泣かれるとつらくなる

子どもの泣き声を聞いて、居ても立ってもいられなくなるからこそ、子どもの求めているものを満たしてあげようという気持ちに駆られるのですが、その切なさが度を超えると、かえって子育てを難しくしてしまいます。

「泣きはかすがい」
「やっと聞けた」
「Tと私のはてしない物語」
「ママもつらいよー」
「相談の実例を読んで」
「二人の子育てをしている中で」
「泣かれると辛い気持ちに寄り添う」
「私の中の『うるさい』という声」
「根底の気持ち」
「『泣く理由』の出版に寄せて」
「MとHとの日々」

 

「泣きはかすがい」

 昨日はずっとハグちゃん、泣きっぱなしで、ハグちゃんあやすのに疲れて、だけど、夜からだいぶ落ち着いて、夜泣きもなくって、今日は静かで、ご機嫌、ゆったり、柔らかハグちゃん扱いやすい可愛い赤ちゃんです。

 でもハグちゃん、今日はちょっと声が嗄れてます…。それほど、泣きすぎだったの。おかあさんといっしょの「ないてたらね」♪の歌みたいです。

 つくづく、今回のハグちゃんの泣きは「かすがい」だと思いました。

 最近は寒いので私とハグちゃんと一緒に、下の居間にストーブを微小でつけたまま寝ているんだけど、そしたら、パパったらハグちゃんを寝かしつけるまえに、独りで二階で先に寝ちゃうんです。わたし独りで、日中ずっと一緒なのに、夜ぐらいかまってあげたらいいのに…なんて思って、もう疲れたなあなんて、思ってたら、始まったハグちゃんの大泣き。

 泣きがひどかったので、呼びに行ったらパパはやっと下に降りてきてくれました。そのまま居間で一緒に寝てくれたけど、でも泣きは収まらなくって、ぐずぐず、神経過敏といいたいほど、夜も何度も起きるので、私も寝不足でした。熱があるわけでもないし、下痢はもう収まっているし…。

 それなのに、日中もその続きでずうっと泣いてるんです。離れるとすぐに分かって泣くんですよ。どうしても泣きやまない。おとな心で、やさしくあやし続けながらいたんだけど、泣きを聴き続けると、なんだか、怒りたくなって、こんなに可愛いハグちゃんのこと、嫌いになりたくなります。

 もう、知らない!って気持ちがあるんです。気持ちの温度がだんだん下がってきて、ぽかぽか大好き小春日和でいても、一気に真冬まで変わってしまうんです。

 そしたら、パパは昨日の夜は枕とタオルケットを持ってきて、コタツ布団を敷布団にして、本格的にソファーべットの下で寝てくれました。だからか、今日は、ハグちゃんはご機嫌。ただ単に泣き疲れたのかも知れませんけど、パパとママが仲良くするのが一番安心と言いたいのかもしれません…。

 子はかすがいっていうけれど、泣き声はもっと強く繋げるかすがいみたいです。

 昨日は抱っこの会報が届いてすぐに半分読みましたよ。泣きやんだのは、私の心がそれで少し楽になって、心がいいところに繋がれてそのおかげもあるのかもしれません。抱っこの会報さんにも、どうも、ありがとうです。

 あのね、ハグちゃんって、靴下を脱ぐのがとっても上手です。気がつくといつも半分裸足です。足が器用なのかもしれませんよ。あとね、まんまという言葉をしょっちゅう言うので、その言葉をさっそくつかまえて、「ママ」と教えていたら、ときどき「ママ」と言ってくれるようになりましたよ。6か月だと早いけどちゃんと分かって言ってると思うんです。パパは「おとうさん」と言ってほしいと言っていて、それは無理だろうと思っていたら、その話をした次の日の朝、朝はとっても気分がいいので、パパの顔を見てにこってして、それでもその日はパパが心あらずでハグちゃんのことを構えないでいたら、はっきり大きな声で「おー」と呼んだので笑っちゃいました。それは一回きりでもう呼べませんけど。一度でも、ミラクルです。

 夜に泣くとまだ助けてもらっているお袋さんのガサゴソの音、パパが聴くとそれだけでこっちが先に眠くなると言います。水の音に聞こえて、水の中にいるみたいに錯覚するんでしょうか。水の音に誘われて感覚が、水の中に入っていくみたいに、そしたら記憶がつられてお腹の中に近づいてって、安心感を思い出すのかもしれませんよね。

 パパにはなんどもおとな心で助けてほしいって思ったけど、自分ばかり大変と思ってしまう時もあるけど、パパの中にもまだ赤ちゃんがいるんでしょから、みんなでときどき赤ちゃんに戻って、戻った分、その安心の場所で蓄えた力を日常に持ってきて、日々を頑張れたらいいですよね。

 あのね、この話とは関係ないんだけど、おとなっていうのは、きっと自分がいろんな子どもの心を持っているって、まずは気づいている人のことを言うんじゃないのかなって気づいたよ。おとなを無理して頑張ってる人じゃなくてね、

 時に、私はまだ、おとな心を「おーい!」って呼んで探そうとしているんだけど、やっぱりそっちじゃないんだね。まずは、心によしよしを置いておいて、自分を見つめる内観できる力(自分の感じ方、想いをありのまま見つけたり、幼いころにあった出来事を思い出したり…とにかく自分もみんなも初めはみんな小さな赤ちゃんだったって気づいてる、みたいな心!)を養うことが必要なんだね。気づきを向ける自分、それがおとな心なんですよね。

 「内観」…、だから、「ただいま」「おかえり」って言えばいいんだ…今頃戻って気づいてる、わたし。ちょっと遅い。自分の赤ちゃんのころに向かって、戻って「ただいま」その頃の自分が「おかえり、ずっと待っていたよ」という感じでよしよしってする。

 これは、ハグちゃんに向き合っていて、気づいたことなんだけど、「気持ちを向ける」入り口になる言葉なんだね。家事とかのすることをやらなきゃいけないことを一度置いて、考え事を下して、身体と心で帰ってくる。疲れて帰ってきたら、子守唄でも聴いて、いっぱい眠るzzzzz。そんなときは起きてから、おはよう!おはよう!ってむぎゅってする。

 ちい兄ちゃんや大きい兄ちゃんたちにもむぎゅって、それしかできないけどしているよ。

「やっと聞けた」

 この間久しぶりに娘を抱っこしました。普段はちょっと泣いたら落ち着くことが多いのですが、その時はすごい勢いで怒って泣きました。その様子を見ながら、私も成長したなあと感慨深かったです。もともと、私の抱っこではあまり泣けない子でした。それなのに和く輪く舎に行くと、阿部先生やほかスタッフの方の抱っこでは大泣きするものだから、自信をなくしてしまったこともありました。
 
 今回の抱っこのきっかけは何だったかはもう忘れてしまったのですが、学校から帰ってくるといつもぐずぐず言うので、たいていはそこから抱っこになります。いつもならちょっと抱きしめるくらいでいいのですが、その時はそうではなかったので、これはつきあわねばと腹をくくりました。泣き声は堪えたけれど、ここで聞いてやらねばどうする!というくらいの勢いで抱きぬきました。すると、娘がすごい勢いで怒って私への文句を言ったのです。「お母さんは何もしてくれない!!」「他のお母さんはもっと優しい!!」などなど…それは、以前の私なら聞いただけで苦しくなってしまうようなことばでした。

 でも、不思議と苦しくなかったのです。娘が長い間私を求めて得られなかった寂しさもよくわかりましたし、だからといって、娘と一緒にいることを息苦しく感じて避けてしまいたくなった自分自身を責める気にもなれませんでした。それよりも、娘がずっと言いたかったことをやっと言えたんだと思いました。そうやって文句を言って、聞いて欲しかったんだって事がわかりました。今まで娘には慰められるばかりで、まるで母親役をしてくれているかのような娘だったけれど、やっと親子の本来の位置に戻れた感じがしました。

 その後、娘のぐずぐずが減ったかというとそんなでもなくて、相変わらず夕方の忙しいときに限って私に突っかかって来ます。昔は、抱っこをしたのに行動が変わらないのはどうして??と落ち込んでいたこともありましたが、今は「そうやって甘えたいんだなあ」と素直に思える私がいます。だからといっていつもよしよしできるわけではなく「いい加減にしなさい!!」と怒ってしまうことが多いのだけど、「それでもいいかあ」と思う私もいます。

