話をしました。
「先生や、看護婦さん、おとながたくさんで、生まれてきたときびっくりした? みんなあなたの可愛いお顔が見たくてあなたを待っていたのよ。みんなあなたが大好きなの。あなたは本当に素敵な子なの」
というと安心したように腕の中で眠ってしまいました。もともと安産でしたが、そんな話を娘にしたのはこれがはじめてでした。

 なにか、自信をなくしかけていたのかもしれないと思いました。だから小さなことでも娘のことを認めて褒めてあげようと思いました。そして、私たちにとって、何にもかえられない素敵な素晴らしい子なんだと、伝え続けていこうと思いました。あたたかく見守ってるから自分らしくゆっくり進んでごらん、あなたはできるよ!って思っています。

 そうこうしていくうちに娘は甘えるのが上手になってきました。相変わらずな面もたくさんあるんですけど、悲しくなると身をゆだねてママァ~と泣きにきます。それが、なんともなんとも、かわいくて仕方ありません。今まで、泣くと「いいかげんにして!」としか思わなかったのに。今では、私がちょっとでも注意したりすると泣くのですが、すぐに胸にとびこんできて、ひとしきり泣いて、「ごめんね」と言ったりします。私も「ごめんね」と言っておあいこな感じです。

 今では、さぁ、抱っこをするぞという身構えてはしていませんが、ここぞというときの抱っこはしっかりしています。慰めの抱っこはしていなくチョコット抱っこばかりです。抱っこしない日もあればたくさんチョコット抱っこの日もあり・・全てゆっくり自分なりのペースで進めていこうと思います。

 これからまた立ち止まったり、行き詰ったり、どうにもならなくなったり、いろいろなことがあったとき迷わず駆け込ませてください。素敵なめぐり合いに、幸せと感動でいっぱいです。

 本当に感謝しています。これからもどうぞよろしくお願いします! ありがとうございました。

「昔の自分へ戻ってしまい」

〈第1信〉

 ずいぶんご無沙汰しています。引越後、なんとか楽しくやっていましたが、おととい、とうとう私は昔の自分へ戻ってしまいました。

 おととい出産した妹が退院して、私のいる実家へ赤ちゃんを連れて帰ってきました。その日の夜、私は自分の仕事があって、夕飯後は旦那に息子を任せて2時間ほど仕事をしていました。途中で一度、下の階から息子の泣き声が聞こえてきたので下りていくと、机の角で頭をぶつけて泣いていたようで、じじばばや妹によしよししてもらっているのに、あとまでひきずってぐずぐずとやっていました。その時妹が、「私の横で頭をぶつけたから私のせいだって思ってるのか、泣きながら私の顔ばっかりじーっと見るんだよ」って言っていました。

 私が仕事をしている間に、じーじが息子と一緒にお風呂に入りました。いつもは旦那と私と3人で入るので、じーじやばーばと入るのはほんのたまのこと。本当は私が仕事であまり息子の相手をしていない日だったので、お風呂は一緒に入りたかったのですけど、気づいたらもうじーじが入れていたので、仕方なくそのまま私も仕事を続けました。

 その後。旦那が隣の部屋で息子を遊ばせていましたが、どうにもこうにも寝ようとしない。眠くて目をこすってばかりいるらしいのに、寝かせようと旦那が抱っこすると泣いて暴れる。それが2度ほどあって、私も仕事がひとくぎりしたので、旦那にお風呂へ入ってもいいよ、といって、私が息子のところへ行きました。

 電気を暗くしたとたんに息子が泣き出し、もしかしたら今まで母親代わりだった妹が赤ちゃんを連れて帰ってきたことで、多少なりやきもちを焼いたのか、赤ちゃんにとられたと思ったのか、そういう複雑な気持ちでいるのかしら…と思いました。そこへもってきて私が仕事で相手をしていなかったし、これはかわいそうなことをしちゃったなぁ…と「抱っこ」をしました。

 その途中で、私の母が心配して2階へあがってきました。息子の泣き声が気になって書き物の仕事ができないと、抱っこの最中の息子を抱き上げてしまい、「やきもちなんかじゃないねぇ。眠いだけだよねぇ」と。「こういうときが大事だから、いきなり来て邪魔しないでよ」と、私もむっとしてしまいました。息子を返してもらおうと抱きましたが、息子はばーばのところがいいと、ばーばの方へ手を伸ばして、再びばーばのほうへ抱かれました。なんだかものすごく傷ついてしまいました。

