泣くに泣けない

「泣くに泣けない苦しさ」

〈第1信〉

 昨日はありがとうございました。
 回を重ねるにつれて良い変化が認められる一方、三回目の昨日は、泣くに泣けない苦しさの存在に気付かされたセッションとなりました。昼間の体験がちょっとした刺激になったのか、昨晩夜泣きがありました。といっても、苦しそうにうなるだけで、泣くにはいたらず、泣けないつらさを再確認しました。夜中の2時に「起きる!」とごねはじめ、まさに阿部先生がおっしゃられた「時、所選ばず」の状況だなとは思いながらも、思わず「今起きたら、おかあさん倒れちゃうよ」という言葉が口をついて出てきて、はっとしました。それじゃ伸び伸びと泣けるわけないですよね。

 今朝になって、主人に、前日の相談で感じたこと、夜中の様子、そうした苦しさが世代から世代に拡大再生産されかねないこと、私自身、実際に親から拒絶されたわけでもないのに、なぜか親に遠慮して要求や甘えを抑え込んでいたことなど話しました。すると、主人自身、自分の苦しさと重なる部分があったようで、「そうか、そういうことか」と腑に落ちた様子でした。実は、主人は最近、体の不調から通院している先の先生が、カウンセリング的にいろいろ聞いてくださるのがかえって負担なようで、「クスリをもらうだけでいいのに、何か問題があるかのようにあれこれ聞かれると、余計具合が悪くなる気がする」などとぼやいていたのです。今日は折しも通院予定の日で、「そんなふうに話してみたらいいのかな」とポツリと言っていました。

 娘が甘え上手になる道のりは長期戦になるかもしれませんが、その過程で、私も主人も共に、元凶を同じくする苦しさから解放されることができたらいいなと思えた出来事でした。

 まずはお礼とご報告まで。


〈第2信〉

 先日は有難うございました。娘は、阿部先生にもう大丈夫、心配無いとおっしゃっていただいたことが嬉しかったようで、帰るなり主人に「もう大丈夫だって!」と報告していました。私自身も、ここしばらく取り組んでみての感触を、そんな感じでいいんだよと肯定していただいたことが嬉しく、おかげさまで明るい気分になりました。

 泣くに泣けない苦しさの存在に気付き、でも、どうしたら泣かせてあげることができるかについてしばらく悩んだ時期がありました。娘の言い分を思いやろうとしてみたり、実際に「ガマンしなくていいんだよ」「泣いちゃっていいんだよ」と促してみたり・・・にもかかわらず、なかなか望むような反応は返ってきませんでした。そんなとき、ちょうど自宅の引越しを控え、私自身に気持ちの余裕が無くなっていたときのこと。娘のグズグズに、つい「そんなにおかあさんを困らせてばっかりいないで、少しは協力してよ!」と気持ちをぶつけてしまったのです。すると娘は、なんともいい感じでエーンと泣き出したのです。こんなに簡単に甘え泣きが引き出せるとは驚きでした。と同時に、あっ、こんな感じでいいのかなという手ごたえがあったのです。

 引越しという、切羽詰った状況の中で、図らずも娘は主人ともよく衝突していました。でも、結果的にみれば、それまで娘の言い分を尊重し過ぎるような傾向があっただけに、偏ったバランスを修正するのにはちょうど良い機会だったのかもしれません。その都度、娘は「そんなに怒ることないじゃない?」「そんな言い方することないじゃない?」などと言いながら、顔をくしゃくしゃにしてワーワー泣き、でも案外おさまりやすくなってきたように思います。

 ところで、先日のセッションでひとつ発見がありました。阿部先生に引っ張っていただきながらイヤイヤ体験をしてみたのですが、私にとっては、意外にもちょっと強めに引っ張っていただいた方が気持ちが良いことに気付いたことです。そして、これはどういうことかなと味わってみたところ、母親に対する満たされない思いが呼び起こされてきました。私の母は、そっと見守ってくれる人で、そのこと自体は感謝すべきなのですが、私にしてみたらそれだけでは何か安心感に欠けていたのですね。見守るだけでなく、もっと引っ張ってほしかった、もっとはいりこんでほしかった、もっとぶつかり合いたかった、そんな気持ちがあったのだと思います。母親の中に私に対する遠慮を感じるがゆえに、私もますます先回りして遠慮して、結果、気持ちを抑え込んでしまっていたのでしょう。一歩進んで、同じことが私と娘の間でも言えるわけで、同様の悪循環に陥りそうになっていたことに気付かされました。

