いま子育てが難しいワケ

 いま子育てがひどく難しくなっているワケは、何と言っても、子育てが孤独な責務になった時代だからです。昔は、「ひとりを育てるのは村がかり」と言われるように、みんなで支え合って子育てをしていたのですが、個人主義の社会になったことで子育ての共同性が薄れて、子育てが個々の家庭の、とりわけ母親の孤独な責務となりました。

 また、暮らしぶりも変わりました。昔は、赤ちゃんをおんぶしながら店に出たり、田んぼのすみで赤ちゃんを寝かせたり、年上の子どもが子守りをしたり、暮らしと住まいと子育てが一体になっていました。子育てが暮らしのなかで自然に営まれていたのですが、いまでは、暮らしは会社、子育ては保育所や幼稚園とばらばらになってきたことも、子育てを難しくしています。

 暮らしのあわただしさや生活不安もあって、子どもとの触れ合いをゆっくり楽しむ精神的・時間的なゆとりがないため、ゆったりと触れ合うことによる安心感・一体感や、一緒に遊んでもらったり話を聴いてもらったりすることによる安心感・充足感が満たされにくくなっています。格差社会と呼ばれる時代にあってますます悪化する労働条件のもとで、子育てにに振り向ける精神的・時間的なゆとりがさらに少なくなっている、と感じている人もいることでしょう。

 親が主導しながらも互いに対等な立場で、働きかけ合い受けとめ合って気持ちをやりとりしながら子どもを導けるといいのですが、ゆとりがないままについ葛藤を避けて、親子どちらかからの一方通行でその場をしのぐことにもなりがちです。

 価値観が激しく変化し続ける社会にあって、人としてどう生きるべきか、子どもをどう育てたらよいかが見えにくいまま、おとなになり親になって・・・という世代的な再生産が繰り返されてきています。いわば、子育ての方向性が見えにくい時代です。

 そんな時代にあっては、つい、子どもの要求を過度に受け入れがちです。そうしてはいけないとは思いながらも、子どもの拒否に出会うとひるんでしまって、大切なノーが伝えられない、ということにもなりかねません。

 個人主義の社会は、泣いてなどいられない社会でもあります。人に心を許すことなく、気持ちにフタをして暮らすうちに、いつしか自分に対しても気持ちにフタがかぶさってしまい、子どもに対しても共感が働きにくくなります。

 知らずしらずのうちに泣かせない子育てをすることにもなります。子どもの泣き声を聞くとつらくなってほとんど無意識のうちに子どもを泣きやませてしまい、その結果、子どもが訴え下手(甘え下手)になるだけでなく、不快が解消されないまま感情ストレスを溜めこむようになります。すると、親子の間で大切な気持ちを交い合わせることが難しくなるのです。もしかすると、このことが、子育てを難しくしてきた最大要因かもしれません。

 こうした世の中になったのは、戦後のこと、とりわけ高度経済成長が進行してきてからのことです。こうした時代に生まれ育って、おとなになり親になって、我が子を産んで育てる・・・という世代から世代への再生産が、すでに何世代か繰り返されてきています。ですから、親が抱えてきた思い残しが出産・育児の過程で活性化して、子育てに影響を及ぼしがちです。でも、それは同時に、思い残しを解決して、しあわせな自分を取り戻すチャンスでもあるのです。

 こう見てくると、いま子育てがどんなにか難しくなっているかが分かるでしょう? たとえ子育てがうまくいかなくても、けっして個々の親のせいではないのです。自分を責めるのはなしにして、みんなで力を合わせてこうした悪条件を克服して、しあわせな子育てを取り戻していきましょう。