 そこへ、私の父もあがってきて、私に小言を言い始めました。私の母が気を遣って、「娘には娘の子育てがあるから…」と口をはさみましたが、私の父は「こんなに泣かせて、ヒステリックになるだけだぞ」と、捨てぜりふを残して階段を下りていきました。

 そこでとうとう、私がプツン、と切れました。「うるさい! 短気ですぐ暴力ばっかりふるってたくせに! あんたなんかに言われたくないわ!」と、父親に向かって怒鳴りました。そして、ばーばの方へ行ってしまった息子にも、「あんたも勝手にすればいい!」と怒鳴り、私は部屋へとじこもりました。

 風呂へ入ろうとしていた旦那があわてて2階へあがってきて、「なにがあったの?」と聞きましたが、「ごめん、ちょっと今うまく話せない」というと、「風呂もゆっくり入れん!」と旦那は怒って行ってしまい、そこで余計にショックを受けてしまいました。

 実は、2週間ほど前にも、大げんかがあったのです。息子が3日間高熱を出して(結局突発性湿疹だったのですが)、私も3日間仕事を休んで息子を抱いたまま過ごしました。夜に熱に気づいて救急で病院へ行き、その次の日は朝から再び病院へ連れて行きました。病院でもずっと抱き通しで過ごし、午後からはまた熱が38.5度まで上がって、私がちょっとトイレに行こうとするだけでも息子は大泣き。まだお腹の大きかった妹も来てくれていましたが、その時はとにかくずっと私でなくてはダメだったようで、私がトイレに入る間妹が抱いても大泣きするばかり。そんな調子だったので、ずっと息子を抱いたまま1日中過ごしました。

 そうしたら、次の日、私の首と肩がこりこりに固まっていて、朝息子を抱こうと力を入れた瞬間に、首がグキっといって、それから痛くて首が回らなくなってしまって。それでは息子の世話どころではないのでほねつぎへ行って鍼をうってもらい、首が痛いながら息子と一緒になんとか過ごしました。夜も高熱でしたが座薬を入れるとすぐ息子は動き回るようになって、首が回らなくて動けない私は、あっちこっちでいろんなものを触ってまわる息子についていききれなくって、膝の上に息子を抱いたら息子が嫌がって暴れて泣いたんですね。そこで、私の母が父に「お父さんちょっと替わってあげたら」と声をかけたら新聞を読んでいる最中だった父は怒り出し、「母親のくせにおまえが何にも世話できんからだ」とイヤミを言い始めました(父はやりたいことがある途中で邪魔をされたりすると、普段から言いがかりめいた文句を言ったりする人なんですけど)。

 一生懸命やっていたつもりだったのと、睡眠不足、それに首の痛みで疲れ果てていた私は大爆発。それでなくてもその日私が息子を連れてほねつぎへ行ってしまったことで、母親からは3度も4度も叱られ続けていたので、余計に爆発してしまったんですね。大声で泣きわめいて父に怒鳴って、そうして私は旦那に途中でばしん、と顔を殴られてしまいました。

 それでも、息子に対しては腹も立たず、その後も寝つきの悪い息子に旦那は怒っていましたが、「今は具合が悪いから、寝たいけど上手に寝られないんだよね」と、寝付くまで息子を抱いて頭をなでて過ごしました。

 でも、今回の場合は、息子までがばーばのところへ行ってしまったので、もう周り全部が私を拒絶している気がしてしまって、おとといのもめごと以来息子と顔を合わせる気もしなくて、昨日は妹の旦那の家族が家へやってきてみんなでお祝いをする日だったので、私は朝から誰にも黙って家を出ていき、夜遅くまでひとりで外で過ごしました。昨夜帰ってきて母は、「ご飯あるけど食べない?」と声をかけてくれましたが、誰とも口をきく気もしなくて、「いらない」とまた部屋へとじこもりました。息子は母の布団で寝たようでした。

 今日は母が出かける予定だったので私のところへ息子を連れてきましたが、2階で息子と過ごしていても、息子が寄ってきただけで腹が立って、「寄るな!」と息子を突き飛ばしてしまって、息子はちょっと泣きましたがまたひとりで遊びはじめました。それを見ていたら余計に腹が立って、息子の顔を両手でぐいっとはさんで息子に対して怒鳴りまくっていました。それで母のところへ行って「もうどうにも面倒見られない」と頼み、結局母は予定をキャンセルして一日息子をみてくれていました。