 これからも新たな壁にぶつかることもあるかもしれません。でも、お世話になったおかげで、娘のぐずぐずに手こずらされたとき、まずはとりあえず、抑え込まずに出せて、よかったよかったと思えるようになっただけでも大進歩です。数ヶ月前に比べ、受けとめ方の大きな違いに自分ながら驚いています。困ったとき、迷ったとき、阿部先生ならなんておっしゃるかななどと考えながら、癒しの子育てを心がけていきたいなと思っています。

 今後、時間ができたら是非「天心」にも参加させてください。またご連絡します。

「春はまだ先」
 
 春休みが終わります。この休みはTもKも体調がすぐれず、外へ出ることができず、家の中でビデオを見る時間が増え、肉体的、精神的ストレスがたまった休みになってしまいました。その様子を初日の手紙にしたいと思います。

 まずTくんが3/25(水)から発熱、3日間高熱が続きました。やっと熱が下がりかけた頃、トイレでウンチを頑張っているTくんとの会話の途中、Tくんの言ったことに少しムッとしてしまいました。それに気づいたTくんが「ママ怒らないで。ぼく怒ってないよ。(いつも)ぼくは怒ってないよ」ママ「怒っていいんだよ」Tくん「ぼくは怒らない」何度か同じ会話を繰り返し、「ぼくは怒らないからママも怒らないで。ママが怒るのイヤ」と言い、トイレから出た後もぼくは怒らないといい続けました。何だか様子が変だなと思ったのですが、その時はそれで終わりました。

 熱が下がった日の朝(3/30)、元気なようだけど食の進まないTくんにイラついて「食べないと買い物一緒に行けないよ」とつい言ってしまい、Tくんを泣かしてしまう。そのころのKくんは「ママじゃないパパがいい」ということが多くママを無視したりヤダということが多くなり、Kくんも微熱が続いていたのに、Tくんにつきっきりでかまってあげられなかったからと思い、Kくんに謝って、いっぱい仲良くしようねと話したら納得したようで、ママとKくんは仲直りができていた。それがうらやましいのか、風邪ですっかりこたえてしまったのか、Tくんはママに救いを求めているようなので「Tくん熱が出てつらかったね」と話を始めました。

 Tくんが高熱を出したのを見て、私も小さい時に辛かったのを思い出せました。熱が高くてつらかった。その私を心配そうにのぞきこむ母の顔、そのお母さんを見て、また私が熱をだしたからお母さんに心配させると心苦しく感じたこと、大嫌いだった薬、イヤダ飲みたくないとずっと思ってた。熱がでて一人布団に入っていると孤独だった。みんながごはんを食べてるのに起きあがれなかった。そんなことを思い出して一人で泣けました。すると気持ちが楽になって、その朝 Tくんに「ママ、Tくんが教えてくれたから苦しかったことを思い出せて楽になったんだよ。Tくんありがとう」と言うと、

Tくん「ぼくはまだ苦しいよ」
ママ「二人でたくさん泣いて苦しいの全部なくしちゃおう」
Tくん「泣かない」

 話しているうちに泣くのは悪い子だから、いい子は泣いてママを苦しませたりしないというのでした。それから横抱きはしませんでしたが 、ゆっくり膝の上で抱っこして、Tくんが赤ちゃんの時かわいいと思えなかったことを謝ったり、怒ったり泣いたり笑ったりしようねといっぱい話して二人で泣きました。途中ママが「ママのバカ、早くTくんの気持ちに気づかなきゃ」と言うと、「ママはバカじゃない」と何度も言い大泣きで、
「Kくんもバカじゃない、パパもバカじゃない、Tくんもバカじゃない」
「ぼくは悪くない」
とたくさん泣けました。その間Kくんはずっと横で静かに聞いていて、最後は嬉しそうに笑ってました。 

 その午後、おばあちゃんの家の庭に花が咲いたのを見て、Tくんと「お花きれいだね、春がきたんだね」と話しました。Tくんに近づけた気分のママが「Tくんとママにも春がきたかなあ」と聞くとTくんがニヤッと笑って、「まだまだ」との答え(確かにTくんの言うとおりのようです)。
 二人とも元気になってよかったと思えたのも束の間で、4/1Kくんが激しい下痢と嘔吐に見舞われました。三日間物が食べられず、すっかりやつれたKくんに少し元気と食欲が戻ってきたとき、次はTくんの番でした。Kくんと同じ状態の繰り返しで、昼間は実家にいることが多く、おとなの手は足りているのですが、二人共ママに抱っこしてほしく、体が二つ欲しいと思いました。以前Kくんが赤ちゃんだった頃、夕方になるとぐずって二人いっぺんに長い間泣かれたときも体が二つあればと思ったのですが、それはただ泣きやんで静かになって欲しくてそう思いました。今回は二人の気持ちが切なくて、純粋にその時の気持ちにそれぞれこたえてあげたいと思いました。

