親の自分育て

「子ども心を見直そう」のページで、子どもがどんなにかすてきな人たちかをお伝えしました。おとなもまた、かつて子どもだったのです。 癒しの子育てになじむと、親もまた本来のすてきな自分に目覚めはじめます。

自分育てをお手伝いして

泣かれるとつらくなる
イライラする・怒ってしまう
自己否定を乗り越える
おとな心を立てる
大切な気づき
甘え上手になる
気持ちと向き合う
幼いときの思い残し・親への思い
夫と妻

 

自分育てをお手伝いして

【「私はダメ」の気持ち】

 日常が回らなくなるほどではないが、とても苦しくなるときもあり、生き難さを感じるというお母さんが、自分のための個別の時間を予約して来られました。

 苦しくなるときはどんな気持ちがあるのかお訊きすると、「自分は何をやってもダメ」「自分はいつまでもダメ」という気持ちと言います。幼い頃からお母さんにダメ出しをよくされていたので、それで自分でもダメだと思ってしまったようだと、幼い頃の話しをされました。

 そこで援助者が、「私はダメと思っている人?」と問いかけ、「はい」と手を挙げてもらいました。手を挙げる時、援助者が腕にそっと手を添えていました。このように手を添えると、頭の作業にならず、感じている気持ちが表現しやすいのです。そして思いがけない気持ちに出会うのです。

 その方は「ダメ」と強く思っているわりには、「私はダメと思っている人?」に手はあまり挙がらないのです。それで、「ダメじゃないと思っている気持ちもあるんだよね」と言ってから、どんな気持ちがあるんだろうと訊くと、「ダメと思いたくない」「ダメじゃなくなりたい」「ダメじゃない」と気持ちが出てきました。そんなふうに気持ちに気づいていき、ずいぶんいろんな気持ちがあるのですねと、実感されていました。

 「私はダメ」の気持ちが大きくなってしまうときには、もっといろんな気持ち、楽しい気持ちだってあることは気づかないで、「私はダメ」一色に感じてしまうのですよね。この日はいろんな気持ちにせっかく気づいたので、丁寧に付き合ってみることにしました。

 ぬいぐるみや人形の中から、一つ一つの気持ちにぴったりのを選んでもらいました。そして「私」の心の中のどこにどんなふうにその気持ちが存在するのか、感じてもらい、心の中の有り様をその場の床の上に、配置してもらいました。そして「私」の位置に座ってもらって、心の有り様を目で確認し、感じてもらいました。

 そうすると「私」がそれぞれの気持ちを客観視でき、心の全体を見渡せるのですね。「私はダメ」一色に感じていたときとは全くちがって、心に隙間ができ楽に感じるのですよね。

 苦しいと感じてつらいときには、「私」が小さくなっていて、「ダメ」の気持ちなど否定的な気持ち一色になり、心を乗っ取ってしまうのですね。苦しい気持ちがあるからではなく、その気持ちに乗っ取られてしまうことが苦しいのですね。そういうときにはこんなふうに、気持ちを並べて客観視できると、「私」が「気持ち」全体を見渡せていいのですね。

 その日のその後は、一番気になる気持ちを1つ選んでもらいました。それは「ダメと思いたくない」でした。最初にあった「私はダメ」の気持ちではなく、その影に隠れていた気持ちの方でした。そこでその気持ちの代役のぬいぐるみ(小さい熊)を胸に抱きしめて、その気持ちにやさしくしてもらいました。

 抱きしめて涙しているその方を、女性スタッフが抱きしめると、「私」が「気持ち」を抱きしめつつ、抱きしめてもらう感覚を全身で感じて、満たされた気持ちになるのです。実際その方の感想も、「あったかさに包まれて安心をもらいました」というものでした。もしかしたらこの方の幼い頃から探し求めていたものがこの感覚なのかもしれません。思い残しが少し思い直せたかな。