 天心を体験したりして、自分の気持ちに気づくようになってから、抱っこってやりとりなんだ、ってことがようやく身にしみてわかってきました。甘えたい娘と、それを許せない私の気持ちが、毎日ぶつかり合っているから、押したり引いたりしながら、向き合っていけば良いんだと思うようになりました。

 すぐに怒らないで冷静に対応できればよりいいかもしれないけど、私は残念ながらそういうやり方を学んで来なかった。だから今それをやっているんですね。下手くそなのは当たり前。むしろマイナスのところからここまでやれるようになって偉い、とまで思えるようになってきた私って、あまりにも脳天気?でも、そう思えるようになってから、私は何となく幸せです。

「Tと私のはてしない物語」

 息子Tは、生まれてからずっと、おっぱいをあげるために横抱きにすると、全身を突っ張り顔をそむけ大泣きしていました。おっぱいに口をつけようともしないので、飲むこともできませんでした。他のお母さん達がゆったりおっぱいをあげている姿がとても幸せそうに見えました。病院では時々ギャーという穏やかでない声で泣いていました。

 誕生の喜びも束の間で、私はこの先どうなるのか不安になりました。おっぱいの先生の所へ通い、なんとか飲めるようになりましたが、授乳の途中で泣いて飲まなくなるのです。Tがお腹にいた時から母乳で育てたいと思っていたので、なんとか頑張って少しでも飲んでもらいました。そのうち昼も夜も、眠ったと思って布団に下ろすと、ぱっと目を覚まし、泣き続けます。抱っこしてソファーに寄りかかって眠る日々でした。

 激しい泣き声を聞くと自分が否定されているようで、よしよしして慰めるなんてとてもできませんでした。わずか生後1、2か月の小さな赤ちゃんに向かって「どうして飲まないの」「どうしてすぐ泣くの」と問いかけるばかりでした。

 おっぱいをあげようとすると激しく泣く、目と目を合わせて授乳できない、目が合うと突っ張って怒り泣きをする、眠りが浅い・・・。Tは私のことが嫌いなのかな、どうしてこうなるんだろう、何がいけないのかしら、私はこの子を愛しながら育てていけるのだろうか・・・。心身共に疲れて、穏やかな育児とはほど遠い、戦いのような育児の始まりでした。

 主人や友達に相談しました。いろいろな相談機関に足を運びました。本を読みました。インターネットで調べました。しかし、一時的に明るく考えられるのですが、結局現実の子育てに直面すると、気持ちが沈み焦るばかりでした。

 Tが10か月の時、抱っこ法に巡り会い、和く輪く舎にお世話になり始めました。抱っこ法との出会いは、私の子育てに対する考え方をがらりと変えてくれました。そして私自身も少し変わった気がします。

 初めての抱っこは、正直、え?これで終わり?という感じでした。でも帰宅後のTの表情、様子が違うのです。にこにこ笑いかけ、穏やかに遊ぶのです。暖かな空気がほかほかと包みこんでいるような気がしました。私が抱っこ法を信じ、新たな一歩を踏み出した日でした。

 それから1年ちょっと、親子のパイプが必ずしもうまく通い合っているわけではありませんでした。パイプが詰まってお互いヒーヒー言っている時がたびたびありました。もう詰まりは取れないのではないかと思うこともありました。苦しくてこのまま投げ出したい気持ちが何度も押し寄せました。その度に相談室に駆け込んだり、電話で芳子先生に助けを求めたりしました。そうすることで私の気持ちが晴れるのでした。

 でも結局はTと私だけのやり方でしかないのです。詰まっては通い合う方法を見つけ出し、また詰まってはさらに違う方法を見つけ出し・・・自分の中のいろいろな気持ちに出会いながら、まさに阿部先生の著書の中でおっしゃっていたTと私の「はてしない物語」でした。

 本当に物語になりそうなくらいたくさんの出来事があったのですが、私が抱っこってすごい!!と心から実感したことがありました。

 それは…Tが1歳半の時。気に入らないことがあると物を投げたり、お母さんやお父さんをたたいたりしました。泣いたり怒ったりして気持ちを出すことができればいいのですが、まだまだ甘え下手であったり、何か言い分があったりなのか、頻繁に投げる、たたくを繰り返しました。

 こういう時に限って、「いけないことをしたら、今のうちからびしっと言って聞かせないといけないよね~」というママ友達との会話。そうだよね、いけないことはいけないんだもんね、と自分に言い聞かせて、Tと向き合って「T、投げないよ」と、決して怒鳴りはしなかったものの怖い顔で言ってみました。すると・・・目が泳ぎ、「あーっあーっ」と自分の気持ちをコントロールする声を出すのです。とっさに「Tは自分を否定されたと思ったんだ、こんな小さな子にこんな思いをさせてしまった」と思ったのですが、その時の自分はすぐに「私ってだめだ」と思ってしまい、どうすることもできず、「わかった?投げないんだよ」と繰り返すばかり。

 違う日。物を投げる手を止めて張り合おうと思ったのです。右手でTの手を軽く持ち左手でTを抱き寄せるようにして、「T、投げないよ」と言ってみました。しばらく張り合う形になり、これでいいのかなと思ったのも束の間。Tはもがいて今度は私をたたき始めました。そこで私はカチンときて「たたかないの!」と声を張り上げたら、先日と同じ結末でした。

 その時は、少し張り合ったことで物ではなく、私に気持ちをぶつけ始めてきたんだなんて考えられなかったのです。その後は気に入らなかったり、転んで泣きたかったりすると、泣けずに壁に頭をがんがん打ち付けました。何だ、張り合っても駄目じゃないか!一体どうすればいいのよ~と叫びたい気分でした。Tも同じ気持ちだったと思います。結局私のやり方は体で張り合えていても、心が張り合っていなかったことに後で気がつきました。

 ある日。泣きたい気持ちがあったのに、いつものように物を投げたり、壁をたたいたり。その時なぜかTのやっていることを見ている気持ちの余裕があり、しばらく眺めていました。「えっ、えっ」と声を出しながら一生懸命投げています。時々私をちらちら見るのです。「これって私も小さい時あったなあ・・・本当は投げたくないんだけど、止めてもらえないからこうするしかなかったような・・・」、幼かった時のことがよぎりました。Tのそばに行き、「Tおいで~」と、ぎゅ~っと抱きしめました。Tの動きが止まった時、近くで見ていた主人が突然、「Tの本当の気持ちがわかった!」と言うのです。私に抱っこされた瞬間、にこ~と笑ったようです。それはそれは幸せそうな顔だったみたいです。

 この体験で、子どもってお母さんの優しい抱っこが一番なんだ!と言うことが心からわかりました。お母さんに気持ちよく抱っこされている時、お母さんが穏やかな時はきっとありのままの自分を認めてもらっている気持ちになるのでしょうね。

 Tのように甘え下手の子どもの行為だけを見ていると、こちらがいらいらしてしまうようなことをしますが、それは決して本当の気持ちではないこと、いっぱいお母さんに甘えたい気持ちがあるけれど、一番気持ちのよい甘え方ができないでいることもわかりました。

 Tと私のにこにこ体験の日を境に、何かよくわからないな~という時は、とにかく普通に抱っこ抱っこ。不思議なことにもやもやがすっと消えてしまいます。もちろんそういう時ばかりではなく、横抱きにして時間をかけてゆっくりTとお話する時もあります。縦抱きでよしよししていると、Tが自ら横になって、「話を聞いてよ~」と泣いてくることもあります。

 でもつい先日は、私がTの気持ちを聞こうとあまりにも頑張ったことが、余計にTを心配させてしまい、ものすごく甘え下手な状態になってしまったこともありました。主人にずばり、「お母さんが頑張りすぎるからTだって苦しいんだよ」と言われ、はっと気づき、肩の力を抜いてTの気持ちをあれこれ考えずにいたら、いつの間にかまた.甘えてくるようになりました。こんなふうに私も気持ちを切り替えられるようになったんだなあと、うれしく思いました。