 そうは思っていても少しずつすれ違って、TくんもKくんも体調不良もあり、ストレスが増え、Kくんはヤダ、ちがう、いらないの繰り返しでママが抱っこしようとすると嫌がり、おばあちゃんにべったりくっつき離れず、オヤツや遊んでいる時でも、少しでも思うようにいかないとすぐ、ビエンビエン泣き出すようになりました。これは大変、とKくんの方に気がいくとTくんがKくんに攻撃を加え始め、軽くかんだりほっぺをつねるようになり、話をすると、ママはTくんのママ、Kくんのママじゃない、おっぱい全部のみたかった、Kくんはいなかったらよかった、パパとママを独り占めできたのに、とだしてきて、少しすっきりしたようですが、それを聞いていたKくんはつらくなり、ママがKくんの方に向き合うとまたTくんが・・・といった感じだし、下痢は続くし。

 外は桜が満開なのに我が家だけ春に取り残された気分でした。体調も良くなるに連れてKくんは落ち着いてきたようです。TくんはKくんの言動に「Kくんって変」「Kくんべー」「Kくんのバカ」と言葉で攻撃したり、ほっぺ、手、足をつねったり手がでてしまいます。Kくんもすぐ泣くのですがTくんの調子が悪いと心配なようで、おどけてみせたりしています。

 Kくんは乳児学園に通い始める不安を解消する暇なく、休みが終わってしまいましたが、二人とも始まるのを楽しみに待っていました。まだ体が完全に回復していませんが、この一年間もよろしくお願いします。

「抱っこの不思議」

 先週月曜に娘に大きな変化が起きました。娘のことで、私がまたもや大噴火をおこし、子どもたちを保育園に送った後一人で怒りを爆発させ、その後散々泣きました。娘や息子が抱っこされて激しく泣くのにかなり近い泣き方ができるようになりました。

 長い時間激しく泣くと、その後は心地よい疲れといいますか、そんなものを味わいながらしばらく午前中はぼんやりしていました。

 その次の日から、娘が今までなら例の「唸り声」を上げる場面で泣くようになってきたのです。初めの1,2回は私が少々強引に泣くように仕向けたのですが、その後はそんな小手技を使わなくても泣くようになってきました。これはかなり大きな変化だと言っていいと思います。

 母親が泣けるようになってきたら、子どもも泣けるようになってきたんでしょうかね・・。それにしても不思議ですね。

 それと、最近子どもが落ち着かなくなってきたサインをだいぶ見抜けるようになってきました。娘や息子もお父さんがずっといない(入院中)ので、はっきりと目に見えて落ち着かないわけではないのですが、手をつなぎたがらなかったり、なんか聞き分けがなかったりしてるので、抱っこしてみました。

 娘は昨日はお父さんがいない、ということが大きな訴えではなかったようです。抱っこして赤ちゃんを寝かすように「ゆーらゆーら」とやっていたら、ものすごく異様に反応しました。それこそ「エクソシスト」の悪魔払いでもやってるかのように、ものすごい形相になってこっちがこわくなるくらいでした。これだけ反応するということは、こんな風にやってもらいたかったということでしょうか?

 私も昨日一人で自分の心の中を探っていましたら、どうやら誰かの膝で思いっきり泣きたかったのだということに気がつきました。そうしてもらっているところを想像すると、ものすごく涙が出てくるので・・。

 それと、娘からずっと逃げたい逃げたいと思っていた自分がいることもわかりました。「そうだ、私は○子から逃げたかったんだ」と口に出すとダーっと涙がでてきます。そして、何度も口に出すと落ち着いて、今は娘とちゃんと向かい合えるようになったような気がします。

 心というものは不思議ですね。自分が忘れてしまって思い出せない記憶や想いであっても、その部分のつぼを押すようなことを言われると、激しく反応して涙が出てくるので「ああ、私はこういうことを切望していたんだ」とわかるのです。