【母さんが先でしょ】

 子育ての相談を受けていて、お母さんがまず楽にならないと、親思いの子どもは甘えるのを遠慮してしまうのですよね。それでおとなの癒しをと始まったのが天心でした。親は子どもの幸せを第一に願い、私はいいからと子どものことばかりをなんとかと思いますが、でも子どもは、お母さんが先でしょ、お母さんと一緒に幸せになりたいよと、問題を起こしてまで揺さぶりをかけてきたりします。

 自分を責める気持ち、自分がダメだと思う気持ち、そんな気持ちが大きくて、すぐにその気持ちにつながってしまうと、本を読んだり相談に行って言われたことが、ますます自分責めや、自分ダメを感じてしまうことがよくあります。相談に行ってよけい苦しくなったという時は、きっとそういうときなんだと思います。そうならないようにと、援助者はとても気をつけて伝えるつもりなんですが、そんな気持ちは深く根付いていて、なかなか手強いのですね。

 でもそんな気持ちで苦しいところに居続けるのは本意ではないですよね。やはり親子で、みんなで、幸せを感じて生きられるようになりたいですよね。「お母さんが先でしょ」という親思いの子どもたちの気持ちを受け取って、責める気持ちやダメだと思う気持ちから解き放たれて、お母さんが楽になり幸せを感じていられるように、天心もきっとお役に立つと思います。そんな苦しい気持ちももちろん愛から出ているのですから、その根っこの愛につながっていけるお手伝いをしたいのです。


【甘える練習】

 最近のセッションでは楽しい時間が多くなっています。子どもが甘え下手になりがちな相談では、お母さんに先ず甘え上手になっていただきたいと思って「甘える練習」の時間を取っています。そんな時のお子さんは皆さん全面的に協力的で、おとなしくしていてくれて「これほどまでに…」と思うほどです。ありがたいなーーと思いながら待っていてもらうのです。

 「甘えてみましょう!」と言う言葉に「えーー?」とか「……」が返ってきます。そうなんですよね。甘えてこないと甘え方さえ分からないのです。そこで「練習」が必要になってくるのです。それで「甘えてこなかったからどうしたらいいか分からないでしょう。先ず体を甘えさせてみましょうね」と体に目を向けてもらいます。体の部分に痛みとかコリとかしびれとか重さとかが無いかを探ってもらいます。部分が見つかったら私がその部分に手を当てます。「この部分が頑張ってくれていたから痛みやコリになったので、労いの言葉をかけましょう」とお願いします。

 そんなことを繰り返す内に何度めかには、ほんの小さなお願いが出てきます。「見ていてほしい」とか「側にいて欲しい」とか「手をつないで欲しい」とか。その欲張らないお願いに心が熱くなるのです。幼ごころが求めるものがこんな些細なお願いであることに…。

 「見ていてほしい」にもいろいろありました。「私だけを見ていて…」と言う方は手の掛かる兄弟や病弱な兄弟がいて、自然に遠慮してしまうことになっていたのでしょう。「最後まで見ていて…」の方は商家でお母さんに見守ってもらうチャンスが少なかったことは無理からぬことでした。「側にいて…」という方はお母さんのお母さんが亡くなって間もなく生まれて、お母さんの思いは亡くなったお母さんへと飛んでいたのかも知れません。

 本当に求めていたことのほんの一部でしょうが、その後の満足そうなお顔を見ると「ありがとう。お母さんはきっとあなたに助けられたのよ」と思わずにはいられません。

 小学生のお子さんが不登校で相談に来た方がいました。やっぱり母子ともに甘え下手のようでしたので、お母さんに甘える練習をしてもらいました。お母さんが私の肩に頭を載せて寄りかかると、お子さんがまるで自分がお母さんのようにその背中を「トントン」と優しく叩いたのです。そうしたらお母さんは「わーーーっ」と堰を切ったように泣かれました。お子さんは満足そうにほほえんでいました。お母さんは「あの手が効きました」と降参していました。お子さんはお母さんを癒すツボを心得ていたかのようでした。その後やっとお母さんに「弟と留守番しているのはとても辛かったよ」とちょっぴり愚痴が言えました。そんな愚痴が言えたからなのでしょうか。それともお母さんへの心配が無くなったからなのでしょうか。その後しばらくして「元気に学校へ行っています」といううれしい連絡がありました。