 私は…というと、一日布団にもぐって過ごしました。あんたまでが私を嫌うんなら生まれてこなきゃよかったのに!とか、自分でばーばがいいって言ったんだからばーばに育ててもらえばいい!とか、おまえなんか出て来なきゃよかったんだ!とか、息子にはそんなことばっかり怒鳴りました。あとでまた母がいたときに、息子を見ていて腹を立ててしまって、息子の髪をつかんで怒鳴って、それでまた母があわてて息子をかばって、私にも「ごめん、○○が一番つらいね」と言ってくれましたが、私はどうにもなりませんでした。

 やっぱり私には子育てなんか無理だったんだ…というような気持ちと、息子までを遠ざけてしまって、またひとりぼっちになった孤独な気持ちと、それでもばーばのところで普段通り遊んでいられる息子への腹立たしい気持ちと、もう今はいろいろあってとても母親として生きていられる気がしません。息子へこんなふうに腹が立ったのは初めてで、この先私はどうやって生きていくのかなぁ…と途方に暮れています。


〈第2信〉

 あれから、約1ヶ月たちました。今になってみると、ああして爆発するまでのこの何か月か、ずっともやもやの中にいたんだなぁと思います。

 引越してからも何度か芳子先生にメールや手紙を書きかけていたんですが、時間がなくていつも中途半端になってしまって、それで結局こんな時期まで何の連絡もしないまま過ごしてしまいました。

 実は、特別問題があったというわけではないんですけど、引っ越してからこっち、母親として胸を張れる状態だったかというとそうでもないんですよね。自分のやりたいことを優先させて、息子と一緒の部屋にいても放りっぱなしだったりとかするときもあったりして、けど時々思い出したように抱っこをしてみたり。自分でも「普段の生活で向き合っていないのに、「抱っこ」だけしてみたって息子も自分の気持ちをさらけだすことなんてできないよなぁ…」と思いつつ、なんだかだらだら過ごしていた感じ。だから、息子がああいう態度を取ったことも、なんとなーく自分自身罪の意識もあって、実は分かっていたんですよね。

 「抱っこ」と出会ったことで、息子が普通通りに機嫌良く行動しているように見えているときでも、「あ、今私に対して怒ってるから私の方を全然見ないな」ってことが、ものすごくはっきり分かっちゃうんですよね。で、そう思っていると、いつもならお風呂でも、私の膝の上に抱いても私の顔を触ったりして遊ぶのに、そういうときは私が抱き上げようとしただけで怒って暴れる。やっぱりなぁ、って。それもじじばばに言わせると、「ただ単に、自分の行動したいことを妨げられたから嫌がってるだけじゃない」なんですけど、それだけは私にははっきり分かるんですよ。たぶん芳子先生なら分かってくださると思うんですけど。

 だから、なんて言うか、以前からずっと、じじばばが言外に「ママが相手しないくらいで怒るほど、息子はママに頼ってるわけじゃないよね。ママがいなくても平気だよね」みたいな感じに言われているようで、それが私にとってはとても気に入らなかった。昔、仕事で遅くなっても息子を迎えに行ったときとかでも、じじばばの態度は「そこまで息子はママを求めているわけじゃないと思うけど」みたいな(正確には「私たちじじばばがいるから息子は全然大丈夫なのに」だと思いますが)、そういう雰囲気があって、周りに「私がひとりで『息子は一番ママを求めている』と思いこんでいるけど、それほどでもないのにねぇ」みたいに思われていたことがずーっとずーっとひっかかってた。特にじじばばに対して、それがものすごく気に入らなかった、私は。

 で、この間のこと。息子が私をおしのけてばーばのところへ行ってしまったことで、なんだか私のひとり相撲だったってことを証明された気がして、それで息子に対してもものすごくものすごく腹が立ってしまった。

 …けど、ここしばらくの、普段の生活における息子との触れ合いの密度の薄さが、息子のそういう態度に表れたんだということは、実は私自身が一番よく分かっているんです。他にも原因があったのかもしれないけど、でも原因の一つがそれだろうということは、分かっているんですよね、本当は。ママは自分の都合の良いときばかり息子と接していて、でもばーばはママがいない時間ほとんどすべて、何とか都合をつけておんぶしながら家事をこなしてでもずっと一緒にいてくれて、息子が優しい子であればあるほど、そういうばーばに対する愛情も思いやりも持って当然なんです。