 娘は激しく泣いた後、珍しく私にぴったり寄り添って向かい合って抱っこされながら、「ブロッコリー食べさせられたのがイヤだったんだ」とか、「ばかって言われたのがいやだった」と訴えました。

 そして、今朝は起きてすぐにカーテンを開けてくれたり、「着替える」と言って着替えたりしました。少しすっきりしたみたいです。抱っこ法について、理解が一つ実感として深まったと思いました。

 ところで娘が泣いていた理由ですが、昨日はっきりしました。昨日も試しに抱っこしてみたのですが、やはり赤ちゃん抱っこしてゆらゆらするとものすごく反応するのです。しばらくやっていて今度は立って「ゆーらゆら」とやりだすと更に泣き叫び、「座ってー!!座ってー!!」と叫びます。

 なんだか赤ちゃんを寝かしつけてるみたいだなと思いながらやっていて、ふと気が付きました。ちょうど先日『ダダこね育ちのすすめ』を再読していて、「子どもは思いのほか親想いで、自分が夜中泣いて親が眠れなかったことを悪かったと思っている」というのを思い出しました。もしかしてそれなのかなあ・・?と思っていたら、娘がおしっこをもらしたので抱っこは中断となりました。

 でもその後お風呂に一緒に入っているときに試してみました。手などを握っていると、反応が現れますよね。それで、私は娘の手を握りながら自分が思いついたことを3つ、話してみました。

(1 )「○子はもっと赤ちゃんみたいに抱っこしてもらって寝かせてもらいたかったのかなあ?」
反応はありません。

(2)「○子は赤ちゃんの時、夜中何度も泣いてお母さんやお父さんが交代で抱っこしてあやしてたの、覚えてる?」
こういうと手を振りほどこうとします。これだ!と思いました。

(3)「○子は赤ちゃんの時、電動ラックで揺られながら寝てたよね。あれ、いやだったのかな?」
反応なしです。

 さらに、寝かしつける時にまた思い当たる節があって聞いてみました。
「○子、赤ちゃんの時何度も夜泣きしてお母さんたちに迷惑かけたと思ってるの?」
娘はうなづきました。
「それで、もう泣いたらいけないと思った?」
これにもうなづきました。なんかとてもが合点のいく出来事でした。子どもというのはほんとに親のことを心配しているんですね。

「赤ちゃんは泣くもんだよ。もう気にしなくていいんだよ。それに今はもう夜中泣いて起きたりしないから大丈夫よ。昼間たくさん泣いていいんだよ」
というのを娘はじっと聞いていました。

 抱っこ法ってほんとにスゴイし興味深いと思いました。

「春はまだ先」
 
 春休みが終わります。この休みはTもKも体調がすぐれず、外へ出ることができず、家の中でビデオを見る時間が増え、肉体的、精神的ストレスがたまった休みになってしまいました。その様子を初日の手紙にしたいと思います。

 まずTくんが3/25(水)から発熱、3日間高熱が続きました。やっと熱が下がりかけた頃、トイレでウンチを頑張っているTくんとの会話の途中、Tくんの言ったことに少しムッとしてしまいました。それに気づいたTくんが「ママ怒らないで。ぼく怒ってないよ。(いつも)ぼくは怒ってないよ」ママ「怒っていいんだよ」Tくん「ぼくは怒らない」何度か同じ会話を繰り返し、「ぼくは怒らないからママも怒らないで。ママが怒るのイヤ」と言い、トイレから出た後もぼくは怒らないといい続けました。何だか様子が変だなと思ったのですが、その時はそれで終わりました。

 熱が下がった日の朝(3/30)、元気なようだけど食の進まないTくんにイラついて「食べないと買い物一緒に行けないよ」とつい言ってしまい、Tくんを泣かしてしまう。そのころのKくんは「ママじゃないパパがいい」ということが多くママを無視したりヤダということが多くなり、Kくんも微熱が続いていたのに、Tくんにつきっきりでかまってあげられなかったからと思い、Kくんに謝って、いっぱい仲良くしようねと話したら納得したようで、ママとKくんは仲直りができていた。それがうらやましいのか、風邪ですっかりこたえてしまったのか、Tくんはママに救いを求めているようなので「Tくん熱が出てつらかったね」と話を始めました。