 甘えるって本当に大きな力になるんだとうれしく思っています。幼ごころが元気になってくれると、お子さん方は心配が少なくなって自分の人生を歩むことが出来ます。お母さん方にもっともっと元気になって欲しいと願っています。

 次はあなたの番でしょうか?

【10年来のイライラがなくなった】

 今7歳の息子が生まれる前から、ママのイライラはいつもあって、息子が赤ちゃん期を過ぎた頃からは、子どもに八つ当たりしてしまっては、罪悪感にさいなまれ、苦しい子育てになっていました。それで相談にも来られていたのですね。

 それが前回の相談に来てから、そのイライラがなくなって、世界が変わったように楽になり、まるで魔法をかけられたようというのです。援助者が魔法をかけられるわけはなく、何がよかったかというのは、そのママが今まで、自分と向き合い子どもと向き合うことをあきらめずにしてきて、いろんな要素がここで実を結んだのだと思います。でも、ママは、前回の相談の時からだと実感されているのですね。

 前回の相談の時には、「もう、ぐずぐずするし言うことは全く聞かないし、この子の姿を見るだけでイライラする。かわいいと思えなくなっている」と、イライラさせるお子さんの気持ちを楽にして、お母さんをイライラさせないでほしい、ということから始まったがあまり深まらない。するとお子さんが、「ママはオレと関係ないことでイライラしている」と言う。「生意気な!」とママ。でも図星のようで、お子さんの抱っこは早々と終わりになってママの番になる。

 先ずはお子さんを見るだけでイライラしてしまうという、そのイライラの気持ちを援助者の手のひらに表現してもらう。今イライラしているその時ではないので、上手く表現できないようす。

 次に両方の腕を支えて天心。静かな動きからだんだんにダダこねのような動きになり、援助者が張りあう感じになる。すると手足をバタバタして表現し、悔しげに泣く。しばらく付き合ってから、そのままのママを、女性援助者がハグすると、甘えたような泣きになる。実母さんに抱っこされている感じを味わう。そして落ち着く。

 次に「奇跡を起こすワーク」をしてみる。ママ(ワークの中では娘)が座っている2メートルほど先の正面に、実母の代役で援助者(ワークの中ではママのお母さん)が対面して座りました。実生活のお母さんではなく、実際の思いでの中のお母さんでもなく、こうだったらいい、こうあってほしかったという、本当の真実を思い描いてみてもらう。娘が小さい頃は、お母さんはとても忙しくしていて、構ってもらえなかったし、甘えるなんてとんでもなかったそうです。お母さんはいつもイライラしていて、幸せそうにも見えなかったといいます。

 その頃のお母さんは、娘の方は見ていなくて、斜め前を向きぼんやりと空を見ていたというので、お母さん役の援助者がその姿勢をし雰囲気を出す。娘は、なかなかお母さんの方に近づけず、もう一人の援助者が背中を支えると、少しずつじわじわと近づきながら、文句を言う。お母さんにお説教をしている感じもする。手を伸ばせば届くくらいのところまで来て、「生意気言ってごめんなさい」と泣き出す。お母さん役の援助者の方から手を伸ばして抱き寄せると、膝のあたりにうつぶしてわーっと泣く。ひと泣きして顔を上げると、お母さんの顔をまっすぐに見て、「お母さん、どうしてイライラしてたの?」と訊く。「ごめんね。お母さんイライラしてたね。ごめんごめん」と謝り、そして「もうイライラしてないよ」というと、力が拭けて抱かれる。

