癒しの子育てとは

 昨日も街角で、2歳くらいの子どもをイライラした口調で叱りつけているお母さんを見かけました。そんな光景を見るたびに、いつも心が痛みます。叱っているお母さんの苦しい気持ちが伝わってくるからです。叱られている子どもの苦しい気持ちが伝わってくるからです。

 お母さんだって、かけがえのないわが子ですから、「かわいい」とも、「大好き」とも、「すてきよ」とも言いたくてウズウズしているに決まっています。

 子どもだって、大好きなお母さんをイライラさせてうれしいはずはありません。心の底では、聞き分けよくしたい、お母さんとしあわせに暮らしたい、とウズウズしているのです。それなのに――。

 そして今日は、もうじき誕生日を迎えるという赤ちゃんを思いきり叩いてしまった、というお母さんの切なげな声を相談の場で聞きましたが、そうせずにはいられないお母さんの苦しみを感じて、たまらなくいじらしくなりました。

 表面に現れたところだけを見て、お母さんがいけない、お母さんの育て方が悪い、お母さんの愛情が足りない、などと断罪するのは間違いです。「そんなふうに親に甘くしていたら子どもはどうなるのだ」と言われても、逆に、「母親を責めて子どもがどうなるのか」と反問することしかできません。お母さんを責め地獄に追いやるだけで、何の役にも立たないのです。

  ひとつ曲がり角
  ひとつ間違えて
  迷い道くねくね
     (渡辺真知子「迷い道」)

という歌の文句さながらに、親も子も迷い、苦しみ、助けを求めているのです。〈曲り角〉を間違えたのだったら、やっぱり間違えた親が悪いではないか、などと思わないでくださいね。

 癒しの作業はいつでも、過去に向かうことから始まって、新たな気持ちで未来に向かうようになります。過去を生き直すことをいまここでの作業としておこなうのですが、そんなとき、私たちは自分を責めることに慣れっこになっているので、「あーあ、あのとき、ああさえしなければよかったのに」という自責の念にとらわれてしまいがちです。

 でも、実際は、家庭から社会へと広がり、世代から世代へと連なるしがらみのなかで、間違えるべくして間違えてきたのです。うっかりミスなどではけっしてありません。これは、むしろ必然的な成り行きであって、〈間違えた〉という表現さえどうかと思うほどです。あるお母さんは、こう書き送ってくれました。

 先日は名古屋でのご指導ありがとうございました。自分が生まれたときに進もうとしていた道からずいぶんと脇道に行っていたのに気づき、その本道に戻り得たような気分です。自分がやっと生まれたような感じで、今からがスタートなんだと思って、とっても感動していました。そして周りの環境にも何だか感動していました。脇道を歩いていたがゆえの感動なのでょうね。今からがまた大変なのかもしれませんが、わくわくします。自分の力でがんばってもどうにもならないときには、みんながいてくれると思えるからです。前の私は「自分がんばらねば」というのが強くて、いつも力が入りすぎていたのでしょうね。今度の抱っこ法では、人はみなつながっている、とつくづく感じました。自分がずいぶん楽になれたようです。

 そうなのです。だから、子どもが気がかりな様子を見せるようになったとき、断じて〈母原病〉〈父原病〉といったたぐいの名前で呼ぶべきではありません。

 自分の名前を変に間違えられたら、誰だって腹を立てますよね。それはちょうど、ミヒャエル・エンデ作の絵本『おとなしいきょうりゅうとうるさいちょう』(虎頭恵美子訳、ほるぷ出版)に出てくる、火を吐く恐竜のようなものです。その絵本では、自分のことを〈恐がる竜〉と本に書かれているのを知った恐竜が、
「おれは、〈恐い竜〉なんだ。〈恐がる竜〉なんかではないぞ」
と烈火のごとく腹を立てあげくに、とうとう頭が痛くなって病気になってしまいます。

 もっと楽な育て方がありますよ。もっとハッピーな生き方がありますよ。あの曲がり角に向けてこう行けば、ちゃんと元の道に戻ることができますよ。そのノウハウを世のお母さんたちにお伝えしたい。 

 ところで、寝る子は育つ、と言います。子どもというとちょうど、ミヒャエル・エンデ作の絵本『ゆめくい小人』(佐藤真理子訳、偕成社)の舞台となる〈まどろみ国〉の住人のようなものです。