 Tくんが高熱を出したのを見て、私も小さい時に辛かったのを思い出せました。熱が高くてつらかった。その私を心配そうにのぞきこむ母の顔、そのお母さんを見て、また私が熱をだしたからお母さんに心配させると心苦しく感じたこと、大嫌いだった薬、イヤダ飲みたくないとずっと思ってた。熱がでて一人布団に入っていると孤独だった。みんながごはんを食べてるのに起きあがれなかった。そんなことを思い出して一人で泣けました。すると気持ちが楽になって、その朝 Tくんに「ママ、Tくんが教えてくれたから苦しかったことを思い出せて楽になったんだよ。Tくんありがとう」と言うと、

Tくん「ぼくはまだ苦しいよ」
ママ「二人でたくさん泣いて苦しいの全部なくしちゃおう」
Tくん「泣かない」

 話しているうちに泣くのは悪い子だから、いい子は泣いてママを苦しませたりしないというのでした。それから横抱きはしませんでしたが 、ゆっくり膝の上で抱っこして、Tくんが赤ちゃんの時かわいいと思えなかったことを謝ったり、怒ったり泣いたり笑ったりしようねといっぱい話して二人で泣きました。途中ママが「ママのバカ、早くTくんの気持ちに気づかなきゃ」と言うと、「ママはバカじゃない」と何度も言い大泣きで、
「Kくんもバカじゃない、パパもバカじゃない、Tくんもバカじゃない」
「ぼくは悪くない」
とたくさん泣けました。その間Kくんはずっと横で静かに聞いていて、最後は嬉しそうに笑ってました。 

 その午後、おばあちゃんの家の庭に花が咲いたのを見て、Tくんと「お花きれいだね、春がきたんだね」と話しました。Tくんに近づけた気分のママが「Tくんとママにも春がきたかなあ」と聞くとTくんがニヤッと笑って、「まだまだ」との答え(確かにTくんの言うとおりのようです)。
 二人とも元気になってよかったと思えたのも束の間で、4/1Kくんが激しい下痢と嘔吐に見舞われました。三日間物が食べられず、すっかりやつれたKくんに少し元気と食欲が戻ってきたとき、次はTくんの番でした。Kくんと同じ状態の繰り返しで、昼間は実家にいることが多く、おとなの手は足りているのですが、二人共ママに抱っこしてほしく、体が二つ欲しいと思いました。以前Kくんが赤ちゃんだった頃、夕方になるとぐずって二人いっぺんに長い間泣かれたときも体が二つあればと思ったのですが、それはただ泣きやんで静かになって欲しくてそう思いました。今回は二人の気持ちが切なくて、純粋にその時の気持ちにそれぞれこたえてあげたいと思いました。

 そうは思っていても少しずつすれ違って、TくんもKくんも体調不良もあり、ストレスが増え、Kくんはヤダ、ちがう、いらないの繰り返しでママが抱っこしようとすると嫌がり、おばあちゃんにべったりくっつき離れず、オヤツや遊んでいる時でも、少しでも思うようにいかないとすぐ、ビエンビエン泣き出すようになりました。これは大変、とKくんの方に気がいくとTくんがKくんに攻撃を加え始め、軽くかんだりほっぺをつねるようになり、話をすると、ママはTくんのママ、Kくんのママじゃない、おっぱい全部のみたかった、Kくんはいなかったらよかった、パパとママを独り占めできたのに、とだしてきて、少しすっきりしたようですが、それを聞いていたKくんはつらくなり、ママがKくんの方に向き合うとまたTくんが・・・といった感じだし、下痢は続くし。

 外は桜が満開なのに我が家だけ春に取り残された気分でした。体調も良くなるに連れてKくんは落ち着いてきたようです。TくんはKくんの言動に「Kくんって変」「Kくんべー」「Kくんのバカ」と言葉で攻撃したり、ほっぺ、手、足をつねったり手がでてしまいます。Kくんもすぐ泣くのですがTくんの調子が悪いと心配なようで、おどけてみせたりしています。

 Kくんは乳児学園に通い始める不安を解消する暇なく、休みが終わってしまいましたが、二人とも始まるのを楽しみに待っていました。まだ体が完全に回復していませんが、この一年間もよろしくお願いします。

「抱っこの不思議」

 先週月曜に娘に大きな変化が起きました。娘のことで、私がまたもや大噴火をおこし、子どもたちを保育園に送った後一人で怒りを爆発させ、その後散々泣きました。娘や息子が抱っこされて激しく泣くのにかなり近い泣き方ができるようになりました。