 現在Tは2歳2か月。以前に比べるととても穏やかで楽しい毎日を過ごしています。Tはもしかすると、お腹の中にいた時から甘え下手だったのかもしれません。そのせいか、甘えるのが上手になったとは言え、ちょっとしたことですぐに甘え下手になってしまい、私が疲れてしまうこともあります。

 お友達に押された時、物を取られた時、転んで痛かった時など、お母さんに泣いて訴えたいのに、口をきゅっとへの字にして我慢しています。小さいころの私にそっくりでちょっと笑ってしまいます。ママ達からは「T君って我慢強くて偉いね」なんて言われますが、その誉め言葉はこの先ずっと本人を苦しめるのです。だから「我慢はつらいね。本当は大きな声で泣きたいよね」と言いながら抱っこします。

 Tと私のはてしない物語はこの先、第2章、第3章・・・と幕を開けそうです。

 春になったらいよいよおっぱいにバイバイします。Tも私もあれだけおっぱいで苦しんだので、バイバイのことを考えると不安になりますが、長い間飲んでくれてありがとうと言う気持ちもあります、そしておっぱいにバイバイできた時のTに会えることも楽しみです。

 抱っこ法、和く輪く舎、芳子先生に出会わなければ、今ごろTと私はどんな生活を送っていたのかと思います。白分自身の気持ちに気づかせてくれる抱っこ、子どもの気持ちを感じられる抱っこ、親子で気持ちを共有できる抱っこ、遊びの中の楽しい抱っこ・・・抱っこは幸せを運んでくれます。

 これからもいっぱいいっぱい抱っこしたいです。

「ママもつらいよー」

〈第1信〉

 阿部さま、こんばんは。援助者さんの連絡先、ありがとうございます。

 実は先日またしても娘が大泣きしたのです。朝9時という、私にとっては「子どもが割とご機嫌と認識してる時間」で、私自身「なんでこんなに泣くのー」という状態でした。20分ぐらい、娘は抱っこから逃げるように身をよじったりして、苦しそうに泣いては少し休み、また泣いて・・・を繰り返していたのですが、どうにもこうにも私が苦しくなってしまって。「もう!うるさいよっ!」と娘を床に置いたのです。当たり前ですが、娘はさらに号泣。

 私はもうわけがわからなくなってしまって、とりあえず娘を抱いて座りこんで、「もう、ママもつらいよー」と言うと、涙が後から後から溢れてきました。娘は私が泣いてるのにびっくりしたのか、しばらく固まっていました。「Eがなんで泣いてるのかわかってやれなくてつらいよ」と言いながらぼろぼろ泣いていると、そのうち何故か私はおかしい気持ちになってきて、泣きながら笑って、「Eも一緒に泣こうか」というと、娘も私の様子を見ながら泣いてる感じではあったのですが、泣き始めました。

 私が泣くだけ泣いてすっきりして、「ママを泣かせてくれてありがとう。今度はEがいっぱい泣く番だね」というと、みるみる本格的に泣き出しました。しかし、不思議と今までのように見ていて苦しくなる泣き方ではなかったのです。ふえふえと泣いて、少し泣き止んで、またふえふえと泣くような感じで。もしかしたらこれが「やわらかい、かわいい泣き方」なのかしら?と思うぐらいでした。

 そして私に体をぺったり預けてふえふえ泣いてるEを、初めてかわいく思えました。その後15分ぐらいふえふえ泣いて、すっと寝ました(1時間近く泣いて休んでを繰り返してたので当たり前かもしれませんが)。

 その事件があってから、2日ぐらいしか経っていませんが、今のところ、そんなに泣き声でつらくなることはありません。少しイライラはしてしまうことがあるのですが・・・
。少しだけ、子どもを受け止められたような気がしました。

 でもまだまだ私は、子どもを受け止めたいけど受け止められない部分がありますので、援助者さんに助けてもらいながら、親子で泣き上手・甘え上手になれたらいいと思います。

 ありがとうございました。


〈第2信〉

 阿部さま、こんにちは。
 そうですね、今までは「子どもの前では泣いたらいけない」と思っていたので、泣きそうになってもこらえていました。もしかしたら、Eはそれを分かって私を泣かせてくれたのかしら・・・とも今では思えて、娘がとてもいとおしくなりました。

 今日も昼寝から起きたら泣き出して、1時間ぐらい泣いて休んで・・を繰り返していたのですが、私の意識がふと娘から離れると泣きがおさまるんです。そして娘に集中すると本格的に泣き出して。今までは泣き声を聞くのがつらい・でも抱いていてあげたいと思って、泣き出すとTVをつけたりして何かで気を紛らわせながら抱いていたのですが、娘にとっては中途半端でつらかったのかもしれません。

 今日、初めて離乳食をぐずらず食べきってくれました。離乳食を始めて2ヶ月。初めての快挙です! いつも半分も食べないうちにぐずって泣き出して、「せっかく作ったのに」とイライラしてしまっていたので、本当に嬉しかったです。これも抱っこの成果なのかしら・・・?と何だか魔法でもかかったような気持ちです。

 今日は夕方にもぐずったのですが、夕飯のしたくもしないといけなかったのと、自分の気持ちに余裕がなかったのとで、そのときの泣きにはあまり付き合ってあげられなかったです。でも昨日今日で劇的に自分が変化できるワケではないと思うので、私と娘なりのペースで急がずやっていけたらなと思います。

 援助者の方とも連絡を取らせていただき、今月からお話をさせていただくことになりました。本当にありがとうございました。

「相談の実例を読んで」

〈第1信〉

 はじめまして。私は主婦、主人と1歳4ヶ月の娘との三人暮らしです。HPを拝見中、「相談の実例から9ヶ月~1歳半」の中の「泣かれると怒りが」という相談を読みました。そして、自分とまったく同じ状況の相談に驚きました。

 娘は良く寝て、良く食べて、病気もせず、本当に手のかからない子でした。それが最近、思い通りにならないと大泣きをするようになりました。特に私と二人だけの時に限って。ちょっと台所に立つだけで泣かれると、家事も進まず、ますますいらいらします。私も相談者の方と同じように、子どもが泣くと訳もなく怒りがこみ上げてきて、物に当たっていました。おもちゃを壁に投げつけて髪をかきむしることもありました。

 子どもに手は上げませんが、ものすごい形相をしているのでしょう、子どもはびくっとして私を見ておりました。ふと、「この子を生かすも殺すも私次第なんだなあ・・・」などと考えている自分に気づいて、ドキッとしたこともあります。そんなときは自分が怖くなって、「子どもを手にかけそうな衝動に駆られたら、まず自分を殺そう」などと自分に言いきかせ・・・まったく自分でもあきれます。主人と両家の両親が子育てに協力的なのも相談者の方と同じですね。自分は恵まれているのに、どうしてこんなに駄目な母親なんだろうかと自己嫌悪の繰り返し・・・。

 ここ数日、このままではいけないと本やインターネットで解決の糸口を探しておりました。そして、この相談に出会ったのです。自分のことだと思いました。私とまったく同じ悩みを持った方がいる・・・驚きでした。

 私も自分の幼いころに何かきっかけがあるのではないかと考えてみました。父は優しいけれど、仕事第一。子どものことは何があっても口を出さない人で、全て母まかせ。仕事の帰りは深夜で、母や兄が40度近い熱を出したときも、普通に仕事に行き、接待をして帰ってきたそうです。子どものことでなにか相談しても、「したいようにさせればいい」が答えで、母はいつも自分で答えを出さなければいけなかったようです。私自身、幼いころ平日に父と食事をした(というより顔をあわせた)記憶があまりありませんし、おとなになるまで、父からしかられたことも、けんかをしたこともありません。しかるのもけんかするのもいつも母。母は、「これでよいのだろうかといつもいつも不安だった」とよく言っています。父は優しくて、母は口うるさい・・・結婚して子どもを持つまで私自身そう思っていました。でも、今は母の大変さが良く分かります。父も若くて仕事を始めたばかり。生活を支えるのに精一杯だったのだろうとも思います。でも、自分が子育てをしてみて、母の気持ちが分かるようになりました。

