両親が仲良くしていないと、子どもはたちまち不安になる。とは言っても、もともと他人どうしの夫と妻。いつでも仲良くというわけにもいきません。
「抱っこ法のすばらしさに改めて感じ入っています」
「子どもが教えてくれたこと」
「お父さん! お父さん! お父さん!」
「援助を受けてよかった」
「夫婦ゲンカのネタ探し」
「抱っこ法のすばらしさに改めて感じ入っています」
阿部先生
こんにちは。お元気でしょうか?
最近改めて抱っこ法のすばらしさに感心しています。
私の母は「超」我慢する人なので、子どものころから何かあっても、「そのくらいで!」と常に言われ続けてきました。ですから、何かあっても自分がいっぱいいっぱいになることは滅多にないのですが、その分自分の中の「泣きたい気持ち」に鈍くなっているのは確かです。気づきにくいのです。
夫も小さい頃ずいぶん貧乏して苦労したせいで、極限までの我慢が当たり前でずっと今までやってきました。ですから、とにかく何でもガマンガマンが良いと思っている人です。
こういう二人に囲まれているので、私はこんなことで泣いていいのか、ということに最近まで気がつきませんでした。未だに泣き下手なのですが、ストレスがたまったときは、なるべく泣いたり疲れたよー!休みたいよー!とわめいてひっくり返ってバタバタやるようにしています。
昨日はここ数日間のたくさんの疲れがたまっていたのですが、子どもたちがいつまでたっても昼寝をせず、それでついに切れて甘いものを食べたり、外に出かけて買い物したりしていましたが、イライラは一向に治まりません。それもそのはず、原因は泣きたいことがたくさんあったのに、泣くのではなく食べたり買ったりしているのですから・・。自分でもそれはわかっているのですが。
でも、その状態を夫にメールで伝えておいたら、台風の後のような散らかった部屋を片付けておいてくれました。助かりました。あんな部屋に帰ってきたら、また疲れてしまう・・と思っていましたから。
うちに帰ってさんざん疲れた~!休みたいよ~!もういやだよ~!と叫んでだいぶ楽になりました。
過食症の人の気持ちはよくわかります。本当に泣きたい気持ちを慰めてあげない限り、いくら他のことで紛らそうとしてもキリがないのです。私もいくら甘いものを食べたり、買い物したりしてもイライラがおさまらず、次から次へとまた同じことを繰り返してしまいます。
それで、以下のことを紙に書いて、毎日夫と読み上げることにしました。
・我慢のしすぎは体と心によくない。
・我慢のしすぎは愛する人との関係を悪くしてしまう。
・自分の中のネガティブな気持ちに蓋をせず、しっかり見つめて自分を癒すことを心がける。それが根本的なストレス解消につながる。
私のストレス解消法は食べることで、夫はお酒を飲むことです。二人ともストレスがたまっていることに気がつかなくて、よもすると、この方法に走りがちなので・・。
抱っこ法で自分の気持ちを吐き出すのが上手になれば、本当に家族みんなが幸せになれますね。がんばって家族みんなが上手になれればいいと思っています。
抱っこ法に出会えて本当に良かったです。それを改めてお伝えしたくてメールしました。
「子どもが教えてくれたこと」
いつも大変お世話になっております。次回伺うまで待てず、急いで報告したい事があってペンをとりました。(但し、これは“通信”には載せないでくださいね。・・・※ということでしたが、とっても素敵なお手紙だったので、皆さんに読んで欲しくて、頼み込んで掲載の了解をいただきました。)
週末、主人が休みの日、息子が私にいつもの泣きのサインを出して、私が抱っこし始めると、いつもは文句を2~3言いって他の部屋へ行ってしまう主人が、そばにずっと居て、ブスっとふくれっ面をして座っているのです。