 今回、結局まる2日間、息子を放っておいて、ただただ自分の中に閉じこもっていた私に対して、私の母(ばーば)はとても優しかったです。とてもとてもとても感謝しています。息子は私を怖がって寄りつかなくなるのではないかと恐れていましたが、とりあえず夜は旦那と息子と3人でお風呂に入って、一緒に寝て、次の日、仕事から帰って息子を抱き上げたら、息子が大口あけて笑いながら私の顔をべろべろなめました。

 ここ2週間くらい、息子がよく歩くようになったし、あたたかい日が続くようになったので、仕事へ行く前の午前中を、ほぼ毎日、30分~40分息子と散歩するようになりました。特に「息子と触れ合おう」という決心があったわけではありませんが、歩く姿が可愛らしいので何となくそれを見たくて、日課になってきたというだけなんですが。

 それと、これも特別決心があってのことではないのですけど、前まではお風呂上がりに息子を適当に遊ばせていて、旦那がテレビを見ながら何とかかんとか寝かしつけていたんですが、ある時からふと、お風呂上がりに私がおんぶひもでおんぶして、息子が寝るまでずっとおんぶしている毎日になってきました。

 日曜日には息子がきっと喜ぶだろう、と主人と相談して、本当は動物園に行く予定を立てていました。でもとても寒い日で雨だったので動物園へは行けず、それでも息子に遊びに行く約束をしていたから、水族館へ行きました。息子が興味を持ちそうにないモノは全部省いて、イルカのショーとかもあったんですけど、寒い日だったし、水族館の横に併設されているちょっとした屋内の遊び場で、かなり長いこと遊びました。最近は車のハンドルにものすごく興味があって大好きなので、よくデパートの屋上なんかにあるような、100円を入れると動く車の遊具では特に長いことはしゃいでいました。

 で、これもこの2週間のことなんですが、どうしても母の毎週の勉強会の時間と私の仕事の終わりの都合がつかなくて、地元の育児サポーターの方に、毎週その曜日の夕方1時間だけ、息子を預かってもらうことになったんですね。1度目は、息子にも事前によく話しておいたからか、迎えに行ったらとてもご機嫌で玄関まで出てきました。この間が2度目で、当然私も仕事が終わって急いで迎えに行ったんですけど、この日はちょっと寂しいモードだったみたいで、玄関で私を見るなり、「ママ、ママ」ってべったり抱きついてきました。はっきりと「ママ」と私に呼びかけて来たのは、初めてのこと!もう嬉しくて嬉しくて、可愛くて仕方なかったです。

 実はこの前の日には、「パッパッパ、パパパ、パパ、パパ、」って、やたらめったら言い続けていたんです。本当にこの2~3日で、突然「ママ」と「パパ」が出てくるようになったんですよ。

 芳子先生の言っていた、息子が出している「SOS」。今になってから思うと、この数ヶ月、去年の秋頃からかな、職場のことでそれはもうかなり気持ちがぐらぐらしていたのは事実。それでずいぶんと、家にいても気持ちを持って行かれていました。今も時々はイヤなことがあって悩む部分もあるんですけど、一番大きな部分では私自身がはっきりと割り切れたところがあって、今では逆に、職場にいても家に帰る時間が近づいてくると、息子に早く会いたいなぁ、って思うことが多い。ちょっと前なら、家に帰って息子が寝ているとほっとしていたんだけど、今は、家に帰ったときに息子が寝ているともうとってもとっても残念。明らかに自分の気持ちが変わっています。

 息子が、もしかしたら私の気持ちのそれていたことを、感じ取っていたのかもしれないな…とも思うし、明らかにその間の3~4ヶ月、私は家にいてもとても上の空だった。自分の都合の良い時ばかり息子を求めたって、そりゃ無理だよなぁって。だって、たぶん何度も、息子が私を求めていただろう時に、私だって全然応えていなかったもん。

 これは私にはとってもよく分かる部分。自分が母親を求めているときに冷たくされたら傷ついて寂しいから、はじめから母親を求めようとはしなくなる。…というか、母親を求めていないように振る舞う。私だってそうやってきたんだから、息子の気持ちがとってもよく分かる。でもそれが続くと、甘え方も下手になっちゃうし、底辺で寂しいのがものすごくたまっているのに、それを自分でもよくつかみきれないまま、平気な気がしてきちゃって、そうするときっと全然関係なさそうなところで癇癪を起こしたり、変ないたずらや意地悪をするようになっちゃうんだな。