 主人は休みには子どもの面倒もよく見てくれますし、私の話も受け止めてくれます。でも、毎日帰りが遅く、私の心にはいつも「私がしっかりしなきゃ」という思いがあるように思います。それは、母がいつも心に思っていたことなんだなあと気づきました。父がいなくて不安で寂しい気持ちの裏返しで母は子どもに厳しかったのだろうと気づきました。また母は必要以上に過保護なところもありました。それも「私が守らなきゃ」という思いだったのかもしれません。

 そんな母の思いがいつのまにか私にも伝わっていたのでしょうか。娘が泣くと、「自分がなんとかしなければいけないのにどうしていいかわからない」という不安にかられ、イライラするのかもしれません。

 HPを見て、子どもは「小人」=一人の人間でまだ小さいだけ。心も優しさも意思もちゃんとあるのだから、「自分が育てなきゃ」と思うのではなく、おとなになるまで一緒に泣いて笑っていこうと思えるようになりました。そして、同じ悩みをもつ方がいたことに大変救われました。両親への理解を深め、私自身を見つめなおす機会をこの子は与えてくれていることを実感しました。

 まだまだいろんな問題にぶつかることでしょうが、今日、わが子に心から感謝し、愛しいと思えたことがとてもうれしいです。ありがとうございました。


〈第2信〉

 あれから、なにか、自分の中で掴みかけているというか、もう少しですっきりするのに、なんかもうちょっとというか、そんな状態で毎日、子どもが寝たあと、いろいろと読んで考えてきました。まだまだ途中なのですが、すこーし見えてきたものがあります。

 人生は大きく3つに分けられるのではないかと思いました。
「子どもとして」
「親として」
「個として」
生きるという3つに。

 泣く娘を怒っていた私はまさに「子ども」でした。誰かに助けてもらいたいと思っていました。親や先生や先輩に助けてもらってきた今までのように。

 それが「わからないなりに、私なりにやっていこう」と思えるようになったのです。今までは、ただオロオロし、あいまいな言葉を発し、しまいには怒っていましたが、「う~ん、お母さんもまだ新米母さんだから、○○が何で泣いてるのかよくわかってあげられないよ。でも、お母さんはあなたのことが大好き。さて、どうしようか」という感じになってきたのです。すると、不思議なことに、なんとなく子どもの言っていることがわかるような気がするのです。時期的に、ちょうど言葉が出始めるときに重なっただけかもしれませんが、なんとなく、「おなかすいた?」と聞くと「うん」と返事をしたり、「ぎゅーにゅ」(牛乳飲みたい)と聞こえたりするのです。そしてけっこう当たっているみたいなのです。娘もわけもわからずおお泣きすることが減ったし、私も怒りに震えることがなくなりました。

 娘が泣いて怒っていた自分を、あの相談を読んで見つめなおしたことで、両親への理解が深まったように思います。それは子どもとして「親が絶対」だった自分が、「親も自分と同じ人間なんだ」と実感できた瞬間でした。いい意味で、自分と親を切り離す(肩を並べる)ことができたように思います。

 これから子育てを通していろいろな問題にぶつかることがあるだろうと思います。それはこれから、「親として」の自分を育てていくために必要なんだろうと思うようになりました。親として、子どもが生き続けてくれることを願い、子どもが自立するまで助けていきたいと思います。

 そして子どもが自立し私を切り離したあと、「個」として自分の人生を生きていけるように、なにか自分を活かせることを見つけたいと思うようになりました。「駄目な母親」「悩みやすい自分」からすこし抜け出しました。まだまだほんの一歩です。ゆっくり行きたいと思います。

 またメールさせていただくこともあるかと思います。
 それではまた。ありがとうございました。

「二人の子育てをしている中で」

〈第1信〉

 こんにちは。メールありがとうございました。今回のメールで、久しぶりに過去の自分と出会って、読んでいて幸せな気分になりました。2人の子育てをしていて、さすがに毎日を過ごすことに必死で「ああ、もう!」って思うことはしょっちゅうです。でも、こんなふうに「初めて自分のところに子どもがやってきたときの感動」を残してもらえるなんて、私ってなんて幸せ者なんだろう…!芳子先生と阿部先生に、感謝の気持ちを伝えないではいられません。本当に本当にありがとう、芳子先生。

 毎日を過ごすことでいっぱいいっぱいで、最近はなかなかメールも送れませんが、それでも毎日の生活の中でやはり「抱っこ法」はささいなことも含めてあらゆる形で私たちの家庭生活に顔を出します。セッションを実際に受けていなくても、私の子育て生活において、「抱っこ法」が存在しているということがいかに大切なことであったか、を改めて感じています。

 近頃はあわただしくてイライラして、大声で泣き出す息子(上の子)に「泣かないの!」とか「うるさい!」と思わず声を荒げてしまうこともしばしば。息子の「ママ、ごめんなさい」に「うん、もういいよ」と返すと必ず息子は甘えようと抱きついてきます。ところが私がそれを受け入れるだけのゆとりがあるときでも、息子自身が泣き顔のまま自分でふざけてごまかしてしまうようになり、私の「泣くな!」という言葉がずいぶん影響しているな…とよく思います。時折思い切り抱っこして泣かせてあげたい、と思うのですが、この間は「泣いてもいいよ」と息子と張り合っていたら、息子は泣きながら「泣かないよ!」「○○は、つよいよ!」と必死で泣き声を我慢していて、そのふたつの言葉に改めて驚かされました。ずいぶん我慢させてしまっているなぁ…と。

 買い物に行ったとき、友達とバイバイしなきゃいけないとき、思い通りにいかないとき、息子はしょっちゅう「うわあああ」と声をはりあげて泣き出します。私も含めて、パパもじじばばも、そういうときには「もう、この子は大声で泣けば済むと思って…」と怒りがこみあげてくるのですが、私自身はそれだけでは終わりません。少し落ち着いてくると、この間の「○○は、つよいよ!泣かない!」が思い出されて、一見わがままを通そうとしているように見える息子の「うわあああ」が、本当は、本心では長い時間をかけてダダをこねたいという欲求を「うわあああ」だけで終わらせて、そのみじかい「うわあああ」に自分の気持ちを凝縮してしまって、実は息子なりにものすごい我慢をしているんだと感じるんですね(そう思うと、もっと思い切り泣かせてあげられればなぁ、とも思うのですが)。

 わかっていながら心のゆとりがなくて、つきあってやれないのはつらいところですが、そう思いながら息子を見ていると毎日の生活の中でも、怒りが15%で、あとは全部「かわいい」「大好き」になります(実際の行動は、「怒り50%」だったり、ときには「怒り80%」「怒り90%」になりますけど)。本当に、近頃はよく怒鳴ってばかりいる私ですが、ご飯を作っている最中でも邪魔しにくる息子の、ふとした表情に対し思わず「あんたはかわいいねぇ」と声に出してしまうこともしょっちゅうです。

 そして、娘は(現在7ヶ月)。これがまた、つい最近の出来事なんですが(つい4日ほど前)。

 お兄ちゃんがお泊りでいないときを狙って、甘えがくるんですよね、よくわかってて。来年4月からはお兄ちゃんが保育園に入るので(このあたりは幼稚園がない)、思い切って娘も保育園へ入れて、少しまた働こうかな…とこのところ、派遣会社を調べたり、保育園の情報を調べたりしてたんですね。で、つい4日ほど前のこと。お兄ちゃんがじじばばのところへお泊りでいないとき、夜中に泣き出したので、たまにはちゃんと娘の話を聞いてあげないとな、と抱っこの体制に入ったんですけど(お兄ちゃんにばかり気をとられていて、実は娘の方はちゃんと抱っこして向き合ったことがなかったんです)、長いこと体をそらせたりしながら泣いて(娘は泣くとすごいんですよ!!)、私もただなんとなく「いつも○○ちゃんは後回しになっちゃってごめんね」と、そんなことばかり語りかけて落ち着くのを待っていたんですけど途中で突然、ふっとひらめいて、「○○ちゃん、ママ、○○ちゃんと一緒に過ごすね」と言ったらものすっごい暴れようだったのが、もうそのとたんにぴたっと泣き止んで(文字通り、その瞬間に)、すっと眠っちゃいました。まだ保育園に入りたくなかったんですね。ママと一緒にいたいんだって。娘を保育園に入れるというのは取りやめです。当然。頑張ってくれたなぁ、娘。本当に長い時間、大声で泣き続けてくれてたんですよ。息子で経験のある私ですらびっくりするくらいはっきりした反応だったんだけど、赤ちゃんがこんなに分かって対話ができるってことを、たくさんのお母さんたちが知らないのはもったいない!本当に!!