その日、私が台所で忙しくしている間、居間で二人はパズルで遊んでいました。ところが突然主人が、「それは反対だっていってるだろー!」と大声でどなって、自分の部屋へ行ってしまいました。息子はウワーンと大声で泣き始め、私に「パパ、パパ」と言いながら、しがみついてきたのです。(ちなみに息子のサインは、泣きながらしがみついて来る時と、おこりながらいやがりながら無理やり抱かれるのを待っている時と2パターンです。)
私が、「パパがどなって怖かったの?」「僕がわざとパパをおこらせたの?」「僕はどうしてわざとパパをおこらせたの?」「パパにもママみたいに抱いてほしかったの?」と話しかけていると、いつの間にか自分の部屋から出てきて横に座っていた主人がまだブスっとしながら「こっちへおいで」とぎこちない横抱きをしたのです。息子は居心地悪そうにもがいて、すぐ私の方へ戻ってきました。私が「僕が泣いたり怒ったりしたら、パパが僕をきらいになる」「僕がいい子じゃないとパパは可愛がってくれない」「僕だっていつもいい子にしてられないのに、パパは受け入れてくれない」「ママみたいに、どんな僕でも受け入れて欲しいの、こんな僕じゃパパに嫌われる」と言うと、息子は大声で泣き、大暴れして訴えているようでした。
その間、主人は「そんな事ないよ」「おこって泣いても、好きだよ」とブツブツ言っていましたが、息子が起き上がって「パパ、パパ」と手を伸ばすと、「こっちへおいで」と抱っこしました。ほんの短いだっこでした(2~3分)が、泣き止んだ息子は「思いっきり泣けた?気持ちよかった?」と私が聞くと、「あーんあん、パパ」と言ってうれしそうに仲良く主人と遊び始めました。
また別の日、いつも私と二人で行くベビースイミングへ、主人と二人で行ってもらいました。私は生理痛がひどかったので、見学していました。息子には、「今日はママはポンポンが痛いから、パパとプールへ行ってね」と説明しました。帰宅して、いつもは帰りの車内でねてしまう息子が、昼食後、1時間以上たっても昼寝をしないので、私が「さあ、ネンネしましょう」と寝室へ行くといつもは「ネンネ、ネンネ」とよろこんでついてくるのに、おこって泣きながら来て、「ナイナイ」と言って、主人の方へ行って、待って呼んでも来ません。それで、これは何かあるぞと思い、寝室へ無理に抱っこして連れて来て抱っこを始めると、すぐ主人も来て、横に座って、「どうした」と理由を知りたそうにしています。 私はさっそく、探り始めました。(最近は、息子を抱いて、合わせて何か言っているうちに、自分でも気づかないうちに、彼のつもりで、色々言って口に出していってから、「あっ、そうか、これか」と気づくことが多いんです)
この日も最初は、「ママが一緒にプールに入ってくれなかったのが嫌だった」と言って、きっとこれだと思ってたのですが、そのうち、ふいに口をついて出てきた言葉は「ママはポンポンが痛い、僕は心配だ」でした。これを言い始めると、彼は、一層はげしく泣きだして、自分でも、「あーこれだったのか」と納得がいったのでした。 その間、主人は「ママは大丈夫だから、心配しなくていいよ」と何度も息子に話していました。しばらく大あばれした後、息子は突然「パパ」と言って起き上がり、主人の腕の中へそのまま、もうしばらく泣いて、私の声を聞きながら、主人に抱かれたまま、眠ってしまいました。後で主人に「腕の中で泣かれて嫌だった?」とたずねると「いいや、でもかわいそうだった」と答えていました。先日、Aさんに、「息子は主人も巻き込もうとしているけど、無理だと思う」とお話したばかりでしたが、「とうとうやったわね」と私は感心するばかりでした。