 まどろみ国の人々は、眠ることがいちばんだいじな仕事です。でも、大切なのは長く眠ることではありません。ぐっすり眠ることです。よく眠れば、気持ちが優しくなり、頭はスッキリする――まどろみ国の人々は、そう考えています。

 人間界のお母さんたちも、きっと同じように考えているでしょうね。だから、寝起きが悪かったり夜泣きがひどかったりするとひどく心配して、自分も眠れずに悩むことになります。ときには、お母さんこそ泣きたい思いになることでしょう。

 現に、ある日の講演が終わって、私の目の前に連れてこられた生後7か月の赤ちゃんもやはりそうでした。3週間ほど前から夜中にすぐ目が覚めるようになってしまったので、お母さんは心配でたまらないと訴えます。この赤ちゃんも、何かこわい夢を見るようになったのでしょうか。

 まどろみ国の<すやすやひめ>もまた、ときどきこわい夢をみるようになってから寝るのがこわくなって、日に日に顔色が悪くなりました。王さまもおきさきさまも、心配のあまり眠れなくなりました。それを救ったのが〈ゆめくい小人〉です。こわい夢をみそうになったとき、小人が教えてくれた呪文を唱えると、小人が飛んできてこわい夢を食べてくれるのです。どんな呪文だったか、私はよく覚えていません。たしか、こんな文句で始まっていたような気がします。

  ゆめくい小人 ゆめくい小人
  つののナイフ もって きておくれ
 
 眠れないお子さんをもつご両親で、ぜひ正確な呪文を知りたいという方は、じかに絵本を読んでくださいね。この呪文のおかげで、おひめさまはすやすや眠るようになり、ほっぺもまたふっくらと赤くなったそうです。めでたし、めでたし。

 こんなふうに、呪文を唱えるだけで眠れるようになったらすてきですね。でも、この本では、呪文とは別の方法紹介するつもりです。それというのも、私が呪文にはあまり詳しくないからです。親に気をもませることになる子どもの行動や状態は、眠れないことのほかにも何百とあるのですが、残念なことに私は、5つか6つくらいの呪文しか知らないのです。

 そこで、
「3週間ほど前というと、何か思い当たることがありますか」
と、私はお母さんにたずねました。赤ちゃんはお母さんと向き合ったまま抱っこひもで抱かれてるので、私に横顔がちょっと見えるだけです。
「これといってないんですよ……」
「赤ちゃん自身のことかもしれないし……お母さんのことかもしれないし……お父さんのことかもしれないし……」
と、ゆっくり間をおきながら話ていくと、「お父さん」のところで、赤ちゃんが足をばたばたさせました。
「あ、お父さん? ……でも、赤ちゃんが直接お父さんのことを心配しているというよりも、お父さんのことで心配しているお母さんを心配しているのかもしれませんね」
「だって、うちは夫婦円満ですよ」
と、お母さんが笑いながら口をとがらせます。
「いや、そういうわけじゃなくて……。お父さんが心配といっても、いろんな場合があるでしょ。お父さんの健康のこととか……仕事のこととか……」
とまで言いかけると、また足をばたばたさせました。お母さんも「あっ」と気がついた様子で、
「お父さんが仕事のことで大きな心配を抱えているんですよ、いま……」

 その言葉を聞くと、赤ちゃんは足をばたばた、ばたばたと動かし続け、顔もお母さんを見上げようとしました。まるで、
「それだよ、それだよ」
と言おうとしているかのようでした。
「ああ、そうだったのか」
と安心できたようです。
「おうちに帰ったら、いま講演でお聞きになったようにして、お子さんを癒してあげてくださいね」
お母さんは、
「そうしてみます」
と言い残して帰っていきました。

 こんなちょっとした助言だけで、いつでもうまくいくというものではないのですが、たぶんこの赤ちゃんは、その夜からまた眠れるようになったのではないか、という気がしています。

 これが、癒しの子育てのほんの一例です。呪文をつかう方法よりはちょっとめんどうですね。でも、これには大きなメリットもありますよ。それは、癒しのやりとりの過程で、お互いの気持ちがますます通じ合うことです。わけも分からずどうして眠れないのだろう、いったいどうしたらいいのだろう、と困っていたのが、ああ、こういう心配で眠れなかったんだ、と納得がいき、ましてその心配が、自分たち親のことを心配してくれていたんだ、ということになれば、親子のきずなが前にも増して強くなる、というものではありませんか。