 今日はたまたま息子がいなかったのでここまで書けました。ここまで書いたところで娘が昼寝から起きたので、とりあえずここでおしまい。

 本の出版を楽しみにしています。


〈第2信〉

 手紙いただきました。びっくりです。別の本にも掲載とは! 内容に関しては、全く問題ありません。よろしくお願いいたします。

 …でも、これもまた、不思議なことだなぁと思いました。だって、ついこの数日前に娘のことをメールで送ったばかりで(娘も保育園に預けて働きに出ようかと思っていたのを、辞めたこと)。

 娘ってね、家の中にいるときは、一日中笑っている子なんですね。何しろ目が合えば顔じゅう全部で笑ってくる。だから、こっちが相手をすればするほど、喜んでけたけた笑ったりして、とにかく可愛いとしか言いようのない子で。

 だから、娘が「保育園に行くのは寂しいよう」ってことで泣いたときにも、「特に金銭的に大変なわけでもないし、この可愛い時期の娘と触れ合えるのもわずかの間だから、働きに行くのは別に今じゃなくたってかまわないしなぁ」と素直に思えたんですね。普段あまり構ってあげられない今の娘と、このまま保育園生活で触れ合う時間が減ることはとっても寂しいよな…と、すごく思っていたから。

 でも。それからちょっと経ったら、「けど、もしかしたら、二人で過ごしていたら、また○○ちゃんにも八つ当たりするようなことになってしまうかな」「でも○○ちゃんとは『まだ保育園は行かなくていいよ』『ママと一緒にすごそうね』って、約束しちゃったもんな。約束したから、嘘ついちゃいけないよな」…って、ずっと先のことを不安に思う気持ちが少し出てきた。

 そこへ、阿部先生のお便りが届いたんです。…で、不思議なことに、息子を母に預けて働きに出た頃のことが載っている。その中の、秀雄先生の言葉。
------------------------------------------------------------
「ママと離れて保育園に行くのはイヤだよー」とグチはこぼすかもしれませんが、そのことばを百パーセント真に受けてしまうとかわいそうになってしまいます。すると、赤ちゃんも、かえってグチがこぼしにくくなってしまいますから、「『ママと離れて保育園に行くのはイヤだよー』と泣いて甘えたいんだよー」と正しく翻訳して聞いてあげれば、「はい、遠慮なく『イヤだよー』って甘えてね。ヨシヨシ」とこころよく受け止めることができ、赤ちゃんも甘えやすくなります。赤ちゃんも、グチを聞いてもらいながらがんばるんだ、と思えばいいのね。
------------------------------------------------------------
なるほど。そうかぁ。すっかり気が楽になってしまいました。

 息子の時には、迷うというよりも、もうすでに気持ちが「外へ出よう、外へ出たい」って方向に向いていたんですね。でも、もしまたそのくらいの気持ちが出てきたらそのときは改めて娘と話し合ってみればいいんだな。

 なんだか、本当に不思議なことです。この間からね、わりといろんな場面でタイムリーに人の助言が助けてくれることがあって(つい1ヶ月ほど前も、ちょっと落ち込んでいたら、すぐ2日ほどあとに、Mさんの通信で150%元気を取り戻したところだし)、そうしたらとうとう、過去の自分を通して秀雄先生の助言ももらっちゃった。

 2年ほど前、母との話し合いの中で、自分の気持ちが見えました。あまり人付き合いも上手でなくて、今の私には親しい友達もいなくて大学も失敗したし、仕事もこの先どうなるのか分からないし、過去の楽しい思い出っていうものもない。「30年生きてきたのに私の人生は何も残っていなくて、ものすごく寂しい」ってそう話したことがありました。同じことを、ちょっと前、主人にもぽろっとこぼしたような気がします。

 でも、このところ、私にも幸せなつながりがあるなぁと何度か感じました。おとといは、秀雄先生&芳子先生のお便りが届いていたし、昨日は、Mさんや他の方々と広木先生の講演会に行けて、終わった後にも一緒にお茶を飲みながら素敵な話もたくさん聞けて、しかもその講演会に私が参加できるように、私の父は前日に遅くまでかかって仕事を終わらせ、休みを取って息子を預かってくれて、講演会から帰ったら、これまた私の大好きな人から、その人の出版した詩集が贈られてきていました。そして、昨日の夜は、ベッドの上で家族4人でごろんと横になって、みんなで1冊のトーマスの絵本を読みました。

 さあ、お寝坊の息子たちが起きました。息子はまだ寝ぼけていて、娘はもうすでに満面の笑みです。では、また!


〈第3信〉

 実はね、秀雄先生の言っていた、まさにそのとおりだったんですよ。
------------------------------------------------------------
「ママと離れて保育園に行くのはイヤだよー」とグチはこぼすかもしれませんが、そのことばを百パーセント真に受けてしまうとかわいそうになってしまいます。すると、赤ちゃんも、かえってグチがこぼしにくくなってしまいますから、「『ママと離れて保育園に行くのはイヤだよー』と泣いて甘えたいんだよー」と正しく翻訳して聞いてあげれば、「はい、遠慮なく『イヤだよー』って甘えてね。ヨシヨシ」とこころよく受け止めることができ、赤ちゃんも甘えやすくなります。赤ちゃんも、グチを聞いてもらいながらがんばるんだ、と思えばいいのね。
------------------------------------------------------------
娘、また泣きましたよ。この間、お昼寝から起きたときに。それも、まったく秀雄先生の言っているとおりでした。

 たいてい娘はお昼寝から起きてもにかーって笑ってるか、泣いてもちょっと甘えたような泣き方なんですけど、このあいだは起きてすぐからぎゃーっと泣き出したので怖い夢でも見たかなぁ…と思って、いそいで抱き上げてよしよししたんですね。ところが、ものすごくのけぞって、大暴れし始めたので「“抱っこ”かな?」と思って、いろいろ話しかけてみたんです。

 前日のお兄ちゃんの耳鼻科診察のときに、娘が寝ている状態のままばーばに預けていっちゃったので(娘に事前に話してなかった)、そのことかなぁと思ったんですけど、それは反応なし。そのことは、お兄ちゃんの診察から帰ってきたときに説明したから、とりあえずそれで良かったみたいで。

 それで、秀雄先生の言葉を思い出して、聞いてみたんですね。「保育園に行くのいやだよーって言ったことを気にしてるの?」って。そうしたら、大暴れ。「ママね、○○ちゃんと一緒にいたいって思ったから決めたんだよ。だから○○ちゃんのわがままじゃないんだよ」って話してしばらく抱いていたけど、まだまだ大暴れ。

 あのね、芳子先生、覚えているかしら。私、幼児教室の先生になることが決まったとたんに娘の妊娠が分かって、それで幼児教室の方は結局お断りしちゃったんですよね。そのときには残念な気持ちも確かに大きかった。

 娘は、そのことも含めて、大泣きしていたんです。「幼児教室のことも、○○ちゃんができちゃったせいで駄目になって、なのにこの間『保育園に行くのはいやだよー』って言っちゃって、ママのお仕事の邪魔ばっかりしてると思っちゃったんだね」とそこまでたどりついたら、もうそれはそれはのけぞって大暴れでした。

 本当に子どもっていうのは親思いなんだなぁ…。秀雄先生の言葉を、このタイミングで知ったのも、本当に不思議です。「○○ちゃんができたとき、お仕事を断るのは確かに残念だったけどね、でもそんなことよりも○○ちゃんがこうやって生まれてきてくれたことのほうが比べ物にならないくらい嬉しいよ。保育園のことも、『○○ちゃんともっと一緒にいたいなぁ』って思ってママは自分の気持ちでちゃんと決めたんだよ。だから、もしまたどうしてもお仕事に行きたくなったら、そのときはまた○○ちゃんとお話するから、今は何にも心配しなくていいんだよ。ありがとうね」って、そんなことをいっぱい語りかけました。最後は私の胸にべったりと頭をあずけて、ぐすんぐすんと甘えていました。とってもかわいらしかったです。