 今は逆に、息子がママにべったりでパパの方がちょっと落ち込み気味(今までは息子がママに対してもそれほどべったりじゃなかったから、そんなに気にしていなかったんだと思うけど)。実を言うと、パパも、息子に対してはちょっと自己中心的になってるかもな。たぶんパパも、もう少ししたら気づくかも。息子に相手にされなくて寂しいから。まぁ今のところはちょっと我慢してもらって、ママの気持ちがもう少し癒えるまで、息子にはママにべったりしててもらおうっと。

「大好きじゃんけんをして」

〈第1信〉

 今朝、わくわく子育てブログの「大好きじゃんけんワーク」の記事を読んで、Mちゃんが登園する前に、みんなでさっそくやりました。

 最初に、パパと私でやって(大好きって、言われるのを分かっていて目を見る、っていうのが最高に照れたけど、幸せでした~)、その様子を隣の部屋で見てたMとHが、楽しそうなことしてるセンサーが働いたのかやってきました。私とMちゃん、パパとHちゃんでやると、ちょうど私とパパが負けて二人に「だーいすき☆」というと・・・・もう、でれでれの顔で倒れるように抱っこされてきました。くくく・・・かわいい娘よのぉ~、とでれでれな私たち両親。

 ペアを代えて、みんなで大好きじゃんけんをしたら、たった5分程度だったけど、みんなすごく幸せな、ほわ~んとした雰囲気になって、楽しく幼稚園に行けました。

 こういうのって、些細だけど、すっごく素敵な抱っこですよね(*^^*)。また時々、みんなでやってみたいなぁと思います。

 それで気づいたことがあって、私、お母さんやお父さんからの大好きが届かなかったことがさみしい、っていうよりも、「お母さん、お父さんを大好きな私」を二人に届けたかったのが、その、大好きが届かなかったことが寂しかったんじゃないのかな、って。

 二人を大好きな私を届けて、二人を大好きな私を抱きしめてもらいたかったのかも、って。「もしも奇跡が起こったら」のワークをやるとしたら、きっと私は、二人に私の大好きを届ける、そんなワークになる気がしました。

 その日の寝る前に、Mちゃんが持ってきた絵本が、『ねえ 抱っこして』というお話でした。猫とご夫婦の暮らしの間に、赤ちゃんが生まれて、切ない猫の気持ちを書いた絵本だけど、それを読んでいて、Hちゃんが生まれた当時を思い出しました。といっても、今回はちょっと違う思い出し方で。生まれてからずっと、私はMちゃんの「ママを取られた気持ち」に目をやってばかりいて(絵本で言うところの、猫にフォーカスしてました)、Hちゃんが生まれたから、ママを取られたから・・・って、思っていたし、Mちゃんのその寂しさに共感ばかりしてたけど、その様子をずーっとしゃべれないながらも、見続けてたHちゃんもまた、切なかったろうなあ、と、思ったんです。Hちゃんの気持ちへのフォーカス、というか・・・単純に、妹が生まれて、家族に仲間が増えて、とっても幸せ!!かわいい!大好きよ!! それをHちゃんにもっともっと伝えてあげたらよかったなぁ、って。

 それでね、Hちゃん、いつも背を向けて寝てたんですよ。なんだかすねる気持ちがあるんだろうなぁと思いながらも、ずっと今日まで来てたんだけど、今日はMちゃんが泣ききって寝た後に、この子もまたあれこれとさみしさなどなどをぶつけて、わんわん泣いて寝入りました。そっぽを向いてるHちゃんをぐいーっと抱っこして、
「Hちゃん、生まれてきてくれてありがとう」
「せっかく生まれてきたのに、妹が生まれたからMちゃんさみしくてとか、ママを取られて、なんてことばっかり聞いてたら、Hちゃんだってさみしかったよね」
「でも、ママはHちゃん大好き」
「HちゃんとMちゃんのおかげで、ママをお母さんをさせていただけて幸せ」
 そんなことをいったら、いっぱいいっぱい泣いていました。あとはずっと片手で抱っこして(もう片方の手はMちゃんの腕枕中でした)、
「Hちゃん、生まれてきてくれて本当にありがとう!」
ってひたすら繰り返して言いました。そうしたら、ずいぶんと泣いたあと、私が「こっち向いて一緒に寝ようよ」って言ったら、泣きながら私のほうに抱きついてきて、少し指しゃぶりしながらもそのまま寝ました~! あぁ、やっとちゃんとHちゃんに届いた! そんな気がしました。

