こわがる

【地震の慰め】

 Wちゃんは1歳2ヶ月。大震災があったとき、茨城のママの実家にいたそうです。大きな揺れを感じて、すぐにママはWちゃんを抱いて家の外に飛び出し、治まるのを待ちました。おばあちゃんが車で出かけていたので、ママはそのことが先ず心配になり、携帯電話をかけましたが、すでに通じなくなっていて、連絡がとれないことで余計に心配がつのりました。仕事に行っていたパパともおじいちゃんとも連絡がとれず、更に心配が大きくなりました。

 さいわい家族はみんな無事でほっとしました。でも、実家の家はものが落ちたり倒れたりめちゃくちゃで、停電もして、その夜はやっと寝られるスペースを作ったけれど、おとなはみんな眠れませんでした。実家の屋根や壁にも被害を受けて、津波の被害は受けなかったけれど、地震の大きさをあらためて感じたそうです。電車が動かなくなっていたのでパパが何とか車で迎えに来てくれて、自宅に帰ってきたのは4日後だったそうです。

 予約をされたのは地震の前で、4月から保育園にWちゃんを預けることになるので、その前にそのことを巡って、気持ちを聞いたり慰めたりしたいということでした。でも、予約日に来られたときには、先ず地震のことを慰めたいと、ママの思いが変わっていました。それはそうですよね。

 ママは癒しの抱っこは今までもしてきたので、ママに横抱っこして始まりました。ママが上記のような地震の日からのようすを、援助者に話す間、Wちゃんは泣いたり泣き止んだりしながらママの話に付き合っていました。ママの話しがおおむね終わったときに、今度はWちゃんに「怖かったね」「心配だったね」など、慰めの言葉をかけていただきました。Wちゃんは少しは反応するのですが、それだけでいいの?というくらいの感じでした。

 ひとしきり地震の慰めはしてみたのですが、思ったほどではなく、ママに守られていたので、Wちゃんは大丈夫だったのかしらね、と地震のことから保育園のことに話題が移りました。

 それから3週間目の次の予約日。Wちゃんは保育園に行ってママを助ける覚悟ができているようで、ちょっぴりお兄さん顔になっていました。初めは慣らし保育で早くお迎えで、段々に時間が長くなるという話しも、納得して聞いていました。それでも保育園生活の日々のストレスは、子どもなりにあると思うので、泣き上手になっているといいね、帰ってきたときにちょこっと抱っこして一泣きするのもいいね、と話して、その日もひとしきり泣き上手の練習をしました。ところが、今日はもう終わりかなと思ったところから、地震のことで大泣きとなりました。

 ママと援助者が、放射能の怖さなど地震のその後のようすを話していたら、Wちゃんがむずかりだしたのです。そこでママに抱っこしてもらい、「怖かったね」「心配だね」と慰めると、大泣きになったのです。Wちゃんはとても怖かったというように、身もだえして泣いていました。身もだえするWちゃんをママがしっかり抱きしめることで、怖さをぬぐいとってもらうことになるのですね。ママは必死で抱きながら、「怖かったね」と心から慰めてくださいました。でも、Wちゃんの大泣きははなかなか収まらず、途中で縦抱っこにして、今日はこのくらいね、また怖い気持ちを聞いてもらおうね、と終わりにしました。

 ママは前回来たときに、地震のことには反応があまりなかったし、ママの気持ちもあの時よりずっと落ち着いて来ていたので、この日に地震のことでこんなに大泣きになることに、少しびっくりされていました。たぶんWちゃんは、ママが少し落ち着いて来たからこそ、訴えられるようになったのでしょう。

 ママが大変すぎるときには、子どもは協力して頑張ってくれるのですよね。こんなふうにママの気持ちと子どもの気持ちに、時間差ができることはあるのですよね。もしかしたらもっと後に、なんでこんなことくらいでこんなに泣くの?と、ママが戸惑うような感じで、地震の怖さを訴えてくるお子さんもいるかもしれません。

 まだまだ続く余震や放射能汚染、ママの不安はそう簡単には収まりません。でもママが不安に押しつぶされてしまうと、子どもは一人で頑張りきれなくなって心許なくなり、いろんなサインを見せるようになるでしょう。ママが少し落ち着いたときに、ぜひ慰めてみてくださいね。援助者もお手伝いしますから、連絡をくださいね。

【地震で5歳の娘がショックを受けて】

〈第1信〉

 こんばんは。いつもお世話になっております。この場をお借りしてお聞きすることどうぞお許しください。

 今回のこと(東日本大地震)で、5歳の娘がショックを受けているようです。いつも野ザルのようにかけまわっているのに、外にもでず、私のそばを離れず、食事も喉を通らないようです。本人は普通に振舞っているようですが、ぼーっとしていて、ぬりえをしている手もとまっています。


〈返事1〉

 治癒力を上げるのに有効なのは笑うことだとの投稿があったので、泣くことも有効だと言っておきます。涙を流すとストレスが洗い流されます。そして免疫細胞のNK細胞が活発に動き出します。