 その後、遊んでいたお子さんを呼んで、お子さんの番になる。するとママは、「よく分かったよ。イライラしているのは自分のせいだと思っていたでしょ。ママをイライラさせる自分が悪いんだと、自分を責めていたでしょ。違うよ。ママのイライラは、おばあちゃんからもらってしまったもので、ママがわるいんでもないし、○○が悪いんじゃあないよ。おばあちゃんだって悪くはないけど、イライラしていたんだね」と話し、親子で泣いて抱き合っていた。

 ママは、幼い頃からのお母さんのイライラが自分のせいではなく、お母さん自身のイライラだったと思い直すことができ、責める気持ちから解き放たれて、とても楽になったそうです。そして我が子が同じ気持ちでいることも分かって、親子で通じ合えたようでした。そしたらなんと、10年来のイライラが治まってしまったのでした。奇跡がほんとに起こったような話しですね。

 それ以来お子さんは、少しずつ甘え上手になって、ますますかわいくなったと言います。こんな時が来たなんて、根気よく取り組んできてよかったね。それにしても子どもってよく分かっているのですね。でも分かってもどうにもならないのが子どもなのかもしれません。


【お母さんゆっくりしようね】

 糸の切れた凧みたいに、お母さんから離れてどこかに行ってしまう。外に出るとあぶないので、手をつなごうとするのだが、振り払って行ってしまう。生来的な多動性や生きにくさを持っているではと心配がよぎるが、先ずは心のもやもやをとってあげて、それで落ち着けば、ということで相談に来られた。

 2回の相談で、手をつないで歩くようになったし、家の中では比較的落ち着けているし、外でも前ほどハラハラさせなくはなったが、お母さんの気がそれるとまだするりと離れてしまう。お母さんとしては出会ったお母さん同士話しもあるので、Zちゃんに気を配りながら話しているつもりでも、気づくと離れたところにいたりして、どきっとすることもあると言う。

 そんな話しを聞きながら、Zちゃんをお母さんの膝に抱っこしていてもらったが、その時もするりと離れてしまいました。「お母さん、話しながらも離さないで膝にいてもらってね」と意識してもらいましたが、それからも離れてしまいました。援助者がそのようすを見ていて、お母さんが反射的に離してしまうような感じがしました。そうしなければならないお母さんの気持ちの動きがあるのかなあと思いつつ、お母さんの話しをお聞きしていました。

 Zちゃんは一旦離れると、自分からお母さんの方に来ません。「Zちゃんおいで!」とお母さんが呼んでも知らん顔です。まだまだ甘え下手なんですね。Zちゃんの方からくっついてこられない、抱きついてこない、ということもあるようです。

 そこでまずはお母さんにゆっくりしてもらうことにしました。というのも、Zちゃんがお母さんに安心して甘えられないほど、お母さんはいつも心も体も忙しくしているように感じたからです。「お母さんゆっくりしようね」と、援助者に寄りかかってもらいました。はじめは身を任せられなくて、寄りかかってもおしゃべり。でもだんだんにゆっくり寄りかかることができました。

 そうしたら、離れて遊んでいたZちゃんが、自分からお母さんに抱かれに来ました。お腹にぴったりくっついて抱かれていました。ずっと抱かれていました。お母さんがZちゃんを抱っこして、その2人を援助者が抱っこするという感じでした。3人でゆっくりして、抱っこのぬくもりを感じていました。いつもすぐにお母さんから離れてしまい、動き回るZちゃんが、ずっと抱かれていて、そのうちうとうと眠りそうでした。

 そのあとのZちゃんは、しっとり落ち着いていて、お母さんが次の予約を決めていると、そのお膝にちょこんと座っていました。帰りには自分から手をつないで、ゆっくり歩いて行きました。