それ以来、主人が家に居る時は、必ず主人にも抱っこをさせる息子です。ただし、おもしろいのは、さんざん、わたしの抱っこで大泣き大あばれをした後で主人のところへ行き、主人の抱っこでは決してあばれず、おとなしく声だけあげて泣くのです。無心に泣いているようでも、ちゃんと相手を見て、相手の許容範囲で泣いているんだな、と驚いてしまいます。主人はまだ初心者で、大あばれする息子を全身でうけとめてまでは、出来ないことをきちんと心得ているようです。でも、主人と息子のこころの距離は少しずつ縮まっているように思います。(単なる私の期待に過ぎないのかもしれませんが)
まだ主人は、時折、「こんなにしょっちゅう泣くのはおかしい。泣き虫なだけだ」と私に対して不快感をあらわす時もあり、そんな時は「せっかくうまくいってるのにそんなに泣いたら台無しじゃないの」と息子に八つ当りしてしまう事もあり、まだまだ未熟な私自身を反省させられます。私は順調にいってると、つい事を急いでしまうのでしょう。私だってここまでくるのに1年もかかったというのに。
何日にもわたって少しずつこれを書いているうちに、また1つ別のハプニングが起きました。10月14日の深夜に、私が急性腸炎で体調を崩し、心配した友人が17日にお見舞いに来てくれた日のことです。そこの子どもは、息子と同じ日に生まれて、普段からとても仲良しにしている女の子なのですが、よくかんしゃくを起こして、お母さんも手をやいておられるのです。最近第2子がお腹にできて、つわり等で、お母さんも体調悪く、大変だとは聞いていましたが、その日も、うちに来てすぐ、ちょっとした事でおこりだして、何度も泣いていましたが、床につっぷして大泣きし始めたので、お母さんはお腹をきづかって出来ないだろうと思い、私が「泣いていいよ」と言って抱っこしました。その友人には、抱っこ法の事も何も一度も話したことはなかったので、かなりびっくりした様子でしたが、たまたま、仕事で東京に来ていて、うちに居た私の母が説明すると、少しおちついて私のするまま様子を伺っていました。ところが、息子がワーワー泣いて私にまとわりつき、何度「あとでね」といってもきかず、とうとう女の子を押しのけ、私のひざに寝ころんで泣き始めたので、仕方なく、こちらを先にすることにしました。
約1時間も泣いたでしょうか。やっと落ち着き、おばあちゃんに、ご飯を食べさせてもらいだした頃、それまで息子を心配そうにのぞいていた、その女の子が、いつの間にかお母さんに抱かれて泣きだしていたので、そばに行って、頭をさわられるとおこるので、出産時の事をききました。すると、16時間も苦しんだ上、子宮口が3㎝しか開かず、お母さんが赤ちゃんの命を心配して、頼み込んで帝王切開にしてもらったと言うのです。私が頭に軽く触れて、「苦しいよ」「助けて」「お母さんもくるしい」「お母さんも早くたすけてあげて」などと繰り返すと、その度にすごい泣き声になります。泣く声というより、地ひびきに近いような音です。その上、自分の両手で頭をずっと押さえて泣いているのです。「よっぽど辛かったのね」と後で、お母さんと話していると、まだ他にも色々、思い当たること沢山ありました。私が、「大人は友人にぐちったり、買物や外出などいろいろとうさ晴らしできるけど、この子のぐちは、誰が聞いてくれるのかと考えたら、母の私しかいないと思うの」と言うと、彼女も大きくうなずいて、今までごまかし続けて来たことを悔やんで、「もっと早くに気づいてやれていたら」と涙を流して言っていました。帰る時、その子が、はじめて自分から私にチュッしてくれました。
私が息子を抱いている間はとても辛かったけれども、自分が抱っこしていた時は、少しも辛くはなかったと言ってました。きっとその日一番辛かったのは、おばあちゃんだったろうと思い、聞いてみると、やはりそうだったらしく、特に、その女の子の出産時の話は、こたえたそうです。母も私の出産時に、3日感も陣痛が続き、分娩時あまりの苦しさに、途中でやめたくなって、助産婦さんに「赤ちゃんを殺す気か」と叱られたそうです。