 ところで、呪文を使う方法と、この本で紹介している癒しの子育ての方法のあいだに、共通点がひとつあります。それは、誰か専門家にやってもらうのではなく、親が自分で取り組むところです。〈すやすやひめ〉のお父さん(つまり王さまです)も、最初は国じゅうにおふれを出して人頼みをしたのですが、最後には自分が旅に出て、吹雪の中を道に迷って、もうどうしていいのか分からなくなったところで、求める答え、つまり〈ゆめくい小人〉に出会ったのです。

 さあ、あなたも癒しの子育ての旅に出ませんか。私たちは、その旅先で、必要なときのガイドになれたらと思っています。

 あなたの旅立ちを祝福して、またもやミヒャエル・エンデの作品からですが、すてきな言葉をひとつ贈りましょう。私はエンデの作品が大好きです。物語をとおして読者の癒しを助けようとしたエンデはすでに他界しましたが、癒しの本質をとてもよく知っていた作家でした。数ある登場人物のなかでも、私はとくに、『はてしない物語』(上田真而子・佐藤真理子訳、岩波書店)のなかで重要な役回りを演じている、フッフールと呼ばれる〈さいわいの竜〉が大好きです。

 フッフールが〈さいわいの竜〉と呼ばれるわけは、彼がひたすら人々のしあわせを願っているからなのですが、そのフッフールが持っているすてきな信念をあなたに贈りたいのです。それは、たとえどんなに困っていたとしても、
  
 いまにきっとうまくいく

というものです。

――『「大好き」を伝えあう子育て』(中央法規出版)の「まえがき」をもとに書き直しました。

★体験談「相談に伺って感じたこと」

 昨日は私たちのために、お時間をとって頂きましてありがとうございました。

 毎回伺う度に感じることですが、子どものすばらしさ、愛らしさ、思いやりとけなげさに感動し、また先生方のやさしさに包まれた時間を過ごすことができました。

 日々成長していく娘につき合いながら、その育て方に不安を抱えておりましたので、昨日伺うことが楽しみでした。ですから先生からよくやっているとおしゃっていただいて、ホッとして心が軽くなりました。

 ついつい頑張らなきゃと思いがちなところ、甘え下手、やだやだ下手なところも先生のおっしゃる通りでした。自分のことを振り返ることもなかったので改めて教えていただき、私の苦手な事が分かりました。

 私も、もっと楽に楽に…そのままの私で娘は好きなんだ。

 娘が思った以上に私のことを心配してくれていたこと、そのやさしさ、本当にうれしいです。仕事や家族のこと、私が感じるそのままが伝わっているということがよく分かりました。あまりにもハッキリと反応がでて、ビックリしましたけど。

 園に着いてがんばりたいという気持ちがあるということ。それを大事にし、二人で思い切り泣き別れをして、がんばれた後には思いきり甘えさせて、ありがとうとギューッとしてあげたいと思います。もっともっとこの子と対話していきたいです。

 先生、またこの子の成長、私の成長について、相談にのって下さいね。宜しくお願いします。

★体験談「Sくんの抱っこ」

 今晩は。現在、夜の11時ですが、たった今、すばらしい抱っこ法をして、感動のまま、手紙を書こうとしています。さっき、テレビを見て、その内容(赤ちゃんが胎児のうち、手術して肺の異常をとり去り、それに成功したという話でした)に私がポロポロ涙を流していると、私の顔を見たSが、私の頭を「いい子、いい子」といわんばかりになでなでして、慰めてくれるではありませんか! 初めてのことで、私はびっくりするやら、うれしいやら、照れくさいやらで、「S。優しいねえ」と言いましたが、私の頭の、Sに優しくなでられた部分は、いっまでもふんわりと優しくあったかく、Sの手の感触が残っていました。

 その後、いっしょにお風呂に入り、さあ寝ようとしたところで、私がふいに新川和江さんという詩人の「赤ちゃんに寄す」〈『わたしを束ねないで』、童話屋〉とかいう最近読んだ詩を思い出して、また涙をこぼしていたら、再ぴSが、私の頭をなでなで。私は「保育園に行っているとこういう他人を思いやる心も育つんだなあ」という心境でいましたが、頭をなでられているうちに、「そういえば私、こんな風に頭をなでて、慰めてもらったことなんて、ここ十数年ないなあ……」と思ってきて、とうとうしゃくりあげて、ワーッと泣き出してしまいました。こんなふうに声を上げて泣いたのは、半年ぶりくらいなかったことでした(この前は鈴木先生のところででした)。思いっきりヒックヒックとしていたら、こんどはSが、涙は流さないものの、ヒックヒックとのどでしゃくり上げていました。私が「Sも泣きたくなった?」ときくと、Sは「うん」とうなずきました。そこから、抱っこ法になりました。