【お母さんが甘える練習をして】

 Aちゃんのお母さんは幼い頃の記憶があまりないそうです。学校のことは少し覚えていて、緊張でいつも固まっていたそうなのですが、だからといってお家が安心の場とも言えず、お家でも固まっていたということです。

 きっと幼い頃はお母さんに甘えないで来てしまったのだろう、と思われました。お母さん自身が甘えないで育ってきていると、甘えさせ下手になってしまうことがよくあります。そんなお母さんに、お祖母ちゃんと同世代のW(援助者)に甘える練習をして、甘える実感を持ってもらったら、毎日の育児が少しは楽になって甘えさせ上手になり、子どももお母さんを見本にして甘え上手になるのでは…ということで、「Wをお母さんと思って、言いたいのに言えなかったことや、やって欲しかったことを求めたり、やって欲しくなかったことをやめてと言ってみよう」という時間を持ちました。そしてその後でお子さんの抱っこも続けていました。 

 今回の甘える練習では、Wの肩に頭を載せてほんのちょっと寄りかかってみました。その後で、イメージでお母さんを背中に感じて、「自分の問題」を見てみることをしてみました。一人で問題を見る時と、お母さんを感じながら見たときとの違いは、「ちょっと明るさを感じた」とのことでした。

 最近の様子のお話しを聞いているときも、Aちゃんはお母さんに抱かれて泣いたり、自分で「お休み」と言って泣き納めたりとても上手にやってくれるのです。バスに乗るときも、以前はバス停で大泣きしていたのに、「お休み」と言って泣かずにバスに乗って、お母さんが肩身の狭い思いをしないように協力しているようです。

 お母さんの胸でたて抱きのまま気持ちよく泣いていたAちゃんを、「そろそろ横抱きにしてみましょうか」という言葉に、素直なお母さんはあわてて横抱きにしようとします。それでは無理があるので、「横抱きに誘うやり取りに時間をかけて、そのやり取りをを楽しんでみましょう」とお母さんを励ましました。今日のお母さんは今までと違ってどっしりと構えているように感じました。

 そんなお母さんの事が分かっているからでしょう、Aちゃんはお母さんの張り合いをかわして、「いいの、いいの」と抵抗して、そのたびに足や腰をお母さんの手からはずしてしまいます。前回はお母さんにそれほど抵抗しなかったのに、今日は「何か伝えたいことがありそう…」な感じでした。

 何度も何度も抱きなおしで張り合って、そのうちに「聞いてもらいたい気持ち」が大きくなったのか、お母さんに聞く準備が出来たのか、急に「首痛い!首痛い!」と言って泣き始めてました。

 Wが出産の時のことかなと感じて「生まれたとき」の様子を聞くと、予定日より10日遅くなって、なかなか生まれなくて、お母さんは疲れてへとへとになってしまって、助産師さんがお腹を押してくれてやっと生まれたそうでした。Aちゃんの痛いところの訴えがどんどん激しくなって、「足が痛い、お尻が痛い、頭が痛い!」と泣いて、その訴えをお母さんが「よしよし」と順番にさすりました。Aちゃんが体を回転させながら、もっともっとなでてというように動き回るのを、お母さんはひるまずに受け止めてくれました。そして「Aちゃんに会えたことがうれしかったよ」「でも押さえられていやだったね。痛かったんだね」と当時のことを思い出しながら心を込めて慰めてくださいました。Wは「これがこのお母さんの本当の姿だ!」とうれしく思いました。

 子どもはお母さんに心の余裕が出来ると、安心して「私の事も聞いてよ」と言うことが出来るようです。それまではどんなことがあっても辛抱強く待っていてくれるような気がします。子どもはお母さんの事情がよく分かっているようで、本当にありがたいことです。

 相談が終わったときのAちゃんの様子が、今までになくスッキリとして見えたのもうれしいことでした。


【心ここにあらず】

 6月は久しぶりの抱っこで、楽しみにして出かけました。4月の抱っこからしばらくは落ち着いているような感じの生活でしたが、後半は自分がいつもなにか心ここにあらずで生活が上の空になってしまって、哀しいとか淋しいとかというよりは、なんだか生活自体に現実感がない毎日を送っていました。