今から思えば、私が初乳も飲まず、フォーミュラも飲まず、ひ弱だったのは、そのストレスのせいかもしれないと話していました。自分の子育ての時、抱っこで泣かせてあげることで、親子共にストレスを発散できることを教えてくれる人があれば、どんなに助かったか、と何度も言ってました。「私は幸せだ」と言っていました。本当にその通りだと思います。
その夜帰宅した主人に、今日あったことを話しましたら、主人は、「お母さんが疲れたでしょう。あれは、やってる時より、聞いてる時の方がずっとつらいから」と、私と同じ事を言ったので驚きました。「なーんだ、よく分かってるじゃん、この人」とうれしく思いました。
あと、もう一つ、母が私に気づかせてくれたことがあります。最近、時々、主人の帰宅が早い日があり、そういう日には息子がおばけごっこをするのですが、それは、見ていると「これは興奮しすぎじゃないのかしら」と心配になる程なのです。主人がフランケンシュタインのように、ちょっと不気味な顔をして、歩き方もそのようにして、息子の後をゆっくり追いかけてきて、息子はキャーキャー言いながら家中を走り回るのです。怖くてたまらなくなると、私の所へ逃げてきますが、主人がやめるともっとやれ、とさいそくするのです。
その夜は、息子は私の所ではなく母の所へ逃げて、母の手をにぎって一緒に走り回っていました。母は主人のその姿が本当に怖いらしく、息子よりも先に逃げるしまつで、まるで二人子どもがいる様で、見ている私も大笑いしてしまいました。
母は心臓が悪いので、「もうやめたら」と私が言っても本人も「死んでしまうかも」と言いながら、まだキャーキャー言っています。その後、主人と息子がおふろに入っている間、母が私にこう言いました。「今日は、ふたり続けて大泣きを聞かされて、グッタリするほど疲れたけど、キャーキャー言って大はしゃぎしたら、信じられないほど、疲れがふっとんだわ」と。
泣くことが、ストレスを発散させる事はよく分かっていましたが、改めて、喜ぶこと、笑うこと、はしゃぐことも、ストレスの発散にはとても効果的なことを思い出させてくれた言葉でした。だから息子は、この遊びをせがむのだな、と分かったのでした。
とりとめもなく、ダラダラと書きました。誤字脱字も多くて、読みづらいと思います。口で話せば、5分もかからない内容ですが、その時々に、感動した事をそのままに書きました。もしもAさんがこれを読んで、「成長した」と思っていただけるなら、その成果の大半はAさんの功績である事を知って頂きたいと思います。私がAさんにどれ程勇気づけられ、子どもの心を知る方法を教えてもらえたことか。友人は、最初から抱くことは辛くないと言っていましたが、私はとても辛かった。それを乗り越えるのに何か月もかかりました。普通の人のスタート時点まですら、私は何か月もかかったのです。一人ではできませんでした。Aさんだけが心のよりどころでした。Aさんが苦しかったとき(今もでしょうが)、何も知らず、何も出来ず、知ってからも、何もできない私は、本当に無力だと思い、情けなく恥ずかしい気持ちばかりでした。せめて、Aさんが私にしてくれた事、そしてその結果私のできた事をお知らせしたいと思ったので、筆をとりました。また、お目にかかった時は、その時々の話でまた終わってしまうでしょうから。こういう形で残すこともいいかもしれないと思ったのです。
私もそろそろ卒業を考えています。でも劣等生ですから、また、ちょくちょくもどってくるでしょう。そしたら、また助けてくださいね。では、またお目にかかります。お身体を大切に!!