 不安や怖れは一人で抱え込まずに共感して言葉にして手放しましょう。おなかがはっている妊婦さんは吐く息を忘れないでください。吐く息を促進するのが笑うという行為です。笑えない人は泣き声や大きな声で吐く息を促すといいとおもいます。誰かに気持ちを受け止めてもらってください。一人になることはさけましょう。

 PTSDをつくらないためには泣ける機会が早く作れることだと考えます。注射を恐がり泣いた子達は泣かずに我慢した子の四分の一のストレスで済むようです。


〈返事2〉

 いつも野ザルのようにかけまわる5歳の娘さんの話し、読ませていただきました。ご心配ですね。

 でも、娘さんはちゃんとお母さんという安心基地で、心の自己治癒をしている最中です。外へ行かず、お母さんのそばにいるのはそのためです。できれば、怖かったという思いを聞いてあげると、つまり泣かせてあげられると、マイナス感情が解放できて、いつもの元気な娘さんに戻るのが早まります。

 そのためには、お母さんも怖かったという気持ちを押さえ込まず、お互いに「怖かったねぇ」と、手を取ったり抱っこしたり体を触れ合わせながら言い合うといいです。あるいは、何かのきっかけで娘さんが泣いたりごねたりした時、「地震、怖かったね」と話題を持ち出してもいいです。その時、娘さんは泣くまいとして抵抗するかもしれませんが、「泣くと元気になるんだよ」と伝えてあげるといいです。

 強く抵抗するようなら、「離さないぞぉ」とちょっとふざけて捕まえてから、「あぁ逃げられたぁ」とわざと逃がして遊びにするといいです。体のやり取りで甘えてもらえると、娘さんには安心感が伝わりやすくなりますから。涙を流すことで、地震によるストレスが溶け出してスッキリしますからね。

 ちょっと恥ずかしいというのであれば、少し時間を作って、一緒に自由に絵を描いてもいいです。お母さんが好きに色を塗ったり、デタラメでいいのでぐるぐるの線を描いたりしてみせると、自由に絵を描いてもいいことが娘さんに伝わると思います。塗り絵が好きな娘さんのようですから、お母さんが誘って、一緒に好きな色で塗るといいですよ。その時の気分で好きに塗るのがコツです。空は青いから青で塗らなきゃなんて指導しないことです。黒でしか塗りたくなかったらそれでもいいんです。絵を描いたり色を塗ることで
気持ちの解放ができますし、癒しも起きますから。まずは、お母さん自身が気持ちを解放する気持ち良さをどうぞ、味わってみてください。


〈第2信〉

 5歳児野ザルの母です。お返事が遅くなり、大変申し訳ございませんでした。わざわざ本当にご丁寧にご助言くださり涙が溢れてしましました。「今までやってきたとおりでいいんだ!」とほっとしました。

 その後、ご助言いただいたとおり「地震こわかったね~」と娘にふりました。すると「ママ、いわないでよー。思い出したらこわくなってきたじゃないのよー!」との回答。なので「ママだってこわかったのよー」と言うと、「ママはこわいものあるの?」と尋ねてきましたので、「うん。あとカミナリ。火事。オヤジ・・・?」と言いますと、「なにそれ~!!」と娘からわたしに身体をスリスリしてきました。しばしスリスリゲームを楽しんだあと背中で7ヶ月の次女を寝かせ、おんぶしながら時間の許す限り、手作りきせかえ(作らされました)であそびました。

 その午後、自然と娘から隣家の実家にあそびに出ていってしまいました。

 その夜発熱をしまして、多分9度ちかくあったでしょうね、クーリングしたり、普段は熱くてやめてと断られる愉気も快く受け入れてくれいろいろお手当てしていましたら、朝になり(娘が先に起きまして)、「ママー!熱さがったよ~!あ~すっきりした~」などと言ってきまして、さらに「ママ~。きのうは看病してくれてありがとうね」などと言ってきました・・・

 今回のことで感じたのは、「私自身が楽になっている」ことでした。娘の行動を介して、実は母であるわたしが手放せていない部分があった、母だからこの子達を守らなきゃ、とがんじがらめになり呼吸していなかったことに気付きました。ブリージングで体感したことはっきり思い出しました。

 それからは妊娠中に毎日やっていた、恒例のお風呂で歌謡ショー(?)をやっています。大きな声でホ・オポノポノ(歌があるんです)を歌ったり、そうてつローゼンのテーマ曲を歌ったり。こんなときに歌なんて・・・。どうぞお許しください。でもいいんです。わたしがいまできること、それは、いま目の前で生きているこの命を全うさせることに従事したいのです。

 ほんとうは出来ることなら現地に行って、せめてバイタルくらいははかれる、おじさんだっておばさんだって、背中をさすることくらいはできる、小さな子供たちを抱きしめてあげることくらいならできる、片方のおっぱいをあげることくらいならわたしにだってできるのに、と自分の無力さを感じます。

 わたしは女で生まれた以上、社会の底辺である「おんな」を全うしたいとおもいます。バースのMLを利用させていただけることに心より感謝申し上げます。