 これではよくないなあと思いながらも、生活がおろそかになって、息子のことも家事もほったらかしで、心は上の空でどこにあるのやら・・・何かを悩んでいるわけでもないし、考え込んでいるわけでもないのすが。そんな生活の中の抱っこの日だったので、息子には申し訳ないけど、私の抱っこだろうなあと思っていました。

 すでに何回かお付き合いをしているTさんのある日のセッションで、心ここにあらずの日々が続いて、仕事は何とかこなしているものの、家に帰ると、家事や育児の最低限のこともできずにいる、というTさんに、
阿部「心はここになくて、どこへ行っているのだろう。確かめに行ってみましょうか」
と誘いました。

 まさか、ここにあらずの心がどこにあるのか探しに行くことになるなんて、思ってもいませんでした。でも確かに言われてみれば、生活もおろそかになるほど大切なものっていうふうに考えれば、私の心がどこに向かっているのか、探してみるのも大切かなあと思いました。

T「どうせ見つかりっこない」
阿部「ダメでもともとじゃない?」

 立って、Tさんの背中を支えて、しばらく動き回っていると、壁にぶつかりました。壁を叩いているので、壁の代わりにその手を受けとめると、涙とともに激しい感情が溢れてきました。

T「壁にぶつかった」
阿部「どんな壁?」
T「ただの壁」
阿部「人のような壁? 壁のような人?」
T「壁のような人」
阿部「男みたい? 女みたい?」
T「・・・」

 でも、芳子が壁の前に立つと、

T「いや!いや!」

と尻込み(そのようすからお母さんのことかなと思えた)。もう一人のスタッフの手も借りて、ひとしきり感情の解き放ちを助けました。

 どう努力してもどうしても避けられないもの、もう済んでしまった過去のことや、運命や、他の人のこと、など自分ではどうにもできないものが、大きな壁みたいに私の前にはばかってどうしようもなくもどかしく、くやしく、どうにもならなくて・・・でもどうしてもあきらめきれないんだ、っていう気持ちがあふれ出てきました。

阿部「その壁のような人とどうなったら満たされたんだろう?」
T「叩いて、蹴って、壊してしまいたい。でも、そうやったからといって壊れるような人じゃない」
阿部「怒っているんだね。壊してしまいたいほどなんだね。でも、それはほんとうの欲求ではないでしょ? かけがえのない大事な欲求が満たされないので、そういう気持ちになっているんでしょ? ほんとうはどうあってほしかったの?」
T「あきらめようとして、あきらめきれない。愛がほしかった」

 何があきらめ切れないのかなっておもったら、愛されたかったっていう切なくってくやしい気持ちがあって、でもなんだか「言っちゃいけない、言っちゃいけない」って思っていて、言ったらとても恥ずかしいことを言ったような気持ちになりました。

 でも、先生には「そんな大事な気持ち、あきらめちゃいけないよねえ」と言われ、認められたようでほっとしました。しばらく泣いていたように思いますが、しばらくしたらなんだかちょっとすっきりしたような気がしました。

阿部「その愛をあきらめることはないからね」
T  「せっかくあきらめようとしているのに、そんなこと言わないで」
阿部「そのかけがえのない愛を包みこむような、もっと大きな愛が世の中にはあるからね」
T  「そんな愛があるの?」
阿部「あるよ。もっと大きくなったら分かるからね」(幼い頃の思いにひたっていたTさんだったので、そう言ったのです)
T  「(笑って)そうなんだ。ふーん、楽しみだな」

 抱っこの日から2週間くらいたちますが、その間はなんとなく生活もちょっとは普通になりました。家事ができ、息子の相手がそこそこでき、いつまでもボーっと上の空でいないで、早めに寝ようという気になるのだから、まあまあです。