 長い時間激しく泣くと、その後は心地よい疲れといいますか、そんなものを味わいながらしばらく午前中はぼんやりしていました。

 その次の日から、娘が今までなら例の「唸り声」を上げる場面で泣くようになってきたのです。初めの1,2回は私が少々強引に泣くように仕向けたのですが、その後はそんな小手技を使わなくても泣くようになってきました。これはかなり大きな変化だと言っていいと思います。

 母親が泣けるようになってきたら、子どもも泣けるようになってきたんでしょうかね・・。それにしても不思議ですね。

 それと、最近子どもが落ち着かなくなってきたサインをだいぶ見抜けるようになってきました。娘や息子もお父さんがずっといない(入院中)ので、はっきりと目に見えて落ち着かないわけではないのですが、手をつなぎたがらなかったり、なんか聞き分けがなかったりしてるので、抱っこしてみました。

 娘は昨日はお父さんがいない、ということが大きな訴えではなかったようです。抱っこして赤ちゃんを寝かすように「ゆーらゆーら」とやっていたら、ものすごく異様に反応しました。それこそ「エクソシスト」の悪魔払いでもやってるかのように、ものすごい形相になってこっちがこわくなるくらいでした。これだけ反応するということは、こんな風にやってもらいたかったということでしょうか?

 私も昨日一人で自分の心の中を探っていましたら、どうやら誰かの膝で思いっきり泣きたかったのだということに気がつきました。そうしてもらっているところを想像すると、ものすごく涙が出てくるので・・。

 それと、娘からずっと逃げたい逃げたいと思っていた自分がいることもわかりました。「そうだ、私は○子から逃げたかったんだ」と口に出すとダーっと涙がでてきます。そして、何度も口に出すと落ち着いて、今は娘とちゃんと向かい合えるようになったような気がします。

 心というものは不思議ですね。自分が忘れてしまって思い出せない記憶や想いであっても、その部分のつぼを押すようなことを言われると、激しく反応して涙が出てくるので「ああ、私はこういうことを切望していたんだ」とわかるのです。

 娘は激しく泣いた後、珍しく私にぴったり寄り添って向かい合って抱っこされながら、「ブロッコリー食べさせられたのがイヤだったんだ」とか、「ばかって言われたのがいやだった」と訴えました。

 そして、今朝は起きてすぐにカーテンを開けてくれたり、「着替える」と言って着替えたりしました。少しすっきりしたみたいです。抱っこ法について、理解が一つ実感として深まったと思いました。

 ところで娘が泣いていた理由ですが、昨日はっきりしました。昨日も試しに抱っこしてみたのですが、やはり赤ちゃん抱っこしてゆらゆらするとものすごく反応するのです。しばらくやっていて今度は立って「ゆーらゆら」とやりだすと更に泣き叫び、「座ってー!!座ってー!!」と叫びます。

 なんだか赤ちゃんを寝かしつけてるみたいだなと思いながらやっていて、ふと気が付きました。ちょうど先日『ダダこね育ちのすすめ』を再読していて、「子どもは思いのほか親想いで、自分が夜中泣いて親が眠れなかったことを悪かったと思っている」というのを思い出しました。もしかしてそれなのかなあ・・?と思っていたら、娘がおしっこをもらしたので抱っこは中断となりました。

 でもその後お風呂に一緒に入っているときに試してみました。手などを握っていると、反応が現れますよね。それで、私は娘の手を握りながら自分が思いついたことを3つ、話してみました。

(1 )「○子はもっと赤ちゃんみたいに抱っこしてもらって寝かせてもらいたかったのかなあ?」
反応はありません。

(2)「○子は赤ちゃんの時、夜中何度も泣いてお母さんやお父さんが交代で抱っこしてあやしてたの、覚えてる?」
こういうと手を振りほどこうとします。これだ!と思いました。

(3)「○子は赤ちゃんの時、電動ラックで揺られながら寝てたよね。あれ、いやだったのかな?」
反応なしです。

 さらに、寝かしつける時にまた思い当たる節があって聞いてみました。
「○子、赤ちゃんの時何度も夜泣きしてお母さんたちに迷惑かけたと思ってるの?」
娘はうなづきました。
「それで、もう泣いたらいけないと思った?」
これにもうなづきました。なんかとてもが合点のいく出来事でした。子どもというのはほんとに親のことを心配しているんですね。

「赤ちゃんは泣くもんだよ。もう気にしなくていいんだよ。それに今はもう夜中泣いて起きたりしないから大丈夫よ。昼間たくさん泣いていいんだよ」
というのを娘はじっと聞いていました。

 抱っこ法ってほんとにスゴイし興味深いと思いました。