 秀雄先生に、たくさんたくさんありがとう。娘の気持ちを知ることができてよかった。自分がお腹の中にできた時のことも気にしているなんて、とっても苦しいことだろうから。

 先週あたりから、ちょっと旦那さんのお仕事が楽になって、それで少しメールを送る時間ができていたので書きました。とにかく「秀雄先生の言葉のとおりだったよ!」って伝えたかったのです。

 それでは、おやすみなさい。

「泣かれると辛い気持ちに寄り添う」

 寒くなりましたね。もう12月、あっという間に今年も終わりそうです。
 阿部先生の新しい本を拝読させていただきました。前半は理屈っぽい私にとって非常に納得のいくお話でした。

 その中で「知性と感情がどっちが強力かってそりゃあ、感情です」という内容、私にとってもとってもうれしい言葉でした。「こうすればいい」ってわかっているのに感情的になってしまう私でも大丈夫と言われているようでした。そして「知性も無力ではない」というのもまたうれしかったのです。

 そして、あることに気づきました。実はまだ私、泣かれるとつらかったのです。癒しの子育てを知ってからというもの、「泣いていいんだよ」というのは目からうろこ、そして実際「あ~痛かったね、ヨシヨシ」って場面も少なからずあります。

 でも、子どもにギャーギャー泣かれると、どうしようもない怒りに駆られたりイライラしたり・・・・。そんなときは子どもに我慢してもらうかその場を離れるか・・・。
「お願いだからそうやってギャーギャー泣くのやめて!ママイライラするの!お願い!!」
「無理無理!今そんな風に泣かれても全然ヨシヨシできないから、ママ、むこうに行くから」
 さらにギャーギャー泣き喚く子どもを置いて何とか心を落ち着けようと、色々と自分のチャイルドをなだめるのですがどうも収まりがつかず・・・。

 それは「泣かれると辛い気持ち」に寄り添っていなかったからなのですね。そう、前回、キレてしまったときも、あれは泣かれるとイライラしてしまう原因探しに一生懸命になっていて、「泣かれるとイライラする、つらくなる気持ち」に寄り添っていなかったんですね。子どもに対しても自分のチャイルドに対しても同じことだったのに、見落としていました。 原因よりも、そこにある気持ちに共感してあげればいいんだった・・・。なんで、こんなことに気がつかなかったんだろう・・・・。

 今まで、「泣かせない子育て」で私自身ずーっと、親の前で泣いたり、弱音はいたりしてきてないのだから、まだまだ辛くなっても当たり前なんですね、きっと。それが、もう、ずいぶん癒された思いでいました。だから泣かれてイライラしてしまう原因はほかにあると思い込んで、原因探しに夢中になっていたんだと思うのです。「泣かれて辛くなっていては、子どもを慰められない」のだからイライラしないようにしなくちゃって。そんなこんなはともかく、「イライラしてしまう私」を丸ごと認めちゃえば良かったんだ。ずいぶんすっきりしました。

 そして、後半の実例のお話の数々。子どもが赤ちゃんの頃の自分と重なることが非常に多くて、うんうん、とうなずきながら読みました。

 上の双子が赤ちゃんのとき、おっぱいで育てられなかった後悔から、下の子をおっぱいで育てたくて、おっぱいは赤ちゃんに吸ってもらうとよく出るようになるというのを実践し、ひたすら泣いたらおっぱい、泣かずとも起きたらおっぱいでした。思うようにおっぱいもでるのに噛まれたり、そして、月齢が進むにつれて寝ない子になりました。泣くというよりは夜しょっちゅう唸ってました。思いっきり「泣かせない子育て」を実践してたのですね。

 あの頃は、「おっぱい飲んでるのに何をしてほしいわけ?」位に思っていて、赤ちゃんを一人の人間として扱っていたかしら?と思います。赤ちゃんがぎゅっと抱きしめて、そしてお話してほしかっただなんて思いもしませんでした。そして、その頃「抱っこ法」の本に出会い、おっぱいが歯止めであったことに気づきます。そうなると今度は落とし穴にはまってしまいます。「泣かせなきゃ!」双子も下の子も泣かせなきゃ~!

 みんな泣き下手なのに、しかもまだ私が甘えさせ下手の上、「落ち着かせる」ことを知らなかったので余計に苦しくなる始末。今思うと非常に苦しいやり方してたなと思いますが、あの時はそれしかできなかったのですから、「良くがんばってたね」って言ってあげればいいのですね。

 それと「泣かれると怒りが抑えられない」お母さんの実例を読んで涙が出ました。双子がまだ、1歳くらい、下の子がまだおなかにいた頃からです。相談のお母さんのよ
うに、どうしようもない怒りで、そこらにあるおもちゃを子どもにぶつけないように投げました。そして、子どもも布団の上に投げつけました。両手をつかんで「どうしてわかんないのよ」と揺さぶりました。そんなことを何度も何度もしました。それこそ歯止めになっていたのでしょう。2歳になっても双子の一人が、1日に7回も8回も「ミルクミルク」ということも、「あめちょうだい。あめちょうだい」と何度もせがむことも許せずに、「そんなに食べたいなら食べればいいでしょ!」と飴を投げつけたことも・・・。

 あの頃の私は子どもの泣く理由なんて、「自分を責める」こととしか受け止めていませんでしたから。「飴食べたいよね~虫歯になっちゃうから我慢しようね~」なんて言葉出てくるはずもなく・・・・。本当に親子で苦しんでいました。そんなやり取りを知らなかっただけでなく、私にもいろんな気持ちがあったのに、そんな気持ちを押さえつけてました。

 その頃主人は、仕事が忙しくて、泊まりの出張も多く、私一人で双子の育児下の子の妊娠出産育児。色々とできることはやってくれましたが、彼も話を聞くほどの余裕も無かったのでしょう。「話を聞いてほしい」「早く家に帰ってきてほしい」、忙しい主人にそんな気持ちを抱いてしまう私はわがままで許せない。だから言えなかった。

 そして、相談のお母さんは「ご主人が出かけてしまうと寂しかった」とありましたね。まさに私もそうだったんだ。と思いました。今、気づいて涙流して「あの時は寂しかったね。大変だったよね。ヨシヨシ」としてあげました。

 阿部先生の本を読んで、またひとつ山を乗り越えることができたような気がします。これからの子育てがいっそう楽しくなるような思いです。

 そして、このように長くつたない文章を、一生懸命読んでくださる鷲尾さんに本当に感謝しております。これからもどうぞよろしくお願いします。

「私の中の『うるさい』という声」

 W様、お元気ですか。
 先日“抱っこ”に伺えなかった事で随分じっくり自分自身と向き合えました。ありがとうございました。声に出して泣いたのも何時からか無かった事だから、その後の感覚に心のまま声を出せる、表現できる事の癒しの効果は大きいと思えました。

 苦しい思いがじわ~っと全体にとけていって、いい味に変わるみたいなそんな感覚で、初めての天心の時の変化にショックを受けるほど影響がおよぶのではなくて、まるで変わってないのに全く違う…そんな感じです。

 だから今も、寂しいとかくやしいとか苦しい思いはあるのです。でもそのくらい自分の思いと共生できそうな中で、自分の中から湧き出す〈怒り〉はなんなんだか良く分からなくて、我がままのダダっこのかかわってもどうしようもない感じがしてしまいました。

 そんな思いを横目で見つつ、ある日突然…本当にそんな感じで…町でギャーギャー泣く幼な子の声が耳に入り、親はとりつくろうでも、その場を動くでもなく見守っていたのだと思いますが、私の中から「うるさい」という声が出てきたのです!