 大好きを届ける、届いた大好きを大切にいただく、両方、忘れずに、繰り返していきたいなあ。二人の寝顔を見て思いました。大好きは感じるものと思っていたけど、大好きは、届けるためにあるのかなぁ。


〈第2信〉

 昨日の大好きじゃんけんワークをして、そこから、大好きを届けたかった自分に気付いてあげられたからか、今日、とっても幸せなひと時がやってきました。

 Mちゃん、今朝から機嫌がいま一つで、朝からだらだらで私は怒ってしまいました。自分がパンを食べたい、っていうから、わざわざ買いに行ったのに食べようとしなかったから・・・。そしたら、口が痛いというから見てみたら、口内炎ができてたんです。

 あー、こりゃ痛いねえ、と言ったら、そこから泣き通し。買い物に行ってもずーっとイタイイタイって。痛いのもわかるし、共感してたんだけど、止まらず、帰ってきたら、いきなり台所の床に嘔吐しました。

 そこで私、思わずいらついてしまって。朝反省した舌の根も乾かぬうちに(という表現でいいのかしら)、またイライラ。心の中で具合が悪い子にイライラするなんてと自分を責めながら、Mちゃんにもイライラをぶつけて悪循環。

 それで・・・私具合が悪い子に八つ当たりしてすごくひどいのに、Mちゃんは「ママ大好き」って言うんですよ。それで、私は「ごめんね、いらいらして、ママひどいよね」って言うと、うん、まあね、みたいなしれーっとした返事で、私の気持ちはスルー??みたいな反応なんです。

 で、吐ききったらちょっとすっきりしたのか、またご機嫌になったんだけど、パパが気分転換にちょっと散歩でもいこう、今日オープンしたお店が近くにあるからついでに寄ってみよう、って言うと急にご機嫌超ナナメに。

 ここでまた、私は反省の効果もなくまたイライラ(こうして改めて書いてみると、自分の学習能力のなさに呆れます)。せっかくのいい気分転換と思ったのに、みんな行く気になってるのに、どうしてそういうとき一人だけごねるのよ~!とまた怒り、結局Mちゃんも行くというので散歩に行ったら、途中から泣きだして、突然また嘔吐。

 あぁ・・・・・もう私最低。ちっともMちゃんのこと、わかってあげられてない。と、もう責める気持ちとイライラする気持ちとに翻弄されまくり。

 でも、Mちゃんは家でごろごろしながらもご機嫌で、また私が「ほんとにママひどいよね、同じこと何度も繰り返して、いらいらしてあたってばっかりでほんとにごめん。」って謝ると、
「♪さみしいこころは~まま~♪」
ってうたうんですよ。たぶんプリキュア5の歌だと思うんだけど・・・・それで、「まま、だいすき」って。なんか、この子の考えてること、私わかんない・・・・そう思ってじーーーっとMちゃんを見てたら、突然涙が出てきて。どうしてかわかんないけど、Mちゃんの「ママ大好き」が、すーっと沁みわたってきたんです。

 それで、気づいたの。私は、私がこの子たち(それから主人や周りの人)を、心の底からちゃんと愛せて、全部を受け入れてあげられるようにならないと、って思っていて、そうできない私は誰からも愛されない(愛される資格がない、かな)、私から愛さないといけない!と思っていたんだけど、MちゃんもHちゃんも、このできそこない状態の私を大好きで愛してくれてるんだー、この私が大好きなんだー、って。

 そしたら、パパも子どもたちも、ほんとにわたしのこと思ってくれていて、私って、みんなの愛に支えられてるんだなあって、私の愛を差し出す前に、みんなからの愛が私に向けられてたんだな、って。その大好き、をありがたく実感できて、いただけたような気がしました。

 Mちゃんが私の涙を見て「ママ泣いてるの?」っていうので、「うん、これは幸せの涙だよ」って言ったら、「ママ、今までの人生で、それなかったでしょー」って、すーっとした眼で私をみて言うんですよー! 子どもって・・・・!!!!! 魂のレベルは、やっぱりMちゃんのほうが上かもしれないですね。やっぱりすべてを見透かされてる気がします。やっぱりこれは大好きじゃんけんワークのおかげかも。