 まあまあなのですが・・・さみしくて哀しい気持ちはかえって増えたかもしれません。またそれに向き合っていくのかと思うとやりきれない気持ちがします。また今日あたりから、なんだか雲行きがあやしくなってきてしまいました。こんな堂々めぐりを続けていて、いったい私は何をやっているんだろう・・ってがっかりしてしまいました。

 表面平穏だった生活にさざなみが立って、ちょっとずつ大きなうねりになっていくのがちょっと怖くもあります。まだ動き出すにはちょっと早いのでは・・・と感じつつも、一度さざなみがたったら止められないように、動き出してしまった感じがします。 またこれで、哀しくなったりむなしくなったり、苦しくなったりするのでは・・・得られないものを求めることほど哀しくてむなしいものはありませんから。

阿部「心にさざなみが立って、動き出してしまった感じなのですね。でも、とにかく一つ前に進んだわけで、堂々めぐりではないと思うよ」
(と言いながら歌いだす、♪川は流れてどこどこ行くの。人も流れてどこどこ行くの。そんな流れが つくころには花として花として咲かせてあげたい・・・)


【6歳の自分に出会って】

 Sさんは、ご主人の暴力にご自分とお子さんの身の危険を感じて、ご主人の留守中に逃げだしてご実家に戻られました。そしたら、お父さんもお母さんもいつでも戻れるように、法律相談の場も用意して待っていてくださったことが分かり、ホッとなさったのでしたが、次第にお母さんとの気持ちが出てきて、苦しくなられることが多くなりました。

 そんなある日のセッションです。
S「子どもとお祖母ちゃんとスーパーに行ったとき、子どもがスーパーのワゴン車に乗ると言ったのに乗らないと言い始めたら急に私が切れて、『もう知らない!』と言ってどんどん帰ってしまったんです。周りの目もあって、こんなことにならなくても良かったんじゃないかなと思いました」
というお話でした。
W「小さいとき、スーパーに行くのはどんな気持ちだったかな」
S「両親共に自営業で毎日忙しくしていたので、店がお休みの日に家族でスーパーに行くのは楽しみだった」
S「小さいときはほとんどお祖母ちゃんに育ててもらっていたので、両親がお休みの日を楽しみにしていました」
W「特に思い出すことはあるかなー」
S「お母さんとお祖母ちゃんと3人でスーパーに行ったとき、私が滑って転びそうになったんです。そしたらお祖母ちゃんが『ぼんやりしてるから』と言ったら、お母さんが『そうなの、気をつけなさいよ』と私の方を見たんです。私は転びそうになったんですがお母さんにそう言われたら『転んだりしないよ』と急に嘘を言って知らん顔をしたんです。そんな私でお母さんをがっかりさせたくなかった」
と涙を流されました。次第に泣き声が大きくなったので、
W「イメージで小さい貴女はどうしていますか」
と訪ねました。しばらく目を閉じて、
S「困った顔をしてる」
と言うので、
W「おとなの貴女がそばに行ってどうしてほしいか聞いてみて」
とお願いしました。
W「何歳ぐらいのSさんかな」
S「6歳ぐらい」
ということです。
S「『大丈夫だよ』と言ったら『うん、うん』とうなずいたように思います」
と言って
S「あー、何だかホッとしました」
と顔を上げられました。

 Sさんはお祖母ちゃんに育てられたせいか、お母さんに口答えもせず、お母さんにとっていい子できました。つい最近初めて自分の気持ちを話したら感情的になってしまって、お母さんと大喧嘩になってしまい、やっぱり私の気持ちを言ってはダメという気持ちになってがっかりしたということでした。それにはおとな心を立てて上手に伝えられるようになれば喧嘩は避けられるので、おとな心を立てる練習をしましょうと話しました。これからおとな心が立てられるいろいろなワークが必要だと思っています。