「お父さん! お父さん! お父さん!」
《お父さんはバスの車体》
芳子先生こんにちは。この間の出来事は本当に失礼しました。なんたって疲れるととんでもなく注意力が散漫になってしまうものなんですよね。それに一番あたりやすい子どもに八つ当たりをしてしまいやすくなり、また自分を嫌になるという繰り返しなんですよね・・・。
ところで帰りに話した「お父さんの役割」なんだけど、私の考えでは、お父さんはバスの車体、お母さんは運転手、子どもは乗客かな。そしてお父さんが働いてもってくるお金がエンジンだと思うんですよ。だから、お父さんが外へ働きにでると、バスの屋根や窓など車体がいなくなってしまうので、とても強い風が吹いたり、雨が降ってくると運転手のお母さん、もうぐっとハンドルをもって運転するんだけど、冷たい雨や強い風を避ける事は、できないんだよね。そこにお父さんが帰ってくると、バスに車体が付くから雨風を防いでくれて、お母さん運転手は心から“ほっ”とするんだよ。きっと・・・。
だから、お父さんが忙しくて家に帰ってこれない時など、運転手は、天気のいいときはいいけど、天気が荒れると、もう風に吹き飛ばされそうになるし、雨が降ってびしょびしょにぬれるし、挙句の果てには、運転手は前が見えなくなって暴走してしまったりするんですよ。だからやっぱり運転手が安心してバスを運転するには、エンジンの心配をしないで、できればちゃんと決まった時間にバスに車体がつくということが一番大事なんだと思うんですよ。でもいろいろな事情でバスに車体が付かない時に母ちゃん達は、ぐっとこらえて運転するしかないんだよね。だから本当の子どものバスジャックに対応するのも疲れているから、いらいらして怒鳴って、怒って座らせてしまうんだよ。それにお父さんも外に出てすっごく疲れて帰ってくるから、車体としての役目がはたせないという事もあるしね。どうかな。ちなみに我が家のバスは、今はどうにか走ってます。運転手はものすごく疲れてますけど。だって車体が付いていないんですよ。父ちゃんが忙しすぎてね・・・。
では、子どものお迎えがあるのでバスを出発します。
《これからはお母さんを助けるよ》
この間お父さんが「やっと分かった」と、「今まで、子どものことで今目の前にある現実を何とかしようと思って、子どもたちにエネルギーを注いでやってきたが、これからはお母さんを助けることにする。お母さんが楽になると、お母さんが子どもの見方や、受け止める容量が変わるから、うまくいくようになる」と話してくれました。さらに、「君の今があるのは小さい頃からの積み重ねなんだから、子どもの頃に戻りたいならいつでも戻っていい。その時は話を聞くよ。君は父親が早く亡くなっているから、父親に対してどう思っているの。何を求めているの。ぼくに何をしてほしいの。いつでも子どもに戻っていいからね」とも言ってくれたんです。
それ以来私はうんと楽になって、子どもを抱っこすると、子どもの気持ちが分かるようになってきました。言葉で伝えなくても、体の固さややわらかさで、なんとなく「今日は○○だな」と分かるようになり、今まで子どもが泣くと恐かったのに、恐くなくなったんです。
《ちょうどお父さんが帰ってきて》
この1か月で2度ほど、学校の行事で長男が一泊で出かけることがありました。
次男はというと、早速「おもちゃがほしい」と私に言ってきます。次男は淋しくなると?なのか、「あれ買って、これ欲しい」が始まります。そう言われると私の愛情が伝わらず、物で要求されているように感じて、辛くなってしまいます。張り合えるときは「買わない」で通せますが、実際に淋しい思いをさせていることが続いていると、後ろめたさを感じ、根負けして買ってしまうこともあります。この日はちょうど父親も帰ってきて、「えー、なんで」と2人がかりで否定されてしまい、ふてくされていました。
私は抱っこするにはいまいち元気のでない日で(パワーの出ない日)、父親も私がしなければ中心になってやるほど時間もなくの状況でした。2人して「なんだ」「これ」「なんだ」とつっつきながら、体勢は一応父親のあぐらの中にいて、ちょっとからかいました。すると怒り出して、物を投げ始めます。「これは当たると痛いから、ティッシュにしてよ」と言うと、ポケットティッシュやハンカチ、そのうち箱に入ったティッシュを丸めてポイポイ投げ始めました。当たっても痛くないですが、「痛い!!」とオーバーに現し、はずれると「へへ~ン」とちょっとからかい、しばらく15分くらい続けました。
2人そろって次男の相手をしました。ほんの短い時間でした。かたづけはどうなるかと思っていたら、なんと父親と2人で、今度は父親が投げて、次男がゴミ箱で受け取るゲームに変わっていました。
あっという間にティッシュの山はかたづいて、本人も晴れ晴れ。何事もなかったように夕食です。