 素敵なブログ記事を本当にありがとうございました。と書いていて、芳子先生の私を思ってくれている気持も、なんだかすぃ~っと今感じられたような気がします。

「本に体験談が載って」

 こんばんは。今回の『成功する!しつけの技術』の本に体験談を載せていただいたNと申します。本を贈ってくださいまして有難うございました。もっと早くお返事をと思っていたのですが、パソコンの調子が悪く、またいろいろ最近ドタバタしていまして、お礼が遅くなってしまいました。申し訳ありませんでした。

 自分の体験談なのに、何だか他の人の体験談のように思って読んでしまいます。私の表現し切れなかった言葉も上手に伝えてくださっているし、それだけ時間もたっているので、なんだか『へえー』と感心して読んでしまいました。私の母親もこの歯医者さんの時に一緒に居合わせていたので、これを読んで、『そういえば本当にあれはびっくりしたよね』といって懐かしんでいました。

 息子は今は保育園に行っています。最近はプールが嫌だと言っていたのですが、はじめは保育園が嫌にならないようにと思って、じゃあもう少ししたらとか言って先延ばししていました。でもなんだかこれでは昔と同じという気がして、子どもは時には親が背中を押してやらないとと思い、『○○ちゃん、お水が冷たいのがいやだって言うけど、自然のお水は全て冷たいんだよ。川も海も冷たいの。冷たいお水に慣れないとと、この先どうするの?お母さんは出来ないことは言わないよ。○○ちゃんはちゃんとお水で遊べるって分かってるから言うんだよ。強くなりなさい』とちょっとカツを入れてみました。歯医者さんのように言えませんが、自分の正直な気持ちでした。そしたら保育園のお迎えに行ったとき、『○○ちゃん、プールで泣かなかったよ、強くなったよ』と誇らしげでした。ああ、自分の言葉でも伝わるんだなと思いました。そして、今の息子は背中を押してほしいのかなと思いました。

 他の人の体験談を読んでいて、あ、これ私も思い当たるというのがありました。『私と反対のほうを向いて寝ていた』というのがありますが、以前ここに相談をしていたころはまさにそのとうりで、さらにひどいことに、夜中に『あっちいってー』といって物凄く蹴られました。いまでも私のトラウマになっています。すごくつらい毎日でした。最近はほとんど無いのですが、この本を読んで、本人に聞いてみました。すると『ずっと一緒に生きていけないかなーとおもってた』といいました。そして『お母さん大好きのきもちだった』とも言いました。本人もよく分かっていないような言い方でしたが、きっと私がヒステリーになったりして、お母さんに大事にされていないと思っていたのかもしれません。

 でも実際そのころ正直そう思うこともありました。辛くて辛くて仕方なかったのです。今はと聞くと、『お母さんとずっと一緒、お母さん大好き、それでいいでしょ?』と言いました。きっと今は私も素直にいろいろ言うし、息子も素直に言い合えるから、安心しているのですね。『お母さんも家族のみんなも○○ちゃん大好きって分かる?』ときくと、『わかってるよ』と笑顔で言います。ああ、今は幸せに思ってくれているんだと嬉しい気持ちです。

 本当にいろいろな人がいろいろな体験をしているんだなと分かります。同じような体験を読むと何だかほっとします。私の体験も誰かがほっとしたり、何かに気が付くチャンスになれれば嬉しいです。

 メールを送らせていただくときは不思議といい体験をしたときで、他は相変わらず子育てに迷わされる毎日です。プールもやっぱり嫌だといったり・・・。子どもも反応がいろいろで、きっと背伸びしたいときとそうでないときを繰り返しているのですね。手ごわい・・・。

 今は保育園もお盆休みです。前と違って長く一緒にいても辛くなくなってきました。逆に『保育園休みで嬉しい』と笑顔で言われるとちょっと嬉しくもなったりします(前はぎょっとしていましたが・・・)。自分の家が大好きで、保育園も好きみたいです。両方好きだけど家のほうが好きなんですね。保育園が嫌だからではなく、好きみたいだから良かったです。そしてそんなに自分の家が好きなんていいことですよね。

 またなにか気が付いたりしたらお知らせしますね。これからもいろいろ読ませていただきます。本当に有難うございました。