 悲しいかな、私は「泣いていいよ」と、息子にも友達の子にもよその子にも、優しくニッコリ言う事がよくありました。もしかして、自分の何かをこの「泣いていいよ」で封じ込めていたのかも知れないなと思いました。それからもう一度似たことがあって「うるさい」と言う私の中の私に、思い切って「そうだね」って共感してみました。その瞬間で、私が4年間息子にたぶん一番言ってきた「泣いていいよ」を否定する形になりました。でも何故かしっくりくる。私は苦しかった。泣きたい自分が泣かないで、いい子ぶってきた。うそついてた。そっちの私を初めて認めた瞬間でもあったのでしょうね。

 その後、わたしを中心にわたしから出る思いを広げていくように、思いと思いのつながりを目でみようと、紙に書き出してみました。否定的な様で肯定的だったり、肯定的の様で否定的だったり、それらがごちゃごちゃあっちこっち結びついていて、きっとこれだけじゃないのだし、心ってだから複雑なんだなと思いました。

 でもたったひとつ怒りになって、その先につながるものが出てこない所に来ました。ハッとしました。ここにあった!と思えたのです。私の中でとけてゆかずにあるこの思いを目で確認した思いがして、見つけたんだから出来るなら目をそらさないでいようと思いました。

 そんな私は息子を信じて見ていられる様になっています。

「根底の気持ち」

 妊娠中に抱っこ法を知り、最初はうまれたらいっぱい抱っこをしてあげようぐらいにおもってました。子育て通信のバックナンバーを取り寄せて、今一部ずつ読んでます。まだ途中なのですが、抱っこ法ってこんなに深いものだったんだと時には涙し、共感して読み進めています。

 私自身、長女でいろいろなことを我慢して育ちました。プラス母が姑舅と同居してた為、常にイライラしており、泣き出すとよく泣くな!と怒られて育ちました。私はアダルトチルドレンだと自覚してたので、いろんな本を読み、どうすれば心の傷が癒せるのかずっと探し続けてました。癒さなくては、私が母となった時、子供にまた同じ傷を受け継がせてしまうと何とかそれを防ぎたくて、自分なりにいろいろしましたが、なかなか根底の気持ちには触れることが出来ずにいました。

 主人と会って、私は初めて思いっきり泣くことができました。とても優しい人で、泣きたいときはないていいよ。と初めて言われ、私は主人に会うたびにだきしめてもらいとにかく泣きました。自分でも驚くぐらい泣き、その後は泣いてもすぐに泣き止むことができるようになりました。今でも、泣き虫ですが。

 そして、主人と結婚し、娘が生まれました。今3ヶ月になります。子育て通信を読んで、赤ちゃんは親思いで、親のことを心配し助けたいと思っていることを知り、初めて自分の根底の気持ちに触れた気がしました。私はお母さんのこと心配し、助けたいとおもってたんだと気付きました。母のこと恨み、泣くなって怒るから泣けなくなってしまって、心に傷があるんだと思っていましたが、違ったんだと。私は母を心配してたんですね。私は夜泣きがひどかったそうです。母も辛かったのですね。母も辛いんだと自分に言い聞かせていましたが、気持ちは納得できず、でも、私も悲しかったんだからという思いが常にありました。丁度このことに気付いた次の日、母から電話があり、私は母のこと心配してて、力になりたいと思ってたんだよと伝えました。まず一歩進むことができ、嬉しく思ってます。

 娘に対しても、以前は泣くと私が苦しくなり、どうして泣いてるの?何か悲しいことがあったの?という思いがあり、すぐに泣きやませようとしてました。娘は私の気持ちに気付いており思いっきり泣けてないのでは?と思ったので抱っこし、私のこと心配して思いっきり泣けなかったの?と聞くと泣き始めました。こんなに小さい娘に心配をかけてたんだ。ごめんね。と娘に伝えました。娘も以前より思いっきり泣けるようになりました。

 早く娘の気持ちに気付くことができ感謝してます。本当に抱っこ法に出会えてよかったです。まだまだこれからですが、先に進めることができました。母との関係も少しずつ変わっていけると思います。

 一度、母と一緒に天心を受けようと考えてます。母も弟(22歳)の育児(?)でなやんでいますので。来年の講演会是非参加したいです。娘も連れて行ってよいのでしょうか? お忙しい中長いメール読んでくださりありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

「『泣く理由』の出版に寄せて」

 明け方少し寒さを感じるようになりました。そろそろ布団も食事も、暖かい物がいいですよね。

 阿部先生はいかがお過ごしですか? 『子どもが「泣く理由」がわかる本』の「欲求の」ブラックホールと感情のホワイトホール」のところに書かれているお話を読んで、当時の私たちのやりとりを思い出しました。あの頃は先生に説明を受けていながら、娘の涙と私の心をざわつきにつきあうことで精一杯でした。それでも、娘の泣き顔が鼻水の滝になっていて可愛かった。そう思えたのは、芳子さんと阿部先生にに支えていただいたからでした。

 娘が泣いている時、私の心が苦しくなるのは、娘が「悲しい」気持ちで、「悲しい悲しい」と訴えて泣いていると感じていたからです。「なんとかしてー、助けてー、やめてー、好きにさせてー・・・」と、私がなんとか解決することを求めて、私に要求して泣いているんだと思ってしまったからです。「私にどうしろっていうの? どうにも出来ないよ」「泣くのやめてほしいんだもん。こっちが泣きたいよ。助けて」と、私が助けを求めたくなる、でも、助けはない。一人でなんとかしないと。もう苦しくて、孤独でたまりません。

 こう思ってしまう習慣は、そのころよりは少しずつ楽になってきました。が、依然なくなりはせず、「アニメが見たい」が「漫画を読みたい」などに内容が変わってはいますが、私を悶々とさせています。あんまり成長していませんね。

 しかしその箇所を読ませていただいて、「悲しい気持ちを解放して泣いているのだ」と改めて気づきました(当時、阿部先生に娘を抱っこしていただいている時に、お話を伺って、その時にはその時なりに理解し、腑に落ちておりましたが)。「解放しているんだ」と思うと、泣かれている自分の、そわそわしている心が落ち着いてくるのを実感しました。娘が私に苦しさを訴えていると思うのと、単に自分の気持ちを解放して泣き叫んでいると思えるのでは、受けるものがずいぶん違って、このことを知っただけで、落ち着いておとな心で状況を観てとらえることが出来そうな気がします! 本になり、活字となり、何度でもその言葉に出会える、強い味方の本!ですね。

 「いいなりにならないで、でも、泣くことを禁じない」この言葉が日々の生活の支えになります。我が家の場合、私と夫は、生活感も子育てに関する意見もかなり違い、お互い歩み寄ることが難しく、ぎくしゃくしています。お互い、娘の幸せを願ってのことなので、何とか話し合ったり歩み寄ったり出来ればと思い、アサーティブを学んだりして、話し合いの努力はしてきました。しかし、私の考えはすっかり否定されることが多く、夫は歩み寄ってくれません。私の力不足でもあるのでしょうが、おれて歩み寄っていくのは私だけなので、その努力は虚しくなってしまいました。

 そんな背景もあり、娘に私が伝えたいことは、「いいなりにならないで」と思っても、何処か孤立無援で、ぐらぐら揺れてしまいます。時に、夫に全否定されたり、軽んじられたり。娘にだって大事なことだとは、私の伝える真剣さから解っているようですが、身に付かないし、反抗し、私をへこませようと向かってきます。多様な情報もあって、やっぱり、私の考えでいいのかなって不安にもなり、娘の要求をきいてしまったほうがいいのか?とぐらぐら揺れます。孤独な育児ですね。それが一番の問題なんだなあっと実感しています。

 そんな状態にあると、やっぱり気持ちよく泣きを聞いてあげられないですね。でも、そんな私だからこそ、聞いてもらえない悲しさや苦しさ、寂しさはよく解ってあげられる。受け止めて貰ったときのうれしさも知っているのだと、そんなふうにも思えるのです。

 つい、数ヶ月前、私は大泣きをしました。なんで泣いていたのか、原因は、もうすっかり忘れてしまいました。ささいな夫の言葉で泣き始め、だんだん大声で泣き叫び泣き。あわてた夫がよしよししてくれました。でも、それだけでは全然収まらず、というか、さらに気持ちが溢れて来て、ベッドで大の字になって足をバタバタ、ベッドを叩き付けてわ~んわ~んと泣きました。そしたら夫が、なんだか状況が不気味と思ったらしく、「大変だったんだね」と足の裏をマッサージしてくれました。尋常でないと思ったのでしょうか。その様子が、あわてていて、可笑しかった。泣きながら笑いが込み上げて来て、大笑いして、また、大泣きしました。マッサージが気持ちよくて、「気持ちいいー」と泣き叫んでいました。涙と鼻水でぐしゃぐしゃです。

 そしたら、それを見ていた娘が、「○○だって大変なんだ~!」と叫び泣いて、私の隣のベッドで大の字になってバタバタして、「マッサージしてー!」と泣き出しました。夫はあわてて娘のマッサージ。すると私が「私もー!」と泣き、夫が私のマッサージを始めると、今度は娘が泣き、二人で大泣きして叫んで、バタバタ暴れて、マッサージして貰って、大変なんだねって言ってもらって、すごく楽しくうれしかった。娘と顔を見合わせて、「楽しかったねー。パパありがとう!」とすっきり言葉が出て来ました。それまで、「パパのばかー」と激しく思っていたにも関わらず!