 2人とも、話もせず、慰めることもせず、ただ声を上げて泣き続けました。私の胸にあったのは、学校での文化祭をめぐっての人間関係。きつい毎日にも「負けちゃいられない」と自分を叱りつけての通勤。でも、負けちゃいられない、って一体誰に勝てというんだろう。私の中の私、だろうか。それじゃあ、毎日、「負けてしまった私」はどこへ行ってしまったのだろう。いそがしさの中に、消費されてしまったのだろうか……。そんなことが頭をよぎり、そこから次々と、私の中のつらいことが涙と共にわきあがってきました。私の昔のこと……、そしてふいに、Sを預ける保育園の建物が脳裏に浮かびました。私の泣きは一層激しくなりました。

 まるでSの思いが私の中に移ったようでした。それは保育園に、朝預けられる時に目にする、保育園の外壁。つらい、つらい、つらい。私の思いなのか、Sの思いなのか、その境をなくして、2人とも、不思議なくらい、しゃくりあげるタイミングもせきこみも全く同じようにして、ひたすら泣きました。そして、「世の中のこと諸々、泣かずにいられない」という思いがしてきました。そうか、「Sは、西郷さんだ」と鈴木先生が言っていらしたのは、このことか、と思いました。泣いてどうなる、と言われても、泣かすにいられない。そうなんだね、S。Sは今までも、そう言って泣いてきたんだね、とはっきり感じて、今度は私がSの頭をなでてやりました。そしてまた、Sも私の頭をなでてくれて……。不思議な感じでした。

 こうやって、私の頭をなでるSは、私の子というより、なんというか、生命のかたまりみたいな、尊くありがたい存在、私と対等、というか、この命が生まれるまでに、脈々と受け継がれてきた魂みたいなもの。そんな存在に、私は頭をなでられている。今日こんなふうに、Sに頭をなでてもらう幸福を、私に与えてくれた祖先、そして諸々のものに、感謝の気もちがあふれてきました。私も、Sの頭をなでながら、「そうだね、私たち、涙を流す人たちの頭をなでる人になろう」と言いました。泣かずにはいられない人たちがいる。その人たちの頭をなでる(=慰める、同情する、思いやる)。しかしそれで、誰が救えるというのだろう。でも、Sも私も、泣く人の身になり、慰めてあげることしかできない。だけど、その微力ながらも、大きな力よ。さっきの私がそうではないか。Sの小さな小さな手になでてもらった部分が、いまもその感触を忘れない。私たちは、そうやって生きていこう、と思いました。私は抱っこ法の間、Sを慰める言葉も、いたわる言葉もかけませんでした。ただ、心のやりとりに「すごいね」とだけ感想を言いました。なんというか、今日の抱っこ法は、言葉はいらなかったのです。Sが静かに寝入った後、ただ「真実だ」と思い、今、Sと私の間に起こった奇跡をかみしめていました。

 今日の抱っこ法になるまで、何度となく、Sに抱っこ法を施そうとしてみましたが、私の目は見れるものの、大きな泣きになることはなく、変だなあと思っていました。というのは、10月下旬から、学校が行事を抱え、私の帰宅も8時すぎ、というくらい忙しくなっていたからです。人間関係のストレスもあり、Sが、私のこの胸のうちに気づかないはずはないのに、どうして抱っこ法をしてもそれを出さないんだろう、と思っていました。そして、今日の抱っこ法になり、やっとわかりました。Sが泣かなかったのは、私が泣かないからでした。私が我慢しているから、Sも我慢していたのだ。今、2人の心が共鳴しあい大声で泣いて、「そうか、私たちは、もう言葉さえもいらない抱っこができるんだね」と思いました。さっきも書きましたが、人生の真実を感じました。

 こんな思いができたのも抱っこ法というものを知っていたからこそだ。それにしても、Sってすごい子だなあ。人生の重み、みたいなものを感じて泣いているなんて、本当にすごい子だ。それとも、赤ちゃんはみな、こういう真実に気づいていて、大人になるにつれて、ねじまがった常識に、それがわからなくなるのだろうか。私の胸の感動のまま、また涙を流しながら書きましたので、意味不明のところ、字が読めない所もあるかも知れませんが、このわきたつ思いを何としても、先生に伝えたいと思って書きました。今もただただ感動です。近いうちに、お会いしたく思っています。