 こんな満たされた泣きを味わうと、娘が泣いているとき、「きっと気持ちいいんだろうな~」と思える(時が・・・またに・・・ある・・・)。苦しそうに泣いていると・・・切ないけど。わんわん大泣きしてると・・・私の心が穏やかになる。優しくなってくる。可愛いなと思う。安心するんです。「泣いてる。私には気持ちをつたえてくれるんだ。私には泣いて訴えてくれるんだ。私は安心して泣ける母親なんだ」と思うのです。だから、きっと、私が泣いても、可愛いんじゃないかな・・・と自分では思ったりできるようになってきましたが・・・なかなか、現実の生活の中ではそうはいかず、泣けない自分に悲しくなったりします。泣くことの快感をいっぱい味わって、満たされたいなあ、自分の根っこのために、娘のために、夫のために、家族のために、自分のために・・・と思います!

 世の中たくさんのお母さんとお子さんが、暖かい涙に包まれ、力強く立ち上がって歩んでいきますように。阿部先生の新しい本が、私たち親子、たくさんの方々の力になるでしょう。阿部先生に実り多い秋になりますように!お祈り申し上げます。季節柄、ご自愛なさってくださいね。

「MとHとの日々」

 全然FAXする暇がありません(-_-;)。携帯からです。Hが産まれて4ヶ月が過ぎて落ち着いてきたのもつかの間、オンブが出来るから楽だな~なんて余裕ぶってたら、なんだかH君穏やかであまり泣かないし、可愛いもんだわ~なんて思ってたのに、最近泣く泣く(^_^;)、悲鳴に近い泣き方でびっくりします。

 起きてる時は機嫌良かったから私も楽で家事やら出来て、泣いたら眠い時で、寝かせて、ってリズムだったのに、最近騒ぐ騒ぐ! しかも昼寝は二時間とかしてたのに長くて一時間、眠いのにすぐ泣く。Mに余裕をもって遊んだり出来なくて可哀想だし、私もイライラ! いっそのことサイレントベビーになってくれた方が楽。なんて恐ろしい事考えちゃいます(-.- )。

 ベビーカーでも最近泣くし、オンブで寝る時もギャンギャン泣く、最初は楽で可愛いな~なんて余裕あったのに、今はMといる方が気楽です。はぁ~! なんで私の子たちは手のかかる子たちなんだ! Mにいっぱい我慢させて。元々ヘルニアの腰痛もちの私は、日々オンブ抱っこで遂に立てなくなってしまい、毎日整体に通ってます。弱い母で情けない!

 Mはずっと咳や風邪ばかりで病院通いで、Hをその度に預けてたりでHも心配してるんだろうな~。大泣きした時に色々語りかけてもイマイチで。とにかく早く腰を治して元気になりたいです。もっともっと話したい事ありますがまずは寝ます!


〈第2信〉

 なんか忙し過ぎて基本を忘れちゃいますね(^_^;)。結局私は自分の思い通りにならないと嫌なんですね。手がかからない子といたい。Mは落ち着いているというより私が抑えこんでいる、という感じです。毎日ケンカもするし。怒ったり脅したり(-.-)、気持ちに寄り添ってはいないです。
甘え上手なのか~。Hが大泣きするのは甘えてるんですね。可哀想だと思ってしまいます。でもMの時よりは余裕をもって聞いてあげられるかな。でもやっぱり一人でたっぷり寝て欲しいな。せめて夜だけでも。でも可愛いですね。こないだ寝返りしました~。早い!

 順番を待ってたのかな~。私に余裕ないの分かって。凄いな~赤ちゃんて。私も今だに母の様子を伺ってSOS出すので(体調が悪い時ですが)、二人目はそうなっちゃうのかな。Mはもう少し伺って欲しい(^_^;)。

 でもMも去年から風邪ひきっぱなしだからストレスあるんでしょうね。M、そけいヘルニアの手術したんですよ! 脱腸です。一泊でしたがHがいるのでパパと入院しました。心電図、採血、レントゲン、ほとんど泣かずに頑張りました! 泣いても良かったんですが、本人は頑張りたかったみたいで。最後手術室に入って麻酔する時に大泣きして眠りました。ママ~恐い~って。私も泣きながら見送りました。大した事ない手術と言われてもやっぱりメスを入れるんだし、親子で凄い事件でした。前泊だったんですが、とってもお利口だったとパパが感動してました。

 さすが4歳!と誉めてました。お医者さんごっこがよりリアルになりました(^o^)。私も夜以外は病院にいたので、Hは2日お祖母ちゃんに預け、授乳の度連れて来てもらいました。Hも頑張りました。その日の夜は初めての大泣きでした。でも朝までぐっすりでした。

 さて春からMは幼稚園です。近所のお友達がみんな一緒に行くので私もMも心強いですが、やっぱりドキドキワクワクですね。保育園のように常に遊んでくれる先生と違って、結構子どもたちだけで遊ぶ事が多いので、寂しがり屋のMはどうなるかな(^_^;)。近くなので見に行きたくなっちゃいます。では又メールします。


〈第3信〉

 携帯からだと凄く見にくいでしょうね~すみません(^_^;)。 

 Mは本当に言いたい放題で。でも分かりやすい。転んでお風呂入ったり絆創膏をとる時が凄い大泣きなんですが、こないだ「濡れると痛いから入りたくない~!(>_<)」から始まり、泣きながら「頑張りたいけど頑張れない~!頑張るけど泣き止めない~!」(^^) 凄い分かる!! こっちもあまりのゴタゴタ具合に、最初は怒ったり呆れてても、最後は笑いながらハイハイ。ああしたい、こうしたい、これが嫌だ。とママ以外にも誰でも言うし、言い過ぎて損するタイプ。最近の口癖は「M頑張ってるもん」ハイハイ(-.-)。

 芳子先生のお子さんも喘息だったんですね。健康で夜泣きされても大変なのに、子どもの病気は可哀想。私が赤ちゃんの頃から5歳くらいまで喘息だったので、母が大変だったろうな~。紫色になって呼吸困難で何度も夜中病院に行ったそうです。酔っ払いの父はあてにならないので、2歳上の姉を連れて私をおぶって。アトピーもひどかったので、泣きながら痒い~と背中をいつも掻いてもらってた記憶があります。そういうのを聞くと少し頑張れそうですね。私は本当に昔から体でしか訴えられないんでしょうか? 母はここからはもう入ってこないで!みたいな壁があるからな~。やっぱり今更もめるの面倒だし顔色伺います。

 私もMの時も夜泣き酷くて、毎日大変でやっと落ち着いてきて懐かしいな~と思える時になったら、又赤ちゃんが欲しいと思うんですよね。また今を忘れて笑える日がくるでしょうね。きっとすぐかな。Mと二人で買い物楽しいんですよ。ケーキ食べ放題行ったりバーゲン行ったり。ママ~こっちの方が可愛いよ~!とか(^^)。腰痛酷いのでMとのコンビが最近多いんです。ひらがなや数字の練習中なんですがどんどん分かるようになってすごいな~と関心です。手を焼いて大変ですが自慢の子どもでもあるんです。

 届きますかね?  我が家の手のかかる(甘え上手な?)子どもたちの写真です(^o^)。